第63話 夢を託す仔
2049年9月。私は35歳になっていた。第2子となる女子を出産し、この年の暮れに、育休から復帰。
そして、ある悲報が、日本中を駆け巡った。
―ミラクルフライト、急死―
ネットニュースを見て、最初は性質の悪いイタズラか、フェイクニュースかと思った。
何しろ、ミラクルフライトは、引退して種牡馬になってからも、元気で、どこにも病気の兆しがなかったからだ。
年齢的には、13歳だから、人間でいえばまだ30代半ばくらいだろう。
(あり得ない)
と思った。
すぐに放牧されている種牡馬の牧場に問い合わせた。
ミラクルフライトは、北海道のオロマップ・ホースクラブが所有している牧場にいた。
電話口の厩務員らしき男は、悲痛な声で、
「フレグモーネです」
と伝えてきた。
フレグモーネ。馬の皮下組織に見られる急性の化膿性疾患のことを言う。化膿を起こす細菌は、外傷部位から侵入することが大半だ。馬では病勢のテンポは極めて早く、一夜のうちに馬の肢が腫れ上がることも稀ではなく、激しい疼痛を伴う。これには早期発見、早期治療が肝心だとされている。
つまり、詳しく聞くと、「発見が遅れた」ために、「手遅れに」なったということらしい。
私は、シンドウが亡くなったことを思い出しており、思わず電話口で声を荒げていた。
「どうしてもっと早く気付かなかったんですか!」
叫びながら、自然と涙が溢れてきていた。
まだ若い。あまりにも早すぎる。
種牡馬として、彼は優秀だったし、その良血の血を、後世に残す役割はまだまだ残っていたはずだ。
そう思うと、涙が出るのと同時に、きちんと管理していなかったのか、と相手を責めたくなっていた。
「すみません」
相手は、言い訳することなく、ひたすら電話口で謝っていた。
その時、私の手を止めた人がいた。
振り向くと、琴音だった。
彼女は、この悲報を聞いた日、私と同じレースに出ており、その後に2人で食事に出かけており、その時にこのニュースを知ったから、近くにいたのだった。
「やめなさい」
「どうして止めるんですか? もっとちゃんと管理してればきっと……」
「誰も悪くないわ。厩務員さんだって、牧場スタッフだって。不運が重なっただけよ」
「でも!」
彼女の言いたいこともわからなくはない。
だが、私はどうしても納得できなかったし、したくはなかったのだ。
もう少しちゃんと管理していれば、もう少し早く気付けていれば。後悔だけが口を突いて出てくる。悔しくてたまらなかった。
そんな泣いたまま、電話を握って突っ立っていた私に、彼女は、まるで母親のように、暖かい両手で私の身体を包み込み、抱きしめてくれるのだった。
「琴音さん……。私、私。悔しいです!」
「わかってるわ」
彼女の胸の中で、ただ嗚咽を漏らして、私は人目も憚らずに、いつまでも泣いていた。
結局、この事は「不運な」出来事として、世間では受け入れられていたが、正直、本当のところは、ミラクルフライトの近くにいなかったから、何とも言えない。
だが、翌日。
オロマップ・ホースクラブの鹿嶋田美鈴社長から、電話が来た。
開口一番、
「申し訳ありませんでした」
と、彼女自身、謝っていたが、私はもう怒る気持ちすら失っていた。
むしろ、暗い海の底に沈んだような気持ちを抱え、声も表情も暗くなっていた。
「それはもういいです……」
我ながら、情けないほどに沈んだ声を上げていたのは、シンドウ、祖父、マリモ、そしてミラクルフライトと、愛する者を立て続けに失う、この人生に嫌気が差したからかもしれなかった。
だが、美鈴社長は、興味深いことを言ってきたのだ。
「ミラクルフライトのラストクロップ。その中でも、飛びきり期待が出来る馬がいます。その仔で、ダービーを目指してみませんか?」
と。
「ダービー……」
騎手だけではなく、調教師も、生産者も、厩務員も、馬主も、全てのホースマンが一生に一度は勝ちたいと願うレース。
競馬界では「競馬の1年は日本ダービーで始まって日本ダービーで終わる」と呼ばれる格言があるという。
つまり、ホースマンにとって「ダービーこそが大晦日であり、正月でもある」のだ。
深い悲しみに沈んだ私の心に、再び勝負の力を取り戻す可能性があるのは、この「ダービー」という一言だったのかもしれない。
「まずは見せて下さい。それから判断します」
「わかりました。12月にはデビューさせます」
乗るのはいい。
ミラクルフライトの仔である以上、思いの丈は人一倍ある。
だが、それで簡単に「ダービーを勝てる」なんて思わない。
そんな馬が、そうそういるはずがないのだ。
そして、私は「彼」と出逢うのだった。




