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第六話 思惑

流花が何も言わず、郁と朔の会話の応酬を見ている時にふわっと揚げ物の良い香りが漂ってきた。二人も気づいたのか、会話を止めて厨房の方を見つめている。


「……二人は、よくここに食べに来るんですか?」


流花の問いに郁はぶすっとした表情をし、朔は考え込むように目線を上げた。


「うーん、そうだね。いちを毎日夕飯代として父から一人1500円出されているから。それで外食したり、コンビニとかで適当に買って部屋で食べたりしているかな。さざなみ食堂は量が豊富な上に、料金もおじさんがリーズナブルに設定してくれているから結構余るけど。なるべく余らせて少しずつ貯金してる。でも、あまり制服姿で外食する姿を住民に見られるのは父としても避けて欲しいみたいでね。ご飯をきちんと食べさせていないと思われるから」


「でも実際、食べさせてくれていないじゃない。あの女が私たちにご飯を出していないのを了解して、何も対処しないんだから。ろくでもない父親よ」


流花が何か訊きたそうに口を開いたり閉じたりしているのに気付いたのか、朔はじっとこちらを見やった。


「さっきから憎しみを込めてあの女って言ってる奴のことを、知りたい?」


「……いえ、それぞれ話したくない家庭の事情が、あるでしょうし」


「知りたいって信号を何度も送ってくれてるくせに」


ははは、と朔は乾いた笑みを浮かべた。


「じゃあ、樋浦先輩、ここからは同罪ですからね」


「え、同罪?」


「郁、別に僕たちは罪を犯しているわけじゃないんだから」


両手の指を組んで、朔は顎に当てた。


「まぁ、大したことはないよ。よくある話というかさ、幼少時に病気で妻を亡くした父親が、後妻に迎えた若い女が血がつながっていない子供たちをどうしても愛することが出来なかったっていう、童話でもよく見られる話だよ。そして、実子が産まれた途端に、それが顕著になった。実子だけに愛情を注ぎ、連れ子たちには目もくれなくなった。ご飯も用意してくれなくなったし、洗濯もしてくれない。まぁ、洗濯物は自分たちでやればいいんだけどさ、料理はそもそも台所を使わせてくれないしね。作ることさえもできない。父親はそれに気づきつつも黙認し、若い妻を擁護する。僕たちには食事に困らないだけのお金を与えておけば万事解決、というわけ」


「そんな……」


「君が辛そうな顔をすることないさ。僕たちの問題だし」


「いえ、私も、実の親には愛情らしいものを与えられなかったんで。小さい頃の話なんで、あまり覚えていないんですけど」


「樋浦先輩も?」


「うん、だけど、伯母さんにあたる人が私を引き取ってくれて育ててくれたんです。あ、でも、まだまだ育ててもらっている段階ですけど。私がいることで、恋愛も結婚もできないし不自由しているはずなのに、私にたくさんの愛情を与えてくれています。だから、私も出来るだけの恩返しをしたいと、家事全般をしているつもりです」


「そっかー樋浦先輩、偉いなぁ。私は、もう親の愛情とかそういうの何年も感じないで生きてきたから、未来に何の希望も持てずにただ無心で生きているっていうか―――」


「郁、大丈夫。まだ希望はある。僕は、このエリーと共生して人間の業みたいなのを目にすることになった。〈黙示〉のエリスはただ考えや意志を読めるだけじゃない、他人に神意や真理を示すことが出来るんだよ。これって、どういうことか分かるか?」


朔の言葉に郁はふるふると首を振った。流花は全く見当がつかないので黙っている。


「簡単だよ。黒い意志を持った犯罪を犯す一歩手前の奴まで街中をうようよしているのが見える。そいつに神の啓示をすればいい。あの女を消すよう、促せばいいんだよ」


朔は小声でそう呟いた。郁はひゅっと息を飲んで椅子を引いて兄から離れた。朔は至極真面目な表情で郁を見つめている。


「……やっぱり、犯罪をおかそうとしてるじゃん」


「とんでもない。僕が手を下すわけじゃないんだから。犯罪をおかしていることにならないだろう?」


「でも、その〈黙示〉のエリスの力を使おうとしている時点で、明確な殺意があるってわけじゃない」


「むしろ、郁はあの女を誰か消してくれないかなぁって思わないの?」


朔はわからない、とばかりに眉を下げ、大きく息を吐いた。


「これまで父親に何度も訴えたって、事態は変わらなかったじゃないか。それは、僕たちが力のない子供だったから。経済力もないし名声もないし、庇護されることしかない無力な存在だったから。だから、唇を噛みしめて必死に我慢して生きてきた。せめて世間の信頼を得ていこうと、僕は小学生の頃から努力してきたよ。絶対的な信頼を勝ち得て、生徒会長になった。だけどさ、井の中の蛙だったんだと思い知らされたよ。大人たちからすれば、学校内で何をいい気になっている?という話であって、僕自身の地位が上がるわけじゃなかった。何も変わらなかった」


その時、「お待ち」という渋い声が掛かり、アジフライの皿が三枚置かれた。


「温かい内に食べな」


おじさんが去ると、三人の間に沈黙が落ちた。そこに、ぱんっと郁が手を叩いた。


「まずは、食べよう。お腹が空いた!」


「うん、そうだね。さ、小野寺先輩も」


「……うん」


三人は割り箸を掴んで割ると、黙々と食べ始めた。


「……さくさくでふわふわで美味しい!」


「でしょう?樋浦先輩、初めてだもんね。ご飯もおかわり自由だよ」


ふと横を見ると、すでに大盛りのご飯を食べつくした郁は、厨房のおじさんにおかわりを注文していた。


「郁ちゃん、もしかして大食い?」


「郁は食べても食べてもお腹がすくから、1500円じゃ到底足りないんだ。だから、僕の夕飯代も少し払ってる。困ったことに、一向に貯蓄が出来ないんだよ」


朔ははぁっとため息をつきながらアジフライを咀嚼している。だけど、先ほどの思い詰めていた表情よりも大分明るい。憑き物が落ちたようすっきりとしている。


「樋浦さん、いきなり物騒な話を聞かせて悪かったね」


「いえ……」


「でも、僕は本気なんだよ。この鬱屈した状況を変えるには、そうするしかない。事故に見せかけて、あの女を消すしか僕たちが人間らしい人生を送れないと真剣に思っている。エリーが僕についてくれたのは、絶好の機会じゃないかと思っているんだ」


「でも、小野寺先輩。自分が手に掛けないとしても、エリーに犯罪の片棒を担がせることになりますけど、それは構わないんですか?」


流花の言葉に、朔は心外だと言わんばかりに目を見張った。


「だって、そういうことですよね?念願を果たした後に、そのままエリーとこれまでと同じように共生できるんですか?」


「……痛いところをつくね」


「その、エリスっていう存在が無害だったとしても、そうさせることによって有害になったりしませんか?小野寺先輩が、以前の戦闘のような化け物になってしまうこともあるかもしれない。それは、郁ちゃんも私も望んでいません」


「―――そうか」


「はい」


「いい打開策だと思っていたんだが、エリーを悪いものにはしたくない」


「そうですよね」


そのままもそもそとアジフライ定食を食べる横で、何杯目かわからないご飯の山に郁は目をキラキラさせている。その姿に、流花はぶふっと笑いが込み上げてきた。


「樋浦先輩?」


何だか笑いが止まらなくなってしまった。そして、同年代の子たちとこうして向かい合ってご飯を食べるなんて初めてのことじゃないだろうか。穂乃果さんに話したら、びっくりされるだろう。


「あ、思いつきました。こんなのどうでしょうか?二人の夕飯代を合わせた2000円分、私に預けてくれませんか?」


「どうするんだい?」


「2000円もあればたくさんおかずが作れます。ただ、郁ちゃんのご飯の量には見合わないかもしれないので、もしかしたら追加でいくらか頂くかもしれません。週に三日、私が二人のご飯を作ります」


「―――え?!」


二人の声が合わさった。


「それなら人目にもつかないし、お父様が気にするようなことはなくなりますよね。私と伯母さんの分しか作らないですし、いつも一人で食べているので丁度いいです。お二人が良ければ、どうですか?」


「樋浦先輩、それは有難いですけど、伯母さんの許可をまずは取った方がいいんじゃないですか?急に二人も来たらびっくりすると思います」


「それは、もちろん。だけど、伯母さんは許してくれると思う」


「……樋浦さん、君は、あまり他人と関わるのは苦手だというように聞いていたけれど。僕たちの境遇に同情しているならそれは大きなお世話だよ」


「ちょっと、お兄ちゃん!」


「同情というより、誰かとご飯を食べるのがこんなに楽しいことなんだって、今回思い知らされたんです。すみません、本当に私の都合です」


流花は頭を下げた。


「……迷惑に感じるようだったら、いつでも断ってくれて構わないから」


朔の言葉に、郁は嬉しそうに笑顔になった。


流花は顔を上げると、照れくさそうに下を向く朔が目に入った。


「わかりました。じゃあ、早速帰ったらまずは献立を考えますね!」


流花の言葉に、郁はさらに食欲が増したのか4杯目のご飯をお代わりしていた。




さざなみ食堂の前で小野寺兄妹と別れると、流花は自然と足取りを軽く家路についた。郁がいくらでも白飯が進むと、5杯くらい平らげていたが、流花の帰る時間を気に掛けてくれた朔によって中断された。


それにしても、自分自身の行動力には驚かされてしまった。流花はまだ自分の行動に整理が出来ておらず、心臓がばくばくと大きく高鳴っていた。だけど、朔と郁の嬉しそうな表情を思い出し、自然と口元が緩むのを感じていた。


あたりはとっぷりと日が落ち、街灯に光がともっている。


(ちょっとゆっくりしすぎちゃったな……)


心なしか、足のつま先に力が入る。前のめりになりそうだったが、姿勢を戻してぐっと頭上を見上げた。


そこに、久我志苑が浮かんでこちらを見下ろしていた。


流花はそのまま頭上を凝視したまま足を止めた。


「―――〈黙示〉と楽しそうに夕飯か。いい気なものだね」


久我志苑はゆっくりと下りてくると、以前見たような余裕な表情ではなく、切迫したような厳しい表情を浮かべていた。


「……私に、何か用ですか?」


「やっぱり、僕の記憶が残っているみたいだね?どうしてだろう。〈黙示〉やその親族だったら仕方ないけど。まぁ、いいや。君と雑談している時間はないんだ。今すぐ僕と来て欲しい」


「―――え?」


「君にノーという選択肢はない。ニーナの魔力が尽きかけている。僕からの借りが多すぎて、ニーナ自身の命も尽きるかもしれない」


「―――どうしたんですか?前だったら、ニーナさんの命が尽きれば代わりがいるって豪語していたじゃないですか?」


流花の言葉に、久我志苑はぎろりと憎しみの色を向けた。


「僕は、この僕はあの女の命一つ、どうなろうと関係ないんだよ。だけど、志苑が、本体の志苑が、悲しむんだ。僕はそれを見たくない。だから、君の記憶が残っていようが消えていようがニーナの元に連れていくつもりだった。恥を忍んで言うよ、ニーナを助けて欲しい」


眉を下げ、唇を噛みしめて懇願するように久我志苑は言った。先日、テレビの中できらきらと輝くような笑みを浮かべていた彼とは別人のようだ。


「ニーナさんは、私の力なんて求めていないのかもしれない。だけど、私もニーナさんに死んでほしくない。私で力になるならば、連れて行って!」


その言葉を合図に、ひゅっと流花の体は一気に浮遊した。


「一気に移動する。掴まっていろ―――」


あの有名人の久我志苑に抱きしめられているなんて―――という感覚は今の流花は一切持ち合わせていなかった。ただ、追い詰められているニーナさんの元に一刻も早く向かわなければならないという使命感にただただ支配されていたのだから。

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