第57話 最後に魅せる衝撃
彼女、私にとっては長い付き合いになった、リングマイベルだった。
もう8歳の暮れを迎えようとしている彼女。ダートというのは、馬の脚にかかる負担が芝よりも軽いため、全体的に年齢層が高く、ある程度の高齢でも走ることが出来る。
私は、彼女の脚は、まだまだ衰えておらず、全盛期に近いとすら思っていたが。
「次で引退させる」
熊倉調教師は、有無を言わせない口調で、そう告げた。
一応、理由を聞いてみると、馬主の美鈴さんから、リングマイベルは、いい馬だし、病弱だから、この辺りで引退させて、繁殖牝馬にさせたい、という意向があったという。
その考えもわからなくもなかったから、残念ではあったが、私は了承する。
だが、最後の最後に、「見せてやろう」とは画策していた。
彼女は、実に不思議な馬だった。
通常、馬というのは、「群れる」生き物で、放牧などで1頭でいることは少ないと言われている。
ところが、放牧した牧場の人の話を聞くと、彼女は、いつも1頭でいるという。最初は、人間社会のように「いじめられているのか」とすら疑ったが、どうやら自らの意志で、彼女は1頭でいるらしく、むしろ1頭でいることを好むのだという。
ファイナルフェーズを、人懐こい犬に例えるなら、リングマイベルは、気ままな猫みたいなところがあった。
穏やかで、物静か。他の馬からの干渉を嫌うが、人間には割と従順で、逆らうことがほとんどない。
一見すると、競走馬には見えないくらい、おっとりしている、おとなしい馬。しかも女の子だ。にも関わらず、レースではあの後方からの強烈な追い込みをやり、まさに「鬼脚」を披露する。
思うに、
(馬群にもまれるのが嫌いだから、あれをやるのかな)
とすら、私の目には見えていた。
馬群にもまれるのを極度に嫌うが故に、最後方に控えて、最後に一気に抜く。馬群が嫌いだから、逃げに徹する馬ならいくらでもいるが、その逆は非常に珍しい。
そんな彼女の、引退レースが決まった。
2041年12月8日(日)、中山競馬場、11R、ダート1200メートル、カペラステークス(GⅢ)。
天候は晴れ、馬場は「良」。
実は彼女は、生涯でGⅠには4度出走しており、惜しいレースもあったが、ついに勝つことはなかった。
だが、ダートの短距離の重賞に限れば、ほとんど負けたことがない、というくらいの圧倒的な成績を残していた。
人間にも馬にも言えるが、「一芸に秀でた」奴というのがいるが、彼女がまさにそのタイプ。
しかも、とても勝負の世界でしのぎを削っているように見えないほど、普段は穏やかな性格の馬だった。
最後のレースとなる、このカペラステークス。
私は、いつも通り、彼女にまたがる。
慣れたもので、まるで観光用に人間を乗せるかのように、まるで抵抗せずに、すべてを受け入れるように穏やかだった。
「リングマイベル、最後まで期待してるよ」
言葉なんてわかるはずがない、と思いつつも、私は彼女に声をかけずにはいられなかった。
単勝2.0倍の1番人気で、4枠8番にリングマイベルが入る。鞍上は私。
対抗は、単勝4.5倍で1枠1番のカルペディエム(牡・6歳)という馬で、鞍上は大林翔吾騎手だった。
そして、幕が上がる。
GⅢのレースは、一般的にはそれほど盛り上がらない。というより、GⅠのように熱狂的な観客というより、コアな競馬ファンが集まる。ましてや、ダートのGⅢだから、注目もされないだろう、と思っていた。
だが、私はこの馬の人気を知ることになる。
レース前はそれこそ穏やかなものだった。
GⅢのファンファーレが鳴る。
中山競馬場、ダート1200メートルのスタート地点は向こう正面の2コーナー奥の芝地点になる。最初の3コーナーまでの距離は約502メートル。緩やかな下り坂を駆け下りる。
最後の直線距離は308メートルで、中央競馬4場の中では最短。ゴール前には約2メートルの上り坂がある。
勝負はフルゲートの16頭で争われることになる。
スタートすると、予想通り逃げ馬が先行し、2番手にはカルペディエムが続く。一方で、リングマイベルは、後方から数えた方が早い12番手くらい。
最後方ではなかったが、いつも通りの後方奇襲策に出るように仕掛けるつもりだ。
1コーナーに飛び込む辺りで、先頭から最後方まで12、3馬身も離れていた。
だが、2コーナーを回って、最後の直線に入ると。
残り400メートルの標識を過ぎると、私が合図を送った。
その途端、まるでエンジンでも積んでいるかのように、リングマイベルは、得意の小さな歩幅のストライド走法で、ぐんぐん加速していた。1頭、また1頭と瞬く間にかわし、先頭まで7馬身もあったのに、残り200メートルの時点で、すでに前にいたのが、カルペディエムだけになっていた。
それでも残り150メートルで3馬身は離れていた。
しかし、そのカルペディエムをもゴール手前の50メートル付近で、追い抜き、さらに加速して1馬身半も差をつけて、圧勝していた。
その強烈な追い込みによる、末脚はすでに競馬ファンの間では有名になっており、GⅢとは思えない、大歓声と拍手が彼女に送られていた。
何という脚だろう。
改めて、この馬がこれで引退するのが「惜しい」と思えるのだった。
まだまだやれる。あと2年くらいは戦えそうな気すらしていた。
だが、逆に、「勝つ余力を残して引退」というあたりが、アスリートとしてはカッコいいとすら思う。
普段は物静かな馬なのに、ダートの短距離だけ、爆発的な力を発揮する。
最後に、熊倉調教師に報告した時も、
「惜しいな」
と彼が言うほどに、凄い脚だった。
「今までありがとう」
最後に、北海道の牧場に送られ、繁殖牝馬生活に入る彼女を見送る時、私は彼女の鼻筋からたてがみにかけて、撫でるように触る。
彼女は、いつも通り、嫌がる素振りも見せず、ただ穏やかに目を細めていた。
すべてが終わった後、自宅に帰って、その日のレース映像を改めて見てみた。
「大外からリングマイベルだ! 物凄い脚で迫ってくる!」
「さあ、ぐんぐん追い込んで、捕らえた捕らえた。強い強い!」
(カッコいい)
惚れ惚れするような馬とも言える。
ミラクルフライトもカッコいい馬だったが、こちらはまるで女優のように、カッコいいというか、洗練されたスマートさを感じる。
まさに「引退レース」で、「有終の美」を飾り、リングマイベルは、静かにターフを去って行った。
後年、この馬からまた強い競走馬が産まれることを願って、私は彼女を見送った。
リングマイベルは、私にとって、ミラクルフライトの次に「思い入れ」がある馬になった。
生涯成績は、中央が32戦12勝。地方が3戦1勝。
GⅠこそ勝っていなかったが、GⅢを6勝して、獲得賞金は5億円を超えていた。その賞金額は、ミラクルフライトに迫るほどだった。
隠れた名牝馬がターフを去った。
そして、この年、熾烈な戦いを演じたスターフォレストと、ファイナルフェーズが揃って引退した。
それは、一つの時代の終わりを示していた。




