第29話 老人X
リタニアス王国を出てから六日が経った。
町を二つ経由した僕らは次の町、カプニアに向かっている。
順当にいけば五日で着くのだが、足止めを喰らっていた。
どうやらこの地方は雨季に入ったようで、一昨日から降り出した雨のおかげでぬかるんだ轍に車輪がハマり立ち往生している。
何度か脱出を試みたが、さらに深みにハマるばかりで体力だけが消耗していった。もうすぐ日が暮れる。
途方に暮れる僕とラウラが荷台で雨宿りをしていると、後方から荷馬車がやってきた。
当然、通せんぼをしているのだから後続も止まるしかない。
ヒヒーンと馬が嘶き、荷馬車が止まる。御者台から降りてきたのは、麦わら帽子をかぶった小柄な老人だ。こっちに向かって歩いてくる。
荷台で雨宿りしている僕らを睨んでいる。
雨宿りなんかしてないで早くどきやがれ、と文句のひとつでも言われるかと思っていたら老人は、「俺の馬を貸してやる」とぶっきらぼうに言ってきた。
返事も聞かずに老人は、自分の荷馬車から馬の留め具を外し始めた。
かなりせっかちな性格のようだ。ここはありがたく厚意に預かることにしよう。
老人は手際よく荷馬車を二馬力にすると、
「合図を出したらお前らは後ろから荷馬車を押せ」
ぶっきらぼう棒に言って轍にハマった車輪の下に、厚みのある木板を差し込んだ。
僕とラウラは言われるがまま配置に付く。
二頭の馬が嘶き、
「今だ! 押せ!」
老人の声と同時に足に力を込めて馬車を押す。
「ふんぬぅッ!」
ガコンと車輪が回転して板の上に乗り上げた。成功だ。
「ありがとうございました」
馬の金具を付け直している老人に礼を言うと、
「どのみち、お前らがどかねぇと家に帰れないからな」
愛想の欠片もない。なんとも淡白な老人だ。
「お前ら、宿は決まっているのか?」
「いえ、まだカプニアの町までは距離があるので荷台で夜を明かそうかと思っています」
「この先に俺の家がある」
彼は言った。
〝光あれ〟と神が言うように、彼は言った。
たったそれだけだ。どういう意味なのだろうと僕は首をひねる。
良かったら雨宿りしていってね! そういった意味なのか?
それとも、どうだ羨ましいか! とでも言いたいのか?
だからなんだ、とはさすがに言えず、「……そ、そうなんですか」と相槌を打つ。
「お前は俺の荷馬車に乗って後からついてこい」
「え?」
返事を聞く前に老人は僕の荷馬車に向かって歩いていった。
◇◇◇
「湯を沸かしたぞ」
老人は白い湯気が立ち昇る桶を扉脇に置いていった。
ぱたりと扉が閉まり、僕とラウラの間にしばしの沈黙が訪れる。
僕らは今、老人の家にいる。言われるがまま老人に付いていって案内された先は、ベッドが一つだけの殺風景な部屋だった。
ここまでなんの説明もない。
お湯はこれで体を拭けという意味で間違いない。
おそらくたぶん、おおむねそこそこどうやら「今夜は泊っていけ」って解釈してオッケー……だよね?
「……」
さっきからラウラが口を開かない。ここ数日、二人きりで密室に入った途端に彼女はしゃべらなくなってしまう。
「僕は体拭いたからラウラが使えよ、ちょっとあのおじいさんと話してくる」
こくりと彼女がうなずくのを確認して僕は部屋を出た。
気まずい……。
ラウラを押し倒したあの夜以来気まずいのだ。
その場の勢いだったことは認める。だが、僕は本気で彼女を抱くつもりだった。それが無様にも挿入する前に日和ってしまうなんて……。
アノ日は、朝になって思い出してめちゃ恥ずかしかった。
それはラウラも同じだったようで、「昨日の私はどうかしていた。忘れてくれ」と目を逸らしながら言われてしまった。
そんなこと言うなよセニョリータ……。
まあ、いいさ。ヤツはオレの奴隷なんだからヤろうと思えばいつでもヤれるんだぜ、ゲヘヘ――、なんてゲスいことを考えながら部屋の扉を閉めた。