第23話 ホライゾン
大聖堂の最上階、王の居室かと見間違えるほど贅の限りを尽くした豪奢な調度品の数々で溢れていた。
天蓋付きの大きなベッドに寝そべるのは、豚みたいに丸々と太った大神官だ。
そして、年端も行かない裸の少年たちを同じベッドに侍らしている。
汚物みたいな聖職者だ。これなら僕の良心は痛むことなく心置きなくやれそうだ。
「どうもこんばんは、お邪魔します」と挨拶しながらいびきをかいて寝ている大神官に近づいていく。
「……うーん?」
大神官は眼をこすり、樽のようなお腹を鏡餅みたいにさせて起き上がった。
「ぬぅー? なんだ貴様は? んー? ラウラ殿ではないか、こんな夜分にいかがされましたかな?」
ラウラは姿勢を正して大神官に浅く頭を下げた。
僕はずいっと彼女の前に出て大神官の視界に自分の姿を割り込ませる。
「はじめまして、大神官さま、僕はエリテマの町から異端者としてやってきた者です」
「ぬぅ? エリテマの異端者だと? ああ、報告にあったな……。牢屋にぶち込んだはずではなかったのか? ラウラ殿、これはどういうことかね?」
「そ、それは……」
大神官に問われ、ラウラは逃げるように視線を逸らした。
「まさか逃がしたのではあるまいな?」
疑いの眼差しにラウラは首を振る。
「断じてそのようなことは、あ、ありません」
彼女は僕と大神官、双方の機嫌を損ねまいと言葉を慎重に選んでいる。
「含みがあるような口調ですぞ……。それで、無礼にも私の寝室に勝手に入ってきた上に異端者がなんの用か?」
「はい、大神官さま。僕の異端認定を取り消してください」
キョトンと目を丸めた後、ぶははっと大神官は大声で笑い始めた。
しかし笑っていたのも束の間、彼はピタリと笑うのを止めた。哀れな信徒を慈しむような微笑で顔を固定したままラウラを見つめる。
「ラウラ殿、今回のことは見なかったことにします。この者を牢屋に連れ戻して即刻首を跳ねなさい」
そう言って彼は僕を指さした。
口調は丁寧だが、眼の色ではらわたが煮えくり返っているのが良く分かる。
無礼にも僕を指さす大神官の人差し指を魔法で消失させた。
ぶしゅっと血が噴き出した直後、大神官はギョッと目を見開かせ、「ひぃっ!」と情けない悲鳴をあげる。
「僕が話しているんだ、聞けよ」
「わ、私の指ぎゃッ!」
「ラウラ、この子供たちを保護して安全な場所に連れていくんだ」
こくりとうなずき、ラウラは子供たちを自分の方へと呼び寄せた。子供たちを連れて部屋を出ていく。
「許さんぞ! 許さんぞ! 私を誰だと思っている! 世界の軸たる枢機教会の大神官であるぞ! おいッ! 誰かおらんのか! 誰でもよい! 今すぐこやつを殺せ!!」
怒り狂った大神官の口角から唾が迸る。
人の話を聞けといったばかりなのに。
人間、偉くなればなるほど人の話を聞かなくなるもんだな。口で解らなければ体で解らせるだけだ。
今度は親指を転移される。
「ぎゃあ!」
「叫ぶな、黙れ、殺すぞ」
「ぬぐぅ……」
大神官はなくなった指先を抑えて僕を睨み付けた。だが、彼の眼は怒りよりも恐怖が勝っている。
「もう一度だけ言う。僕の異端認定を取り消せ。あんたなら簡単にできるだろ?」
「わかった! わかったからもうやめてくれ! 異端の罪を取り消す! お前のことなど知らん! だから早く出て行け!」
「いや、まだ用は終わっていない」
「にゃにぃッ!?」
「僕は小さな子供を食い物にするような腐ったヤツが大嫌いなんだ。お前に神の代理を名乗る資格はない」
僕はゆっくりとベッドに近づいていく。
「な、なにをする気だ……やめろ、近づくな……」
怯えきった目で首を振る男の前に立ち、僕は告げた。
「『大地は丸いです』と言え」
「ば、ばかな! それだけはできない! そんなこと口にしたら――」
拒否した瞬間、中指を転移させた。
「うぎゃ!」
「言え」
「できない!」
今度は小指が転移する。
「んぎゃッ! やめてくれ! どうしてもだ! どうしてもそれだけは言えぬのだ!」
「そうかい? じゃあじっくり時間を使うとするか、指はまだ残っているんだ。手の指が全部なくなっても足の指がある。それがなくなったら目ん玉だ。その次は耳かな。なにを怯えているんだ? あんたらもこうやって罪のない人たちを拷問してきたんだろ? 彼らが受けてきた苦痛をしっかり味わえよ」
大神官は奥歯をカタカタと震わせた。
「言う! 言うから! 大地は丸い!」
「もう一度だ」
「大地は丸い!」
「大地は太陽の周りを?」
「周っている!」
ぱん、と僕は手を打った。
「はい、よくできましたっと」
大神官はもはや茫然自失だ。あへあへと変な呼吸をしながら涎を垂らしている。
「あ、それから最後にもうひとつだけ」
「ま、まだあるのか!?」
「いやぁ、悪いね。でも本当にこれが最後だからさ」
守らなかった場合はお前を殺す、そう脅してから僕は大神官にとある指令を与えた。
◇◇◇
――翌日、
早朝から大聖堂前の祈りの広場では王都の民衆が集まっていた。
週に一度のこの時間、大聖堂のバルコニーから信者に向けて、大神官によるありがたいお言葉が語られる。
熱心な信者たちがその時を待ち構えていた。
大聖堂のバルコニーに、金糸をふんだんに用いた祭服をまとった大神官が姿を現すと、信者たちは一斉に手を合わせて祈りを捧げ始める。
大神官は手を上げてそれに応え、静まり返った信者たちは神の代理である大神官の御言葉に耳を傾けた。
「私はリタニアス城の一番高い場所から世界を見下ろしたことがある」
大神官は静かに語り始めた。
なんてことのない言葉に信者たちは「おおっ」と感嘆の息を漏らす。
「そこからは霊峰クレバルの雪に覆われた雄大な山頂が見えたのだ」
またしても信者たちは口々に感嘆の声を上げる。
「しかし私が今いるここからではクレバルを見ることはできない。それはなぜか? それはリタニアス城よりもこの場所が低いからだ」
信者たちは静まり返った。
誰もが大神官が紡ぐ言葉、その真意を探っている。
「それは大地が丸いという証拠である」
静寂、世界が停止したかと思われた。
信者たちは、いったい何が起こっているのか理解できずにポカンとした顔で大神官を見上げている。
そんな彼らに大神官は繰り返す。
「大地は丸い、この世界は球体なのだ!」
どよめきが巻き起こる。大神官の乱心に嗚咽をあげて泣き出す者もいた。
「これは揺るがない真実である! そしてこの大地は太陽の周りを周っている!」
ざわめきは次第に大きくなっていく。
大神官は笑い始めた。狂気の笑いだ。
気がふれてしまったかのように、涙を流しながら声をあげていつまでも笑い続ける。
偉大なる父として尊敬し、崇め、奉っていた大神官の変わり果てた姿に信者たちは悲しみ、嘆き、救いを求めて祈り始めた。
それが大神官のための祈りなのか、自分自身を救うためなのかは分からない。