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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第11章 歴史を作る馬
42/69

第42話 迷走するミラクルフライト

 スタートダッシュの強烈な「伝説」を残した後、私は主戦騎手を務めるもう1頭の馬、リングマイベルで、とあるGⅠに挑むことになった。スプリンターズステークスだった。


 そして、そこに「彼」がいた。

 ミラクルフライトだ。


 私の胸中は、複雑なものになる。何しろ、1年くらい前まで私が乗っていた馬だし、誰よりも思い入れがあった。結局、主戦騎手が私からベテランの大林翔吾騎手に代っても、彼は勝てなかった。


 長距離の菊花賞を含むクラシックもダメ、マイル戦の安田記念もダメ、中距離の宝塚記念もダメ。

 もう陣営としては走らせるべきところがないという有り様で、迷った挙句に、短距離戦線に出てきたと言ったところだろう。


 そして、このスプリンターズステークスには、他にも後にミラクルフライトのライバルとなる馬が2頭出走していた。


 外国産馬にして、イギリス産の短距離・マイル馬、ジェットストリーム(牡・5歳)で、単勝3.9倍の2番人気。5枠9番。鞍上は大林凱騎手。


 一方、アメリカ産の短距離馬として期待を集めていたのが、サヴェージガーデン(牡・4歳)という馬で、こちらは単勝2.6倍の1番人気だった。3枠5番。鞍上は武政修一騎手。


 そして、ミラクルフライト。単勝7.7倍の4番人気。7枠14番で、鞍上はもちろん大林翔吾騎手。


 私は、出来ればダートがいいと主張していたが通らなかった為、不本意ではあるが、リングマイベルに騎乗して出走。

 単勝6.8倍の3番人気で、1枠1番だった。


 2039年10月2日(日)、中山競馬場、11R(レース)、芝1200メートル、スプリンターズステークス(GⅠ)。


 天候は晴れ、馬場は「良」の、秋晴れの一日。


 複雑な思いを抱きながらも、私はリングマイベルにまたがった。

 彼女の状態自体は全然悪くはなく、ダートではないが、距離適性的には合っているし、直前の馬体重も悪い値ではなかった。


 中山競馬場、芝1200メートルは、三角形に近い形状の外回りコースを使用しており、その頂点に当たる2コーナーの終わり付近がスタート位置。そこから最終の4コーナーまで緩やかなカーブを描いて進む。しかも、道中ずっと下り坂になっていて、ペースが速くなるのがほとんど。内枠がかなり有利になる。


 直線の長さは310メートルと短いが、途中に約110メートルの間で約2.2メートルを駆け上がる急坂がある。ハイペースなのも相まって、差し・追い込みが比較的決まる傾向にある。


 つまり、最内枠の私には勝機があるはずだ。


 出走前にパドック、そして返し馬をやるが。

 その時、私は聞いたことがある声を、スタンドから聞いていた。


「ミラクル!」

 その特徴的な声援に聞き覚えがあった。


 それは、私がミラクルフライトに騎乗していた時から、何度か、というよりほとんどのレースで声を聞いていた、中年の「おばさん」の声だった。


 ちょっと特徴的な声優のような声のおばさんで、よく通る声だったから覚えていた。いつもミラクルフライトを応援してくれる人だった。


 ちらっと見ると、スタンドの一角、最前列に「ミラクルフライト」と書かれた、派手な横断幕を掲げている、少し恰幅のいいおばさんがいた。年の頃は50代くらいか。身なりのいい、どこかの社長か経営者のようにも見える。


(人気はあるんだよな)

 日本人は、エリートに対して、ひがみ根性を持っているというか、あまりいい感情を持っていない。ところが、そのエリートたるミラクルフライトが、負けても負けても一生懸命走るという部分に、「判官贔屓」を感じるのもまた日本人だった。


 私は、彼女のことを心の中で「ミラクルおばさん」と呼んでいた。


 レースが始まる。

 リングマイベルは、いつも通りというべきか、後方からのスタートになる。全16頭のうちの、後ろから4頭目の13番目。そして、すぐ後ろにはミラクルフライトがいた。

 何とも複雑な感情を感じる余裕もなく、ハナを切っていたのはサヴェージガーデンで、それと競るようにジェットストリームが追いかける展開。


 芝の1200メートルは、あっという間に決着がつく。


 緩やかな下り坂を下って、4コーナーを回ると、もう最後の直線だ。


 ここで、横一線に並ぶような、叩き合いになった。

 先頭を進むのは、ジェットストリーム。次がサヴェージガーデンになっていた。


 そして、いつの間にかミラクルフライトが外から末脚を発揮して、前に進出。私は、リングマイベルを中央の馬群を避けて、内埒沿いに進め、一気に追い込みを計って、鞭を打つ。


 結局、順位はほとんど変わらなかったが、もつれるように先頭でゴールしたのは、ジェットストリーム、クビ差の2着にサヴェージガーデン、3着にミラクルフライト、そして4着にリングマイベルが入っていた。


 私自身はまたもGⅠの舞台で、1着にはなれなかったが、成績としては悪くなかった。

 だが、それでも私は気にしていたのだ。


 ミラクルフライトがまたも「勝ってない」ことに。

 これで、彼のGⅠ成績は、0勝8敗だ。


 一体いつ勝てるのか、それともこのまま勝てないまま引退となるのか。


 レース後の、ジョッキールームで、私は大林凱騎手に声をかけられていた。

「いや、また勝っちゃったよ。これでGⅠ2勝目だ」

 もはやその明るい声と態度が、嫌味にしか聞こえない辺り、私の神経を逆撫でしてくるようで、腹立たしかった。


「そりゃ、良かったね」

 冷たくあしらうが、彼は珍しく、私に有益な情報を呟くのだった。


「しかし、ミラクルフライトは勝てないね」

(わかってる)

 内心、そんなことはわかってるから、イライラしていたが。


「父さんも正直、どうしたらいいかわからないらしいんだ。長距離、マイル、中距離、そしてスプリントもダメ。残りはダートくらいしかないって嘆いてたよ」

 なるほど。私と話す前に父と話でもしてきたのだろう。


 だが、私には有益であると同時に、確信に似た気持ちがあった。

「あの馬は、ダート向きじゃない」

「まあ、そうだよね。僕もそう思うから、父には伝えたけど。陣営が決めることだから」

 そう。いくら騎手が主張しても、結局はその主張が通らないことの方が多い。


 陣営、と言っても結局は、熊倉調教師が決めるか、馬主の鹿嶋田美鈴社長が主張するだろうから、私にはどうしようもなかった。


「それより、ついに始まるね、凱旋門賞!」

 さすがに、自分の名前に「凱」が入っているからか、彼は気になるようだった。


 だが、私もその気持ちは同じ、いやそれ以上に期待していた。

 間もなくフランスで行われる、世界最高峰の競馬のレース。


 そこに、今年、参戦するのがヨルムンガンドだった。日本からは他にもう1頭出走予定だったが、それよりもフランス出身のマリアンヌ騎手が騎乗すること、そして圧倒的成績で日本で勝ってきた実績があるヨルムンガンドに、世間の注目が集まっていた。


「そうだね。ヨルムンガンドには期待してるよ」

「マリアンヌ騎手なら、フランスの芝のことも詳しいだろうね。もしかしたら、本当に日本初の凱旋門賞制覇もあるかもね」

 私は、自然と頷いていた。


 彼女なら、そしてヨルムンガンドなら、本当にやりかねないと思っていた。


 だが、ここにまた1頭の馬が立ちはだかることになる。


 凱旋門賞は、時差の関係で、その日の23時頃に出走となる。現地時間では16時だ。

 そして、多くの騎手にとって、月曜日が休みである以上、私は契約しているネットの競馬専門チャンネルから、この凱旋門賞の中継を見ることが出来る。


 歴史を変えるか、それともまたも敗れるか。日本馬の究極の挑戦が今年も始まろうとしていた。

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