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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第14章 7年目の奇跡
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第57話 最後に魅せる衝撃

 彼女、私にとっては長い付き合いになった、リングマイベルだった。


 もう8歳の暮れを迎えようとしている彼女。ダートというのは、馬の脚にかかる負担が芝よりも軽いため、全体的に年齢層が高く、ある程度の高齢でも走ることが出来る。


 私は、彼女の脚は、まだまだ衰えておらず、全盛期に近いとすら思っていたが。


「次で引退させる」

 熊倉調教師は、有無を言わせない口調で、そう告げた。

 一応、理由を聞いてみると、馬主の美鈴さんから、リングマイベルは、いい馬だし、病弱だから、この辺りで引退させて、繁殖牝馬にさせたい、という意向があったという。


 その考えもわからなくもなかったから、残念ではあったが、私は了承する。


 だが、最後の最後に、「見せてやろう」とは画策していた。


 彼女は、実に不思議な馬だった。

 通常、馬というのは、「群れる」生き物で、放牧などで1頭でいることは少ないと言われている。


 ところが、放牧した牧場の人の話を聞くと、彼女は、いつも1頭でいるという。最初は、人間社会のように「いじめられているのか」とすら疑ったが、どうやら自らの意志で、彼女は1頭でいるらしく、むしろ1頭でいることを好むのだという。


 ファイナルフェーズを、人懐こい犬に例えるなら、リングマイベルは、気ままな猫みたいなところがあった。


 穏やかで、物静か。他の馬からの干渉を嫌うが、人間には割と従順で、逆らうことがほとんどない。


 一見すると、競走馬には見えないくらい、おっとりしている、おとなしい馬。しかも女の子だ。にも関わらず、レースではあの後方からの強烈な追い込みをやり、まさに「鬼脚」を披露する。


 思うに、

(馬群にもまれるのが嫌いだから、あれをやるのかな)

 とすら、私の目には見えていた。


 馬群にもまれるのを極度に嫌うが故に、最後方に控えて、最後に一気に抜く。馬群が嫌いだから、逃げに徹する馬ならいくらでもいるが、その逆は非常に珍しい。


 そんな彼女の、引退レースが決まった。


 2041年12月8日(日)、中山競馬場、11R(レース)、ダート1200メートル、カペラステークス(GⅢ)。


 天候は晴れ、馬場は「良」。


 実は彼女は、生涯でGⅠには4度出走しており、惜しいレースもあったが、ついに勝つことはなかった。


 だが、ダートの短距離の重賞に限れば、ほとんど負けたことがない、というくらいの圧倒的な成績を残していた。


 人間にも馬にも言えるが、「一芸に秀でた」奴というのがいるが、彼女がまさにそのタイプ。


 しかも、とても勝負の世界でしのぎを削っているように見えないほど、普段は穏やかな性格の馬だった。


 最後のレースとなる、このカペラステークス。

 私は、いつも通り、彼女にまたがる。


 慣れたもので、まるで観光用に人間を乗せるかのように、まるで抵抗せずに、すべてを受け入れるように穏やかだった。


「リングマイベル、最後まで期待してるよ」

 言葉なんてわかるはずがない、と思いつつも、私は彼女に声をかけずにはいられなかった。


 単勝2.0倍の1番人気で、4枠8番にリングマイベルが入る。鞍上は私。


 対抗は、単勝4.5倍で1枠1番のカルペディエム(牡・6歳)という馬で、鞍上は大林翔吾騎手だった。


 そして、幕が上がる。

 GⅢのレースは、一般的にはそれほど盛り上がらない。というより、GⅠのように熱狂的な観客というより、コアな競馬ファンが集まる。ましてや、ダートのGⅢだから、注目もされないだろう、と思っていた。


 だが、私はこの馬の人気を知ることになる。


 レース前はそれこそ穏やかなものだった。


 GⅢのファンファーレが鳴る。


 中山競馬場、ダート1200メートルのスタート地点は向こう正面の2コーナー奥の芝地点になる。最初の3コーナーまでの距離は約502メートル。緩やかな下り坂を駆け下りる。


 最後の直線距離は308メートルで、中央競馬4場の中では最短。ゴール前には約2メートルの上り坂がある。


 勝負はフルゲートの16頭で争われることになる。


 スタートすると、予想通り逃げ馬が先行し、2番手にはカルペディエムが続く。一方で、リングマイベルは、後方から数えた方が早い12番手くらい。

 最後方ではなかったが、いつも通りの後方奇襲策に出るように仕掛けるつもりだ。


 1コーナーに飛び込む辺りで、先頭から最後方まで12、3馬身も離れていた。


 だが、2コーナーを回って、最後の直線に入ると。


 残り400メートルの標識を過ぎると、私が合図を送った。


 その途端、まるでエンジンでも積んでいるかのように、リングマイベルは、得意の小さな歩幅のストライド走法で、ぐんぐん加速していた。1頭、また1頭と瞬く間にかわし、先頭まで7馬身もあったのに、残り200メートルの時点で、すでに前にいたのが、カルペディエムだけになっていた。


 それでも残り150メートルで3馬身は離れていた。


 しかし、そのカルペディエムをもゴール手前の50メートル付近で、追い抜き、さらに加速して1馬身半も差をつけて、圧勝していた。


 その強烈な追い込みによる、末脚はすでに競馬ファンの間では有名になっており、GⅢとは思えない、大歓声と拍手が彼女に送られていた。


 何という脚だろう。

 改めて、この馬がこれで引退するのが「惜しい」と思えるのだった。


 まだまだやれる。あと2年くらいは戦えそうな気すらしていた。

 だが、逆に、「勝つ余力を残して引退」というあたりが、アスリートとしてはカッコいいとすら思う。


 普段は物静かな馬なのに、ダートの短距離だけ、爆発的な力を発揮する。


 最後に、熊倉調教師に報告した時も、

「惜しいな」

 と彼が言うほどに、凄い脚だった。


「今までありがとう」

 最後に、北海道の牧場に送られ、繁殖牝馬生活に入る彼女を見送る時、私は彼女の鼻筋からたてがみにかけて、撫でるように触る。


 彼女は、いつも通り、嫌がる素振りも見せず、ただ穏やかに目を細めていた。


 すべてが終わった後、自宅に帰って、その日のレース映像を改めて見てみた。


「大外からリングマイベルだ! 物凄い脚で迫ってくる!」

「さあ、ぐんぐん追い込んで、捕らえた捕らえた。強い強い!」


(カッコいい)

 惚れ惚れするような馬とも言える。


 ミラクルフライトもカッコいい馬だったが、こちらはまるで女優のように、カッコいいというか、洗練されたスマートさを感じる。


 まさに「引退レース」で、「有終の美」を飾り、リングマイベルは、静かにターフを去って行った。


 後年、この馬からまた強い競走馬が産まれることを願って、私は彼女を見送った。


 リングマイベルは、私にとって、ミラクルフライトの次に「思い入れ」がある馬になった。


 生涯成績は、中央が32戦12勝。地方が3戦1勝。

 GⅠこそ勝っていなかったが、GⅢを6勝して、獲得賞金は5億円を超えていた。その賞金額は、ミラクルフライトに迫るほどだった。


 隠れた名牝馬がターフを去った。


 そして、この年、熾烈な戦いを演じたスターフォレストと、ファイナルフェーズが揃って引退した。


 それは、一つの時代の終わりを示していた。

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