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ミラクルジョッキー  作者: 秋山如雪
第3章 一年目の結果
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第10話 競馬の難しさ

 8月初旬で、わずか2勝だった私、石屋優の最低限の目標は、今年中に10勝すること。父は、基本的に「私に優しい」人だったが、「やると言ったら絶対やる」という有言実行の人でもあったから、条件を守れない場合、本当に強制的に騎手を辞めさせられる可能性はあった。


 もちろん、私としても「勝ちたい」気持ちはある。


 6月にシンドウで初勝利、7月にピリカライラックで2勝目、そして8月にカムイチューリップで2着。ようやくまともな成績が残せるようになってきて、9月。


 8月に何とかギリギリながらも2勝して、通算4勝になっていた私。

 

 そこで事件は、起こった。

 2035年9月1日(土)、新潟競馬場、8R(レース)、ダート1200メートル、3歳以上1勝クラス。


 天候は曇り、馬場状態は「おも」だった。前日からの雨の影響があった。


 新潟競馬場のダート1200メートルの特徴は、平場でも開催されることがあり、スタート地点は2コーナーのポケット地点。芝スタートで、外枠の方が走る距離が長い。

 最初のコーナーまでおよそ525メートルあり、1200メートルとしては序盤のポジション取りの距離がある。

 新潟競馬場と言えば、芝の直線の長さが658.7メートルもあり、日本の競馬場では最長の直線コースがあることで有名だが、内回りのダートコースも直線は353.9メートルもあり、実は全国で3番目に長い。


 ここのダートでは、「逃げ」、「先行」タイプが優勢と言われている。


 私は、この日、カテナチオ(牝・4歳)という名の馬を任されていた。

 馬場状態が「重」とはいえ、新潟競馬場は水はけがいいため、あまり心配はしていなかったが、問題はそのレースに参戦していた連中に、厄介な奴らがいたことだった。


 8枠14番のカテナチオに乗る私に対し、5枠8番に長坂琴音騎手が乗るムーンスピカ(牝・3歳)が、そして7枠12番には山ノ内昇太騎手が乗るシリウスレディー(牝・5歳)がいた。


 もちろん、レース前に呑気に会話などしている余裕などないから、互いに顔を見合っただけで、挨拶すらしない。

 むしろ、競馬界にいる人間にとって、「同期」はもちろん、自分以外はすべて「ライバル」だ。中途半端な感情は抱けない部分がある。


 そして、1200メートルという短距離と、この優秀な先輩や同期の存在が、私の気持ちを「焦らせた」。


 カテナチオとは、イタリアのサッカーで堅守速攻の戦術と言われおり、イタリア語で「かんぬき」を意味するそうだ。

 その名に相応しいくらい、どっしりとした馬で、何だか気迫というより、貫録が感じられて、とても4歳の馬には見えなかった。

 脚質はどちらかというと「先行」か「差し」タイプ。

 つまり、じっくり溜めて、最後の直線で「差す」のが戦術的に使えると思ったが、問題は距離で、1200メートルのレース自体、私にとっては初めてだった。


 そのため、スタート直後から焦ってしまう。出遅れた上に、外枠の方が走る距離が長いため、出来るだけ先行しようとしたら、前に別の馬がいて、壁を作っていて、前に進むことも出来なくなる。

 これを「もまれる」などと言うが、早くも後方集団に追い込まれる。


 先行は、山ノ内昇太騎手が乗るシリウスレディー、長坂琴音騎手が乗るムーンスピカは中団よりやや後ろにいた。


 私は、この馬を出来るだけ内埒沿いに入れて、最後に抜くつもりでいたが、1200メートルというのは、競馬においては「短距離」でかなり短い。


 前方の壁を抜けないまま、ハイペースであっという間に、4コーナーを回り、最後の直線に入った。


 そこで、若干「ささる」、つまりコースの内側に斜行していたカテナチオを立て直し、内埒沿いから一気に鞭を使って、加速。

 ちょうど、前に空白が出来たように空いたスペースを使い、ムーンスピカを追い抜き、まだ先頭を走っていたシリウスレディーの前に回り込む形になる。というより、横から蓋をした形に近い。


 だが、

「どけ!」

 と、山ノ内騎手が言っているように一瞬聞こえた。


 彼の馬、シリウスレディーは懸命に追い込んできて、半馬身くらい後ろまで迫ってきて、叩き合いに近くなったが、そのままゴールイン。


 私のカテナチオは1着でゴール板を通過していた。


 だが、ここで「審議」のランプが灯り、最終的には、

「降着」

 という結果になった。


 早い話が「進路妨害」という奴だった。

 まだ、未熟な私は、明らかにシリウスレディーの進路を妨害したと判断され、つまり私があの時、前に立たなければシリウスレディーが勝っていたと見なされたわけだ。

 結果的には、降着になり、1着はシリウスレディー、2着はムーンスピカ、カテナチオは3着になる。


 後検量を終えて、沈んだ表情の私にさらに追い打ちをかけるように、予想通り、普段よりきつい関西弁が飛んできた。


「石屋。お前はやっぱり競馬には向かんわ」

「ごめん、山ノ内くん」


「ま、今さらやけどな。お前が未熟なんは、知っとるし」

 申し訳ない気持ちと共に、私は自分が情けなくて、泣けてくる気がしていたが、後で知ったことだが、実はこの時、山ノ内くん自体は、そんなに怒ってはいなかったらしい。


 むしろ、このやり取りに突っかかるように、割り込んできたのは、意外な人物だった。


「彼の言う通りね」

 長坂琴音騎手だった。


 美しい黒髪を、キャップの間から覗かせながら、彼女はいつものような強気な口調で私に告げるのだった。


「馬が好きなだけで勝てるほど甘くないってわかったかしら?」

「わかってます。わかってますけど……」

 脳裏には、もちろん武政騎手が私に言った言葉がよぎっていた。

 こんな時に言う言葉じゃないのは、わかっていた。だが、私は私の気持ちに嘘はつきたくなかったし、尊敬する武政騎手が教えてくれた言葉だし、これ自体が私の「信念」みたいなものだったから、譲りたくもなかった。


「馬が好きで何が悪いんですか?」

 ついに口に出して言ってしまっていた。

 言った後に、少しだけ後悔した。


 長坂琴音騎手の表情が一変し、鋭く私を睨みつけてきたからだ。

「まだそんな甘いことを言ってんの……」

 だが、私は私で、負けたくはないし、信念を否定されたようで、「悔しい」という思いが、ふつふつと湧き上がってきたのは事実だった。彼女の言葉尻を突くように制した。


「甘くて何が悪いんですか?」

「えっ」


「馬が好きな気持ちがあるから、馬をちゃんと扱えるし、大切にも出来る。馬を道具としか思っていない人にはわかりませんよ」

 一瞬、周りの空気が凍りついたように重くなっていた。


 私を睨んだまま、面白くない表情を浮かべている長坂琴音騎手、そして何というか、ほとんど呆れたように肩をすくめている山ノ内昇太がそれを見ていた。


 沈黙が続き、私と長坂琴音騎手の間に、火花が散っているかのような異様な空間が生まれていた。


 そして、

「ロクに勝ってもいない奴が、偉そうに言わないでくれるかしら」

 吐き捨てるように、捨て台詞を吐いて、彼女は根負けしたかのように去って行ってしまった。


 残された私に、声をかけてきたのは彼だった。

「お前。意外と根性あるよな」

 もちろん山ノ内昇太くんだった。今は少しだけ、彼の言葉がありがたいと思った。


「知ってるでしょ。競馬学校で同期だったんだから」

「まあな」


 長坂琴音騎手との確執はさらに深まってしまったが、一方で、同期の山ノ内昇太騎手には、呆れられてしまうのだった。


 進路妨害により、降着となった私には、4日間の「騎乗停止」処分が降るのだった。

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