第65話 余裕の力
年が明けた。
2050年。
この前年をもって、ベテランの武政修一騎手と大林翔吾騎手が揃って引退した。
また、新たな女性の新人騎手も続々とデビューしてきており、女性による進出と世代交代の波が押し寄せてきていた。
私自身、すでに36歳を迎える年になり、「ベテラン」の域に達していた。
そんな中、ミラクルウィンドは、次のレースに向けて調整していた。
「皐月賞トライアルに行く前に、一戦叩いておきたい」
というのが、陣営、つまり安彦厩舎の方針だった。
もちろん、完全に主戦騎手となっていた私に異論はない。それどころか、どんなレースでも「負ける気がしない」気がしていた。
恐らく、2038年のクラシックでヨルムンガンドに乗っていたマリアンヌ、あるいはベルヴィに乗っていた琴音は、今の私と同じような気持ちを持っていただろう。
(格の違い)
を感じずにはいられなかった。
そして、次のレースがまさにその「格」を見せつけることになった。
2050年1月22日(土)、中京競馬場、10R、芝2000メートル、若駒ステークス。
天候は曇り、馬場は「良」。
中京競馬場の芝2000メートルは、スタートから最初のコーナーまで距離が短めで内枠が有利と言われている。
逆に、3コーナー部分が外に膨らんだ形状になっており、この点では外枠が有利とも言われる。
結果として、有利・不利が相殺される形なので、内外で過度な差は無い。
直線は約410メートルとかなり長い上、途中に中山競馬場並みの急勾配を誇る急坂が存在する。
その為、差し・追い込みが有利なコース形態なのだが、最近は逃げ・先行の好走が多い真逆の傾向にある。
そして、このコースは、左回りの2000メートルと、東京競馬場のあのレースのいい練習にもなる。距離は違うが、日本ダービーだ。
コース形態としては、似ているため、「仮想日本ダービー」のつもりで、私は挑むことになる。
このレースは、7頭立てだが、特に大きな脅威となるようなライバルはいなかった。
この年のクラシック戦線では、私と同世代のライバルたちが出てきて、敵となるような気配はあった。
ミラクルウィンドは、単勝1.2倍と、前走の新馬戦と全く同じく、圧倒的1番人気。
レースが始まると、いきなりミラクルウィンドは、躓いて最後方からの競馬となった。
一方で、6番人気と4番人気の馬がハナに立って、後続をぐんぐん引き離していく。
だが、私は全然慌ててはいなかった。
道中は、前の2頭が3番手に10馬身以上も引き離す展開となっていた。そのまま2コーナーから向こう正面に回ると、さらに15馬身くらいの差になるが、3コーナーに入る前に、ミラクルウィンドは、1頭抜いて少し前に出る。
残り400メートルの標識を通過し、最終の4コーナーを回っても、まだ先頭の馬までは10馬身近くも差があった。
普通なら間に合わない。
だが、私はこの時、かつてリングマイベルに乗っていた時と同じような感覚を覚えていた。
(この仔なら行ける)
と。
しかも驚くべきことに、私はほとんど鞭を使わず、最後の直線に入ってから、わずかながら「合図」に鞭を使っただけだった。
そこから大外に持ち出すと、まるで「チーター」のように急加速していた。
信じられないくらいのスピードだった。
残り200メートルを切っても、まだ先頭まで3馬身は差があったが、まるで意に介さないくらいの脚色で、恐ろしいほどの大跳び走法で、一気に距離を詰めて、先頭の馬を難なくかわすと、そのままさらに加速して、最終的には5馬身も差をつけて、圧勝していた。
後で、中継を見てみたら、
「すごい脚だ! 一気にかわして、さらに引き離す! 強い強い! 圧勝!」
まさに、段違い、次元が違いすぎた。
1頭だけ別の生き物なんじゃないか、と思えるくらいの圧勝劇だった。
実際、上がり3ハロンのタイムが「32秒4」という、恐ろしいほどのタイムで、これは中京競馬場の史上最速の上がりタイムだった。
インタビューを終えて、安彦調教師に報告する。
彼はまるで、心配の色を見せずに、
「楽しかったですか?」
と私に聞いてくる有り様だった。
「楽しかったです。速すぎですね。これなら三冠も夢じゃないと思います」
初めて、私は「三冠」という物を意識したのだった。
かつて、ミラクルプリンセスで、牝馬三冠を狙えるようなチャンスはあったが、デビューが遅すぎて、実現はしなかった。
それでも彼女は牝馬二冠を達成してくれたが。
このミラクルウィンドは、まさに「三冠」を狙える逸材に違いないと思った。
当然、メディアやネットは大騒ぎ。この最後方からの異様な末脚が動画に出回り、話題となって、トレンド入りし、バズって、あっという間に拡散していた。
「強すぎる!」
「三冠狙える」
「エグい」
「相手がかわいそう」
かつて、なかなかレースに勝てず、重賞を勝っても、GⅠを勝てず、苦労をしてきた私には、信じられないくらいの「快速馬」、それが彼だった。
おまけに、体が小さく、柔らかいことは、怪我をしにくいという特徴もあった。彼には持って生まれたような「センス」があるのかもしれない。




