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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第16章 ホースマンの夢
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第63話 夢を託す仔

 2049年9月。私は35歳になっていた。第2子となる女子を出産し、この年の暮れに、育休から復帰。


 そして、ある悲報が、日本中を駆け巡った。


―ミラクルフライト、急死―


 ネットニュースを見て、最初は性質たちの悪いイタズラか、フェイクニュースかと思った。


 何しろ、ミラクルフライトは、引退して種牡馬になってからも、元気で、どこにも病気の兆しがなかったからだ。

 年齢的には、13歳だから、人間でいえばまだ30代半ばくらいだろう。


(あり得ない)

 と思った。


 すぐに放牧されている種牡馬の牧場に問い合わせた。


 ミラクルフライトは、北海道のオロマップ・ホースクラブが所有している牧場にいた。


 電話口の厩務員らしき男は、悲痛な声で、

「フレグモーネです」

 と伝えてきた。


 フレグモーネ。馬の皮下組織に見られる急性の化膿性疾患のことを言う。化膿を起こす細菌は、外傷部位から侵入することが大半だ。馬では病勢のテンポは極めて早く、一夜のうちに馬の肢が腫れ上がることも稀ではなく、激しい疼痛とうつうを伴う。これには早期発見、早期治療が肝心だとされている。


 つまり、詳しく聞くと、「発見が遅れた」ために、「手遅れに」なったということらしい。


 私は、シンドウが亡くなったことを思い出しており、思わず電話口で声を荒げていた。


「どうしてもっと早く気付かなかったんですか!」

 叫びながら、自然と涙が溢れてきていた。

 まだ若い。あまりにも早すぎる。


 種牡馬として、彼は優秀だったし、その良血の血を、後世に残す役割はまだまだ残っていたはずだ。

 そう思うと、涙が出るのと同時に、きちんと管理していなかったのか、と相手を責めたくなっていた。


「すみません」

 相手は、言い訳することなく、ひたすら電話口で謝っていた。


 その時、私の手を止めた人がいた。


 振り向くと、琴音だった。


 彼女は、この悲報を聞いた日、私と同じレースに出ており、その後に2人で食事に出かけており、その時にこのニュースを知ったから、近くにいたのだった。


「やめなさい」

「どうして止めるんですか? もっとちゃんと管理してればきっと……」


「誰も悪くないわ。厩務員さんだって、牧場スタッフだって。不運が重なっただけよ」

「でも!」

 彼女の言いたいこともわからなくはない。


 だが、私はどうしても納得できなかったし、したくはなかったのだ。


 もう少しちゃんと管理していれば、もう少し早く気付けていれば。後悔だけが口を突いて出てくる。悔しくてたまらなかった。

 そんな泣いたまま、電話を握って突っ立っていた私に、彼女は、まるで母親のように、暖かい両手で私の身体を包み込み、抱きしめてくれるのだった。


「琴音さん……。私、私。悔しいです!」

「わかってるわ」


 彼女の胸の中で、ただ嗚咽おえつを漏らして、私は人目も憚らずに、いつまでも泣いていた。


 結局、この事は「不運な」出来事として、世間では受け入れられていたが、正直、本当のところは、ミラクルフライトの近くにいなかったから、何とも言えない。


 だが、翌日。

 オロマップ・ホースクラブの鹿嶋田美鈴社長から、電話が来た。


 開口一番、

「申し訳ありませんでした」

 と、彼女自身、謝っていたが、私はもう怒る気持ちすら失っていた。


 むしろ、暗い海の底に沈んだような気持ちを抱え、声も表情も暗くなっていた。

「それはもういいです……」

 我ながら、情けないほどに沈んだ声を上げていたのは、シンドウ、祖父、マリモ、そしてミラクルフライトと、愛する者を立て続けに失う、この人生に嫌気が差したからかもしれなかった。


 だが、美鈴社長は、興味深いことを言ってきたのだ。

「ミラクルフライトのラストクロップ。その中でも、飛びきり期待が出来る馬がいます。その仔で、ダービーを目指してみませんか?」


 と。


「ダービー……」


 騎手だけではなく、調教師も、生産者も、厩務員も、馬主も、全てのホースマンが一生に一度は勝ちたいと願うレース。

 競馬界では「競馬の1年は日本ダービーで始まって日本ダービーで終わる」と呼ばれる格言があるという。


 つまり、ホースマンにとって「ダービーこそが大晦日であり、正月でもある」のだ。


 深い悲しみに沈んだ私の心に、再び勝負の力を取り戻す可能性があるのは、この「ダービー」という一言だったのかもしれない。


「まずは見せて下さい。それから判断します」

「わかりました。12月にはデビューさせます」

 乗るのはいい。


 ミラクルフライトの仔である以上、思いの丈は人一倍ある。


 だが、それで簡単に「ダービーを勝てる」なんて思わない。

 そんな馬が、そうそういるはずがないのだ。


 そして、私は「彼」と出逢うのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 思い入れがあるのは分かるけど 牧場スタッフの方が調教とレースだけの騎手よりよっぽど長い時間共にいる訳だから 同じかそれ以上の思い入れがあるだろうに急な知らせだからといって その自分本位…
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