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「何もないですけど、どうぞ」
「ありがとう」
僕は魔女先輩にお菓子とジュースをお出しする。
まさか、魔女先輩が僕の家に来るだなんて。お、お部屋掃除とか飼っているペットのサボテンくん(飼い猫)のお手入れとかしておくべきだっただろうか。やばい。緊張して視界が揺らいできた。
僕はソワソワとした気持ちで時を過ごす。
「鈴陽くんは」
「は、はい」
「何かしたいことある?」
「あ、あ、あ、あ、え、えっとぉ……」
訊かれて、僕はキョドる。挙動が明らかに不審者のそれであるのだが、自分の意思に反してこんな行動をとっていた。
僕の脳内イメージトレーニングでは、スマートに動いてスパスパと魔女先輩の問いにも答えて、魔女先輩を楽しませる会話もできるはずなんだけど……やはり所詮はイメージ。自分の頭の中で思い描いている自画像はイケメンすぎた。キリッとしすぎている。そうか、現実と理想がかけ離れすぎて思い通りに行動することができないんだ。
僕は自然とショボついた表情になっていた。
「空が……」
「空?」
「空が見たいです……」
僕はよくわからないことを口走っていた。
おそらく、自分の気持ちを落ち着かせたくてそんな言葉が出たのだろうが、自分の考えていることを知らない人から見てしまえば、変なことを言っているようにしか見えない。
「わかったわ。じゃあ、鈴陽くん。乗って!」
「は、はい。……えっ? 『乗って』って!?」
僕は頬を赤く染めて魔女先輩の方を見る。
『乗って』とはどういうことだろう!? あ、あ、あの、魔女先輩! ぼ、僕にはまだ、そのぉ、心の準備というか、それというか、なんというか、何かいろいろができていません!
僕は疚しい想像をしながら、狼狽をする。
「これこれ。これに、乗って?」
魔女先輩が指の先から何か煙のようなものを発すると、次の瞬間、僕たちの目の前に箒が現れた。
「あっ、箒……」
僕はだいぶ頭が真っピンクなことを想像していただけに、思わず、そんな風に言葉が口から漏れていた。
「一緒に乗ろう!」
ガラッと窓を開けて、魔女先輩は元気よく言う。
「えっと、じゃあ失礼して……」
僕は他人行儀な感じになっていた。
「あっ、前の席譲るよ」
魔女先輩に促されて、僕は箒の前の方……柄の前の部分に跨がる。うんしょっと。これで、いいのかな?
「うんうん、じゃあお空を飛ぼう?」
魔女先輩は、僕のことをハグするような体勢をとりながら僕の耳もとで囁いていた。僕の身体に魔女先輩の胸が押し当たる。
うっ、まずい。ああ、でも……なんか良い! あっ、でも、こんなふしだらなことを思って魔女先輩に嫌われでもしてしまったら。
それだけは避けなければ。避けなければならない。
僕は僕の中にあるエクスタシー感をなんとか抑えると、前だけ見ることを心がけるようにする。
前だ。前だけを見れば、きっと、何も疚しい感情など出てこないはずさ。
「じゃあ、箒を浮かせるね」
魔女先輩がパチンと指を鳴らすと、瞬間、箒が宙に浮き、今にも飛びそうな状態になる。
えっ、すごい。すごい、すごい、すごい、すごい。ど、どういう仕組みなんだろう。科学の力ではたぶん説明できない何かすごい力が働いていることだけはわかるのだけれど。
僕は先程の興奮がまたべつのニュアンスの興奮に変わって、少しワクワクとした気持ちになっていた。
「発進させるね」
「は、はい」
魔女先輩の合図とともに、箒は僕たちを乗せて空の世界へ飛び立っていく。僕らの住む街が今、視界の下側に広がっていた。
「うわぁ! 本当にお空を飛んでる!」
「でしょ、でしょ」
僕が興奮しながら言うと、魔女先輩は自身の胸を僕の身体に密着させてくる。
あわあわあわわわわわ。冷静に。冷静に。考えない。考えない。僕は鳥。僕は鳥。僕は悪い鳥じゃないトリー。
と、こんな感じの思考をしていたので、僕はどうやら壊れてしまったようである。
「あっ、温まってきたみたい」
「ん?」
「ここから、ジェットスピードになるから、振り落とされないようにしっかりと掴まっててね?」
「えっ、はい……ゴゴゴゴむぐむぐむぐむぐヌヌヌヌヌヌヌヌヌあばばばばばばばばばばばばばばぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!?」
急に箒が超加速して、僕の開いていた口がぶるぶると振動していき、とても見せられないような姿へと変貌していっているような気がした。
「速いでしょう?」
「ばびばびびびびびびび……は、はい……」
僕は魔女先輩に訊かれて、なんとか返事をすることができた。
それにしても魔女先輩、こんな状態でも話せるなんてすごいなぁ。僕なんて、もう何語を話しているのかわからないレベルの状態なのだけれど。
僕は箒に振り落とされないようにしっかりと柄を持ちながら、感嘆とした調子で思っていた。
「うふふふ。やっぱり、お空を飛ぶのは気持ち良いわねぇ」
「ぞ、ぞうでずね」
こんな状況下でも、魔女先輩はおっとりと微笑みを浮かべている。おまけに、優雅にお茶セットを何処からか取り出して、ホットハチミツティーの味わいを堪能していた。
ま、魔女先輩。す、すごいや。そんな、いつもおっとりして和やかにさせてくれたり元気づけてくれたりする魔女先輩のことが、僕は好きなんだ!
僕は内に秘めていた感情を身体中で爆発させて、声には出さずにお空の中心で叫んでいた。
「どう? ご満足いただけたかしら?」
「は、はい。お空って気持ち良いですね」
僕はまるで車酔いか船酔いでもしたかのような吐きそうな気分になりながら、魔女先輩の問いに答える。
そうか、箒が自由自在に動き回り、それも超絶加速の超絶スピードで細かい動作をしていったから。だから、こんなにも気分が優れないというか……吐きそうな感じになっているんだ。おろろろろろろろろろ。
僕は吐きそうになっているのを既のところで抑えながら、もし魔女先輩と付き合うことができたのならば、三半規管を鍛えなければならないかもしれないな、としみじみと思っていた。
「じゃあ、戻りましょうか」
「ええ、そうですね……」
僕はもう死体のようにだらんとしながら、魔女先輩の言葉にただ返すことしかできないでいた。
「ねえ、知ってる?」
「な、なんでしょう?」
「実はね……飛んでいる間にもおまじないを掛けていたんだけれど……気づいた?」
家に戻ると魔女先輩が上目遣いをして僕に訊いてくる。
えっ、それは初耳だ。し、し、しまったぁー! ま、魔女先輩がおまじないしてくれているところを見逃してしまったぁー!
と、僕は心の中で叫ぶように後悔していた。
「ご、ごめんなさい……き、気がつきませんでした……」
「あ、ううん。気にしないで。ふふっ」
「す、すみません……」
「むしろ、気づかれなくて良かった……」
「…………?」
魔女先輩が何か言ったような気がしたのだが、上手く聞き取ることができなかった。訊ねてみた方が良いだろうか?
「あ、あのぉ……」
「なあに?」
ドキリッ。
振り向き美人、という言葉があるけれど、魔女先輩は美人すぎて、僕はやはりドキドキとしてしまう。
ま、魔女先輩と、ぼ、僕はいちゃいちゃしたい……。
「いえ、なんでもないです」
僕は咄嗟にそう言っていた。
た、訊ねる勇気が出てきたら後で訊いてみるか、それかもう聞こえなかったままにしておこう。
「鈴陽くん。実はゲームがしたかったんでしょ~」
魔女先輩が前方にあるゲーム機を指差して、僕に言う。
魔女先輩となら、なんだってしたい。
「や、やります?」
「うん、一緒に」
魔女先輩と一緒にゲームを始める。
「これ、やろう」
魔女先輩が手にしたのはつい最近発売したばかりのレースゲームだった。僕はまだ買って二回三回くらいしかやっていない。
「やりましょう」
ゲーム機を起動させて、お互いにコントローラーを持つ。
「手加減無用だからね?」
魔女先輩に言われ、僕はコクリと頷いていた。
まもなくレースが始まる。このゲーム、結構スタートダッシュを決められるか決められないかが鍵となってくる。だから、勝つにはスタートダッシュを決めた方が良いのだが……どうしよう。大人げなく魔女先輩に勝ってしまったら嫌だし、かといって手加減無用だと言われている手前で手加減するというのもなんだか悪い気がする。
ぼ、僕はどっちを選択すれば。
そんな思いも、すぐにどっかへ行ってしまうことになるのだった。
「ふふーん。一位~!」
は、速い!
画面を見ると、魔女先輩が圧倒的大差で一位であることがわかる。
えっ、そこのショートカット知っているの!? そこの、カーブの仕方も!? 妨害アイテムをアイテムで防ぐ技も上手い!?
僕は驚くばかりで、どんどん魔女先輩との差が開けられていく。まるで、現実の僕と魔女先輩との差のように。
「よ、よしっ」
こうなったら、本気でぶつかり合うしかない。
僕は気持ちを切り替えて次のレースに臨むと、今度は冷静に判断をしながら、要所要所でコース内側ギリギリでドリフトしたり、ショートカットをしてみたりといろいろと試してみる。今度は魔女先輩との差が結構小さい。
「こ、今度こそは勝ちますよ!」
「臨むところだね」
魔女先輩は余裕そうな表情を浮かべて、僕の妨害アイテムをひょいひょいと躱していく。上手い。アッパレだ。
「よし、いける。ここで、こうすれば……」
「あっ、それは」
僕は紛れでスピードアップアイテムが出たために、そのアイテムを使う。このコースはスピードアップアイテムがあることが前提でショートカットできる場所が用意されている。
「よーしっ!」
ショートカット成功。あとは、邪魔さえされなければもうゴールなのだが……。
「おかえり~鈴くん~」
部屋のドアが開かれ、僕と魔女先輩はそっちの方を見る。僕はまるで修羅場に居合わせた二股男のような顔をしながら、相手を見ていた。
「お、お姉ちゃん……」
夢実姉は僕が魔女先輩といるところを見るなり、表情を一瞬にして曇らせて、魔女先輩のことを冷ややかな目で見下ろしていた。夢実姉の目に光はなかった。