第62話 秋華賞
優駿牝馬を制したことで、彼女も私も、ある意味では「有名に」なり、マスコミに取り上げられることも多くなっていた。
32歳にして、私は注目を浴びることになったが、内心では、やっぱり、
(ダービーを勝ちたい)
という気持ちが、心のどこかにはあって、引っ掛かっていた。
そんな中、玉縄厩舎は、ミラクルプリンセスを秋の最後の一冠、秋華賞に照準を定めて、調教を開始するが。
暑い夏の本州を避けるため、ミラクルプリンセスを北海道の日高地方にある、軽種馬育成調教センター(Bloodhorse Training Center=BTS)に移した。
陣営によると、夏の暑さによる入厩を避け、ここで調整して、秋に挑むとのことだったが、意外なことに、秋の牝馬クラシックの前哨戦となる大一番、いわゆるトライアル競争の、紫苑ステークス(GⅡ)にも、ローズステークス(GⅡ)にも、ミラクルプリンセスを出走させず、本戦の秋華賞に直行させるという。
その間、私は夏競馬として、地方の北海道や九州、新潟を転戦。
そして、秋の大一番がやって来た。
2046年10月14日(日)、京都競馬場、11R、芝2000メートル、秋華賞(GⅠ)。
天候は晴れ、馬場は「良」。絶好の秋晴れの快晴の中、行われることになるこのレース。ミラクルプリンセスの「二冠」がかかっていた。
しかし、オークスを無敗で制した割には、ミラクルプリンセスは単勝3.4倍の2番人気だった。
1番人気は、前哨戦のローズステークスを制していた、リフレクティアで、単勝2.5倍。鞍上は武政修一騎手。
センチメンタルラヴは、単勝11.6倍の4番人気。鞍上はマリアンヌ。
シスターズノイズは、単勝14.2倍の5番人気。鞍上は琴音。
ライバルたちが集った。
私にとって、もちろん、センチメンタルラヴとシスターズノイズは、手強いライバルと見ていたが、実はリフレクティアにも注目していた。
この馬は、その愛らしいルックスから「グッドルッキングホース」、いわゆるアイドルホースとして人気が高かった。
確かに、まるで人間でいえば、可愛らしい女の子のように、素直で美しい所作が感じられる馬だった。それにベテランの武政修一騎手が乗っている。一説には、50歳を超えている彼はすでに近々引退を考えているとも言われていた。
その前に大一番で勝ちたいと思うのは、人情だろう。
いつものようにパドック、返し馬と続き、関西のGⅠファンファーレが鳴り響く。
奇妙なことに、センチメンタルラヴとシスターズノイズは、揃って馬体重がプラマイゼロだった。
ミラクルプリンセスはプラス8キロとはいえ、トモに張りもあり、疲れも見えなかった。やはり陣営の、「夏を避ける」選択肢が生きていた。
何しろ、この年の夏は、例年以上の「猛暑」だったからだ。
6枠11番にミラクルプリンセスが入る。3枠6番にセンチメンタルラヴ、5枠9番にリフレクティア、8枠16番にシスターズノイズ。
全18頭による、牝馬クラシックの最後のレースだ。
スタートすると、まず私は中団を確保する。
前では3頭が先頭を果敢に争っていたため、ハイペースでの追走となっていた。対抗馬のリフレクティア、センチメンタルラヴ、シスターズノイズよりも前を走っていた。
全体的にハイペースだったが、私は早めに仕掛けることを決意する。
第3コーナーから鞭を入れて、彼女を促し始める。こういうハイペースのレースでは、末脚を利かせる後方待機勢が台頭する傾向にあり、ロングスパートでは不利、太刀打ちできないのが定石とされていたのだが、前3頭の逃げ馬との距離があったため、私は早めに動く戦術を取っていた。
しかし最終コーナーでは、内にいた8番人気の馬に馬体を少しだが、ぶつけられていた。そのままバランスを崩し大きく外に膨れる不利を受けることになる。
最後の直線では、逃げるシスターズノイズ、先行して抜け出しを図るセンチメンタルラヴを外から追いかけ、大外から追い込むリフレクティアを凌ぐことに成功。
ミラクルプリンセスは、直線の半ばを過ぎてから加速。センチメンタルラヴをかわし、リフレクティアを置き去りにしていたが、抜け出すシスターズノイズとは残り200メートルで、まだ3馬身ほどもあった。
しかしゴール手前。
(まだ行ける!)
私がさらに鞭を打って、彼女を加速させる。
驚異的な末脚を発揮、ゴール手前で差し切って、シスターズノイズに半馬身の差をつけて、ゴール板を駆け抜けていた。
(二冠達成!)
その喜びを、大歓声を浴びながら、私は鞭を上げて応えていた。
ついに、ミラクルフライトの仔、ミラクルプリンセスで、血統を証明することに成功したのだ。
残念ながら三冠は取れなかったが、それでも私にとって、彼女は「思い出」に残る名牝となる。
いつものようにインタビューを受ける。
「やりました。最後の一冠は取りたかったので、感無量です」
インタビュアーからの感想を求めるコメントに、私は笑顔で応じていた。
そして、オークスの時と同様に、ジョッキールームで彼女たちと話す。
「悔しいわ。今回は勝てると思ったのに」
実際、琴音が一番悔しがっていたが、確かに一瞬「負けた」かと思うくらいに、最後までシスターズノイズの脚色は衰えていなかった。一歩、間違えれば私は負けていたかもしれない。
「紙一重の戦いだったけど、勝てたわ」
「でも、その紙一重が重要なのよね」
すっかり日本生活に慣れて、日本語が堪能になっているマリアンヌが、腕組みをして、難しい顔で呟いていた。
ちなみに、リフレクティアは4着だった。
やはり手強い相手ではあった。
玉縄調教師にとっても、二冠達成は初めてのことらしく、
「ようやってくれた!」
陣営を上げて、大喜びだった。
だが、この直後から彼女は全然「勝てなく」なった。
続くエリザベス女王杯から連敗。これまでの無傷の5連勝が、まるで「幻」のように、ひたすら勝てずに、2046年から2049年の引退までにGⅠを7連敗、GⅡとGⅢを含めると、重賞12連敗と惨敗し、2049年11月に、失意のうちに引退となった。
あれだけの栄光を手中にしたにしては、寂しい引退式になっていた。
彼女はまるで、かつてミラクルフライトが11連敗した時のような、まるで「呪い」にでもかかったかのように勝てなかった。
その彼女の引退より少し前、2049年の9月。悲報が届く。




