第二十八話「魔王、向いてない」
「遠乗りに行きましょう」
「え?」
ある日の昼下がり。
クリスがエルガーの政務の手伝いに呼ばれ暇を持て余していたところ、サリヤに声を掛けられた。
「遠乗りですか?」
「はい、フリードリヒ殿下の騎乗技術も上がってきましたし、試しに長距離を馬で走ってみませんか?」
初任務の日から、俺はしばらくサリヤに馬の乗り方―騎乗を教わっていた。しかし任務の際はまだサリヤの馬に一緒に乗っていて、訓練以外では馬に乗ることはなかったのである。
「いいですよ、行きましょう」
「良かったです。それならエルガー陛下のご許可は頂いていますので、早速行きましょう」
―――
馬に乗られること一時間。
俺たちは平原にポツンとあった小さい森で休憩していた。
「ここはよく新米隊員の訓練にもよく使うんですよ」
「この森ですか?」
「ええ、殿下と同じように騎乗を習いたての隊員がしっかりと馬を操れるかどうか、その試験のために」
「へぇ~。じゃあ僕は合格ですか?」
「本来は城とこの森を無事に往復すれば合格ですが……殿下はここまででもとても綺麗に乗りこなしていらっしゃったので、ふふ、合格ですね」
サリヤは少し面白そうに微笑んだ。
うむ、美人である。今日もこうしてクール系『お姉ちゃん』の静かな微笑みをみれることに感謝しよう。
何の気なしに周りを見渡すと、川に流れる水を飲む馬や談笑している隊員の姿が見える。俺とサリヤが二人だけではマズイという事で俺の護衛のためにやってきた者たちだ。
わざわざ俺のために申し訳ないと思ったが、彼らが言うには訓練を合法的にサボれてラッキーということらしい。
「そろそろ行きましょうか」
「うん、わかった」
身体を休め、立ち上がったその時周りの警戒をしていた隊員が叫んだ。
「敵襲!」
「っ!?」
叫ぶ隊員の方に数十個の赤い瞳が見える。やがてその瞳は木々の暗闇からこちらに近づき、全貌を現した。
「黒き妖狼…!」
そう皆お馴染み黒き妖狼である。初めて会ったとき以来同行する任務で幾度となく対面してきた魔物だ。
もう何回も戦ったお陰か、今の俺ではなんの苦労もなく倒せる魔物なのだが、今回は数が多かった。
ぱっと見で三十匹は見える。対してこちらの面子は俺を含めて九人。大体一人で三匹以上を相手しなければならない。
「殿下、下がってください」
サリヤは俺の前に庇うように立つ。
しかし、初めてこいつらと戦ってから二年が経っている。俺は武術も魔術もあの頃より数段力をつけている。相手が黒き妖狼の群れなら俺も足を引っ張らずに戦えるはずだ。
「俺も戦うよ」
「いいえ、御身にもしもがあったらいけません。ここは私たちが」
「でも」
「黒き妖狼は戦闘に参加する者を優先的に狙う習性があります。ここで殿下が攻撃する姿勢を見せなければ、狙われない可能性が高いかと。殿下に何かがあったら私たち魔王親衛隊の名折れ。どうかここはお任せください」
「わ、わかった……」
サリヤの言葉に負けて、俺はすごすごとサリヤの後ろに下がる。
いつの間にか隊員が馬を集めていて俺の側に連れて来ていた。もしものことがあればこいつらすら盾にしろということだろうか。
「総員、かかれ!」
いつものサリヤからは想像できない大きい声と共に、隊員が一斉に攻撃を仕掛ける。
順調そうに黒き妖狼を狩る隊員たちだが、やはり敵の数が多く、苦戦している者も多い。それは特に四匹を同時に相手している者に顕著だった。
「あっ!」
剣を持った男の隊員が倒れた。確かダリウスという隊員だ。足を噛まれバランスを崩したところに別の黒き妖狼が襲い掛かったのだ。辛うじてそいつをその剣で殺せたのはよかったものの、足を噛んだ黒き妖狼が彼の首を噛み千切ろうとしていた。
他の隊員もそれに気付いたが、彼を救える範囲には誰もいなかった。
「くっ!」
俺は思わず魔術を行使した。それも無詠唱で。詠唱なんてしていたらきっと彼は死んでしまうという判断だった。
「グギャァッ!?」
俺の作り出した小さい氷塊が黒き妖狼の目を撃ち抜いた。偶々だったが、それが致命傷となってその黒き妖狼は動かなくなる。
「グゥゥ……?」
俺が魔術を使ったことに気付いた何匹かの黒き妖狼がターゲットをそれぞれが戦っている隊員から俺にシフトする。
こうなったらやるしかない。
「グルゥ!」
何匹が同時に俺に密集したら面倒だ。
単騎でこちらに走っている間に数を減らす必要がある。
「よっ!ほっ!」
氷塊を作り、撃つ。それを二回繰り返すと二匹の黒き妖狼は倒れる。
なんだが前世でやっていたFPSゲームを思い出すな。
だが、全員を倒すのには間に合わなかった。
「アアアアア!」
ほぼ傷のない三匹の黒き妖狼が同時に飛び掛かってくる。
俺は背中に担いでいた鉾槍を持ち、薙ぎ払うように振ろうとしたが――
(あ、やば)
黒き妖狼は横並びに一列になるように俺に飛び掛かってきている。
こいつらに共同で敵を狩るという考えが浮かぶ頭脳はないので全くの偶然だろう。
しかし、その偶然が功を為そうとしていた。
俺は鉾槍を右から薙ぎ払おうとしているのだが、このタイミングでは絶対に一番左の黒き妖狼の攻撃を防げない。
「くっ――!」
しかし、仕方がない。これは俺の判断ミスだ。なんとか致命傷を防ごうと左肩で首を庇いながら振り払おうとする。
その時。
「は――?」
魔力が勝手に動き出すような感覚を覚える。
その魔力たちは腕に集まり、暴れ出す。
「うおおおおおおおおおおお!」
その魔力に従うように腕を振った。そうしろと本能が囁いたような気がしたのだ。
「はぁはぁ……」
鉾槍を振り終わり俺が前を見ると、そこには三匹の黒き妖狼が倒れている。
そう、間に合ったのだ。一番左の黒き妖狼にも。
何が起こったのか一瞬混乱し、すぐに心当たりに行きついた。
これは、身体強化の魔術だ。
以前、訓練を積んだものは岩を剣で切ったりとんでもない速さで走ることが出来ると聞いた。俺はそれを魔力で強化しているものだと仮定していたが、どうやらそれは当たっていたようだ。
俺は今、無意識に魔力で体を強化させた。その結果、普通の俺では不可能のスピードで鉾槍を振り、目の前の三匹の黒き妖狼を斬り伏せたのだ。
「殿下!」
サリヤの声で思考の海から浮上すると、どうやら黒き妖狼は全て倒したらしい。そしてこちらに駆け寄るサリヤの姿も視界に入る。
「ご無事ですか!?」
「うん…。サリヤたちも無事?」
「ええ、殿下のお陰で…。って、そうではなく!」
サリヤは俺に顔をずいっと近づける。
苦言を呈したいが今起こったことが理解できていない、混乱の顔だった。
「……何故手を出したのですか」
結局、彼女は俺が約束を破って戦闘に参加した件に言及する。
「あのままだとダリウスが死ぬと思っての判断だよ」
視界の端でダリウスが驚いた顔を見せていた。俺に助けられるとは夢にも思っていない顔だ。
「魔王親衛隊は陛下や殿下を守るための組織。故に貴方たちを守るためなら私たちは死ぬことを厭いません」
サリヤはきっぱりと言った。
周りの隊員たちの多くも同じ考えのようでうんうんと頷いていた。
しかし、俺はそれが気に入らなかった。
この世界の俺は魔王の息子、つまり王子で守られる立場の人間だ。だが、一般サラリーマンだった前世の記憶がある俺はそう簡単にただ他人に庇われるという状況を受け入れるわけにはいかない。
これは少年漫画の主人公のような、「誰であろうと全員守る」みたいな熱血正義感由来のものではない。ただ目の前に自分の力を使えば救える人がいる、そんな状況であればよほどの極悪人で無い限り手を貸すだろう。ハンカチを落とした人がいればそれを拾って渡すように、俺は魔術を使って目の前の隊員を救ったのだ。
「俺は自分のために戦ってくれる人を見殺しになんてしたくない」
「………」
そういうとサリヤは黙ってしまった。
しかし、それは否定的な沈黙では無かった。少なくともダリウスは俺の事を感謝の目で見てくれている。
「……分かりました。それに、今回のことは我々の力不足。それ故に殿下の手を煩わせてしまったことを謝罪します」
いや、そういうことではないんだが……。やはり、サリヤはこういう所は真面目というかなんというか。
「…しかし、殿下。先ほどの魔術は一体?詠唱が聞こえなかったのですが…」
やはり、それは聞いてくるか。正直俺の無詠唱魔術はエルガーに禁止されているので気付かれないのが最善だったのだが…。
今から誤魔化すのはきびしいか。
俺は観念してつい最近無詠唱魔術を使えるようになったことを説明する。
「…………」
俺が無詠唱魔術の名を出すと隊員が静かになってしまう。なんだか重い雰囲気だ。
「…殿下は…女神の使徒に……。いや、殿下に限ってそんなことはあり得ませんね」
サリヤは首を横に振った。
「女神の使徒を知ってるのか?」
「ええ、彼奴等は我々魔族の敵。私たちが人族の国で生きられないのも彼奴等が原因です」
サリヤは珍しく厳しい口調でそう言った。
一体全体女神の使徒ってのは何をしでかしたんだ。
「そのことをエルガー様は?」
「知ってる。なるべく人目のある場所では使うなって言われてたんだけど…破っちゃったな」
「そうだったんですね…それにも関わらず隊員を救うためにありがとうございます」
サリヤは頭を下げた。それを見たダリウスも慌てて頭を下げる。
「取り敢えず、今日は帰ろう。また魔物が出ないとも限らないし」
「そうですね。皆、準備を」
俺は最近の訓練ですっかり顔なじみになった馬に跨る。
はぁ…帰ったらエルガーに叱られるだろうな。
しかし、身体強化の魔術を使えるようになった。
他の皆はこれが魔力によるものとは気づいていないが、魔力という存在が無かった前世を生きた俺だからこそきっと気付いたのだろう。これをもっと使いこなせれば、無詠唱魔術に頼らずに戦闘をスムーズに行えるかもしれない。
そう考えながら俺は帰途についたのだった。




