天使が通る!
『おかえりなさい』
ルナファンにログインすると、早速コランドが声をかけてくる。ギルド情報によると、薔薇雄と弓子はいないようだ。ユエはログイン状態だが反応はない。
『ただいま。他のみんなは?』
『薔薇雄と弓子は明日に備えて落ちました。ユエは放置露店でお風呂に行きましたが、また戻ってくると思いますよ』
せっかく女性率の高いギルドなのに、コランドと二人きりとは。さっき、男が苦手と言ってしまったこともあって、少し気まずい。
『なるほど。薔薇雄と弓子はいつもこんなに落ちるの早いの?』
まだ11時前である。学生でも社会人でももう少し繋いでいてもいいと思うのだが。
『そうですね。あの二人は割りと早くに落ちますね。週末は深夜まで繋いでいることもありますけど』
『リア充なのね』
思わず言ってしまった。失言だ、自分がリア充でないことを匂わせるとともに、話題をリアルの方に誘導してしまう。
『ナナミンはリア充じゃないんですか?』
やはりそうこられてしまった。しかし、これはコランドが悪いというよりは自業自得だ。
『あんまりね。コランドは?』
深く追及されるのをさけるように相手に会話を振る。
『僕も、あまり』
幸いと言うか何と言うか、コランドもあまりリアルのことを語りたくないようだ。それ以上、俺も会話を続けることができず、二人とも黙りこんでしまった。沈黙が痛い。
『あ、今、天使が通りましたね』
どれくらい沈黙が続いたか、コランドが唐突にそう言った。
『天使??』
当然、多くのファンタジーロールプレイングゲームの例に漏れず、ルナファンにも天使は登場する。天使は動かないノンプレーヤーキャラクター(NPC)にもいるし、敵にもいる。しかし、プレーヤーの選べる職業に天使はない。だから、天使が襲ってくるならともかく、通る、という言葉は、このゲーム的には意味が不明だ。
『ええ。このギルドの名前ですよ。あん あんじゅ ぱす。ちゃんと書くと、Un ange passeです』
『何語? 英語じゃないよね?』
『フランス語のはずです』
『フランス語なんて喋れるの!?』
俺は英語だって怪しいのに、フランス語とか言われても反応に困る。
『いや、フランス語なんてこの言葉の他にはボンジュールとジュテームくらいしか知りませんよ。大体、フランス語なんて話せたら十分リア充ですよね』
『それもそうか。で、あん あんじゅ ぱす はどういう意味なの?』
『ええ、ですから、天使が通る、という意味ですよ』
『ああ、ひょっとして英語ならAn angel pass かな? 』
『ですね。正確には三単現なのでpassesですけど』
しまった、中学生レベルの英語を間違えた。
『悪かったわね。でもそれがどうしたのよ』
知識ひけらかし型のまだるっこしい語学トークに、俺はいらいらしはじめていた。
『ああ、すみません。フランスでは、会話が途切れて気まずくなった時に、軽いウィットを込めてそう言うそうなんです。あれ、今、天使が通ったね、って』
『なるほど……』
この豆知識自体は、まぁどうでもいい。こんな話を誰かに披露したところで、カッコつけやがって、と反感を買うくらいだろう。ただ、俺は、気づいてしまった。 つまり、こいつは、沈黙が恐いのだ。もっと言えば、会話自体が怖いのだろう。おそらく、誰と喋っても会話が続かず、それを自分のせいにしてしまっているのではないか。そして俺は、そんなコランドを笑えない。俺にしたところで、最早同級生とまともな会話をかわせる自信がないのだ。俺はゲームの中ででもこんな言葉をギルド名として選んでしまうコランドに、少し同情めいた感情を抱いていた。
『ちょっと、あなたたち、暗いですわよ! 誰がリア充だとか、別にどうでもいいことですわ。大体、仮にコミュニケーション障害(こみゅ障)でリアルが辛くても、ゲームにまで引きずってどうするんですの?』
突如、ユエが捲し立てるように割り込んできた。
『ユエ……おかえりなさい』
コランドの挨拶を無視して、ユエが続ける。
『ここでは、私たちは最強魔王を倒した勇者ですわよ! 沈黙がきまずいなら、黙々とソロで狩りすればいいだけですわ。せっかくゲームをしているのに、楽しまなくてどうするんですの!?』
前向きな正論だ。これで会話が続くだろう。ユエが救世主に見える。
『まぁ確かに、リアルとか関係ないわね。この世界ではリアルでダメな人間ほど強いんだから』
少し自虐を込めて、俺もユエに同調した。
『あはは。それもそうですね。せっかくナナミンも入ってくれたんですし、深く考えずに楽しまないとですね』
『そうですわ。レジェンド・オブ・デス は倒しましたけど、ナナミンが入った今、もう一つ上も狙えますでしょ』
『もう一つ上? ……ああ、タワー・オブ・デスですか?』
『ええ、勿論、タワー・オブ・デスですわ!』
タワー・オブ・デス、それは期間限定、パーティー限定のクエストダンジョンだ。全60階の塔には、ボスも含め、ゲーム内の全ての敵が登場するらしい。このクエストも、自分には関係ないと無視してきたのだが、確かに、挑めるものなら挑みたい。
『それはかなり楽しそうね……どう、コランド、相当厳しいと思うけど、クリアできると思う?』
『ええ、僕たちなら大丈夫ですよ!』
『そうこなくっちゃね! 期待してるわ』
俺は、コランドはこういう自信満々な方がいいなと思った。
その後はギルドチャットで適当に、ルナファンのシステムや敵について話をしながら、三人バラバラに行動していたのだが、午前二時になって、ついに脱落者が出た。
『明日はまだ金曜ですし、そろそろわたくしは露店落ちしますわ』
明日は金曜か……最近、曜日の感覚がなくなっているため、気付いていなかった。
『もう落ちちゃうんだ?』
少し恨みがましく、俺は言った。コランドと二人だとまた沈黙が痛い。できれば俺が落ちるまでいてほしいのだが。
『もう、って、それこそもう二時ですわよ? 今でさえ明日の授業の居眠りは確定的ですのに、これ以上起きていたらそもそも朝起きられませんわ』
なるほど、ユエは学生で、かつ引きこもりではないらしい。もっと言えば、講義ではなく授業という以上、大学生ではないだろう。高校か、中学か……できればダメ人間同盟に引きずり込みたいところだが……。
『起きられないなら、寝なければいいじゃない』
『あはは、マリーアントワネットみたいですね』
俺の勧誘をコランドが笑う。冗談のつもりはなかったのだが。
『さすがに完全徹夜するほど今したいこともないですわ。今夜はみんなでタワー・オブ・デス の可能性が高そうですし、体力を温存しておきますわ』
『それもそうね。じゃあ、私も落ちようかな。コランドはまだ頑張るの?』
『ええ。もう少しだけ』
『何をしてるの?』
『内職ですよ』
『ひょっとして魔法陣?』
『ええ』
なるほど。みんなで遊ぶ時に備えて、一人の時にせっせと魔法陣を作るのか。なんて健気な。
『コランドはふんだんに魔法陣を使い過ぎなのですわ。もったいない』
『そのセリフ、ユエにだけは言われたくないですね……』
『確かに、散財のレベルが違うわね』
『わたくしは、お金をばら撒いているだけですわ。コランドのように、せっせと材料を集めたりもしていませんし、かけている手間からすれば、コランドの方がすごいですわ』
『ユエほどの貨殖の才があれば、材料も買っちゃうんですけどね』
『ほーっほほ、今度財テクを教えて差し上げますわ! まあ、わたくしはそろそろ落ちますわね。露店落ちで、後でチャットは確認しますから、ギルチャで変なことしてはダメですわよ?』
変なこと? 何を言いたいのか、俺にはわからなかった。
『別に何もしませんよ。ユエの悪口は喋りまくるかも知れませんが』
確かに、起きてチャットをチェックしたら会話ログが自分の悪口で埋まっているとか嫌過ぎだろう。
『心ときめくような悪口を期待していますわ。では、御機嫌よう~』
『お疲れ様です』
『お疲れ~』
さて、再びコランドと二人きりになってしまった。コランドはおそらく俺と同種の人間だ。活動の時間帯も似通っているし、リアルでの他人とのコミュニケーションに不安を抱えているらしいことからも、引き籠っている可能性が高いのではないか。できればそれとなく情報交換したい気もするが、ギルチャにそんなログを残すのも、ユエの手前しにくい。
ルナファンのチャットシステムは、画面内にいる全ての人に聞こえるオープンチャット、ギルドメンバーだけに聞こえるギルドチャット、一時的にパーティーを組んだ場合に、パーティーメンバーに対してだけ聞こえるパーティーチャット、そして、特定の一人だけにメッセージを送る囁きの4種類だ。
囁きなら、ユエに知られずにコランドとチャットすることもできるのだが、果たしてそこまでする意味があるのか。コランドは男で、しかも俺を女だと思っている。もし、コランドが俺、というより、「ナナミンという女性」に惚れられている、と勘違いしでもしたら、かなり面倒なことになる。多少の好奇心で深入りすべきではないだろう。
『ナナミンは何をしているんですか?』
俺が迷っているうちに、コランドが無難な会話を振ってきた。
『またレディFがいやしないかと探していたんだけど、誰かに狩られちゃってるみたいだわ』
『それは残念ですね』
そして微妙な沈黙。だめだ、やはり会話が続かなさそうだ。俺は気まずくなる前に落ちてしまうことにした。
『少し疲れたし、私もタワー・オブ・デス攻略に備えてそろそろ落ちるわ』
『そうですか。わかりました』
『ええ。ユエの悪口は任せたわ』
『あはは、任されました! お疲れ様です』
『お疲れ~』
挨拶と同時に、俺はログオフした。