第64話 最速の証明
その仔と、私が出逢ったのは2049年の11月末のことだった。
名前は、事前に美鈴社長から聞いていた。
ミラクルウィンド。
父はもちろんミラクルフライト、母は数年前の桜花賞やヴィクトリアマイルを制した名牝でもある、メメントモリという馬だった。
12月にデビューを予定しているという同馬。
入厩先は、美浦の安彦拓真厩舎で、安彦調教師は、私と同じく北海道の日高地方の出身だった。
もっとも私の実家は、日高町にあるが、彼の実家はもっと襟裳岬寄りのえりも町だったから、地理的には離れており、面識もない。
だが、一応は同郷人ということで、話しやすい雰囲気はあった。
そんな40代後半くらいの、安彦調教師に、
「ミラクルウィンドはどんな馬ですか?」
乗る前に聞いてみた。
すると、彼は厩務員の若い男性を呼んだ。
「彼に聞くといいですよ」
物腰柔らかく、彼が紹介してくれたのは、厩務員の若竹小次郎という男だった。まだ20代の彼が、厩務員として初めて調教でミラクルウィンドに乗った人物だった。
そんな彼は、少しシャイというか、控えめなところがある青年で、言葉数が少なかったが、聞いてみると。
「入厩したのは9月末です。最初は牝馬かと思うくらいに、小柄な馬だったんですが、初めて坂路でタイムを計った時、先生から言われて、指示通りに59秒台で行く予定が、気が付くと54秒台で走ってました」
「それなら当然、バテたよね?」
私が問いかけると、彼はまるで信じられない物を見てきたことを思い出すかのように、渋い顔をしてみせた。
「それが、全然ケロっとしてました。汗一つかいてなかったです」
「マジですか?」
「マジです。それで、この馬はただ者じゃないと思いました」
それを聞いているうちに、私はますます「乗ってみたく」なっていた。
それこそ、騎手というより、競馬に関わる「ホースマン」としての本能的な琴線に触れるような「オーラ」に似た物を感じたからだ。
早速案内してもらって、彼の馬房まで行ってみた。
確かに情報通り、「小柄な」馬だった。馬体重は目分量で大体、430~450キロくらいだろう。少し細いと感じるくらいで、牝馬と言われてもおかしくない。
鹿毛の、一見するとどこにでもいるようなサラブレッドだが、不思議と彼には「目力」があるように思えた。
綺麗な宝石のような瞳をしており、吸い込まれるような美しさを持っていた。
性格は、穏やかで素直で、少し天然なところがあり、人懐っこい馬だった。
ところが、一度またがって、併せ馬をしてみると。
(なんだ、この馬は!)
私が初めて体験するような、乗り味だった。
とにかく、「速い」なんてレベルではなかった。負けん気が強く、併せ馬をしても、簡単に相手を抜いてしまう。
その上、体がまるでバネのように柔らかい。
かつて競馬で、いわゆる「三冠」を制した馬の多くは、こうした「体の柔らかさ」を特徴として持っており、体の柔らかさというのは、人間界での陸上競技のスポーツマン、つまりアスリートにも共通しているという。本当に強いトップアスリートは、体が非常に柔らかいのだ。
結局、美浦トレーニングセンターの北Cウッドコースを6ハロン81秒4、ラスト3ハロン38秒2、1ハロン12秒4という、驚異的な時計で走り、併せた馬に1.5秒も先着していた。
調教を終えた私は、安彦調教師の元に行って、興奮気味に話していた。
「安彦先生。この馬、マジでヤバいかもです」
安彦調教師は、満足そうに微笑んでいた。
そして、あっという間にデビュー日がやって来た。
2049年12月12日(日)、中山競馬場、5R、芝1800メートル、新馬戦(サラ2歳混合)。
天候は晴れ、馬場は「良」。
冬晴れの中山競馬場。フリーになったとはいえ、美浦中心に活動していた私には、すっかり馴染みのコースでもあった。
そして、安彦調教師からは、
「あまり派手に勝たないように」
と言われていた。
つまり、逆に言うと、
(勝つことが前提ということか)
ということだったが。
もちろん、私自身が何の心配もしていなかった。
このデビュー戦では、小柄な彼には珍しく馬体重が450キロを越えていたが、何の問題もないように思えた。
しかも、この馬の注目度を明示するかのように、単勝1.2倍の圧倒的な1番人気に押されていた。
10頭立てのレース。4枠4番に入る。いざスタートすると。
最初は前から5頭目くらいを追走。徐々に上がっていき、2コーナーを回って向こう正面辺りから4番手に上がる。
後は最終コーナーを回った辺りで、外に持ち出して、進むだけだった。
そこからの反応がものすごく良かった。
少し指示するだけで、全てを言わなくても「彼」は理解してくれるのだった。頭のいい馬だと思った。馬の知性とは人間の3歳児程度、動物なら犬とあまり変わらないと言われるが、それ以上の頭脳を感じた。
あっという間にハナに立つと、後は悠々と引き離し、2番手の馬に4馬身も離してゴールイン。
しかも上がり3ハロンのタイムは、驚異の「33秒4」を計測していた。
これがとても2歳の馬には思えないほどだった。むしろ、今でもすごいのに、さらに伸びしろがあるように感じる。恐ろしい馬に見えた。
全てが終わって、安彦調教師の元に行って、
「すみません。派手に勝ちすぎました」
と、私が照れながら告げると、彼は、
「構いませんよ。これでマスコミも食いつくでしょうけど、その程度で折れる馬ではありません」
と、満足そうに見えた。
実際、このレースでの圧倒的な勝利は話題に上るほどだった。
ネット上では、ミラクルフライト、ミラクルプリンセスに継ぐ、「第三のミラクル」、「最速のミラクル」などと紹介され、一種のブームになる予感すらしていた。
(まるでチーターだな)
私自身は、彼の驚異的な脚の速さを「チーター」になぞらえていた。
チーターは、約3秒で時速0キロから96キロまで加速できる、地球上では最速の動物ということで有名だが、実は瞬間的に最速なだけで、持続的な速さは持っていない。
だが、このミラクルウィンドもまた、「瞬発力」という意味では、信じられないくらいの「力」を持っていた。
新たな「奇跡の風」を起こすべく、ミラクルウィンドの伝説が始まる。




