起点・東京日本橋
12月26日、午前10時14分。私は東京日本橋のそば、正確には「日本国道路元標」のレプリカの前に立っている。なぜレプリカの前かと言うと、実物は車道のド真ん中に埋め込まれているからだ。そしてそれは日本橋の中央でもあり、国道1号を始め、7つの国道の起点となっている場所だ。
だったら橋の脇ではなく中央から始めれば良かったのだが、「じゃあ橋の真ん中にはどっちから行く?」となったため、東京駅の反対側かつ「日本国道路元標」のレプリカがあるここをスタート地点にした。
このレプリカのそばには、かつて使われていた「東京市道路元標」の実物が置かれている。「日本国道路元標」は四角いものが埋め込まれているだけだが、こちらは立派な柱だ。明治か大正の時代を彷彿とさせるような街灯のデザインをしている。
なお、「日本橋」と表記される橋は大阪にもあり、東京の方が「にほんばし」と読むことに対して大阪の方は「にっぽんばし」と読むので、混同しないよう注意したい。
東海道五十三次、の名前を知っている人は多いと思う。私も知っている。ただし、歌川広重の浮世絵作品としてしか知らなかった。それも、普通に1枚の絵だと思っていた。東京から京都までの道を人々が歩いている姿を描いてるものだと思っていた。当時中学生だったので許してください。
歴史の教科書で出てきたそれを、当時の私は大して気に留めていなかった。ただ、作者と作品名のセットは自然と頭に入ったので、テストで出て来ても大丈夫だな、ぐらいには思っていた。
高校でも、東海道五十三次の名前を目にすることになる。体育祭の種目として出てきた。身軽な人がそれっぽい衣装とカツラを装備し、ガタイのいい人に騎馬やら竹の棒やらで運ばれる競技だ。なお、総距離はトラック2周弱、400メートルにも満たない。乗り換えは確か、2回。私の地元は九州・長崎なので、なぜ「東海道」の名を冠する競技名になったのかは謎。うちの学校は日本史の授業さえなかったと言うのに。
そんなこんなで、「東海道五十三次」の名前は頭の中にずっと残っているものとなった。
既に社会人になっている今、たまに旅行に行くことがある。気まぐれであっち行ったりこっち行ったりしている。そして、何をどう考えたのかは記憶が曖昧なのだが、気付いた頃には、東海道五十三次にちなんで東海道線で53回途中下車して京都を目指そう! と心に決めてしまっていたのだ。
本当になんでこんなことを考えてしまったのか。世のなか分からないことだらけだが、世界で一番自分のことが分からない。そんな自分が大好きだ。この思い付きを成し遂げてくれるだろうと信じている。
調べてみると、JRが定める「東海道本線」はなんと神戸まで伸びていたのだが、神戸には申し訳ないと思いつつも、ここは「東海道五十三次」に合わせ、京都をゴールにすることにした。
この旅の発端ともなった東海道五十三次についても調べた。なんとまあ、自分の認識が色々と間違っていたこと。浮世絵作品だと思い込んでいたそれは元々、東海道にある53の宿場を指すもので、浮世絵の方はそれにちなんで描かれたもの(しかも、起点と終点を合わせて55枚の絵がある)だということが判明。高校で日本史の授業がなかったので許してください。
だが、それぞれの宿場に対して絵が描かれていたとなっては俄然やる気が出る。自分もそれぞれの下車駅に対して、(絵は苦手なので無理だが)旅の記録を綴ろうではないか。東海道線の駅は53では済まないのでクジ引きで下車駅を決め、そして今日、長い休みの初日を迎え、私はスタート地点たる日本橋にやって来た。かの東海道も、ここから始まった。
さて、東京駅に向かおう。実はここに至るまでも、東京駅まで電車(一応、東海道線ではない)、さらに別の橋で川を渡って来ているのだが、その辺はご愛嬌。
私の中で日本橋と言えば、百貨店のイメージが強い。実は地元の地銀の東京支店があったりもするのだが、それは全国共通のイメージではないと思うので置いておく。
地銀の東京支店以外で日本橋に来たのは、父の還暦祝いを買いに来た時だ。私のようなチンチクリン相手にも丁寧に接して頂き、感動したのを覚えている。ただ、クレーマーがギャンギャン言ってる場面に遭遇したのはちょっと残念。接客業、自分にはとてもできそうにない。
父の還暦祝いでお世話になった正にその百貨店を背にして、これから渡る日本橋の方へ。私は石橋を叩かない派だし、既に多くの人が往来しているので安心して渡れるだろう。橋の中央に到達するまでは、国道4号だ。(4本の国道が重複しているのだが、一番若い数字を載せることにする)
10時17分、出発。
欄干の端には「日本橋」の文字と、狛犬(?)のような銅像がお出迎え。それよりも目立つのが、橋の上で立体交差する道路に書かれた「日本橋」の文字。ここが日本橋なのだなと一発で分かる。実は還暦祝いを買いに来た時、上を走る道路の方が日本橋だと勘違いしたのはここだけの話。あれは首都高速であり、いま私が足を着けている方が日本橋だ。
もちろん川もあり、その名は「日本橋川」。○○川に架かる橋に「○○川橋」が付くのは見かけるが、まさかの逆パターン。だがこの辺りの地区名も「日本橋」であるが故に、単に地区名に「川」を付けただけと考えることもできる。でも橋があるからこの地名な訳で・・・。
その川に屋根をするかのように走る首都高速を頭上に、橋を渡り続ける。高速道路が頭上にあったり、周りにはビルが多かったりするが、石造りの欄干に乗っている銅像はドラゴン(?)や燭台など、レトロなものだ。この電気、点くのだろうか。
間もなく橋の中央。歩みを止めずに車道の真ん中を見ると、確かに何かが埋まっているように見える。あれが「日本国道路元標」だろう。その真横に差し掛かった今、ここからが国道1号だ。この国道1号は大阪まで、いま少しだけ歩いた4号は青森まで続いている。これから電車の旅をするのだが、道路もどこまでも続いているのですね。
橋を渡り終えると、右に少しだけ下りる階段があった。これを下りると橋から少し離れることができ、良い角度で橋が見える。道路元標がある方は、角度があまり取れないので少々見づらい。下りたい気もしたが、過去に下りて見たこともあるし、なんとなく振り返りたくなかったので、そのまま進んだ。
せっかくなので、東京駅までは国道1号を歩いて行こう。橋を渡った直後の信号は、直進。商業施設や飲食店、オフィスビルが建ち並ぶ中を歩く。日本橋からは歴史を感じつつも、高層ビルが並ぶここは紛れもなく、現代の大都会東京だ。
次の信号は大きな交差点で、交差点の名前も「日本橋」。そばには地下鉄の日本橋駅もある。国道1号はここで右だ。運よく信号が青なので渡ってから右に曲がろう。左折してきたタクシーと妙な譲り合いをしながらも渡りきり、右へ曲がった。
歩いていると、「長崎館」という看板が出ているお店があった。中に入ったことはないのだが、アンテナショップというやつだろうか。平日のこの時間でも、お客さんの姿はポツポツある。皆さん同郷でしょうか。何が売ってあるのかは気になるが今日はこれから旅に出るので素通り。またの機会に。
次の信号機は、「八重洲一丁目」交差点。これは直進。道の先の方を見渡したいところだが、微妙に左カーブしているのでビルに隠れて見づらい。地下鉄日本橋駅のA3出口の横を通り、進み続ける。
次の信号機は、「呉服橋」交差点。残念、赤信号。だがもうはっきりと、高架化された線路が先の方に見えた。山手線だろうかと思ったら、緑屋根の電車が走った。あれは新幹線「はやぶさ」か。
信号が青になり、直進。地下鉄大手町駅があるビルを過ぎ、名もなき交差点に到着。高架化された線路も随分と近くなり、新幹線線路の上でオレンジラインの電車(あれは中央線だ)が、間もなく着くであろう東京駅へ向かって減速している。
線路沿いを進めば当然駅に着くのだが、ここの交差点を渡る必要はなく、既に左前方に「東京駅」と書かれたビルがある。ガラス張りの壁に濃い灰色の文字なので見づらいが。
あの文字が緑色ならもう少し見やすいだろうなと思いながら、国道1号に別れを告げ、駅へと向かう。国道1号には、旅の途中でまた会えるかな?
東京駅の出入口は東西で八重洲口と丸の内口に分かれており、いま向かっているのは、八重洲北口のさらに北の、日本橋口だ。東京駅と言えばあのレンガ造りの駅舎を思い浮かべるが、あれは丸の内側から見たもので、八重洲側からはただのビルっぽい見た目になっている。今回はスタートが日本橋だったので仕方ない。だが駅がビルというのも「東京」感があっていい。
そのビルに入った。日本橋口には新幹線の改札しかないので、結局は八重洲北口まで屋内を歩いて進むことになる。標識もあるので、初めての人でも何とかなるとは思う。適当に歩き回っても駅があり、駅に辿り着きさえすれば何とかなるのが都会の良いところだ。
あれに乗れば3時間足らずで京都に・・・という邪心が芽生えながらも、在来線の改札を目指す。左右には喫茶店と本屋さん。本当に、駅に来れば何でもある。
もうすっかり慣れてしまったものだと思いながら、かつてのことを思い出す。
初めて東京駅で外に出たのは、確か会社の研修の時だったと思う。八重洲南口から5分か10分の所の駐車場にバスがある、という指令だったか。地図も印刷して準備していたのだが、案の定迷った。田舎者が地図1枚だけで高層ビルが立ち並ぶ大都会を歩こうというのが間違いだったのだ。当時の記憶はもう薄くなってしまっているが、集合時間には間に合ったと思う。
5日間は「青春18きっぷ」を使うので有人改札を通り、東京駅に突入。反対側の壁に見えた電光掲示板によると、次の電車は10時47分。8分後か。ホームは・・・10番線だな。「10」の数字の横に小さく「Track No.」と書かれている。
ちなみにこの、「○番線」というのは駅のホームの番号を指している。これには地域差があり、私の地元では「○番のりば」なのだが、東日本では「○番線」が多い。基本的には1とか2とかの数字と共に「○○方面」と書かれているので差し障りはなかったが、最初はすっごく馴染めなかった。
むしろこの「○番線」という表現で差し障りがあったのは昔のこと。とある映画で、「○番線」の○に当たる部分が分数というのがあるのだが、「番線」で日本語に吹替えられていたために、分数以前に「バンセンとは何だ?」となり、登場人物とは別の意味で首をかしげることになった。
路線を番号で呼ぶ文化なのだろうと当時は決着を着けたのだが、あれはホームの番号のことだったらしい。これを知った瞬間に、1つ成長した気分になった。何年かかったのだろうか・・・。
さてこれから乗る東海道線だが、上京して10年以上経つも、生活圏から外れているため乗る機会はほとんどない。新橋や品川に用事があっても、並行している山手線や京浜東北線を使ってしまう。でも何かの拍子で乗ったような、乗ってないような。これが初めてだと断言できないほどには記憶が曖昧だ。
東海道線のある10番線を目指して歩く。年の瀬が近づく東京は、平日ながらもキャリーケースを持つ人が目立つ。かくいう私も今日から休みだが。
それにしても、駅の表示というのは分かりやすくて助かる。初めて東京を訪れたのは高校の修学旅行・・・は、羽田からバス移動だったか。初めて東京で電車に乗ったのは、高3の夏、履歴書を出した企業の見学に行った時だ。採用試験の案内と一緒に見学の案内が届いた。夏休み中で、費用も企業側持ちということで二つ返事で決定。担任教師に渡されたチケットを手に、親に空港まで送ってもらっていざ大都会・東京へ。
飛行機を降りてからは電車移動。目的である企業の見学は翌日で、この日は中央線沿線に住む親戚宅での前泊だ。道順は事前に調べており、モノレールで浜松町へ、次に山手線で東京へ、最後に中央線で三鷹へ。
実はあまり覚えてないのだが、標識に従って移動してればすんなりモノレールに乗れたと思う。Suicaの存在さえ知らなかった当時の自分、本当にどうやったんだろうか。切符も買ったはずなのだが、いまいち思い出せない。電車の本数の多さにビビッて、帰ってから親や友人にペチャクチャ喋ったような気はする。
それにしたって、「初めての東京での電車移動、大丈夫なのか?」ぐらいは思ってたはずなのだが、本当に記憶が曖昧だ。なぜ覚えていないんだ・・・こういうエッセイを書く日がくるんだからちゃんと覚えとけよ・・・!
覚えてない自分が悪い。そもそも自分の記憶力に期待する方がバカなのだ。私はバカじゃないから、自分の記憶力に期待などしない。今回の旅も、がっつりメモに頼っている。
浜松町でのモノレールからJRへの乗換えも、あまり覚えてないぐらいには迷わなかった。人生初の浜松町に思い出がないなんて・・・。しかし、初めて東京で電車に乗る高校生が、羽田空港から目的地まで辿り着いた時、浜松町が「駅」としての役割をしっかり果たしたことに他ならないのだと思う。ありがとう、浜松町。
そして、東京駅での乗換え。それが人生初の東京駅だった。これもやはり記憶が曖昧なのだが、中央線のホームまでは難なく来れたと思う。
だがこの中央線のホームで、予期せぬ事態が起きた。快速と、ナントカ特快しかないのだ。しかも行先も、高尾と青梅(当時の私は「アオウメ」と読んでいた)の2択。中央線に乗って三鷹で降りればいいとしか覚えていなかった私は、混乱した。どれに乗ればいいんだ? 特快ってなんぞ? 別料金いんの? てか各駅停車は?
せいぜい快速と特急ぐらいしかなかった田舎の高校生には、中央線はレベルが高かった。
で、この混乱をどう突破したのかも覚えていない。きっとそれは、この後のことが強烈に印象に残っているからであろう。前泊だったために、移動が夕方だったのだ。平日、夕方、そして中央線下り。今の私なら絶対に避けるシチュエーションだ。あるいは数本やり過ごして確実に座る(東京駅は始発駅なので待ってれば座れる)。
そう、電車が混むのだ。どこからだっただろうか(今思うと、多分新宿)、それはもう、おしくら饅頭みたいな状態になった。待って、待って、潰れる、潰れる! やめて! 助けて! だが心の叫びは届かない。もうすぐ到着することを親戚に伝えたいのに携帯が取り出せない! オッサン新聞読んでんじゃねぇ!! てか何でみんなそんな淡々としてるの・・・一大事だろこれ。命の危機感じるレベルだよ。
初めての東京での電車移動は、そんな感じだった。東京駅の中央線ホームで混乱したことと、その中央線での満員電車か。特に迷いもしなかった乗換えが記憶に残らないほどには強烈だった・・・。
そう、本当に、記憶に残らないほど迷わなかったのだ。駅の表示というのは分かりやすいなと、今でもしみじみ思っている。少なくとも、電車通学してる田舎の高校生が1人で放り出されても何とかなるぐらいには分かりやすい。
そのおかげで、今日も難なく東海道線のホームに到着。その分かりやすい標識と、他ならぬ緻密な運行管理のおかげで、私はこうして旅をすることができるのだ。
結構人多いんだな、と思いながら電車を待つ。東海道線は東京駅が起点となっているが、上野東京ラインの開通により始発駅ではなくなっているため、座るのは厳しいだろう。
さあ、電車が来た。いよいよ、旅の始まりだ