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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第12章 奇跡を呼ぶレース
48/69

第48話 ミラクル伝説

 結果的には、私が予想した通りになった。


 2月末に行われたダートのGⅠ、フェブラリーステークスに出走したミラクルフライトは、本来の力を発揮できずに凡走し、終わってみれば13着と惨敗。


 そして、ついに私に騎乗依頼が来た。美鈴社長は約束を守ってくれたのだった。


 陣営が選択したのは、3月末に行われる短距離のGⅠ、高松宮記念だった。距離がわずか1200メートル。つまり6ハロンで競われるスプリンターの電撃戦とも言えるGⅠ。

 ある意味では、ミラクルフライトは「スプリントやマイルには強いはず」と見ていた私の希望が叶っていた。


 このレースが、私にとって、人生を変えるレースとなる。


 フェブラリーステークスの後に、彼と会った。

 それこそクラシックで負けて、有馬記念でも負けて、涙のお別れをしてから1年以上も経っていた。


 もちろん、高松宮記念に合わせた調教のためだが、久々に会ったのに、彼は私のことをよく覚えているようだった。

 その証拠に、甘えるように鼻を擦りつけてきた。


 馬というのは、本来、草食動物だから、臆病で、人に対してもあまり敵意を抱かない。サラブレッドのような競走馬は、「勝つ」ことだけを強いられるから、自然と気性が荒くなってしまうことが多いのだが、ミラクルフライトは元々わがままなお坊ちゃんのような性格だった。


 だが、彼もまた人間のように、年を取って落ち着いたのかもしれない。

 とは言っても、この時5歳の彼は、人間で言えば、せいぜい20代半ばか後半くらい。

 つまり、今の私の年齢、26歳と変わらない。


「元気だった? 久しぶりだね」

 友達のように接すると、彼はじゃれてきた。可愛いものである。


 だが、調教に入ると変わった。

 まず、一生懸命に走るのだ。かつてエリートと言われ、散々期待されながらも勝てずに、観客からは罵声まで浴びせられていたミラクルフライト。


 だが、私は知っていた。ミラクルおばさんを始め、どんなに負けても熱心に応援してくれるファンがいたことを。


 迫りくる、高松宮記念を前にして、私は精一杯、持てる力のすべてを使って、彼を「鍛えた」。


 美浦トレセンで、彼を「最高の作品」として仕上げることに注力し、もちろん熊倉調教師にも、厩務員さんにも手伝ってもらった。


 熊倉厩舎所属の全員で、彼を仕上げていったのだ。


 そして、ついにその時がやって来る。


 2040年3月25日(日)、中京競馬場、11R(レース)、芝1200メートル、高松宮記念(GⅠ)。


 天候は曇り、馬場は「良」。発走時刻は15時40分。


 ここでのミラクルフライトは、単勝12.6倍の4番人気だった。7枠14番からの発走。

 対して、ライバルたちは、「短距離戦線」に強い連中ばかりだった。


 かつて、スプリンターズステークスやマイルチャンピオンシップでも争った馬たちだった。


 単勝2.2倍の1番人気は、ジェットストリーム。5枠9番の発走で、鞍上は大林凱騎手。

 単勝2.8倍の2番人気は、サヴェージガーデン。3枠5番の発走で、鞍上は武政修一騎手。

 なお、単勝25.8倍の5番人気には、1月に私がダートで勝った、リングマイベルの姿もあった。もっとも私がミラクルフライトに乗ったことで、別の騎手に代っていたが。


 中京競馬場、芝1200メートルは、内側の馬からすると、コーナーのカーブがきつく、外から馬が侵入してくる。外側の馬からすると、コーナーのカーブが緩くなり、内の馬に突っ込む形になる。


 つまり必然的に、外枠の方がかなり有利になる。その意味では外枠の私は運が良かった。


 また、直線は約410メートルとかなり長い上、途中に中山競馬場並みの急勾配を持つ急坂が存在する。


 本来、逃げ・先行の方が有利とされる短距離戦だが、このコースでは差し・追い込みの方が非常に有利とされている。


 そして、レースが始まる前のパドック、さらに返し馬。

 この時、私ははっきりと耳にしていた。


「ミラクル!」

「奇跡を起こせ!」

 観客席から歓声に似た、声援が上がっており、スタンドの一角には「ミラクルフライト」と書かれた派手な横断幕が上がり、その中にはかの有名な(と私が勝手に思っている)ミラクルおばさんの姿もあった。


 そう。負けても負けても、ミラクルフライトは人気があったのだ。日本人の「判官贔屓」感情を刺激してしまうのかもしれない。


 発走前の一時、私は彼に声をかける。だが、その言葉とは陳腐な「勝とう」という言葉ではなかった。


「血統を証明しよう」

 馬に人の言葉がわかるとは思えない。


 それはわかっていたが、私は彼の「プライド」を刺激してみたくなったのだ。

 散々、期待を持たされた超良血馬。競馬関係者の誰もが期待し、そしてレースごとにその期待を裏切ってきた、ミラクルフライト。


 競走馬というのは、確かにGⅠを勝てなくても、GⅡやGⅢを勝つ、あるいはレースで2着や3着を取っても、それなりの賞金は手に入る。


 だが、GⅠというのは、「格」が違うのだ。

 このGⅠを勝つか、勝たないか、で今後の彼の種牡馬としての人気にも関わってくる。


 そして、関西バージョンのファンファーレと共に、ついに全18頭による、運命の大レースが始まる。


 出走すると、14番人気の馬がハナを切り、続いてサヴェージガーデンが続く。ジェットストリームは5番手くらい。ミラクルフライトは中団くらいにつける競馬になっていた。リングマイベルは相変わらず後ろから迫る。


 3コーナー、そして最後の4コーナーを回る。

 先頭はサヴェージガーデン。5番の馬体と赤い帽子が揺れていた。

 この時、ミラクルフライトは、中団を追走していたものの、外枠の距離損から最後の直線入口では後方集団まで後退していた。


 だが、私の頭はいつになく冷静だった。


 先頭は横一線に近い感じで並んでいた。

 逆に言うと、外を走る私とミラクルフライトの前に障害物は一切ない。


「突き抜けろ!」

 残り200メートル付近から一気に鞭を打って、駆け抜ける。


 ぐんぐん伸びる彼の強烈な末脚はまだ生きていた。私には、初めて彼が勝った時に感じた末脚と遜色ないように見えた。

 この時、ゴール前ではサヴェージガーデンとジェットストリーム、さらにもう2頭が固まっており、ほぼ横一線状態。


 私とミラクルフライトはゴール手前で「彼ら」に追いつくと、外側から一気にまとめて差し切った。


 クビ差の1着だった。3着にサヴェージガーデン、4着にジェットストリーム、8着にリングマイベルが入る。


 その勝ちっぷりは、決して「まぐれ」ではなく、「強い勝ち方」だった。彼は、苦労の末に、ついに「実力で」栄冠を掴み取ったのだ。


 中京競馬場が大歓声に包まれていた。


 それは今まで私が味わったことがない、物凄い歓声だった。ミラクルフライトがその歓声に驚いていた。

 しかし、それらのどれもが彼を祝福する声だったのだ。


「ミラクル!」

「ついにGⅠに勝ったな、ミラクルフライト!」

「おめでとう!」


 誰よりも、悔しいと思い続けて戦ってきていた私は、もう込み上げるものが抑えられなくなり、自然と涙を流していた。


 さらに、熊倉調教師に至っては、報告に行った時に、

「……良かった」

 と感極まって泣いている有り様。


 その後の勝利者インタビューでも、私は、

「やっと、この馬にGⅠを勝たせることが出来ました。本当に嬉しいです。これまで信じてがんばってきてよかったです……」

 涙声になって、落涙しながらの会見になり、涙で視界が見えなくなっていた。とめどなく涙が頬を伝う。観客はそれを拍手で暖かく迎えてくれるのだった。


 かつて、勝てなくて、何度も罵声に近い野次を浴びてきた私には、何よりも嬉しい瞬間だった。


 実に、GⅠに11回も挑み、負け続け、ようやく12回目で勝ったのだ。

 まさに「名は体を表す」にふさわしい「ミラクル」な勝ち方だった。私自身はGⅠに5回連続で敗れ、6回目の挑戦で勝利したことになる。


 彼は、ミラクルフライトは、決して「強い馬」ではなかったかもしれない。何しろ彼より多く「勝った」馬なんていくらでもいる。

 だが、その負けても負けても諦めない「不屈の闘争心」が人々の「記憶」に残る馬になったのだ。


「諦めないでがんばっていれば何とかなる」

 それを教えてくれたようで、そのことは人間界でも同じで、「諦めないことは一種の才能」でもあるのだ。無様でもいい。とにかくがむしゃらに一つのことを突き詰めると、いつか必ず結果が出る。


 決して「主人公になれなかった馬」が、この瞬間だけは「主人公」のように輝いていた。


 その後、帰宅してから冷静に、ネットで中継動画を見てみた。

 正直、凄かった。


 最後の直線からの末脚は驚異的だったし、実況アナウンサーの声が明らかに興奮していた。

「大外からミラクルフライトが一気に飛んできた!」


 さらに、最後のゴール前では、

「ミラクルフライトだ! ミラクルフライトがまとめて撫で切った! 恐ろしい末脚だ! ついに奇跡が起こった!」

 と叫んでいた。


 改めて映像を見て、再び私は涙を流していた。

(ホントに凄い末脚だよ、ミラクルフライト。やっぱり君は最高だ)

 他人が、何と言おうと、私はこの馬が好きだったし、彼に「育てられた」気持ちもあった。


 騎手は、その競技人生の中で数多くの馬に乗るから、1頭1頭をすべて覚えているなんてことはないのだ。

 そんな中、私の騎手人生にとって、もっとも「記憶」に残り、忘れられない思い出を作ってくれたが馬が彼だった。


 ようやく私は、初めてGⅠを勝ち取り、そしてそれをミラクルフライトで成し遂げた。最高の気分だった。

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