第一章 第六話 葬いの涙
俺は小川で手拭いを濡らして来て、トリカの身体を拭った。
暴行された痕跡を消し、着物の裾を直す。
俺が監察医をしていた『現界』でこんな事をすれば証拠隠滅になって、逆に犯人側を有利にしてしまうがここは異世界、警察制度も司法制度も未熟なこの世界にあっては近代警察の科学捜査なんて望むべきもない。
そもそも俺は、トリカに暴行して殺害した犯人の裁きを司法の手に委ねる気は毛頭なかった。
公平な裁判?
被告人の権利?
そんなモノ糞食らえだ。
俺は・・・俺の手でトリカの最後の望みを叶えるつもりでいた。
辺りはもう真っ暗だ。
この後残酷な現実を突きつけられるタケノヤの親父さんと女将さんの事を考えて、俺は先にトリカを村へ連れ帰る事にした。
今、この時間もトリカの無事を祈って我が子の帰りを待つ二人の元へ。
トリカを抱きかかえ、俺は来た時の倍以上の時間を掛けて村へと帰る。
俺の歩みが遅かったのは、無意識にこれからトリカの両親に訪れる不幸を少しでも遅らせたかったからかもしれない。
しかしその無意識の徒労も終わりを迎える。
中天に少し欠けた満月がかかり星が煌めいていた。
村の入り口には篝火が焚かれ、広場の中央では焚き火が焚かれている。
焚き火の周りでは何人かの村人とタケノヤの親父さん女将さんが心配そうにトリカの帰りを待っていた。
「イオリさんっ、良かった無事だったのか」
真っ先に俺を見つけたのは真っ先に捜索隊を率いてトリカを探しに行った青年だった、俺が遅過ぎるから二重遭難を心配していたらしい。
「あぁ・・・だが」
それ以上言葉が出てこない。
「トリカ・・・トリカ〜っ」
俺に抱きかかえられた愛娘の姿を見つけ、女将さんが駆け寄ってくる。
だが、俺は俯き首を振る。
その動きと力無く垂れ下がったトリカの腕を見て、女将さんは全てを悟っていた。
「あぁぁ、そんな・・・トリカが、トリカがぁぁぁぁぁ、嘘だって、嘘だって言っておくれよぉ」
トリカの顔を覗き込んで、そして膝から崩れ落ち両手で顔を覆って大泣きしはじめる。
「いつまで寝てるんだよ、今日はあんたの好きな猪豚の串焼きだよ、早くしないとアイレとセイレが全部食っちまうよ。
ほら、あの子達だってお姉が帰って来るまで食べないって待ってるんだよぉ、早く起きなよ
トリカ・・・トリカ〜っ」
何度も何度も何度も、もう決して目を覚まさない愛娘の名を呼びながら。
俺はどうすることも出来ず。
いや、俺だけじゃなく他の村人達もただただ突っ立っていた。
そんな中、親父さんがトボトボと歩いて来て俺の前までやって来た。
「イオリさん、娘を・・・トリカを・・・ありがとうございました」
ギュッと拳を握り、頭を下げる親父さんだった。
「ここからはあっしが連れて帰ります」
俺は差し出された親父さんの腕にトリカを引き渡す。
「トリカ、おかえり・・・帰って来たんだぞ」
親父さんは冷たくなったトリカの身体を優しく抱き締め、そしてタケノヤの中へ帰って行く。
まだ泣き崩れている女将さんは、村の女衆に両脇を抱えられてタケノヤへ帰って行った。
「イオリさん、村を代表して私からも厚く御礼申し上げます」
立ち尽くす俺の側までやって来て村長が礼を言ってくれた。
「いえ・・・トリカを助けられずに申し訳ない」
「何を仰いますか、イオリさんが見つけてくれなければ、トリカはまだ帰って来られなかったじゃろう。良ければこちらへどうぞ」
村長に勧められ、俺も焚き火の側へ寄る。
するとテツさん達数人が手に大きな徳利を持って現れた。
女衆はタケノヤでトリカを送る準備をしているらしい、男衆は邪魔になるからここで酒でも呑んでろって事らしい。
「イオリさん、今日は・・・本当にありがとう」
酒を注ぎに来る男衆が口々に礼を言う。
そしてしばらくした頃、親父さんが両手に山盛りの串焼きが載った大きな皿を持って現れた。
「トリカの好物だった猪豚の串焼きだ、供養だ・・・食べてくれ」
若い男衆に皿を渡し、湯呑みと徳利を受け取ると親父さんはドカッと俺の隣に腰を下ろした。
手酌で注いだ湯呑み酒を一気に飲み干す。
その手は細かく震えていた。
「トリカはどこに居たんだい?」
「だいぶん先の峠道だ、切り通しの手前に小さな崖があるだろう?その下の河原で見つけたんだ。
恐らく背後から野獣に襲われて、慌てて逃げて足を滑らせたんだろう」
俺は帰りの道中に考えた嘘の状況を教える。
突然娘を喪うという不幸に、これ以上重ね掛けする必要もない。
本来してはならない虚偽報告だが、俺はこれ以上親父さん達に対して非情にはなれなかった。
「そうか・・・しっかりしているようで、おっちょこちょいなトコがあったからなぁ」
「打ち所が悪かったんだと思います、目立った外傷はありませんでしたが、頭を強く打ったのでしょう。そして、その衝撃で脳内出血・・・頭の中の血管が切れて血が溜まり、それが原因で亡くなったんだと見立てます」
尤もらしい嘘を続ける。
「俺が見つけた時、トリカはまだ少し意識はありました。回復魔法もかけましたが・・・すいません、俺の力不足です」
俺は嘘の積み重ねを続ける。
最悪、助けられなかった俺を怨むことになっても仕方ない。
怨みや怒りもまた生きていく支えになる。
「イオリさんは随分詳しいんですね、医術の心得が?」
「えぇ、故郷で学びました」
親父さんは残っていた酒を飲み干す。
「イオリさんに落ち度はありませんよ、むしろ回復魔法が使えるイオリさんでも手の施しようがなかったんです・・・あの子の運命だったんでしょう」
運命、また運命か・・・
「あの子は、トリカは・・・実はあっしらの子じゃないんですよ」
俺はトリカから知らされていたが、あえて知らなかったフリをする。
「もう15年くらい前になりますかねぇ、ウチに泊まって行った隊商がこの先の峠道で野盗に襲われて皆殺しにされましてね。
その時、母親の亡骸の下から助け出され唯一助かったたのがトリカだったんです」
「その峠道とは・・・」
「イオリさんが見つけてくれた場所です。
なんの因果か、あの子は親と同じ場所で死んじまったんですよ」
俺は嘘をついて本当に良かったと心の中で安堵した。
もし正直に事実を知らせていたら、俺は一生後悔していただろうし、親父さんや女将さんをさらなる地獄へ追い込んでいただろう。
「まだ子供がいなかったから、カカァがウチに泊まったのも何かの運命だし、ウチの子にしようウチで育ってようって言い出しましてね、乳も出ねぇクセに引きとっちまって・・・
まぁ大変でしたよ、夜中に熱出した時はあっしとカカァが交代で井戸水被って、抱きかかえて熱をとったりしましたねぇ」
空になっていた俺の湯呑みに並々と酒が注がれる、俺も親父さんの湯呑みに酒を注ぐ。
「その後、十年してカカァがホントに孕みやがった。
生まれてきたのは双子のアイレとセイレでさぁ、トリカのやつ一丁前に姉貴面しやがって俺達以上に可愛がってくれてね、俺やカカァが宿の仕事で忙しい分、面倒見てくれて・・・」
親父さんの言葉に嗚咽が混じり始める、零れ落ちる涙のしずくも途切れることがない。
それでも俺は言わなくてはならない、トリカが最後に残した願いの『半分』を伝えなくてはならない。
「トリカの最後の言葉は『お父さん、お母さんいままでありがとう。アイレとセイレはお父さんお母さんを大事にして元気に育ってね』でした」
親父さんから一際大粒の涙が零れ落ちる。
「あのバカ、てめぇが死にそうな時にまで・・・どこまで親を泣かせる子なんだ」
「親父さん・・・」
俺にはそれ以上掛ける言葉が思い浮かばなかった、黙って酒を煽る。
「なにが『いままでありがとう』だ、勝手にくたばっちまいやがって、親より先に逝く親不孝者がいるかよ。説教してやるから化けて出てきやがれ」
親父さんも女将さんも、トリカを本当に自分達の子として慈しみ育てていたんだ。
そして俺は、そんな家族を悲しみのドン底へ追いやった野盗達をいよいよ許す事が出来なくなっていた。
そして真夜中過ぎに酔い潰れた親父さんが若者衆に引き摺られて行った。
「親父さん、全然飲めない癖にな」
呑まなきゃやってられなかったんだろう。
急性アルコール中毒とかになってなきゃ良いが・・・
後で様子を見ておくことにしよう。
翌日の昼過ぎ、綺麗に着飾ったトリカを棺に納め、村人総出で村のはずれにある共同墓地に埋葬した。
一旦タケノヤに戻ってから俺は鍛冶屋のテツさんの所に顔を出す。
「テツさん、ありがとうございました」
俺は借りていた日本刀を返しに来たのだった。
「ん?あぁ・・・そいつはイオリさんにやるよ」
事も無げに言うテツさん、確かにこれからの旅にあるとありがたいが貰ってしまっていいものだろうか?結構な業物だと思うんだが。
「良いんですか?師匠の打った業物だと仰っていましたが?」
「良いんだ、そいつは俺からの礼だよ。トリカを見つけてくれた礼だ」
俺はこれ以上断っては逆に非礼になりかねない、そう思い有難く頂戴することにした。
そして改めてテツさんにお願いをする。
「テツさん、ちょっと工房を借りたいんですが良いですか?」
「ド素人が、なに作る気だ?」
真っ赤に焼けた蹄鉄を取り出すテツさん、そして俺の方をじっと見やる。
「ド素人に俺の炉は使わせねぇ・・・だから俺が作ってやる、どんなのが欲しいか言いな」
俺はテツさんに仕様を伝える、聞き終えたツさんは深いため息をつく。
「ふんっ、どうせ碌なことに使わねぇんだろうが・・・まぁ良い、夕方取りに来な」
俺は礼を言って工房を出ると、そのまま昨日の事件現場へと戻った。
トリカの残した願いの『残り半分』を達成するための準備として。