第21話 運命の出逢い
長い人生には「運命の出逢い」というのがある。
それは別に「男女の出逢い」だけを示すのではなく、「人生に大きな影響を与える」出逢いもまた、「運命の出逢い」に該当する。
そして、騎手という職業を選んだ私の人生にとって、恐らく最大の「運命の出逢い」がこの人と馬との出逢いだった。
12月。
父が示した「30歳までに重賞勝利と通算200勝」のうち、重賞勝利をかろうじて達成(1勝)し、通算成績ではやっと19勝に到達していた私。
あるオフの日のこと。
事前に、熊倉調教師から「お前に会いたいと言っている馬主がいる」と聞いており、その日に会う約束をしていた。
私は普段から、茨城県の美浦トレセン中心の生活を送っているため、住んでいる独身寮もその美浦トレセンにあるのだが、その日は約束通り、わざわざそこから原付と電車を使って、朝から東京に向かった。
東京都新宿区。
巨大なビルが立ち並ぶ、都心の一等地、西新宿の高層ビル群。
普段、馬を扱っている私には「場違い」なほど洗練されたオフィス街。瀟洒な建物が並び、高そうなスーツを着たサラリーマンが、同じく高そうなコートを着て行き交っている。
そんな高層ビルの一室にある、会社に私は呼ばれていた。普段、滅多に着ることがないスーツを着て、ビルに向かう。
やがて、見上げると首が痛くなるような、40階以上はあろうかという高層ビルに到着した。
「オロマップ・ホースクラブ」
そう、書かれてある「看板」が、ビルの1階の受付横にあるプレートに記載されてあった。
それによると、その事務所は31階にあるという。随分と上だ。
しかも確か「オロマップ」とは「北海道の日高山脈の南麓で吹く強風」のことを指すアイヌ語だったと記憶していた。何故覚えていたかというと、私の実家の日高地方の浦河町に「オロマップ」の名を冠するキャンプ場があるから知っていたのだが。
そして、31階の受付に備え付けてある電話の受話器を取り、私は、
「代表に呼ばれて来ました、石屋優という者です」
と告げると、若い女性らしき丁寧な声で、
「お待ちしておりました。少々お待ち下さい」
と言われ、受話器を置くと、その若い女性がドアを開けて、出てきて、中に案内されていた。
ドアを開けると、そこは一般の会社のように、無数のデスクやチェアーやモニターが並び、どこかマスコミ関係か、あるいはIT関係の会社のようにも見える。
そんな中、私は会議室に通されていた。
中央に四角い大きなテーブルがあり、プロジェクターとモニターが置いてあった。
そこで、少し待つように言われ、所在なさげに待っていると、やがてドアが開き、若い女性が現れた。
若い。それは私の想像以上だった。何しろ呼ばれたのは「社長」であり、このオロマップ・ホースクラブの経営者。私は60歳くらいのおばさんが出てくると思っていたが。
姿を現した女性は、きっちりとした紺色のスーツ上下を着て、髪を清潔そうに感じる、肩くらいまでのセミロングにまとめ、濃すぎないナチュラルメイクを施した、明らかに30代くらいの女性だった。
「はじめまして。石屋優です」
立ち上がって、一応は名刺交換をする。
彼女は、にこやかな営業スマイルを作り、
「お忙しい中、ご足労いただきありがとうございます。オロマップ・ホースクラブ社長、鹿嶋田美鈴です」
と名乗り、名刺を渡してくれた。
しかも、その名刺には、肩書が2つもあり「オロマップ・ホースクラブ代表取締役」以外に「KASHIMADA」という名の美容品を売る会社の代表取締役という記載まであった。
早速、テーブルを挟んで向かい合って椅子に座ったが。
私は、一目で、気づいていた。
(この人、どこかで会ったことがあるような気がする)
既視感、デジャブを感じたのだ。だが、それが明確に「いつ、どこで」と問われると、思い出せないのだが。
「今日、お越しいただいのは、あなたに一頭の馬を、お任せしたいと思いまして」
彼女は、いわゆる「馬主」であり、同時に別の会社まで経営している「やり手」の社長には見えないくらい丁寧な口調で、電気を消して、ブラインドを下げ、持参したノートパソコンを開き、それをプロジェクターに繋いで操作した。
モニターに映ったのは、一頭の仔馬。鹿毛の馬体の、まだ0歳か1歳になりたてくらいの頃に撮影したと思われるが、なんとも可愛らしい仔馬の姿だった。
(可愛い)
馬に限らず、動物の子供というのは、概ね可愛いものだが、この仔は特に可愛らしく見えた。
だが、そんな可愛い仔が、いずれは厳しい勝負の世界に入ってくるのが、この世界の現実。
「この仔は、アメリカ産の、Jadgement Janeという牝馬の仔で、Jadgement Janeの35です」
彼女が淀みなく告げたのは、いわゆる「名前が決まってない競走馬」のルール。
つまり、親、特に母親の名前を頭につけ、その母が産んだ年を後ろにつけることで、競走馬を識別し、セリなどにかけられる時の呼び名にする。
それを買い取ったり、所有した者が、競走馬として後に登録する時に、初めて「名前」をつけるのだが、1歳で、デビュー前のこの仔にはまだ名前がなかった。
(Jadgement Jane。聞いたことないけど、後でスマホで調べよう)
そう思ったのは、もちろん、競馬が「ブラッドスポーツ」で血統が大事だからだが、私は聞いたことがない馬だった。
ところが、彼女が告げた父親の名前だけは、さすがに私でも知っていた。
「父は、同じくアメリカ産のSatisfactionという馬です」
「あの凱旋門賞を勝った馬ですか?」
「ええ」
そう。今からちょうど10年前の2026年。競馬の世界最高峰レース、フランスの凱旋門賞で1着に輝いた馬の名が「Satisfaction」。私の記憶ではアメリカ産まれのイギリス調教馬。
だが、そんなことより、そのレース内容が衝撃的だったことを記憶している。
つまり、明らかに不利な最後方から、最終直線で猛烈な追い込みを図り、10頭以上をごぼう抜きして、爆発的な末脚を発揮し、凱旋門賞のコースレコード、2分23秒58という恐ろしいタイムを叩き出した馬。
今、動画で見ても、異次元の末脚で、恐らく最後の1ハロン(200メートル)は10秒ジャストくらいの速さだろう。
とにかくその衝撃的な速さの馬を父に持つということは、相当優秀な血統だろう。母の方は後で調べるが。
「この仔をあなたの所属している、熊倉厩舎に預けます。来年遅くとも10月頃にはデビューさせたいので、よろしくお願いします」
彼女、美鈴さんは丁寧にそう言って、爽やかな笑顔を見せていたが、私には疑問が残る。
「どうして、私なんかに? まだ新人のペーペーですよ。どうせなら、もっと確実に勝てるベテラン、例えば武政修一騎手や、大林翔吾騎手に任せては……」
自虐的にそう言って、次第に自信がないように声が小さくなっていく自分に、我ながら嫌気がしていると、彼女は、まるで私のことを慈しむように、優しい笑顔を向けてきた。
「そんなことありません。あなたのことは、小さい頃から知ってます」
「えっ」
「石屋観光牧場の石屋宗一郎社長の娘である、あなただからこそお任せするのです」
「父のことをご存じなんですか?」
「ええ」
彼女は、昔を懐かしむように語ってくれるのだった。
それは今から約12年前。
当時、北海道の日高地方から上京して、ようやく美容品の会社を立ち上げたばかりの美鈴さんは、まだ26歳の若さだった。まだオロマップ・ホースクラブは彼女の父が社長だったという。
彼女はたまたま帰省した時に、実家の近くにある石屋観光牧場を訪れたという。その時、彼女は「馬を大切にする」私の父の方針に感銘を受け、同時に幼い私が「伸び伸びと」楽しそうに馬の世話をしているのを見たのだという。
なるほど。記憶にはなかったが、確かにどこかで見たことがあるような既視感を覚えたのは、その時に見たからだろう。
そして、さらに驚くべき事実が、彼女の口から明かされるのだった。
「だからこそ、私はマリモをあなたの牧場に預けたのです」
「えっ。それじゃ、あの時、マリモを譲ってくれたのは」
「はい。私が当時、殺処分されかけていた彼女を救いたい一心で、父に頼み込んで、あなたの牧場に譲るように図ったのです」
なんと、彼女は、マリモを私の実家の牧場に預けた張本人だったのだ。マリモにとっては命の恩人でもある。
その信じられない偶然の事実に、私は驚愕すると同時に、「人と人の縁」を感じずにはいられなかった。同時に、「殺処分」という言葉が、この競走馬の世界の悲しい現実を現していた。
競走馬の世界でも、サラリーマンの世界でも結局は「人の縁」が生きることが多々ある。
その意味では、私は彼女の「縁」に支えられ、マリモと交流ができて、そうして今、まさに「新しい縁」が出来ようとしていた。
彼女が12年前に、私の実家の牧場に来なければ、「マリモ」との出逢いも、この出逢いもなかったのだ。
「ありがとうございます。あなたのお陰で、私はマリモに出逢えたんですね。マリモは私に『馬が好き』な気持ちを与えてくれたきっかけです」
「マリモは元気ですか?」
「はい!」
力強い私の一言に、彼女は無言で、微笑んでいたが、
「良かったです。この仔は今、私の会社が持っている浦河の生産牧場にいます。この仔が入厩する時にまた改めてご連絡します。よろしくお願いしますね、優さん」
初めて私の名前を「下の名前」で呼んでくれるのだった。
私よりも、15歳以上も年上の、一回り以上、上の世代の彼女。だが、私は彼女のことを個人的に「信頼できる」と思い、
「はい。こちらこそよろしくお願いします、美鈴社長」
こちらも下の名前で呼んだら、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
こうして、不思議な縁により、私はこの「Jadgement Janeの35」を譲ってもらうことになり、翌年に入厩予定になるが。
これこそがまさに「運命」だった。
ちなみに、会社を離れた後、帰り際に色々と調べてみて驚いた。
オロマップ・ホースクラブを預かる馬主と、KASHIMADAという美容会社も営む、鹿嶋田美鈴、38歳。彼女の年商は約25億円らしく、途方もない金額だった。
北海道、日高地方の浦河町に生産牧場を有しており、彼女が言ったように、そこに「Jadgement Janeの35」はいるらしい。
そして、その母のJadgement Jane。アメリカの代表的な牝馬クラシックレースである、ケンタッキーオークスなどを含めたGⅠ8勝を勝った、名牝馬だった。
つまり、その間に産まれた、「Jadgement Janeの35」は、とんでもない超良血馬と言える。そして、期待を背負ったこの仔こそが、私の運命を変えてしまう存在になるのだ。
ちなみに、この仔が生まれたのは、2035年6月10日。忘れもしない。何しろその日は、私、石屋優が騎手としてシンドウに騎乗し、初勝利を挙げた記念日だったのだ。どこか運命的なものを感じずにはいられなかった。




