とんぼのうた
腰痛持ちの私は、時々温浴施設に赴く。
最近は併設された岩盤浴を好んで利用しているが、やはり足を延ばして入れるお風呂は実にいい。
最近では外国人の姿も見受けられるが、ヘイ!ダディと小さな外国の子供がお父さんを追いかける姿を見た時は、ちょっと驚いた。
ちなみに、そのダディさんは頭にタオルだと思うけど、鉢巻をギュッと巻いてノシノシ浴室内を歩いていた。
私はまず、掛け湯をたっぷりしてから、内湯に入って身体を温める。
その後、露天風呂に赴く。
いつも行く温浴施設の露天風呂は二つあり、ひとつは源泉かけ流しのぬる湯と、加温してある熱湯だ。
私は江戸っ子の癖に熱い風呂が苦手で、ぬるいお風呂にゆったりと浸かるのが好きだ。
今回もぬる湯に入ったけど、いつもより温度が低かった。
まあ、誰も入らないからいいか。
そう思い、ゆっくりとしていた。
すると、何かが飛んでいた。
一瞬、アブだったら嫌だなあと思ったけど、トンボだった。
トンボは浴槽の水面を滑空し、時にホバリングしていた。
どこかに着地したいのだろうか?
私はその様を見ていたら、やがてトンボは私の方に飛んできた。
そして、両手を結んで作った、いわばトンボから見たら島のような場所に着陸したのだ。
私はと言うと、すぐに居なくなるだろうと思い、そのままでいた。
手には小さな生き物の感触があり、ちょっとこそばゆいけど、ああ、秋だなあと思うと、これも風情があった。
丁度いい、話し相手になってもらおうかと思ったら、トンボの方から話しかけてきた。
「ちょっと、お邪魔するよ」
「え?」
「ふ~、疲れた」
「ええっと?」
「ここで何してる?食べ物を探しているのか?それとも、溺れているのか?」
「いや、風呂に入っているんだよ」
「何だ、風呂って?」
「ええっと、身体を温める場所なんだよ」
「必要か、そんなこと」
「必要かどうかと聞かれてもなあ」
「ヒマでいいな」
「普段はヒマじゃないけど」
「現にヒマじゃないか?」
「そうなの?」
「俺たちに、そんな時間はない」
「そうなんだ、大変だね」
「別に普通だ、お前らが変なんだ」
「変かなあ?」
「変な奴だ」
「ええっと、どう変なのかな?」
「変だ」
何と言うか、一方的と言うか、どうすればいいんだ?
でもそうか、トンボから見たら、私たちは変なのか?
というか、話すトンボも変だと思うけど?
「気にするな」
「聞こえた?」
「さあな」
というか、いつまでそこに居る?
「すぐにどく」
「え?また聞こえた?」
「顔がそう語っている」
「ああ、そう」
「今年の夏は、暑くて敵わん」
「ああ、そうだね」
「どんどん、住みにくくなる」
「そうか、実は私たちもだよ」
「お前らはお前らでなんとかしろ」
「そう言われてもなあ」
「だって、ヒマなんだろう?」
「ヒマはヒマなんだけど」
「どっちなんだ?はっきりしろ」
「う~ん、忙しいのかな」
「そうか、忙しいのか」
「だからさ、ここで羽を休めている訳だ」
「お前に羽があるのか?」
「いや、無いけど?」
「無いのに、どうやって羽を休めるんだ?」
「ただの比喩だよ」
「変な奴だ」
「変かな?」
「変だ。無いモノをあるように言うのは、やっぱり変だ」
「そうか、気を付けよう」
「別にどうでもいい」
「ああ、そう」
「ところで」
「うん?」
「随分と、汗をかいているな?具合でも悪いんじゃないのか?もしかして、死ぬのか?」
「いや、これは熱いからだよ」
「変な奴だ。身体を温める為に、この風呂に入っているんじゃないのか?」
「そうだよ」
「なら、もう充分だろう?」
「そうなんだけどさ」
「何がそうなんだ?」
「君がさ、そこに居るから、ここから上がれないんだよ」
「変な奴だ」
「どうして?」
「俺は勝手にここに下りた、お前も勝手にすればいい。俺のせいにするな」
「そう?」
「そうだ」
「そうか」
「まあいい。俺ももう行く」
「ああ、元気で」
「変な奴だ。俺は元気だ」
「そうか」
「ああ、そうだ。お前こそ、元気になれ」
「元気に見えない?」
「見えん、元気なら、ジッとしていない」
「そうか」
「じゃな」
「ああ」
トンボは、遠くに去って行った。
夢?
どうやら私は、ぬるいお湯のせいか、うたた寝をしてしまったようだ。
しかし、随分と生々しい夢だった。
あれは、本当に夢なのか?
白昼夢なのか?
ため息を一つついて、少し腰を上げる。
その時だった、トンボが近づいてきたのは。
しかし、トンボは私の周りを飛んだら、またどこかに行ってしまった。
まるで、生きているか確認しているかのように。
ああ、私は大丈夫だ。
まだ、生きているぞ。
だから、また、会おう。
お互いに生きていたら。
元気で!
私は長く浸かった湯船から上がり、水分を摂ることにした。
随分と、汗もかいたし。
正直、少しめまいもしていた。
やはり、あれは夢だったのだろうか?
でも、悪くない夢だった。