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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第16章 ホースマンの夢
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第67話 暗雲と再起

 いよいよやってきた皐月賞。


 かつて2038年のミラクルフライトでは、私はハイウェイスターと武政修一騎手の、強烈な「威圧感」のような物を感じ、そして大林翔吾騎手のイェーガータンクに勝ちをさらわれて、結局2着に終わっていた。


 あの屈辱の日から早くも12年。


 2050年4月17日(日)、中山競馬場、11R(レース)、芝2000メートル、皐月賞(GⅠ)。


 天候は、晴れ。馬場状態は「良」。


  弥生賞ディープインパクト記念と同じ、中山競馬場の芝2000メートル。このコースと距離なら、私に勝算はあった。


 世間では、私のことを「中山巧者」と呼ぶ人がいるらしい。確かに、過去のレースを見ると、よく「中山」では勝っていたからだろう。


 要はこのコースは、得意なコースだった。


 ところが。このレースには、先の弥生賞で勝った、パープルヘイズは出走すらしていなかった。弥生賞の直後に、パープルヘイズはもちろんこの皐月賞に照準を合わせていたが、右前脚に挫石ざせきを発症したことが判明し、その後の調整が合わなかったことから、本番の皐月賞を回避していたからだ。


 単勝3.5倍の1番人気は、ミラクルウィンド。鞍上は私で、1枠2番。


 単勝14.2倍の7番人気は、ブレードオブホープ。鞍上は川本海騎手で、4枠8番。


 ブレードオブホープは、先の弥生賞ディープインパクト記念には出ていなかったが、もう1つの皐月賞トライアルである、スプリングステークス(GⅡ)で2着だった馬だ。


 おまけに7番人気。

(恐らく来ないだろう)


 と、私は見ていた。


 だが、競馬というのは何が起こるのかわからない。


 パドック、返し馬、そしてファンファーレ。


 いつもの流れを見送り、ゲート入りもスムーズに終わる。


 そして、出走。


 スタートしてからは、中団で待機するレースになる。前方では3頭がハイペースの大逃げを打っており、ミラクルウィンドの属する後方勢はスローペースだった。

 一方、ブレードオブホープは控えて4番手を追走。


 逃げた3頭と後方馬群との間は、10馬身差まで広がり、逃げた3頭はハイペース、後方馬群はスローペースを刻んで進む。


 最終コーナーから直線に入る。大逃げの3頭がいずれも失速し、それを後方勢が追い出しをする展開となった。


 後方のミラクルウィンドを、私は馬群の大外に持ち出してから追い上げを開始する。大逃げの3頭に代わって台頭したブレードオブホープを追う。


 直線に向いたブレードオブホープは、まず失速した逃げ馬の1頭を外からかわし、逃げ粘る2頭に接近。残り100メートル地点でこれをかわして抜け出す。それから後方馬群から追い上げる9番人気の馬を寄せ付けず、2馬身差をつけて先頭でゴール板を駆け抜けていた。


 私はミラクルウィンドの追い込みを狙ったが、最終的にはブレードオブホープに全く届かなかった。ブレードオブホープに0.8秒遅れて入線、大逃げをした3頭にも先着を許す結果となり、7着と惨敗する。


 ショックだった。


 かつては「三冠は確実」とまで言われた馬に跨って、満を持して挑んだ皐月賞で勝つことができないどころか、惨敗だった。


 2038年にミラクルフライトで皐月賞に挑んだ時は、2着だったため、それより悪い結果に終わったのだ。


 だが、これを私は冷静に分析していた。


 ひとえに、敗因はパープルヘイズがいないことによる「油断」と「過信」だった。「多少は強引な競馬をしても、この馬なら勝てる」と思ってしまったのだ。


 その意味では、私の技術がまだまだだった。


 インタビューで、海ちゃんは、かつてのスランプが嘘のように、満面の笑みを浮かべていた。


 そして、ジョッキールームで。


「おめでとう、海ちゃん」

「ありがとうございます、優さん」


 かつてあれだけ深く悩んでいた彼女が、見たこともないような笑顔で佇んでいた。


「良かったね。皐月賞勝てて。初めてでしょ」

「はい! ありがとうございます。牡馬のクラシックGⅠは初勝利です!」

 あのおとなしい彼女が、心底嬉しそうに語るのが印象的だった。それだけ苦労してきて、ようやく勝利を掴み取ったのだろう。


 だが、反面、私はというと。

 「三冠は確実」とまで言われたミラクルウィンドを勝たせられずに、早くも三冠は夢と消えていた。


 意気消沈している私に、心優しい海ちゃんは、慰めの言葉をかけてくれたのだが、私はこの時、後悔と自責の念で、上の空だった。


 安彦調教師は、特に私を批判することはなかったが、それが逆に「期待されていないのでは」と思い、ショックでもあった。


 だが、全てが終わり、競馬場から解放され、自宅に向かうために、夜になって駐車場に停めてある車に向かう途中、電話がかかってきた。


 騎手は、競馬の前後は、携帯電話すら使えないから、まるでタイミングを見計らったかのような電話だった。


「残念でしたね」

 相手は、美鈴社長だった。


 申し訳ない気持ちになった。

 「三冠が取れない」どころか、この惨敗だ。かつてのミラクルフライト以上に申し訳ない気持ちになり、私は自分の「降板」すら覚悟した。


「申し訳ありませんでした」

 だが、その私の沈痛な謝罪の声を聞いた彼女の声は、少しも冷たい物ではなく、むしろ暖かさを感じるものだった。


「何故謝るのですか?」

「でも……」


「私は、『三冠を取れ』などと言ったつもりはありません。この仔を預ける時、私が言った言葉を覚えてますか?」

(確かダービーを……)

 頭の中で、言葉を反芻する。


「ダービーを目指してみませんか? そう言ったのです」

「では……」


 もはやどう言葉を返したらいいのか、わからなくなっていた私に代って、彼女は「暗闇に道を示す」ように、続きを語った。


「三冠を勝てる馬に当たるなんて、そんなのは余程運が良くないと、無理です。同様に日本ダービーも『最も運のある馬が勝つ』と言われます。でも、私は思ったのです。この馬なら、きっとダービーを勝てる、と」

「でも私じゃ……」


 なおも、後ろ向きな発言が多い私に、美鈴さんはきっぱりと言ってくれるのだった。

「あなただから任せたのです」

「えっ」


「あれだけ勝てなかったミラクルフライトにGⅠを勝たせ、さらにファイナルフェーズ、ミラクルプリンセスをも勝たせた実績があるあなたに。それに美浦は、栗東に劣るなどと言われ、久しく美浦からダービー馬は出ていません。でも、その歴史を覆せるのがあなたなのです」

 ここまで持ちあげられるとは思っていなかったから、私は面食らっていた。

 同時に、彼女が実は「美浦を勝たせたい」という思いを秘めていたことを初めて知るのだった。


 事実、競馬界では長らく「栗東は美浦に勝る」とも言われ、GⅠ輩出馬の多くが、関西の栗東所属だった。


 身が引き締まる思いがした。

 愚痴っても、悔やんでも、「過去」は戻らないし、変えられない。

 だが、未来を変えることは出来る。


「わかりました」

 春の夜空を見上げながら、私は改めて、全身全霊で、ミラクルウィンドに「奇跡」を見せることを、心に誓うのだった。

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