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歴史もの

人参兄弟

 半月ほど前から母親が風邪をこじらせて、寝込むようになった。

 一平と与吉の兄弟は弱っていく母親を看病しながら、小作人として畑を耕していた。

 与吉は畑にある朝鮮人参が恨めしかった。

「滋養強壮、万病に利くという人参様だ。おっかさんに飲ませてやりてぇな」

「忘れたのか、与吉。村人は献上の人参様を使っちゃならねぇ決まりだ」

 豊後の国、日田地方は幕府領である。村の土が合うらしく朝鮮人参を栽培していた。大事に育てられた三年物の朝鮮人参は、庄屋様が集めて乾燥し、一本残らずお上(幕府)に献上される。

「分かってるよ、兄さん。俺ももう十六だ。ただ、おっかさんの病気が良くなってほしいだけなんだ」

 貴重な人参は、江戸の御城で将軍様や重臣たちが飲むのだろうと与吉は想像した。

 しかし、この世にたった一人の母親だ。そのうちの一本でもいい。苦しむ母親に飲ませてやりたい。


 翌朝、鉄瓶から木碗に薬を注いだ与吉は、寝ている母親に声を掛けた。

「おっかさん薬だ。さあ飲んでくれ」

 差し出した木椀を受け取った母親は、

「ありがとう。でも、どうしたんだい。まさか、与吉お前……」

 と言って続きを口にするのをためらった。

 感付かれたと思って与吉は手が震えた。

 この村に薬師はいない。薬草は自分で山から採って来るか、遠い町まで行かなければ手に入らない。

 二つ年上の一平が、声を荒げた。

「与吉、もしや盗んだな」

「だって、だって兄さん、弱っていくおっかさんを見ていられなかったんだ。別にいいだろ、人参様の一本くらい」

 間髪入れずに与吉は兄の拳骨を食らった。

「馬鹿野郎。おっかさんのせいにするな。村人全員で大切に育てている将軍様への献上品なんだ。一本だからと言って盗んで良い訳がないだろう」

「二人とも止め……うっ」

 とっさに起き上がろうとした母親が、身体の痛みで顔をしかめた。

「おっかさん」

 一平と与吉は、取っ組み合いの手を緩めた。

 そして兄が先に謝った。

「すまない、おっかさん。これから与吉と二人で庄屋様に謝ってくるよ」

 涙を手で拭いて与吉もうなずいた。

「すまない、おっかさん。ちょっと行って謝って来るから、寝ていてくれ」

 母親はただ泣いていた。病気になった自分を責めているのかも知れない。盗みをした息子を恥じているのかも知れない。申し訳ないと与吉は心底から反省した。


 この一件は、幕府のお役人には届けずに、庄屋様の一存で処理された。

 しかし、同情の余地は有るけれども村人への示しが付かないからと、一家三人は「村八分」にされた。火事と葬式しか手を貸さないという厳しい罰だ。

 それから家には誰も訪ねて来ないし、話し掛けられもしない。そして半年後に、母親は一人虚しく死んで行った。

「与吉は馬鹿な子だね。でも二人とも本当に優しい子たちだよ。ありがとうね」

 これが与吉の聞いた母親の最後の声だった。

 もし、薬があれば母親は助かったのかも知れない。自分が人参を盗らなければ、村人も母親を助けてくれたかも知れない。

 与吉には後悔だけが残った。

 兄の一平も同じだったろう。

「俺は江戸へ出て坊主になる。死んだおっかさんを供養しながら、医術を学ぶんだ。お前はどうする?」

 兄に聞かれて与吉は答えに困った。

「分からない。もう少し考えさせてくれ」

 正直いって目標もない。世間の酷い仕打ちにうたれ、ただ悲しいだけであった。

「馬鹿だなぁ与吉、村八分のこんな村に居ても良い事はないぞ。一緒に江戸に行こう」

「いや、俺は村に残っておっかさんの墓を守っていく」

「与吉、お前がどんなに慕っても、おっかさんはもう帰って来ない。死んだんだ。しっかりしろ」

「でも、人参様の、俺のせいで」

 与吉は頭を振って拒否した。後悔の念で一杯だった。

 そんな思いを知る兄は、黙って一人で旅立って行った。


 三年後、江戸城御正門前にある目安箱に手紙を入れる若い僧がいた。

 目安箱は城中に運ばれ、将軍徳川吉宗公の前に並べられた。吉宗は読み進めるうちに、一通の建白書に目が止まった。

「豊後の国、日田郡は天領(幕府領)であり、山村では朝鮮人参を育てて献上しております。

 しかし、村人には人参を使ってはならないという掟があり、困っております。

 三年前に弟は、寝たきりの母のために人参を盗みました。そのせいで村八分にされ、母は寂しく死んで行きました。

 病に苦しむ母親に人参を与えたいと思う息子こそが孝行者であり、掟破りとして差別されるゆえんはありません。薬を創っているのに、使ってはいけないとする法こそ間違っております。

 願わくは、弟の差別を無くし、幕府の薬師として我を村に遣わして下さい。将軍様へ 僧玄哲」

 将軍吉宗は、親子兄弟の情に胸を打たれた。

 吉宗の兄たちは次々と病死し、幼い自分は母上様に懸命に守ってもらった。その母上様も年を取って婆となり、最近は病がちである。

 吉宗はすぐに筆を取った。

「朝鮮人参の村に薬師玄哲を遣わす。村人は安心して仕事にはげむべし。将軍吉宗(花押)」


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