心から信じると言うことは命を賭けることである
私はサヨクという嘘つきたちが嫌いです。日本を貶めるサヨクが大っ嫌いなのです。
慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)では多くの矛盾があるのに、なぜ共産党は“あった”と断言できるのか?どうしても分からなかったので電話をして聞いてみたのです。
「共産党は慰安婦問題はあったと信じているのですか」
「ええ信じていますよ、だって慰安婦たちの証言が実際にあるではないですか」
「なるほど、でも信じていると発言することは命や全財産を賭けられるということですよ」
「????」(彼は意味が分からないようなので)
「例えばあなたは人を殺したことがありますか」
「いいえ、ありません」
「信じていいですか」
「もちろんです」
「では、あなたがもし、人を殺していたと判明したならば、貴方の全財産を国に寄付すると約束できますか」
「ええ、約束出来ますよ」
「そうでしょう?あなたは人を殺していないと心から信じているから、全財産を賭けると躊躇なく言うことができるんです。ですから同じように、従軍慰安婦問題はあったと心から信じているならば、もしそれが嘘であった場合、共産党の全財産は国に寄付して、共産党員はすべて日本から出て行って二度と日本に入国しないと、国会または公の場で約束してください、出来ますか?」このように問い詰めると彼は長く沈黙するのだ。
「共産党が心から慰安婦問題はあったと信じているなら約束できるでしょう?あなた方が約束できないのは、従軍慰安婦問題など本当には信じていないからではないのですか、貴方たちは口では慰安婦に謝罪しろ、賠償金を払えと言っているが、心の中では慰安婦問題など信じていないのではないですか」と言えばガチャンと電話を切られる。
本当に心から信じていることに対しては、命さえ賭けられるのだ、せめて全財産くらいは賭けられるだろう。共産党員の数人に「それでは命を賭けられますか?」と聞いても、みんな躊躇なく「いいですよ」と答えるのだ。あの信用ならない共産党員でも心から信じていることに対しては「ええ、命を賭けられますよ」と答えるのだから、他の人たちも本当に信じていることに対しては、命や全財産を賭けられるはずである。私の言うことに何か間違いがありますか?筋が通っているでしょう?
しかし皆さんに、このように言えば「何かを信じたからと言っていちいち命をかけてたら命がいくつあっても足りませんよ」とか「命をかけるとか全財産をかけるとか、そんなに軽率に使うものではないですよ」なんて、分かったような反論が来る。
「私は911テロを陰謀だと本当に信じているが、命までは賭けられない」という人がいる。それは陰謀を本当には信じていないからです。本当に心から信じていれば命さえ賭けられます。
命を賭けられないのは、心からは信じていないからです。心の底では信じていないくせに、口では信じていると言う、これは詐欺師と言います。日本には小詐欺師が多すぎるのです。
小さなことに対して「命を賭けられるのか」なんてバカな事は言いませんが、前回の投稿「痴漢冤罪保険が人気?」のように、相手に対して、大きな不利益を与えるようなことに対しては、命とまでは言わないが、せめて全財産を賭けるくらいの覚悟、責任感をもって発言してもらいたいものである。
発言すると言う事はそれなりの責任を伴うのだ、皆さんにも、そのことをしっかりと認識してもらいたいのです。
すべての言動には「責任」が伴うのです。その責任の認識、復権こそが日本の再生に繋がるのです。