第51話 秋古馬三冠を防げ
私にとっては、ミラクルフライトに続いて、というより今まで関わってきた多くの馬同様に、彼も「勝たせてあげたい」馬の1頭、ファイナルフェーズの夏が終わった。
秋初戦は、天皇賞(秋)に続く、前哨戦からのスタートとなった。
話は前後するが、ミラクルフライトでスプリンターズステークスを制する1週間前の9月23日(日)。
彼はオールカマー(GⅡ)に出走。かつて、スタートダッシュで驚異的な大逃げを達成したレースでもある。
しかし、このレースには、そもそもライバルが不在で、おまけにスターフォレストはいなかった。彼は、同じく天皇賞(秋)のトライアルでもある京都大賞典(GⅡ)に出走したためだった。
ファイナルフェーズは、そんなライバル不在の戦場で、単勝1.8倍の1番人気に押され、堂々と危なげなく勝利していた。
そう、彼は決して弱くない。
だが、またも彼の前に立ちはだかる馬がいた。
2040年10月28日(日)、東京競馬場、11R、芝2000メートル、天皇賞(秋)(GⅠ)。
天候は曇り、前日からの雨の影響で馬場は「重」。
何気に私にとって、天皇賞(秋)の騎乗は初だった。
ファイナルフェーズは、単勝4.2倍で2番人気。8枠16番。つまり16頭立てのこのレースでは一番外の「大外」だった。鞍上は私、石屋優。
そして、やはり予想通り、単勝2.0倍の1番人気は、スターフォレストで、7枠13番。鞍上は、馬場貴久騎手。長坂琴音騎手の同期の騎手だ。
一方、昨年のクラシック最終戦の菊花賞で、スターフォレストを抑えて1着になっていた注目馬、ダイヤモンドダスト(牡・4歳)が単勝4.8倍の3番人気で、鞍上にはマリアンヌ騎手が乗っていた。2枠4番。
すでに何度も戦ってきた戦場とも言える、この東京競馬場の芝2000メートル。私には、正直「自信があった」のだ。
何しろ、この芝2000メートルという距離は、このファイナルフェーズには合っているし、過去のレースを見ても、芝の2000メートルではかなりいい成績を残せていた。
また、競馬ファンの間でも、強いと目されているスターフォレストが負けるとすれば、このレースだろう、という意見が多数あり、このレースにおいて、ファイナルフェーズの人気は高かったのだ。
期待されていた。
パドック、返し馬もいつも通り。
やがて、GⅠのファンファーレが鳴り響き、各馬がゲート前に集まり、全16頭が並ぶ。
このレースでは、1コーナー奥のポケット付近からスタートし、内枠が有利と言われているが、私にとって、大外枠であっても、ファイナルフェーズには関係ないと思っていた。
レースが始まると、12番人気の馬が出て、それに競りかけるように、16番人気の馬が前に出て引っ張り、思った以上にハイペースな流れとなっていた。
そんな中、ファイナルフェーズは好位を追走。4番手くらいにつける。スターフォレストは7番手くらい。ダイヤモンドダストはさらに下位だった。
(いい位置だ)
実際、そう思っていたし、後はこのまま追走し、最終コーナーを回った後の直線で仕掛ければいいと思っていた。
だが、その4コーナーを回って最後の直線。
もちろん、すでに12番人気と16番人気の逃げ馬たちは、下がってきており、最後の坂道で、私とファイナルフェーズは先頭に立っていた。
普通なら、これで勝てると思われる雰囲気なのだが。
(ヤバい)
と、直感的に思えるくらい、後ろから強烈なプレッシャーのような「風」が向かってきた。
すぐ外側を一気に抜かれていた。
恐ろしい末脚で、1頭だけ次元が違った。もちろん、スターフォレストだった。
そのまま抜いたスターフォレストは、さらにぐんぐん突き抜けるように、突き放すと2番手を走っていたファイナルフェーズに2馬身半も差をつけて、1着でゴールイン。
私とファイナルフェーズは、宝塚記念に続き、またも2着となる。なお、ダイヤモンドダストは5着だった。
スタンドは大歓声に包まれ、スターフォレストに惜しみない拍手が送られる。
そんな中、私は、
(この馬さえいなければ)
という黒い感情に似た思いが一瞬、頭の中をよぎっていた。
何しろ、ファイナルフェーズは、決して弱くはない。むしろ同世代では抜きんでた強さがあった。
性格は、普段は穏やかで、人懐っこく、優しい馬だが、一度レースになると、まるで顔つきが変わり、すごい集中力を発揮してくれる。その意味で、彼は真のアスリートだろう。
だが、頭に浮かんだその思いを私はすぐに振り払った。
何しろ、
(そんなことを言っても、それが競馬だ)
と思う気持ちもあったからだ。
かつて、こんなことはいくらでもあっただろう。
同期に優秀な馬がいて、なかなか勝てない。あるいは、同期の3頭が競り合う熾烈な戦いを演じてきた連中もいる。
逆に言えば、「強いライバルがいるからこそ、成長させてくれる」とも考えられる。
私の役割は、このファイナルフェーズに、せめて引退までにGⅠを取らせることだが、出来れば「スターフォレストに勝って」それを成し遂げたいという気持ちがあった。
レースが終わって、後検量後に、ジョッキールームに向かうと、声をかけられていた。
馬場騎手だ。彼とはあまり親交はなかったが、長坂琴音騎手を通じて知己があったし、そもそも長坂騎手を「ツンデレ」と教えてくれたのは、彼だったから、多少の恩義が私にはあった。彼のお陰で、私と長坂騎手が仲良くなれたとも言える。
「石屋騎手」
彼は、人懐こい笑顔を浮かべて、声をかけてくれた。
「お疲れ様です、馬場騎手。そして、おめでとうございます」
と一応、言ってはいたが、私の内心では、もちろん悔しいという思いが勝っている。
それを見透かしたかのように、
「惜しかったね。でも、ファイナルフェーズはいい馬だと思うよ」
彼はそう言ってきたが、私は、
「ありがとうございます」
と、一応礼だけは言いつつも、内心では、
(秋古馬三冠を防げなかった)
と思っていた。
秋古馬三冠。つまり、この天皇賞(秋)から始まり、ジャパンカップ、有馬記念を指す。
すでに春古馬三冠を達成している以上、スターフォレストはこれを目指すだろう。
せめて、防ぎたかった。
だが、まだチャンスはある。
その後、少し世間話をした後、私と馬場騎手は解散となったが。
(悔しい)
ファイナルフェーズの前に立ちはだかる大きな「壁」、スターフォレスト。
その壁の「厚み」は、かつてミラクルフライトが直面した、ハイウェイスターやイェーガータンク以上の物が感じられるのだった。
ちなみに、ファイナルフェーズを預かる窪塚調教師は、私が所属している熊倉調教師とは真逆なくらい、明るい性格の、関西弁丸出しの人で、報告に言っても、
「くぅー! めっちゃ惜しかったやん! せやけどようやってくれた、石屋さん。次も屋根任せるさかい、期待しとるで」
と、私にむしろ感謝の意を述べて、屋根、つまり騎乗を任せてくれることになったから、私は苦笑いをしていた。




