第61話 伝説を作る牝馬
あっという間に時がやって来た。
2046年5月20日(日)、東京競馬場、11R、芝2400メートル、優駿牝馬(GⅠ)。
天候は晴れで、馬場は「良」。
オークスは、私にとっても特別な物だ。
何しろ、いまだにダービーに勝っていない私にとって、「牝馬のダービー」とも言えるのがこのオークスだからだ。
「ダービーを制覇するのは、一国の宰相になるより難しい」と言われるくらい、運が絡み、同時に騎手だけでなく、全てのホースマンの憧れでもあるが、その前にこのオークスを制してみたかった。
そして、同時に、恐らく「滅多に来ない」チャンスが来たと認識していた。
実は単勝1番人気も2番人気も、全然別の馬で、ミラクルプリンセスは単勝6.6倍の3番人気。
単勝3.0倍の1番人気のリフレクティアという名前の馬には、ベテランのレジェンド騎手、武政修一騎手が乗っていたことくらいが警戒すべき理由だった。
一方、マリアンヌが乗るセンチメンタルラヴは、単勝12.5倍の5番人気。琴音が乗るシスターズノイズは、単勝18.4倍の7番人気だった。
だが、出走前のパドック、そして返し馬を見ても、私の目には、
(恐らくあの2頭がライバルになる)
と見ていた。
センチメンタルラヴは、前走から馬体は少し重く、太くなっていたようだったが、それだけ筋肉があるようにも見える。
シスターズノイズは、逆に体をかなり絞ってきていた。
すでに慣れ親しんだGⅠファンファーレが鳴り響き、大歓声に迎えられてゲートに入る。
ミラクルプリンセスは、5枠10番。すぐ隣の5枠9番には、シスターズノイズと琴音がいた。
1枠2番には、センチメンタルラヴとマリアンヌ。
そして、ついにスタートが切られる。
私にとって、「勝つ」べき戦いの始まりだった。
スタート直後に、16番人気の馬が大逃げを敢行していた。そのまま引き離し、1コーナー辺りですでに2番手に5、6馬身は引き離す。
それ以外は一団となり、シスターズノイズを先頭とする縦長の馬群が形成されていた。
そんな中、私とミラクルプリンセスは、第1コーナーの突っ込むが、ここでミラクルプリンセスが我を忘れて、逃げ馬を追おうと走り出そうとする気配に、私は気づいた。
(まだ早い)
私が手綱を寄せて、制御すると、彼女は素直に従って、折り合うことに成功する。
真横にはセンチメンタルラヴが併走していた。そのまま中団の前目を追走していく。
人気のリフレクティアと2番人気の2頭は、終始、後方待機だった。
大逃げをかました16番人気の1頭はかなりのハイペースで、一時は2番手まで10馬身近く離していたが、馬群のペースは実は全体的には早くはなかった。だが、大逃げがいたため各々、早めに仕掛ける競馬を強いられることになる。
あっという間に大欅を通過して、最後の直線に入る。16番人気の大逃げの馬は失速する。ミラクルプリンセスは、センチメンタルラヴと並びながら5番手でこの直線に入った。
その前方ではシスターズノイズが馬群から抜け出してハナに立っていて、馬場の中央からそれに迫る形になる。
残り400メートル。
「行け!」
ようやくここで、私は彼女を「解放」する。
そこから一気にスパートした。残り200メートル付近でシスターズノイズを外から差し切り、伸びあぐねるセンチメンタルラヴを出し抜き、さらに後方から追い込む2頭の馬を完全に寄せ付けなかった。
最終的には後続に4分の3馬身差をつけて先頭でゴール板通過を果たす。
私自身初のオークスの制覇だ。
1着がミラクルプリンセス、2着がセンチメンタルラヴ、3着がシスターズノイズ、4着がリフレクティアとなる。
しかも、大歓声に迎えられ、その後、記者からのインタビューを受けて、初めて驚愕の事実を知ることになった。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「デビューから無傷の4連勝もすごいですが、実はデビューから72日目でのオークス戴冠は、史上最速の記録です」
「ええっ! そうなんですか?」
私が思わず素っ頓狂な声を上げていたので、記者陣や観客からの笑いを誘っていた。
こういう記録に基づくものは、外部の人間の方がむしろ、関係者よりも敏感だったりするから、当事者は全然意識していないことが多いが、私にももちろん「寝耳に水」だった。
後で調べたら、確かに最速記録だった。
「改めて、ミラクルプリンセスをどう思いますか?」
笑いを取るつもりはなかったが、緊張がほぐれたところで、改めてインタビューが続く。
「強い馬ですね。でも、何よりもミラクルフライトの仔で勝てて本当に嬉しいです」
その一言が、まさに私の今の気持ちを最も体現していた。
かつて、あれだけ勝てずに苦労し、GⅠで11連敗を喫し、12回目の挑戦でやっとGⅠに勝てた、ミラクルフライト。
散々、辛酸を舐めさせられ、苦い思い出を残しつつも、最後には私に「力」を見せつけてくれた思い出の馬。
その仔は、親以上に、「強い」のかもしれない、と思い、この勝利に万感の思いを抱くのだった。
インタビュー後。
彼女たち、親友はわざわざ待ってくれていた。
「おめでとう! 強いね、ミラクルプリンセス!」
マリアンヌは自分のことのように喜んでくれていた。ちなみに、彼女が騎乗したセンチメンタルラヴは惜しくも2着。
「まあ、悔しいけど、今のミラクルプリンセスには多分、勝てないわ。でも、秋は見てなさいよ。きっと勝つから」
琴音は、いつものように悔しそうにしているが、昔のように当たりがキツいこともなくなっており、どちらかというと達観しつつも、勝つために冷静に戦略を練っているようにも見える。
彼女の騎乗したシスターズノイズは3着だった。
私と親友たちによる1着から3着までの連続ゴールラッシュ。
互いに切磋琢磨するかのように、牝馬の大一番は、女子会のように、話が盛り上がるのだった。
そして、同時に私は、決意を新たにする。
(秋の秋華賞も勝つ)
と、思うと同時に、
(日本ダービーに勝ちたい)
と、本気で思うようになった。
かつて、ミラクルプリンセスの父、ミラクルフライトで初めて日本ダービーに挑んでから、何度か挑戦をする機会に恵まれたが、一度も勝てていなかったからだ。
ダービーの制覇こそ、全てのホースマンの「夢」。
それをいつか果たすために、私は、いやホースマンは駆け抜けているのかもしれない。




