~魅生~
はい、いつもの病です。思い付いたら書いてしまう悪癖発症。
またもや一日仕事の読み切りです。
御笑覧下さい♪
月夜に翔ぶ者がいる。
月夜に疾る者がいる。
蒼い魔力に導かれ、月夜に蠢く者達を。
《夜の一族》と人間は呼ぶ。
「.....誰?」
人気のない夕方。
仕事帰りの女性は、何かの気配を察して、恐る恐る振り返った。
日本は世界でも有数の治安を誇る国である。でも最近、連続して怪しい事件が起きていた。
手足をもがれ、胴体だけで発見される惨殺死体。
当局が必死に捜査をしているが、未だに手がかりはないらしい。
物騒だとは思うが、仕事を欠勤する訳にはいかないし、何のかんのとそういった被害者になるという意識も彼女は薄い。
平和な国で暮らす者が陥りやすい罠だった。
他の被害者らも、きっと同じ事を思っただろう。
自分が事件に巻き込まれる訳はないと。何の根拠もなく、蒙昧に、漠然と、そう考えたに違いない。
犯人に四肢をもがれるまで。
まるで人形のように、あっさりとへし折られ捩切られ、命尽きるその瞬間まで、こんな事はありえないと思っていたことだろう。
この彼女も数時間後には無残な被害者となる。今までの被害者の中で、一番無残な遺体と成り果てる。
「んだあぁぁっっ! また、やらかしてくれたよっ!」
街外れの瀟洒な一軒家。
そこで怒号を上げる少女に、同居している男性は溜め息をつく。
彼女は見ていた新聞をグシャリと丸めて、思い切り床に叩きつけた。
叩きつけられ哀れに転がった新聞を拾い上げ、男性はソレを再び広げる。
そこには最近世間を騒がせている連続人食い事件の速報が載っていた。
「まだ、俺、読んでないのに丸めんなよ」
最近はネットや電子化の進む御時世だが、こういったモノは、やはり紙に限ると、昨今には珍しく新聞をとる二人。
その紙面に眼を走らせながら、男性は芳醇な香りを燻らせつつ、コーヒーをすすった。
「内臓食い散らかして、四肢をもぐか。どう見ても《夜の一族》の仕業だな。人狼か人虎か」
「んな事ぁ見れば分かるよっ、どこの馬鹿野郎様だっ、爺様らの苦労を台無しにしてる奴等はっ!!」
激昂し、眼を見開く少女の名前は魅生。
《夜の一族》筆頭と言われる吸血鬼族の一人である。
銀にも近い金髪に灰蒼な瞳は、その血統の正しさを物語る高貴な色だった。
だがその見事な金髪を、結えないほど短く切り揃え、貴族の端くれとも思えぬぞんざいな口調。
血筋は高貴であれど、彼女自身は庶民育ち。
親族である今の家に引き取られるまで、彼女は教育も受けられず、城の地下室に閉じ込められていた経緯がある。
唯一、彼女に近しかったのは乳母で、乳母は庶民の出。当然、教えられるのも庶民の常識で、彼女には貴族という意識が薄かった。
そんな彼女は憤りを隠すことも出来ず、怒りも顕に右手の親指を噛む。
素直な少女の反応に苦笑し、コーヒーをすする男性。こちらも見事な金髪碧眼。
背の中程まで伸ばした髪を軽く一つ結わきにした彼の名前はリカルド。
魅生を引き取った親族の息子で、今は仕事の関係から彼女と同居している。
時を遡ること二百年ほど前。
西暦××21年。
人類は未曾有の危機に陥っていた。
度重なる自然破壊や、環境汚染。その汚濁となった大地は、遺伝子レベルで人類に牙を剥いた。
奇形や障害児が続出し、健常に生まれるのは全体の数パーセント。
少子化傾向にトドメを入れるような事態に、世界は震撼し戦いた。
原因の解明も捗らず、このままでは種の存続すら危ぶまれた、その時。
吸血鬼族を筆頭とする《夜の一族》が和解と手助けを申し出てきたのだ。
今まで伝説の生き物だと思われていた怪物らの登場に、戦慄を隠せない人類だったが、その穏やかな物腰と、彼等のもたらしたワクチンに眼を見張る。
そのワクチンは彼等が独自に研究開発したモノで、《夜の一族》特有の再生力を促進させる薬品だった。
《夜の一族》と呼ばれる怪物達には驚異的な復元力を持つ種がいる。
それらから抽出した脊髄液を元に、人間にも効果のあるワクチンの開発に成功したのだと言う。
これを提供する代わりに、《夜の一族》へ必要な人体を供給して欲しいと、彼等は持ちかけてきた。
技術や開発が、目まぐるしく発達した昨今、闇に潜み、隠れ棲むのも限界だと。
出来うるなら、市民権を得て街に住みたいと。
だが、《夜の一族》の中には、人体を糧として必要とする者もいる。それらに、必要な糧を提供して欲しいと、吸血鬼族の長は人間らに訴えた。
人道的に有りうべからぬ事だ。しかし、今は人類という種が絶滅の危機にある。
試験的にワクチンの投与をし、その絶大な効果を目の当たりにした人類は、《夜の一族》に膝を屈した。
遺伝子レベルのはずな障害が、みるみる復元し、枯れ木のような姿で横たわっていた患者が自力で起き上がる。
そして、自ら点滴や生命維持装置のカテーテルを外して笑ったのだ。
「身体が動く.... 苦しくも痛くもない。神様..... 感謝しますっ」
泣き笑いのように顔をくしゃくしゃにして、両手を合わせる患者を、医者らは複雑な面持ちで見つめた。
このワクチンは、その対極にいる人外がもたらしたモノなのだが。
口にせずとも眼だけで会話する医者らは、賢明にもその事実を口の端に上らせることはなかった。
妊婦に投与すれば、胎児にも効果があり、まるで万能薬のごときワクチンに、各国は飛び付いた。
結果、人類と《夜の一族》の間に和平が結ばれ、隠れ潜んで、人間らに紛れ込んでいた闇の生き物達に平穏が訪れたのだ。
人間でなくても糧を得る事は出来る。通常の食事で暮らせる者も多い。
どうしても人体や血液などが必要な者には、人類側が提供してくれる。
こうして、穏やかに《夜の一族》は人間社会に溶け込んでいった。
しかし中には本能に抗えず、人を襲う馬鹿野郎様も存在する。
人間側は、そういった人外のために庭を用意してくれていた。
死刑、終身刑。名前は変われど、重罪を犯した犯罪者を放った庭を。
本能の赴くままに狩りを行えるそこは、月夜の庭園と呼ばれ、人里離れた原生林に存在していた。
申請を入れれば誰でも使える政府公認の狩り場。だが、全世界に用意された狩り場があるにも関わらず、一般人を襲う輩もいる。
和平を結んだ吸血鬼族らに敵愾心を抱き、野生の赴くままに人を襲う奴等をキャリアーと呼び、それを始末する者らをハンターと呼ぶ。
同族の犯した犯罪は、同族が始末をつける。上位種である吸血鬼族が、その任を担い、《夜の一族》の犯行は月夜に起きる事が多いため、それを狩るハンターらを、月夜の狩人と人は呼んだ。
冒頭の二人は、そんなハンターだった。
だからこそ、連日世間を騒がせている連続人食い事件に神経を尖らせている。
せっかくの和平が水泡に帰しかねない重大事件。犯人は、ハンターを嘲笑うかのように、メインストリートで犯行を繰り返していた。
ギリギリと爪を噛む少女に溜め息をつき、リカルドはリモコンでテレビをつける。
『.....で、再び惨殺死体が発見され、当局は月夜の狩人の出遅れを指摘し.....』
「あ」
間の悪いニュース。
リカルドが消すより早く、魅生はギンっとテレビを睨めつけて、力の限り絶叫した。
「どぉーっこの馬鹿野郎様だぁぁぁっ!!」
「どうどうどうっ」
コーヒーのカップをテレビに向けて振りかぶる魅生を慌てて羽交い締めにし、リカルドは宥めるように、その手からカップを取り上げる。
「出遅れてるのは本当の事だし、仕方無いだろ?」
癇癪を起こす魅生も可愛い。
そんな益体もない事を考えつつ、彼は腕の中の細く柔らかい身体を、揉むように撫でた。
すりすりと彼女の頭に頬を寄せながら、至福の笑みを浮かべる男性。
抱き締めるリカルドの手に不穏な動きを感じ、魅生はじっとりと眼を据わらせた。
「どさくさに紛れて何やってんだ?」
「え? 役得かなぁって♪」
「阿保ぅがーっ!!」
へらへら笑うリカルドの前で、魅生の両耳がピョコンっと伸びる。
げっ、やばっ!
思うが早いか、仰け反った彼の正面を何かが一閃し、次の瞬間、ぶわっと生暖かい鮮血が迸った。
ボタボタと血をたらす三本爪の傷口。
「おまえーっ、本気でやるかっ?!」
「おうよ、いつでも沈めたるわ」
目の前には半獣化した魅惑的な美女。
両耳が長く伸びて、右半身を毛皮に包み、その指先には鮮血の滴る鋭利な爪。
あまりの妖艶な姿に思わず固唾を呑み、リカルドは邪に滾る己の下半身を心の中で毒づいた。
普段は可愛らしい少女のくせに、獣人化した彼女は、揺らめく長い髪の豊満な美女になる。これは人狼族の特徴だった。
彼等は獣人化すると、一時的に成体となる。でないと、強化された凄まじい筋力に未発達の幼体が耐えられないからだ。
つまり今の美しい美貌の女性は、未来の彼女の姿なのだった。
彼女は、吸血鬼族と人狼族の間に生まれた混血。この事実が、長く彼女を城に監禁させた理由である。
異種族間交配は、稀に著しい突然変異を起こす事があり、それゆえ禁忌とされるのだが、彼女の両親はそれと知らずに出逢い、子供を作ってしまった。
事実を知り、一家は隠れ逃げ回ったあげく両親二人は殺され、子供らの命も風前の灯なはずだったが、そこでリカルドの祖父が待ったをかけた。
なんと母親の方が、リカルドの祖父の娘だというではないか。
つまり、リカルドの父親の妹。
祖父が戯れに手をつけた侍女の子供だったらしい。その侍女は秘密裏に子供を産み、亡くなったのだという。
祖父の孫であるなら、血統的に尊重されなくてはならない。
結果、城の地下に幽閉し、狂気の突然変異ではないか、長く観察されていたのだ。
百年近く幽閉され、ようやく日の目を見たのが数十年前。
能力的には吸血鬼族と人狼族の良いとこどりで規格外な力があるが、人格破綻もなく、月夜の狂気にも溺れない。
キチンとした思慮分別もあり、安全と判断され、吸血鬼族の末席に加わった。
そして祖父の後継者に指名される。
吸血鬼族は、その実力が全てだ。
力ある者が次代となる。二種の特性で規格外な能力を持ち、正しく祖父の血を引く彼女は、問答無用で一族の枠に押し込まれた。
当然のように婚約者もあてがわれ、その筆頭がリカルドである。
他にも候補者はいるが、リカルドの家に引き取られ貴族としての教育を受けた彼女は、兄のようにリカルドを慕っており、今のところ変更の予定はない。
「ったく。アタシをこます気なら命懸けろよな」
しゅるんと変化をとき、忌々しげな眼差しをぶつけてくる婚約者に、リカルドは絶叫した。
「指輪つけて求婚したろーがっ、無かった事にするなっ!」
「んー? 何の話かなぁ?」
既に癒えている傷痕の血糊を拭き取るリカルドは、涙目で可愛い婚約者を睨み付ける。
これも惚れた弱みか。恋の駆け引きは、より情を寄せた者が負けるのだ。
それを知る少女は容赦がない。
リカルドが何でも許してくれるのを理解しているので、傍若無人なこと、この上なかった。
それすらも可愛く見えてしまうリカルドも末期なのだが。
恋愛からは程遠そうな、血生臭い二人のやり取り。リカルドの片思いな茶番劇。
そんな二人を、据えた眼差しで、じっと見つめる者がいた。
「あんたら、なに物騒なやり取りしてんのよ。リカルド、あんたマゾ?」
呆れたような呟きに反応し、反射的に振り返った二人の視界には一人の美丈夫。
こちらも金髪碧眼。一見して高位の貴族と見てとれる容貌だが、リカルドに比べて線の細い男性だった。
そんな彼に、魅生は驚いたような顔を向ける。
「ジェシー、いつ来たのさ?」
「たった今よ。急いで来たから喉渇いちゃった。お茶もらえる?」
「いや、待て。その前に、お前どこから入った? 呼び鈴、鳴ってないよな?」
二人の住む邸は見掛けは瀟洒な一軒家だが、内部は最新設備。セキュリティも万全で、猫の子一匹、入り込む隙はない邸である。
なのに、このジェシーという男、毎度毎度、ズカズカと屋内に無断で入ってきていた。
胡乱げな眼差しを向けるリカルドに、ひらひらと手を振り、ジェシーはシャギーの入った長い前髪を掻き上げる。
流石は貴族。そんな些細な仕草も蠱惑的で、一瞬、二人の眼が奪われた。
ジェシーは、クスクスとさも楽しそうに笑う。
「んもぅ、男が細かいことに拘るんじゃないわよ。ミルクティーちょうだい。アイスで氷少なめね」
横を通った家政婦ロボットに御茶を頼み、ジェシーは持ってきた封筒をバサッとテーブルに広げた。
そこには被害者や現場の写真、他にも事細かな鑑識結果が記されている。
「今回、内臓やってたでしょ? 唾液が検出されたのよね」
「マジでっ?」
「それは....っ」
思わず顔を見合わせるハンターの二人。
少子化からこちら、減少の一途を辿る人類は、《夜の一族》と和解するにあたり、苦肉の策としてDNA登録を法的に定めた。
第一子制をもうけ、《夜の一族》が不特定多数の子供を作る事は犯罪とされる。
もちろん、人頭税的な抜け道もあり、多額の税金を払えば問題もない。
《夜の一族》であれど、キチンと登録してあるのなら、市民権を得られるのだ。
「DNAで一発じゃん、やったね」
喜色満面の笑顔で書類を取り上げる魅生を一瞥し、ジェシーは軽く眼をすがめる。
その眼は仄暗く、事態は好転していないのだと二人に伝えた。
「それがねー。登録されてないのよねー」
「...げっ」
一転して顔面蒼白。思わず魅生は手にしていた書類を取り落とす。
ぱさささっと音をたてて落ちた紙束を、リカルドが器用に受け止めた。
「それって.......」
「そう、第一級犯罪の当事者って事」
DNA登録がされていない。
これは《夜の一族》にとって、背信、叛逆にも等しい罪だった。
人類との絆に致命的なヒビを入れかねない行為だ。
しかも、DNA登録がされていないと言う事は、人の定めた法が適用されない。
つまり、犯人が人を食い殺していても、法的に裁けない事を意味している。
「どないせぇっちゅーんじゃーっ!」
思わず頭を抱えて懊悩煩悶する魅生に、ジェシーはあっけらかんと答えた。
「始末をつけるだけでしょー? 逆に考えなさいよ。奴に法が適用出来ないなら、アタシらが奴に何をしても法には触れない」
あっ、とばかりに顔を見合わせる魅生とリカルド。
二人の目の前で、ジェシーは家政婦ロボットからアイスティーのグラスを受け取っていた。
ちゅーとストローをすすり、ぷはっと息をつくと、彼はニンマリほくそ笑む。
その顔は、何か悪巧みをする悪童そのものである。
「若いくせに頭が固いわねぇ。世の中、成るように為るものなんだから、気楽に行きなさい。相手が市民権も持たない野良ならば、害獣駆除と同じよ」
「いや、お前はもう少し考えろ。取り敢えず、不法侵入は止めろ」
どうやってるのか知らないが、自由に他人の自宅へズカズカ入り込まれては、安心して目の前の婚約者とイチャつけないではないか。
じっとり藪睨みするリカルドを平然と流し、ジェシーは事件の話を続ける。
「ぶっちゃけ、世論も限界だわ。すでに四人やられてるしね。月夜の狩人に不信感も高まってる。ここらで幕を閉じないとね」
それはそうだろう。
真剣な面持ちで頷き合う二人。
「これね。犯人の行動パターン。どうも、週一の頻度で狩りをしてるわね。これ、ガチ捕食のパターンよ。この通りなら、明日か明後日に、また犯行が起きるわ」
三人は書類を広げ、その詳細を確認した。
「何としても捕らえなさい。無理そうなら処分でも構わないわ。月夜の狩人の名誉挽回よ」
剣呑な眼差しで呟くジェシーに、魅生とリカルドは大きく頷いた。
「ああ、今日は満月か」
「だな」
真円を描く月を見上げ、二人はパトロールを再開する。
例の連続殺人犯は、街のメインストリートを中心に犯行を行っていた。
外出自粛を警察などが叫んでいるが、生活のためにせざるをえない外出などもある。
そんな人々の間隙をつき、凄惨な犯行が行われていた。
「今回も、他にハンターが出ばってる。奴等は容赦ないからな。出来るだけ俺達が確保するぞ」
「了解」
リカルドの言葉に頷き、魅生は半獣化する。
両耳が伸び、大きく開いたそれは、人間の耳には拾えない音を探していた。
ハンターらは縄張りがあり、基本、エリア同士の越境はしない。
しかし今回は、そのエリア同士の境になるメインストリートでの犯行だ。
現場が複数となり、当然、自身の縄張りで事件を起こされたハンターらが、それぞれのエリアを越境して血眼に捜査を行っていた。
本当に..... 犯人は何を考えて、こんな騒動を起こしたのか。
ハンターは各上位種から、とびっきりの腕利きが選出される。
種族の中には、狂暴で、合法な狩りを楽しむためにハンターになる者もいた。
そんな輩に見つかったら、犯人は細切れの肉片と化すだろう。
どんな犯罪であろうとキチンとした法の手に委ねるべきだ。魅生はそう思っている。
だが今回は、そもそも犯人に人権がない。
未登録の害獣扱い。
こんな絶好のシチュエーション。血に飢えたハンターどもが、目の色を変えて追い回しても仕方が無いことだった。
静かに空気の動きを追っていた魅生の耳に、ふと静電気のようなモノが走る。
それは一瞬で大きく動き、戦慄を伴う甲高い悲鳴があたりに響き渡った。
「きゃああぁぁあっっ!」
ばっと振り返った二人は、瞬時に甃を蹴り、戦闘態勢。
か細く伸びる悲鳴の方へと駆け出した。
「人狼だっ! この感覚、同族の波長だっ!」
吠える魅生。
彼女の異能力の一つ、それは感情が色で見える事。
恐怖や憎悪といった昂る感情は、周囲にも拡散され判別しやすい。
逆に哀しみや寂しさなどといった穿ち溜まる感情は動きが薄く判別しづらい。
今回は、殺意と恐怖。
一気に爆発したそれを、魅生は見逃さなかった。
「これ以上、爺様の顔に泥を塗らせるかよっ!」
駆けつけた二人の視界に映ったモノは、片腕をもがれて横たわる被害者。
血だまりに伏して、低く呻く女性を抱え起こし、リカルドが例のワクチンを投与する。
生きてさえいてくれれば、ワクチンの効果で四肢の復元は可能だ。
リカルドの処置を横目で確認しつつ、魅生は辺りを探る。
空気の動きと同時に二人は現場へ駆けつけた。さほど距離もなく、ほぼ犯行と同時に到着したはずだ。
なのに犯人の姿がない。
爆発したような殺気が色濃く残っているのに、それの残滓が見当たらない。
通常、逃げ出した犯人の方向に、殺意の残滓が残っているはずなのに。
周辺に飛び散った残滓は恐怖の色のみ。逃げ回った被害者のモノだろう。
じっと耳をすまして、魅生は感覚を薄く広げる。
薄く。蜻蛉の羽のように薄く、柔らかく。
すると、その鋭敏な感覚の膜に、微かな空気の揺らぎを感じた。
ここではない。どこか遠く。とても遠い僅かな残滓。
「地下かっ?!」
魅生は顔を上げると、周囲を散策する。
それは掻き分けた茂みの中にあった。
「マンホール..... こんなとこに」
今は、区画整理や街の美観などから、こういった武骨なモノは隠す傾向にある。
それが仇となった。
手にしたマンホールの蓋は少しズレており、それを開けると、中から微かな水音が聞こえる。
「これを利用して....... 道理で犯行がメインストリート沿いだったわけだよっ!」
魅生の瞳が真紅に染まり、その周囲を歪めるように空気が蠢いた。
ぶん...っ、と小刻みな振動が爆発し、ずらされたマンホールの蓋が、がこんっと鈍い音をたてて砕け散る。
「アタシの目の前で殺っといて、逃げられると思うなやぁーっ!」
「いや、死んでない、死んでないっ、腕はもがれてるけど生きてるってーっ!」
慌ててリカルドが駆け寄るが、時すでに遅く、魅生はマンホールに飛び込んだ。
「後は任せたっ!」
「任せんなっ、待てっ、おいいぃぃっ」
叫ぶリカルドの前で、魅生はマンホールの中に消える。
伸ばした彼の手は、一呼吸の差で魅生を掴み損なった。
あ・い・つ・はーっ!
ガチ切れしやがって、あいつの眼が血色に染まるなんて久々に見たぞっ!
慌ててリカルドは、通信用のインカムのスイッチを入れる。
すぐにでも応援を呼んで、魅生の後を追わなくてはならない。
被害者を置き去りにする訳にもいかず、ジタジタするリカルドの耳に、パトカーのサイレンが聞こえた。
悲鳴や騒動を聞きつけ、誰かが通報してくれたのだろう。
有難い。
メインストリートに到着したパトカーを誘導して、リカルドは、ざっと経緯を説明する。
そこへ聞き慣れた声がした。
「ハイ、リカルド。被害者、助かったって?」
「ジェシーっ!」
パトカーから降りてきたのは、不法侵入常習犯の先輩ハンター。
メタい展開だが、魅生を知る同族がいてくれるのは非常に助かる。
リカルドはクイクイとジェシーを指招きし、パトカーや他のハンターらから少し離れた所でヒソヒソと事情を説明した。
「魅生が犯人を追っていった。あのバカ、眼の色が変わってやがる。すぐに向かいたい」
「眼の色がって..... アンタ、それ本気の証拠.....」
冷や汗を隠せない二人の間に、『犯人が危ない』と煌めくネオンサインが点滅する。
吸血鬼族、最強の混血だ。真っ当な《夜の一族》では相手にならないだろう。
焦燥を隠しもせず、ジェシーはマンホールの中を覗きこんだ。
中は暗く、底が見えない。
「始末してもかまわないと言ったけど、出来るなら当局に引き渡した方が良いのにっ」
「マジでキレた魅生に、そんなん通じないよ」
「あーん、もうっ、仕方無いっ!」
ジェシーはしばし眼を閉じ、次には獣染みた殺気を周囲に迸らせる。
はあっと軽く溜め息をついたジェシーは、すでに臨戦態勢。
その瞳に浮かぶ仄かな血色は、歴戦のハンターだけが持つモノだった。
狂気に溺れず赤眼を発動させる。
見事なものだと、素直にリカルドは感嘆した。
通常、赤眼を発動させる条件は、狂気に溺れること。発動した血色の瞳は、ありとあらゆるステータスを倍増させる。
それは本能に心を預け、陰惨な宴が開かれるサイン。今の御時世、歓迎出来ないことだった。
しかしハンターは、それを正気なまま自在に操るのだ。
その陰には血の滲むような努力がある。
「まったく。引退したハンターをこきつかうんじゃないわよっ、この借りは高くつくからねっ!」
忌々しげな眼差しで嘯く先輩ハンター。
彼も魅生が可愛いのだろう。手助けに否やはないようだ。
「助かるよ、先輩」
「ぬかせっ、魅生はアンタが止めなさいよっ、アタシは知らないからね」
つまり犯人は任せろってことか。
「了解、じゃ行くぞ」
「ふんっ」
二人は音もなくマンホールに呑み込まれていった。
「.....おかしい」
地下の下水道を駆け回り、魅生は犯人を追い詰める。
同族同士には御互いの意思を伝え合う思念が存在するのだが、いくらこちらから送っても、それに対する応答が返ってこない。
それに先程から魅生が追っている感情の残滓もおかしかった。
地上には殺意の名残が強く残されていたのに、今、魅生が辿る残滓は恐怖と悲哀。
あれだけ残酷な犯行を行った犯人が恐怖? 悲哀? 悪い冗談だ。
達磨人間を量産して美味しくいただいていた犯人像に似つかわしくない感情である。
逃げる水音が近くなってきた。
しかし、そこで魅生の頭に思わぬ思念が割り込んでくる。
戦慄と恐怖に戦く、野生動物のように純粋な思念。
『コワイ。ナニカクル』
は?
無意識に脚をゆるめ、魅生は立ち止まった。
目の前には外に繋がる排水口。太い格子が、外への逃亡を阻んでいる。
そこから入る街の明かりが、袋小路に追い込まれた犯人の姿を浮かび上がらせた。
『コワイ、コワイ。タスケテ、オカアサン』
被害者からもぎ取ったであろう腕を抱えて、小刻みに震える小さな生き物。
『オナカ、スイタヨ。オカアサン』
片言の思念。
「なんてこった......」
魅生は憮然と顔を強ばらせた。
犯人は年端もいかない子供。それも薄汚れて痩せ衰え、汚泥まみれの悲惨な姿の子供だった。
歳は四つか五つか。
長く下水道で暮らしていたのだろう。爪も牙も真茶色に染まっている。
なんで、こんなとこに子供が?
訝る魅生の脳裏に、《夜の一族》を極端に増やさないため制定された、第一子制の文字が過った。
そうか。第二子からは多大な税金がかかるため、DNA登録が義務づけられている二歳になる前に、貧困な一族が下水道へ投げ捨てたのだ。
ここまで育てたという事は、何とかして税金を払おうと努力はしたのだろう。
だが出来なかった。このままでは、両親が第一級犯罪者になってしまう。
にっちもさっちも行かなくなり、生き延びてくれる事を祈りつつ、下水道へ.....?
確かに下手な山々とかよりは生きていきやすい環境ではある。
地上に出て、捨て子、迷い子とか保護される可能性もあるし、公園など、棲み家にしやすい場所もあった。
だが、そういった予測を裏切り、この子は下水道に住み着いてしまったのか。
下水道には小動物もいるし、水もある。
人狼族は頑健で、滅多に怪我や病気もしない。獣人化すれば、ネズミなどを捕らえるのも難しくはなかったはすだ。
薄暗く静かで安全な地下。
だが、獣人は成長期が早い。
地下の小動物では食べ物が足りなくなり、月の魔力に導かれて、夜に徘徊する狩りやすい獲物を見つけた。
人間。
魅生は、なんとも言えない顔で眉を寄せ、ビクビク震える目の前の子供を見つめた。
全ては想像でしかない。だが、大きく外れてはいないだろう。
この子に罪があるのか?
獣が補食するのは自然の道理だ。
片言の思念しか飛ばせないような幼い子供に、事の善悪などつくはずもない。
この子が捕まれば、DNAを辿って、この子の両親らも捕まるだろう。
愚かも極みな事をやらかした両親だが、そこに愛情があったのは間違いない。
魅生は震える子供を抱き上げ、下水道の端に座り込んだ。
「仕方無いよねぇ。リカルド」
下水道奥の曲がり角に立つリカルドとジェシー。
彼等も、犯人の正体を見て、魅生と似たような想像を頭に巡らせたのだろう。
柔らかく笑う、可愛らしい婚約者の笑顔に、リカルドは嫌な予感を禁じ得ない。
「......どうするんだよ」
「アタシ、この子、連れて帰りたいなぁ」
「はあっ? バカ言わないでちょうだいっ」
うっわ、予感的中。
困ったように眉を寄せるリカルドと、思わず声を荒らげるジェシー。
それを上目遣いで見つめ、魅生は、とつとつと呟いた。
「だって、この子は何も知らないんだよ? 人を襲うのが悪いってことも。それってこの子が悪いの?」
「それは.....」
ジェシーの顔が苦し気に歪む。
「じゃあ、何が悪いの? この子を捨てた両親? 捨てざるをえなくした第一子制?」
すでに二人は魅生の術中にはまっていた。
「それとも《夜の一族》を守れなかったアタシが悪いの?」
「「それは違うっ!!」」
揃って即答である。
「この子が断罪されたって、死んだ被害者らは還らないよね?」
勝利を確信して、ふくりと微笑む小悪魔。
「ああ、もうっ! 仕方無いわねぇっ!」
その笑みにひきずられ、渋々なれど頷こうとしているジェシー。
不味い、ジェシーが陥落されかかっている。ここは俺がビシッと言わないと。
リカルドが魅生の前に進み出て、厳めしい顔で、何かを言おうと口を開いた瞬間。
魅生は、ついっと左手を見つめ、しれっと呟いた。
「貰った指輪つけても良いんだけどなぁ。左手に」
「こちらの貸しなさい。すぐに我が家に連れて帰ろう」
考えていたのとは真逆であろう言葉を、キリッと宣うリカルドに、ジェシーは思わず脱力する。
惚れた弱みよねー。
困惑げにくしゃりと笑い、彼は下水道出口にはまっていた鉄の格子をカカンっと切り裂いた。
ピシッと切れ目が入ってバラける鉄柵。
吸血鬼族の鋭利な爪は伸縮自在。鉄の格子など、モノの数ではない。
ボタボタと水音をたてて沈む鉄柵の残骸を蹴り、三人は排水口から外を眺める。
リカルドの腕の中で、未だに被害者の腕を抱えている子供から、その腕をそっと取り上げて、魅生は後方に投げ捨てた。
「じゃ、逃げましょうね」
「うんっ」
「仕方無い」
三種三様の笑みを浮かべ、三人は下水道から子供を連れて夜空に跳ね上がる。
月の光を背景に跳んでいくしなやかなシルエットが複数目撃され、またもや月夜の狩人敗北と、翌日の報道を賑やかせるのだが、それも御愛嬌。
今回の被害者には怪我もなく、ある意味、凶行を阻止とも報道してくれ、一応の面目は果たされる。
犯人が保護されたため、連続人食い事件も収まり、迷宮入りな片鱗を見せ始めた数ヶ月後。
いつもの押し問答が、街外れの屋敷で交わされていた。
「だから、不法侵入はやめろっ!」
「あらぁ、失礼ね。今日はちゃんと呼び鈴鳴らしたわよ?」
「鳴らすと同時に入ってきてたら意味ないだろうがっ!」
キャン×キャンやってるリカルドとジェシーの隙間を、小さな子供が駆けていく。
泡だらけでペタペタと足跡を残す男の子。
そこに魅生の叫びが谺した。風呂場の中で反響している。
「リカルド、狼を捕まえてっ!」
「おけっ」
どうやら風呂場から逃げ出したらしい子供を、リカルドがガバッと押さえ込んだ。
「こーら、ちゃんと洗ってもらわないとダメだろう?」
「やーのぉっっ」
片言思念から、片言言葉を話せるようになった子供。彼は地下水道に巣くっていた人食い殺人犯である。
狼と名付けられ、二人の遠縁として書類を偽造して引き取ったのだ。
ジェシーはお土産に持ってきたケーキの箱をキッチンのテーブルに置き、リビングのソファーへ腰かけ、軽く脚を組む。
長閑な親子の風景が眼に優しい。
ぎゃーぎゃー暴れる子供を風呂場の魅生に渡し、リカルドもリビングへ戻ってきた。
「けっこう、お父さんやれてるじゃない」
「まあ、慣れだ。子供の面倒は魅生で経験済みだしな」
ああ、彼女も引き取られたのは七つぐらいの身体の時だっけ。
悠久を生きる《夜の一族》の中でも、吸血鬼族は長命だ。
濃い血族ならば千年でも二千年でも飄々と生きていく。
成人の姿になるまで数百年かかるので、みかけは二十歳そこそこなリカルドも、実は五百歳と少し。十代前半に見える魅生も百五十歳ほど。
《夜の一族》は細かい数字を忘れる生き物である。
五十年ほど前に、リカルドの両親が魅生を引き取った。
その頃は七つくらいの姿だった魅生の世話をして、貴族としての教育を施したのがリカルドなのである。
魅生にとっては、従兄妹同士であり、兄でもあるリカルド。
お似合いの婚約者な二人。
ふてぶてしく睨み付けてくるリカルドを微笑ましく見つめ、ジェシーはいつものミルクティーを家政婦ロボットに頼んでいた。
そこへお風呂から上がった魅生と狼がやってくる。
「あれぇ? 来てたの?」
「お邪魔してるわ」
「本当に邪魔だ」
ぶっは。
歯に衣も着せぬリカルド。
だが、そんな彼がジェシーを信頼しているのも魅生は知っていた。
「拭いて着替えさせてくれる?」
「了解」
立ち上がりかかったリカルドに、のほほんとしたジェシーの呟きが聞こえる。
「あら? 指輪、中指なの?」
その呟きを拾い、リカルドの眼がピキリと凍りついた。
あっ、とばかりに魅生が口を押さえ、テヘペロ的に眼を泳がせる。
「魅生?」
にっこりと笑みをはくリカルドの笑顔が黒い。
「やだ、アタシ、余計な事言っちゃった?」
によによと眼を細めるジェシー。
いや、わざと言ったんだよね? せっかくリカルドは気づいてなかったのに。
軽く天を仰ぎ、魅生は魅惑的に柔らかく微笑んだ。
花も恥じらう、その満面の笑み。
「保留かなぁ。狼のお父さんになれると確信出来たらつけ直すよ。薬指に♪」
「任せろっ!」
愛しい少女の御願いに否やはない。
笑う少女の掌で、コロコロ転がされるリカルドを呆れたように眺め、ジェシーは溜め息をつく。
まあ、終わり良ければ全てよしかしら。
諸行無常は浮き世の倣い。道は険しく凄惨であれど、こうして収まるところに収まった。世はこともなし。
月夜に翔ぶ者がいる。
月夜に疾る者がいる。
蒼い魔力に導かれ、月夜に蠢く者達を。
《夜の一族》と人は呼ぶ。
はい、御粗末様でした。これは続編も考えているため、連載の形を取ります。
息抜きの超不定期投稿です。
なるべく読み切り式で書きますので御容赦を。
既読マークにお星様ひとつ。楽しんでいただけたら、もひとつ下さい♪
♪ヽ(´▽`)/