第58話 ミラクルの血筋
時は流れる。
ミラクルフライトでクラシックを戦い、その後に苦労してスプリント戦線のGⅠで2勝を上げ、ミラクルフライトが引退し、ファイナルフェーズで勝ってから、彼も引退し、リングマイベルも去って行った。
そこからは速かった。
5年後。
2046年。
私、石屋優は32歳になっていた。
3年前の29歳の時に、同業者とも言える調教助手と結婚し、30歳の時に一女を産んで、育休を取得。なお、苗字は男女別姓を利用し、変えていなかった。
半年ほど休んでから職場に復帰。日本は、かつてと違い、その辺りには寛容な国になっていたため、問題なく復帰。
この頃には、私はすでにフリーの騎手になっており、熊倉厩舎所属ではなくなっていたため、フリーの騎手としてエージェントを通して、騎乗依頼を受けることになった。
もちろん、長く馬に乗らなかったことで、勝負勘が鈍り、その後しばらくは勝てない日々が続いたが。
話は、少し遡り、2045年の暮れ。
私は、また「運命の出逢い」を果たすのだった。
それは、まさにかつて私自身が、
「いつか、あなたの仔で、またターフを走りたいな」
と、ミラクルフライトに告げたことが実現した結果となった。
その出逢いとは、ミラクルフライトの仔だった。
実は、ミラクルフライトは、魅力的な血統と100万円前後の手ごろな種付料から、例年100頭を越える繁殖牝馬に恵まれたことが幸いし、子供のうち、2頭が共にダート戦線で活躍し、GⅠこそ勝っていなかったが、産駒が重賞を勝っていた。
そして、満を持して、牝馬のクラシックを戦えると期待された仔が、新たに誕生し、私はオロマップ・ホースクラブの鹿嶋田美鈴社長から、彼女を託されたのだった。
「名前はミラクルプリンセス。ちょっと体が弱いところがありますが、きっとクラシックでも勝ってくれると思います。よろしくお願いします」
丁寧な挨拶と共に、任されていた。
牝馬はもちろんたくさん乗ってきたが、私の騎手人生の中で、実は牝馬のクラシック戦線で勝てるような馬には騎乗したことがほとんどなかった。
最初に乗った時から、確かにどこか「懐かしい」というか、ミラクルフライトを彷彿とさせる、ちょっとわがままなところが似ている、と思ったが。
反面、欠点もあることがわかってしまった。
(後ろ脚が弱い)
競走馬にとって、この後ろ脚の「蹴り出し」の力が重要で、その推進力によって、前目に進み、レースでの勝ちにも繋がるが。明らかに彼女の「後ろ脚」の力は未熟で、かつて乗ったことがあるシンドウに比べると、雲泥の差というくらいに「弱かった」。
そのため、ミラクルプリンセスを扱う、栗東所属の玉縄豪調教師に相談し、
「デビューはもう少し遅らせましょう」
と、私の方から「提案」をしてみたら、彼は快く了承してくれるのだった。
そのため、デビューまでの間に、極力、「後ろ脚」を中心に鍛え、実力を養うこととなり、デビューが同期と比べ、だいぶ遅れてしまい、年明けの2046年の3月になっていた。
正直、かなり「遅い」デビューである。
2046年3月10日(土)、阪神競馬場、5R、芝1600メートル、新馬戦(サラ3歳混合)。
天候は雨で、馬場は「不良」。前日から降り続く雨で、路面は濡れ、馬場状態も悪かった。
おまけに、3枠5番で、9番人気。単勝オッズは34.0倍だった。
この阪神競馬場、芝1600メートルは、直線が約474メートルと長く、中山競馬場に次ぐ勾配のキツさを誇る急坂があるのが大きな特徴で、差し・追い込みが決まりやすいと言われている。
スタートからコーナーまでの距離は長めで、3・4コーナー区間を走る距離が長く、枠順の有利差が無いコース形態と言われるが、実際は外枠が圧倒的に好走傾向にある。
つまり、もうこの時点で、彼女には不利だと思われた。
3歳と遅いデビューの上、牡馬・牝馬混合のレース。
力の差が出やすいし、正直、私の中では、
(やっと、まともにレースに使える状態になったくらい)
という、仕上がり具合にしか思えなかったのだ。
ところが。
いざ走ってみると。
スタートしてから、私が指示してもいないのに、勝手に進んでハナを奪うと、そのまま「逃げ」に入り、持ったまま一気に突き放す。
その脚色は衰えることなく、最終コーナーを回って、直線に入る。
直線に入ると、さらにスパートして、後続を突き放して加速していた。1番人気、2番人気の馬がいずれも伸び悩む中、5番人気の馬が果敢に後ろから追ってきたが、ついに追いつかれることなく、2着に1馬身半の差をつけて先頭でゴールイン。さらに3着の馬とは7馬身くらいの圧倒的な差が開いていた。
正直、私自身が驚いていた。
(速い)
いい馬だと思った。
ただ一つ、「音」を気にするところがあり、その点ではミラクルフライトに似ている部分があった。
「ようやってくれた」
玉縄調教師に、勝利後に報告したら、明るい声で応じてくれたが、私は、
「メンコをつけましょう」
と提案していた。
玉縄調教師は、頷く。
次のレースは、1勝クラス。数週間後に迫っていた。
私は、「彼女」を、牝馬のクラシック路線、即ち、桜花賞、優駿牝馬、秋華賞に進めることを願った。
これが私にとって、初の牝馬クラシック路線の制覇のチャンスと、それをミラクルフライトの仔でやるという部分に、大いに心を突き動かされていたからだ。
(ミラクルなお姫様がどこまで行けるか見てみたい)
その名にふさわしい、どこか父のミラクルフライトを思わせるような、わがままなお嬢様的気質を彼女もまた持っており、ゲート入りを嫌がったり、音を嫌ったり、雨を嫌がったりする部分があったが、それこそがミラクルフライトの仔らしくて、私にはむしろ微笑ましく思えるほどだった。
彼女と共に、新しい挑戦が続く。




