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龍をみたとき  作者: 見尾 玲
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第1部

この小説はフィクションです。

地名・施設名・姓名等は実在致しません。

なにも特別なことなんてなかった。

いつも通りの日。ただ、少しだけ天気が悪かっただけ。

ここは近くに空港のある海辺の街。

飛行機の轟く音にもすっかり聞き慣れたし、その音が聞こえたからといって空を見上げることもなくなった。

なのに―――――。

なのに、その日だけは空を見上げた。

轟音の中に確かに聞こえた声を追って。

そして見上げた空にはっきりと見えたんだ。

赤い龍が、泣きながら飛んでいるのが。



龍賀リョウガ市、蒼海ソウミ町。

町の名前に蒼い海、とつけるくらい海が綺麗な街。

この蒼海町に十数年前、空港ができた。

街の名物ともいえる海を一部埋め立てるということもあり、市民町民大反対だったそう。

当時は特に景気も悪く、観光資源はあるのに人は来ない。龍賀市全体の景気回復を狙い、蒼海町を空の玄関口とすることで、蒼海町の町おこしにもなる。そういう趣旨のもと、出された案で住民は渋々首を縦にふったそうだ。

だが、結果的には良い方向に向かっていると思う。

龍賀市の中心となる隣町へ向かうにはバスしかないけれど、それでも人の出入りは多くなった。蒼海町が龍賀観光の中継地点となったこと、昔から自慢だった海へ訪れる人――海水浴客や釣りをしに来る人なども増えていて、もともと海の家や釣り具屋が多かったこともあり、それなりに繁盛している。

そして、歴史的にも龍賀市は有名で、日本で唯一の言い伝えがあることからツアーの団体もよく見かけるようになった。


”昔々、この地域には龍と呼ばれる生物が生息していたとされ、彼らは人々を守り、又人々の悪を裁く力を以て人間を支配しながらも、共存していた。”と。

詳しい記述によれば、人々を守る『守護龍』や逆に人を食らう『滅殺龍』など、生態の違う龍が複数いて、対立がありながらもなんとか共存していたということだ。しかし、時代の流れや環境の変化に伴い、龍の数は激減。絶滅ともなければ、現在も存在するという記述もなくて、そのあたりは曖昧なまま。

ただ、神社を建て、龍たちに対する感謝や敬意、恐れなどを含めて龍たちを『龍神』と崇めるようになったのである。それは今も続いていることで、年に二回お祭りもあったりする。



「暑いー。あーつーいー。今、何月なの?もしかして八月!?」

「本気で言ってるなら、頭がイカれてるわ…。」

あたしの目の前で机に倒れこむ彼女―――美凪ミナギ

「あたしが暑がりってことを百歩譲っても、この暑さは異常だよ?」

「そんなに訴えられてもね、美凪チャン。まだ五月ですから。」

「どーして涼しい顔していられるのか、ぜひとも教えていただきたいものだわ、巫琴ミコトチャン?」

美凪があたしに迫る。確かに暑いのは暑いけど、あたしにとってはそれほどではない。

「うーん…体質?」

「あはっ…羨ましいわぁ…。」

美凪、脱力。仕方なく、あたしは下敷きを取り出してパタパタと美凪をあおぐ。


早野ハヤノ 巫琴ミコト。十七歳。高校三年生。

龍賀市の数ある高校の中で「地元から出たくない」の理由で、県立蒼海高等学校普通科に通う。また「地元から出たくない」の理由で就職希望。


秋山アキヤマ 美凪ミナギ。十八歳。高校三年生。

巫琴の小学校からの同級生。「家からいちばん近いから」の理由で、県立蒼海高等学校普通科に通う。保育士を目指し、進学希望。


「巫琴ー。就職どーすんの?」

放課後、学生食堂。先生がせっかく戸締りした窓を全開にして向かい合うあたしたち。

「んー…もう実家継ぐとか、ダメ?」

考えるのが面倒になってそう言ってみる。

「甘い、あまい、あまいよ、巫琴チャン。考えてないの、見え見えだから。」

厳しいなぁ、やっぱり。九月から就職試験も解禁だしね…。

そう思ってあたしは溜め息。

「去年は楽しかったのに、一年ってすごい違いだね…。」

「ごめん、そんなに落ち込むとは思ってなかった。」

美凪は苦笑い。あたしをなだめようとしてくれる。

「みなー?あ、ここにいた。」

食堂にひょこっと顔をのぞかせる男の子―――風真カザマくん。

「あれ、今日デートの日かぁ。早く言ってよ美凪ー。」

「いやいやいや、巫琴には三回くらいは申し上げました。」

かばんを持って立ち上がる美凪。風真くんはていねいに戸締りをしてくれた。

「先に帰るね、ばいばい巫琴。」

「すいません、お先です。早野先輩。」

「じゃあねー。」

ふたりを見送り、食堂に取り残される。

「うわ、雨降るかな。」

少し暗くなった外を見て、念のため戸締りを確認して下校する。


尾高オダカ 風真カザマ。十七歳。高校二年生。

美凪の彼氏。美凪とは二年ほどの付き合い。美凪を追いかけて県立蒼海高等学校普通科に通う。サッカー部所属。


「傘持ってない…。でも走るとしんどいしなぁ…。」

とぶつぶつ言いながら歩くあたし。

そろそろ台風の季節も近づいてきてか、天気も気まぐれだ。

蒼海は津波の影響がいちばん大きい。あたしの両親、それから父方の祖母は海の家を経営していて海沿いに住んでいるから、特に心配になる。

と、そこに飛行機の通るゴーーーーー!!という音。小さい頃は怖くて泣いたりしたけど、もう今となっては聞き慣れている生活音。

の、はずだった。


た   す   け   て


「え…?」

今、声が。聞こえた。誰かが、泣いてる?

そう思ったあたしは、まっすぐに空を見た。

不思議なことに周りを確認することはなく。

視線の先、雨の降りそうな曇り空の中に見えた赤い閃光。

はるか上空にいるそれは、小さいけれど確かに見えた。

あたしと目が合い、そしてそれは―――龍は、泣いていた。

「うわっ!」

突風にあおられ、あたしは思わず下を向く。再び顔を上げる頃には龍の姿はどこにもなかった。

「あ、れ?…龍…?」

あたしは幻覚を見たのかもしれない。けど、赤い姿は頭から離れない。

小さい頃から聞かされていた言い伝えが、急に頭を巡り始める。


”龍神様の御姿を目にした者、何人たりとも死を迎えん”


どうしてこのとき急にこの言い伝えを思い出したのかはまるで覚えていない。

たぶん、このときのあたしは顔面蒼白で、頭はくらくらで、足元はふらふら。

とにかく、家に帰ろう。帰ったらすぐ寝よう。きっとよくなる。

そう思って滅多と車の通らない道路の真ん中を歩いていた。

あれは、トラックだったか―――大きい車が目の前に迫っていることにも、認識できていなかった。


「危ないっっ!!」


急に誰かに手を引かれて、大きくよろける。あたしの手を引いた誰かは、よろけたあたしをちゃんと受け止める。と、目の前を大きな車の影が通って行く。

「え…。」

「大丈夫?」

あたしを受け止めてくれた誰かを見上げる。少し怒っているかのようにきりっとした表情が印象的な短髪で黒い瞳の男の子。

「けがは?」

「あ、うん…。」

なにゆえ一瞬のことで、うまく状況が飲み込めなかった。

「体調悪いのは仕方ないけど、車が来ているかどうかはちゃんと確認したほうがいいよ、早野さん?」

「名前…なんで…?」

彼はあたしのかばんを指差す。

「盗み見はよくないよな。悪い。」

かばんには”Mikoto Hayano”のネーム入りキーホルダー。小学校の修学旅行のときだったか、つくってもらったキーホルダーだ。

「そう…。」

「顔色かなり悪く見えるぞ?本当に大丈夫か?」

「名前、は…?」

「俺?昼生海渡ヒリュウ カイト。」


昼生ヒリュウ 海渡カイト。年齢不詳。(誰も聞かないから)

突然蒼海町に現れた男の子。家庭の事情で一人暮らし。どこか一匹狼のような雰囲気が漂う。高校には通っていない模様。


「昼生くん、ありがとう…。」

まだ、身体に思うように力が入らない。

「家、遠いのか?俺、最近ここに来たばかりだから土地勘ないけど、送ってくよ?」

「いや、でも…。」

「万が一倒れたら困るだろ?俺の蒼海散策ついでだと思って。」

あたしも正直ちゃんと帰れるか、心配だったから素直に彼の提案に従った。

途中、足元がおぼつかずゆっくり歩くあたしに合わせて、昼生くんは気遣いからか歩幅を合わせてくれる。会話が弾んでいた訳でもない。ほぼ会話もなく、時々昼生くんに蒼海のことを聞かれて、わかる範囲で答えるくらい。亀のようにのんびりとしか歩けないあたしに合わせて歩いてくれるほど、気長に送ってくれる彼は介護のお仕事とか向いているかもしれない。と思ってそれを伝えてみると。

「いや、冗談だろ。」

って苦笑された。話の流れで、実家で海の家を経営していることを話す。

「へえ。海の家ねえ。これから台風の時期だろうし、結構怖いな。」

「風、は大丈夫なんだけど。津波、が来たときは、対策、してても、どうしようもない、年が、あるよ。」

動悸により切れ切れに紡ぐあたしの言葉を、聞き落すことなく拾う。

いつもなら、学校から家まで十五分もあれば着く道のりが、事故未遂もあったせいで一時間強もかかってしまった。けど昼生くんの手助けもあり、なんとか帰ってこれた。

「この辺で、大丈夫。」

「わかった。気を付けて。」

「送ってもらって、ごめんね。」

「気にしてないよ。蒼海に来て誰かとこんなに話すの、早野さんが初めてだったし。」

歩きかけた昼生くんが振り返る。

「あ、今度、飯食いに行くよ。」

「うん。」

「お大事に。じゃ。」



「巫琴!?どうしたの?大丈夫!?」

小さく「ただいま…。」と言ったあたしの声に違和感を感じたのか、帰宅するなりお母さんがとんできてあたしの様子をうかがう。もしかすると、余程顔色が悪かったのかもしれない。簡単にことのいきさつを説明する。

「最近、蒼海に来たっていう昼生くんって子が、手を貸してくれたの。」

話を聞き終え、ほっとしたような表情を見せたあと、お母さんは「うん?」と首を傾げた。

「昼生っていえば、『龍神様』の神主さんのご親族かしら。珍しい名前ね。」

そういえば。

「今度、ごはん食べに来るって。」

「そう。巫琴の面倒をかけた分、お礼しなきゃ。」

お母さんはにっこりと笑うと、店に戻る。「ゆっくりねー。」というお母さんにひとつ返事をして自室に戻ったあたしは、すぐさまベッドに身を投げると、誘われるように眠りについた。



三歳の頃、俺は覚醒した。きっかけは放火による大火事だったと記憶している。

放火犯は事件後まもなく逮捕されているが、顔や名前なんて覚えていない。今さら興味もない。

三歳の俺は昼寝をしていて、母親が買い出しに出掛けたときに放火され、家は全焼した。木造の大きくない家だったから、キッチンからリビングから俺が寝ていた寝室まで真っ黒になり、買い出しの途中で事件を知りとんで帰ってきた母親や火事に気付いた近所の住民からも俺は死んだと思われた。だが―――。

『え…?無傷…?』

俺は生きていた。火事によるすすで真っ黒になっていたものの、火傷ひとつとしてなく。

それは奇跡を通り越してもはや異常であり、まわりが畏怖の目を向けないわけがなかった。

『あの子どもはおかしい』

『本当に人間なのか?』

『気持ち悪い』

幼子にそんなことを言ったって理解できない。なんのことかわからないから俺は大人や近所の友だちと遊んでほしくて声をかけていた。

『あっちへ行け!』

『近づかないで!』

『気持ち悪い子!』

当の俺より、母親がよほどストレスに感じていたのだろう。それまでは俺に違和感を感じながらもいっしょに遊んでくれたり、外へ連れ出してくれていた母親から暴力を受ける日々が始まった。

だが、あの大火事を無傷で乗り越えた俺の身体は殴られたところが少し赤くなる程度。アザのような傷はひとつと残らない。それが母親の暴力に拍車をかけたように思う。主に母親の機嫌が悪い時によく殴られていたが、それでも幼子の俺は母親が好きだった。

暴力を受け始めてふた月ほど経った頃。その頃の俺は、母親の機嫌を損ねなければ殴られないことを多少なりとも理解し始めていたから、ほとんどしゃべらなくなっていた。新しく住み始めたアパートの一室の片隅で一日中隠れるように座って過ごす。けれども母親の視界に入ると俺は無言で殴られていた。

そして―――。


『あんたなんか、生まれてこなければよかったのに!!』


幼かった俺がその言葉の意味を正しく理解したかどうかは覚えていないが、絶望を感じたことは今でもはっきりと思い出せる。怒り、悲しみ、戸惑い、苦しみ。そういった感情が俺の中でぐるぐると渦をつくって飛び出した。


母親の絶望の言霊で龍となった俺は、好きだったはずの母親を喰らってしまった。


感情の暴走が収まり、俺は幼子の姿へ戻る。その日の夜。仕事で長いこと家を空けていた父親が新居であるこの家へ初めて帰ってきた。

『ただいまー。ここが新しい家か。あれ、ひとりか?母さんはどうした?』

子どもというのは、どこまでも素直な生き物だ。


『ボクが食べた』


沈黙が駆け抜ける。父親は目を見開いていた。手にしていた鞄をその場に置いて、そっと俺を抱きしめた。

『…そうか。今日は父さんとそこのレストランに行くか?カイト。』

『え、いいの!?行きたい!』

大手チェーンのファミレスだが、まともに食事をしていなかった俺にとってはこの上ないご馳走だ。俺は満面の笑みで頷く。


抱きしめられたときに頬に感じた、父親の涙の意味は今でもときどき考える。




「巫琴ー。みーこーとー。」

「…ふえ?」

意識の遠くの方からあたしを呼ぶ声。渋々目を開けると目の前には美凪。

「え?なんで美凪?今何時…?」

「七時。」

「嘘でしょ!?」

慌てて目覚まし時計を確認。外も明るい。どうやら一晩中寝ていたみたい。

「嘘でしょ…。」

大げさといわれるくらいにがっくりと肩を落とす。

「簡単に事情はおばさんに聞いてたけど…うん、顔色はいいかな。」

美凪はふうっと安心したように笑う。

「まあシャワー浴びる時間くらいあるから、さっぱりしてきなよ。詳しい話はじ―っくり聞くからね?」

「うん、了解。」

あたしは着替えとタオルを持って浴室に向かう。

調子が悪かったとはいえ、制服くらい着替えておくんだった…。

でもお母さんに起こされなかったあたり、よほど爆睡していたのだろう。

手早くシャワーを済ませて適当に髪を乾かす。

リビングへ行くと、美凪はお食事中だった。

「あ、ごめん巫琴。ちゃっかりいただいてます。」

「おはよう。昨日晩ご飯食べてないんだから、ちゃんと食べなさいよ。」

朝食を作り、片付けまで終えているお母さんは新聞の折り込みチラシを見ながら言う。

あたしの家の朝食はご飯とお味噌汁派だ。今日のおかずは焼き鮭。

正直食欲はないけれど、食べておかないと身体がもたないかもしれない。

あたしには卵がゆが用意されていた。美味しいけど、なかなかレンゲが進まない。

「あー、うー…気持ち悪いー…。」

「巫琴、大丈夫?」

行儀悪いのは承知で、一口食べるたびにテーブルに突っ伏していたあたしの前に美凪の顔。

「無理に食べなくてもいいから、食べられるだけ食べな。」

美凪に頭をぽんぽんされる。つい、うるっときた。

「ありがとおお、美凪ちゃーん。」

「違うのよ。残すなら食べてやろうと思っただけで…引っ付かないで!暑いから!」

美凪に振り払われながらあたしはにこにことまた引っ付きにいく。

遅刻ぎりぎりの時間。

「はいはい!『美凪すきー』はわかったから!早く準備して!遅れるから!」

いつもは歩いて登校してるけど、今日はお母さんが車で送ってくれることになり、美凪はあたしを引っ張ってお母さんの車に押し込む。

今日は昨日の曇天とうってかわって快晴。半日経つだけでこんなにも変わる海の天気。

ゴ――――――!!

いつもどおりの飛行機の轟音。聞こえないSOS。

よかった。泣いてないな。

そう思って飛行機を見送った。


「はあ!?」

まあ、そういう反応になるのはわかっておりました。

とりあえず唇の前に指を立てて「しーっ!」と伝える。

「巫琴は昔から素直で正直者だから信じるけどさ…。」

「うん。」

「それ、龍賀市民、いや蒼海町民といえど、さすがに疑うよ。」

「だよね…。」

あたしもそう思うけど、確かに赤い龍を見たのだから仕方がない。

むう、と眉間にしわを寄せて、美凪をにらんでふくれてみせる。

「でも、巫琴にけががなくてよかったよ。その海渡くんって子がいなかったら、それこそ事故に遭ってたかもしれないでしょ。」

それは本当だ。あのとき昼生くんが手を引いてくれなかったら、あたしはパニックになっていたし、最悪の場合、命を落としていた可能性だって十分にあった。

「海渡くんって同年代って言ってたんだよね?もしかして、転校生とかなのかな?」

「うーん、どうだろう…。もしそうだとしたら、先生から何かしらの連絡ってあるもんじゃないの?それに、お母さんが神主さんの親族かもって言ってたよ。」

「あ、そっか。昼生さんだもんね。」

美凪はしばらくひとりでうーん、と考え込んだかと思えば、急にがたっと席をたつ。教室にいた面々が一瞬何事かとざわめくなか、美凪は「よし!」と意気込み、

「巫琴、今日の放課後、行ってみよう!」

と言い出した。あたしはどこに行くのか、まったく見当がつかず、ぽかんと見つめ返す。

「行くって、どこに?」

「神社に決まってんでしょ。話の流れ的に。」

間髪入れず、即答される。

「いや、わかんないよ。てか、風真くんとのデートはどうするの?」

「今日はキャンセル!気になってしかたないんだもん。」

美凪がなにを気になっているのか、皆目見当がつかない。

「海渡くんに会ってみたい。巫琴を助けてくれたお礼もしたいし、純粋にどんな子か興味ある。」

「浮気?」

「ばかね。風真以上にパシリに適した奴早々いないでしょうが。」

「パシるパシらないで彼氏決めてんの!?」

くっくっく、と意地悪く笑う美凪だが、「うそだよ。」とすぐに笑った。

「お礼が言いたいのは本当。巫琴も行こうよ。」

「…わかった。」

「決まりね。」

それからは普通に授業を受けて、あたしは嫌いな数学の時間を睡眠時間に費やして、放課後まで時間は流れていった。

その間、少しだけ赤い龍のことも考えていた。

遠目で見たにも関わらず、あたしは何故か赤い龍が泣いていたということに確信をもっていた。風に舞っていた涙さえ、見えたほどだ。

どうして、泣いていたんだろう。

考えても答えが出るものではないことはわかっているけど、つい考えてしまった。犬や猫といった身近な動物の涙も見たことがないのに、神と呼ばれる龍が涙を流す理由。気になって仕方がなかった。

そして放課後。

「さて、風真にも連絡いれたし、行きますか。」

「美凪、なんか張り切ってるね?」

「ん?気のせいでしょー。」

と言いつつ、鼻歌を歌いながらるんるんと歩くんだから、美凪の心情は読み取れない。

神社への階段を上がると、神主の昼生さんは鳥居付近の掃除をしていた。

「こんにちはー。」

声をかけると、手を止めてこちらを見る。

「あぁ、こんにちは。珍しいですね、いかがなさいましたか?」

昼生さんは初老で、あたしのおばあちゃんと古い友人だと聞いたことがある。お祭りのときなどでしか話す機会がないが、物腰の柔らかいおじいちゃんだ。

美凪は「はい。」と返事をして、単刀直入に伝えた。

「海渡くんに会いに来たんですけど、居ますか?」

「え、ちょっ、美凪…!?」

いるかいないか、そもそも昼生さんの身内かどうかもわからないのに、美凪はやけに確信的だった。

「海渡、ですか。居ませんよ。」

「そうですか…。お邪魔しました。失礼します。」

美凪はすたすた去ってしまう。あたしも昼生さんに会釈して、慌てて美凪のあとを追った。

途中ちらりと振り返ったら、昼生さんはまだ手を止めてあたしたちを見送っていた。



神の力というのは恐ろしい。

三歳のとき、母親を喰らった訳だが、どうやら人々の記憶から母親という人間の存在を抹消してしまうらしい。つまり、俺が母親を喰ったことで、母親という存在は初めから”なかったこと”になるのだ。

そんな爆弾以上の力をもって生を受けた俺だが、それ以降特に不自由はなく過ごしていた。

三歳のあのとき以降、ひとを喰ってないし、龍にもなっていない。

自分が異質だと、はっきり自覚したのは十歳の頃だ。

今回のきっかけはほんの小さなことだったと思う。同じクラスの女の子に告白されたけど、俺は『ごめんなさい、僕はすきじゃない。』と断った。そうしたら、その女の子を好きだった隣のクラスのガキ大将的な男の子からいじめを受け始めた。よく聞く話だ。廊下の角で足を引っ掛けられたり、ランドセルに向かって石を投げられたり、教科書とか物を隠されたり。その程度なら、俺は耐えられた。

だけど、どうしても我慢ならなかったのは、当時飼ってた子犬にまで被害が及び始めたことだ。

俺に向けられていた悪意が子犬に向けられ始め、知らないうちにけがを負わされていた。

その日、家に帰ると庭先でそいつと出くわした。そいつが手に持っていた傘を振り下ろす瞬間を見た。

『やめてよ!なにするんだよ!』

『悔しいか?悲しいか?オレ、おまえと遊ぶより、犬と遊ぶ方が楽しいなー。』

子犬は怯えているのか、抵抗する力が残ってないのか、それともどちらもか。ぐったりと動かない。

『死んじゃうだろ!やめろよ!』

『なに?なんか言ったか?』

聞かず、そいつは子犬に蹴りをいれた。一発で済むわけがない。二発、三発…。

ぐったりと、でも息をしていた子犬の動きが一瞬止まった。

ぐるぐると、黒い感情が回り始める。

『やめろって、言ってんだろ。』

黒い感情は、俺を龍の姿へと変える。

『聞こえないな……わ、わ、あ……』

俺を見た途端、腰が砕けたのかわなわなと震えている。

『や、ごめ、あ、やめ…助け…』

次の瞬間には、そいつはもう居なかった。

俺が消したのはすぐにわかった。だから怖くなった。誰も、見ていない。子犬はちゃんと生きている。息をしている。目の前に、あいつが落としたランドセル。

治療の仕方はわからない。とにかく子犬は家の中なら安全なはず。あと、ランドセルはちゃんと返さなきゃ。そう思った俺はランドセルを持って、そいつの家に向かった。

呼び鈴を鳴らす。そいつの母親が玄関先に現れる。

『あの、ランドセル。返しに、来ました。』

俺の足はがたがたと震えている。

『あら、カイトくん。…ランドセル?うちにランドセルが要る子はいないんだけどねえ?』

そんなはずはない。さっき俺はランドセルの持ち主を喰ったのだ。それはこのひとの子供のはずだ。住所だってご丁寧にランドセルのポケットに小さく書いてあったのに。

『書いてあるの、うちの住所ね。おかしいわね、こんな名前の子、うちの子じゃないし…。』

おばさんはおそらく俺を気遣ってランドセルを受け取ってくれた。

このことは父さんにもしばらく言えなかった。

次の日学校へ行くと、そいつがいないのはもちろん、そいつがいたと証明されるものがすべてなくなっていることに気付いた。持ち物や、掲示物、先生の机をのぞき見すると、出席簿からも名前が見つからなかった。十歳の頭でもわかっていた事実―――。


僕が、殺した…。


悪いやつはおまわりさんのところへ行く。交番の前で一時間くらい右往左往していたら、おまわりさんに声をかけられて、怖くなって全速力で逃げたりするのを数日は繰り返した。父さんに言う覚悟を決めたのは事件の十日後だ。

『父、さん。』

『ん?どうした。そんな改まって。』

普段は優しいけど、怒るときはすごい剣幕で怒る父さん。

やっぱり怖気づいて、しばらくは言葉を発せなかった。立ち尽くしたままの俺を見て、テーブルに座る父さん。俺の椅子の足元には、まだ全快ではないものの、ちょっとずつ回復している子犬。

『カイト、こっちに座って話せばいい。父さんは待つから、話せるようになったら、話しなさい。』

俺はちょこん、と座り震える手をしっかりと握る。整わない深呼吸。

『僕、隣…のクラスの、男、の子…殺した…。た、た、…食べ、た…。』

『……うん…。』

怖くて父さんの方を向けない。子犬が俺を見上げている。

『あい、つが、この子を、いじめ、て…て、ひどい、けが、をさせて…て、死んじゃう、かも、しれなく、て…それが我慢、でき、なくて…怒った、ら、もう…消えて…て…』

視界が滲んでくる。言葉を発する唇が震える。涙と鼻水がいっしょになって、握った拳にふりかかる。

怖くて、顔を上げられない。

『学校に、も…家、にも…どこにも、いない…し、みんなが…あいつ、の、ことを…忘れ、て、るんだ…』

『そうか…』

そうつぶやいたきり、父さんは押し黙ってしまった。沈黙が居座り始める。

どれくらい経ったか、父さんの様子が気になった俺は、少しだけ顔をあげて様子を伺った。

父さんも少し、目線を落としていて、俺の方は見ていない。どこか遠くを見る目で微動だにしない。

ただ、泣いているようにも、見えた。

『カイト。』

『は、はい…』

なんとか声を振り絞って、なんとか父さんの目を見る。

『まだ、早いとは思っているんだが、ちゃんと知っておくべきだろう。』

十歳の俺に告げられる重い秘密。



おまえは、龍神。―――龍の神様なんだよ。



当時の俺には残酷すぎやしなかったか。よくあの時に受け入れられたと、我ながら感心している。

それを聞いてから俺は、自分を異質な存在だと認識し、理解した。

と同時に、不用意に龍の力を使わないよう、俺は感情を捨ててしまった気がする。




「ちょっと、美凪!待ってってば!」

あたしは肩で息をしながら、ようやく美凪に追いついた。

「なんか、変だったな…。」

美凪は何やら考えているようだが、あたしにはさっぱりわからない。

「何が?」と問いかければ、あたしに向き直る。

「巫琴も思わなかった?神主さんに海渡くん居ますかって聞いたときさ、『誰それ』みたいな空気、一瞬なかった?」

そう言われれば一瞬、間があったような気もするけど、昼生さんも老人ホームに入ろうか、とか言ってるような(おばあちゃんが言ってた。)年齢だし、あたしには特に違和感はなかった。

「『誰それ』みたいな感じじゃ、なかったと思うけどなあ…。」

「どちらにしろ、今日は空振りねー。気合入れてた分、拍子抜けしてお腹すいたから、巫琴ん家寄って焼きそば食べて帰る。」

神社からの帰り道なら、このあたりで美凪と分かれるところだが、今日はあたしの家に向かい帰路ととる。

今日の放課後は、美凪が昼生くんに会いたいと言い出して、なんの根拠もないまま神社を訪ねて、空振りだったから帰るという、短い時間しか過ごしていないはずなのに、太陽はすでにオレンジ色に光を放ちだしていた。いつの間にこんなに時間が経っていたんだろう、と海沿いの道を歩きながら穏やかに揺れる海を見つめる。

「でさ、そこで風真のやつ、どーん!とかましてやっててさ!」

と、惚気てくる美凪の嬉しそうな顔を見て、微笑ましいなあと思いつつ前方に目をやると、見える人影。

「あ、昼生、くん…?」

「えっ。」

思わずこぼしたそのひとの名前に、美凪も反応して前を見る。

海を見ていたであろうそのひとも、あたしの声が聞こえたのか、こちらに目を向けた。

「あ、早野さん。具合どう?元気?」

顔はほぼ無表情だけど、口調はあたしを気遣ってくれているのがわかる。

うん、とあたしが頷いた直後。

「あなたが、海渡くん?」

美凪が首をかしげながら、探るように問う。

「そうだけど。」

「昨日、巫琴が事故に遭いそうになったって聞いてさ、大切な親友を助けてくれたのは、どんなひとだろうって思ってたの。」

言い終えて美凪は、「あ、順番間違えた。」とつぶやき、昼生くんに頭を下げ、

「巫琴を助けてくれて、ありがとう。」

と言った。昼生くんは頭をかきながら、

「大げさじゃないか?」

と首をひねった。

「顔色真っ青な女の子が道の真ん中でふらふらしてるし、トラックの運転手、たぶんスマホ見てて女の子に気付いてないし、さすがに素通りできる状況じゃなかった。」

あのときのあたしは本当に動転していた。あたしだって、トラックの存在なんて気づいていなかったのだから。

「ほんとにごめんね?わざわざ家まで送ってくれたし…。」

「気にしなくていい。それよりもう大丈夫?」

「よくなったよ、平気。」

あたしが笑ってみせると、昼生くんも安心したのか肩の力が抜けたように見えた。

すると美凪がちょんちょん、とあたしの肩をつついてくる。

「ね、巫琴。海渡くんも誘おう、ごはん。」

「あっ、そうだね。」

昨日かわした約束をもう果たしてしまっていいのか、とは思ったけどお礼はしておきたい。

「昼生くん、よかったらうちでごはん食べていかない?」

「え?」

驚いたように目を見開く。

「昨日のお礼もしたいから。」

「だから、大げさだって。」

「甘えとけばいいのよー?」

美凪のひとこえもあり、少し考える昼生くん。

「今度、でもいいか?今日はこれから用があって。遅れたらいけないから。」

「そっか、仕方ないね。」

あたしの苦笑に昼生くんは「悪い。」と謝る。

「また会えたら声かけてよ。早野さん、と…?」

美凪は自分を指差して首をかしげる。昼生くんが頷く。

「秋山美凪。よろしくねー。」

「秋山さん、ね。じゃあまた。」

昼生くんは一瞬笑うと、あたしたちが来た方向へ歩いていった。

「ほう、ほう。」

はっとして美凪の方を見る。…笑われている。

「なになに、巫琴ー。一目惚れ?」

「…なにかなー。お米の品種のことかなー。」

苦し紛れにボケてみるものの。「あほか。」と一蹴された。

「すごーく目で追ってたのを、しっかりと見たんですけれども?」

そう、あたしは無意識に昼生くんを追っていた。美凪に声をかけられるまでそのことに気付かなかった。

「そうですね!…けど、そういうんじゃないよ。」

「わかってるよ。」

美凪はふふっと笑う。

「まじだったら、もっと動揺するもんね?『ちちちっちちちが…!!』とか言うもんね?」

…ばかにされている。今までそんなことあったっけと記憶をえっさほいさと掘ってみる。

「うーーーん。」と声に出ていたようで、また笑われる。

「とりあえず帰ろうよ。考えながらだと、巫琴歩くの遅いから。」

…ばかにされている。まあいいか、と思い直して家に急いだ。

「ただいまー。」

家の入口ではなくお店の入口から入ると、美味しそうな匂いがふわっと漂ってくる。蒼海に飲食店はたくさんあるけど、その中でもうちの海の家は結構人気なんじゃないかと思う。

「美凪ちゃん、いらっしゃい。」

おばあちゃんが出迎えてくれてにっこり笑う。海水浴のシーズンはまだだから、二十時には閉店する。でも夕方から閉店まではお店は忙しい。仕事帰りのひと、近所のアパートに住んでるひとり暮らしのひと。わざわざうちに晩ごはんを食べにくるご近所さんもいる。

美凪も忙しい時間帯はわかってくれてるから、忙しくなる前の時間帯でうちにくる。

「おばあちゃん、焼きそばいいですかー?」

「はい、わかりました。」

おばあちゃんは返事をすると、調理場に戻って焼きそばを作り始める。時間を待たずして、ソースの香ばしい匂いがテラス席まで届く。

「海渡くん、結構イケメンだったね。」

「美凪ってば、第一声がそれ?」

あたしは呆れて溜め息ひとつ。

「巫琴もそう思うでしょ?」

「まあ、そうかも?」

「髪の毛から、服装まで。上から下まで真っ黒だったねー。あの無愛想な感じだと、あんまり他人と絡もうってタイプじゃないんだろうなあ。」

美凪の考え込むときの癖。あごに人さし指をあてて、昼生くんの分析を始める。美凪は人間観察が趣味の変わり者だ。進路を保育士と決めている美凪だけど、カウンセラーとかいいんじゃないかとあたしは思ってる。

初対面の相手でも、話し方、仕草、表情などからある程度どんな人物なのか、わかるらしい。あたしは、出来ないけど。

「巫琴のことは、結構気になってたっぽいし…。」

「ふえっ!?」

急にあたしの名前を出されて、椅子をがたっと鳴らすくらいに驚いてしまった。

「動揺しすぎ。」

それを見た美凪は笑いをこらえている様子。

「いや、ごめん。普通にびっくりしちゃて…。」

と言い訳をしてみた。

「はい、おまちどおさま。」

おばあちゃんが焼きそばを持ってきてくれた。ふわふわと踊っているかつおぶしが、空腹に拍車をかけてくる。

「あー、いつ頼んでもいい匂い。美味しそ。いただきまーす。」

ちゃんと手を合わせて、美凪は焼きそばを食べ始める。あたしも箸を持って、キャベツをぱくぱくとつまみ食い。

しゃべるときはしゃべりたおすくらいノンストップのくせに、食べるときは食べること以外の動作は完全にストップする美凪とあたし。そのことに気付いたときは、いつでも何回でも笑いそうになる。

「あー!美味しかったー!」

焼きそばをふたりで完食し、席を立ってのびをする。

美凪は財布からお金をだし、お母さんに渡した。

「ごちそうさまでした!あ、先週のアイス代といっしょです。遅くなってすいません。」

「もう、あれほどアイス代はいらないって言ったのに…。ありがたくいただくわね。」

会計を済ませて、美凪は帰路につく。

「今日は付き合わせてごめんね。」

「気にしてない。それより、気をつけて帰りなよー。」

「うん、ありがと。じゃあ明日ね!」

美凪を見送って、お皿洗いを手伝って部屋へ上がる。

なんか、疲れたな。

課題、やらなきゃ。

そう思って、机に課題のプリント諸々を広げる。けど、眠気の方が勝ってしまっている。

ちょっと、寝よう。

ベットへ倒れこんだあたしが意識を手放すまで、さほど時間は要らなかった。



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