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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第12章 奇跡を呼ぶレース
45/69

第45話 最後方から見える景色

 年が明けた。

 2040年。この年は、後から考えると、私の騎手人生にとって大きな「分岐点」になった年だった。


 1月。私にとっては「朗報」が飛び込んできた。

 リングマイベルだ。


 これまで昨年の栗東ステークスを除くと、ひたすら芝の短距離ばかり走ってきた同馬だったが、いずれも3着や4着と勝ち切れていなかった。


 そんな中、私が「ダートの短距離を」と望んでいたことが実現し、ダート短距離の根岸ステークスに出走となった。


 このレースで1着になると、2月に行われる、ダートGⅠのフェブラリーステークスの優先出走権が与えられる。

 距離は、1400メートル。この馬にとって、ちょうどいい距離だと思った。


 そして、このレースが、後に「伝説」と呼ばれることになる。


 2040年1月29日(日)、東京競馬場、11R(レース)、ダート1400メートル、根岸ステークス(GⅢ)。


 天候は曇り、馬場は「良」。


 ここは前に走った、同競馬場のダート1300メートルとほぼ同じだ。

 左回りで、高低差2.4メートルの急坂を含む約500メートルの直線が最大の特徴。


 その為、本来は逃げ・先行が有利なダート短距離戦にもかかわらず、差し・追い込みもそこそこ決まるコースになっている。


 そこに出走していた中で、注目すべき馬は3頭だった。

 まずは、リングマイベル。すでに7歳になっていた。単勝2.6倍の1番人気。7枠14番での出走。鞍上は私。


 単勝4.0倍の2番人気にはワンダーテイル(牝・5歳)がいて、3枠6番での出走。鞍上は大林凱騎手。


 そして、単勝4.8倍の3番人気には、因縁のあるランナーズハイ(牡・5歳)がいた。かつて栗東ステークスでも争った。鞍上は山ノ内昇太騎手。


 GⅢのレースということもあり、一般的には世間の注目をそれほど浴びていないレースだった。


 スタートは静かに始まったように見えた。16頭立てのレースだった。


 まずは先行して、1完歩、2完歩とワンダーテイルが進み、ハナを切った。

 それに合わせて、競るようにランナーズハイが続く。


 一方で、リングマイベルは、いつも通り最後方からの展開を私が演出していた。


 最後方からの景色というのは、先頭とは違い、実に興味深いものだった。


 何しろ、自分の後ろには誰もいない風景なのだ。

 一番後ろ、つまり誰にも気兼ねすることなく、相手の「馬たち」を見ることが出来る。その意味では、私にとって非常に「面白い」し、この風景を教えてくれたリングマイベルには感謝していた。


 見ると、みんなどの馬も焦っているようにも見えるし、かかっている馬もいれば、落ち着いている馬もいるし、さらに動物虐待かと思われるくらい鞭で叩かれている馬もいる。


 そんな中、レースは大欅を見ながら600メートルの標識を通過する。


 私の頭は、いつになく冷静だった。

 何しろ、このリングマイベルは、もう7歳のベテランだが、大器晩成型と言えるくらいに落ち着いており、同時に短距離の、特にダートでの瞬発力は凄いことをよく知っていたからだ。


 野球で言えば、全力投球をする先発ピッチャーよりも、短いイニングで力を発揮する抑え、つまりクローザーに近いような感覚だ。瞬間の力は凄かった。


 そして、ベテランの味がこの後で、生きることになる。


 最終コーナーを回って、残り400メートルの標識を過ぎたあたり。


「GO!」

 アメリカ産まれの彼女に、私が試しに英語で合図を送ると、彼女は「躍動」した。


 全16頭の最後方にいたはずの馬が、大外からぐんぐん、ぐんぐん伸びる伸びる。

 物凄い末脚を発揮していた。小刻みに脚を動かすストライド走法で前に迫る。


 瞬く間に1頭、2頭をかわしていた。そのままの勢いで、文字通りの「ごぼう抜き」を続けていく。


 しかしそれでも、ゴールまで残り200メートルのあたりでまだ先頭までは5、6馬身もあった。

 普通に考えたら、これは「届かない」と思うくらいの距離感だろう。


 しかし、ここからが本当に凄かったのだ。

 前を走るワンダーテイルを難なくかわし、さらに追いすがり、脚色が衰えないまま、ゴール手前でもう1頭をかわし、ついに先頭のランナーズハイに並びかける。


 しかも、残りわずかな距離でこれをかわして、さらに余勢をかって勢いよく突き放していた。


 一番後ろにいたはずの馬が、直線で全頭を抜き去り、何と先頭に立ってゴールインしていた。それもダートの1400メートルという短距離である。

 前代未聞と言われるくらいの凄いレースで、しかもこのレースで彼女は、


「1分21秒2」


 というレコードタイムを刻んでいた。上がり3ハロンは34秒2という快速だった。まさに「鬼脚」を発揮していた。7歳と言えば、もう引退してもおかしくない年齢だが、彼女はまだまだ、むしろ今こそが全盛期だった。


 ゴール後に、さすがに静かだった東京競馬場が、大きなどよめきに包まれていた。


 後検量後のジョッキールームでは、同期2人に声をかけられたが。

「いやー、凄いね。何て競馬をするんだい、優ちゃん」

 相変わらず軽い凱くんが笑っていたが、内心では悔しいのだろう。


 一方、わかりやすいくらいに苦々しげに顔を歪めているのは山ノ内昇太だった。

「クソッ! 何てこった。まさか7歳の、しかも牝に負けるとは思わへんかった」


 だが、私は全然、驚きはしていなかった。

「年も牝なのも関係ないよ。彼女は元々、ダートの短距離では強いんだよ」


「あの追い込みも計算済ってこと?」

「うん、そう。でも、一番後ろから勝つってのは、気持ちいいね」

 凱くんの一言に、私は久しぶりに心から笑顔で返していたし、実際に「気持ち良かった」。


 山ノ内昇太騎手の、悔しそうな顔が、かえって胸がすく思いがするくらいに気持ち良かった。


 実際、熊倉調教師にも、

「やっぱダートか」

 と言われながらも褒められていた。


 そして、実際に帰宅した後に、レース中継をネットで見直してみたら、凄かった。


 レース映像では、ほとんど画面に映っていないはずの、4コーナーを回って残り400メートルあたり。


「外から飛んできた! リングマイベル!」

「しかし、前まではまだ5、6馬身はある」

 実況中継のアナウンサーの声が、興奮気味に伝えていた。


 こういうのは、客観的に見た方がわかりやすい。


 そして、

「凄い脚だ! 3番手、2番手、前に、届くか、届くか、届いたー!」

 ある意味での名実況だった。


 さらに、

「リングマイベル。これでダート3戦3勝! 物凄い脚だ!」

 私自身は気づいていたけど、ほとんど忘れていたことをこのアナウンサーは代弁していた。


 そう。リングマイベルは、デビューからダートに関しては3戦3勝だったのだ。その競技人生の中で、ほとんど芝の短距離に出ていたが、ダートの短距離では決して負けていなかった。


 大きなレースこそ勝ててはいなかったが、とにかくダートの短距離には滅法強い。そして、同時にそのいずれものレースでも彼女は「後方からの強襲」という、猛烈な追い込みで勝っていた。


 長い競走馬の歴史の中でも、ダートの短距離で「追い込み」で勝つ馬というのは、ほとんどいなかったはずだ。


 それほどに、ダートの短距離では「追い込み」が不利なのだ。ただでさえ、短い距離なのに、一番後ろから差すなんて、非常識なくらいの戦法だ。

 にも関わらず、この脚だ。


 ある意味、彼女は「歴史に名を刻んだ」馬なのかもしれない。

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