第一章 第一話 その男、監察医につき
ちょっとシリアスな書き出しで始めましたが、ゆるくなる部分もあります。
結構グロや悲しい話も入るかと思います。
男の運転する自動車が深夜の海岸沿いを走っていた。
「ふぅ・・・しかし、やりきれんな」
男の名前は榊 伊織。
職業はH県の監察医。
運転席側の窓を開け、シガーライターでタバコに火を点ける。
職業柄『死』を身近に感じていて健康にも気を使う彼だが、酒も飲めばタバコも吸う。
そうでもしないとストレスで寿命を縮めてしまいそうだったからだ。
そして男は気が滅入っていた。
『死』を扱う職業。
『死』と向き合う職業。
『死』と対話する職業。
年齢は42歳、家族親族は無し。
趣味は料理・読書・そして一人キャンプ、理由は生きた人間が苦手だからだ。
早いうちに両親を亡くしたので料理は趣味というより必然と身につけたスキルだった、しかし手先が器用で凝り性な彼は趣味に位置付けていた。読書は孤独を好む彼の性格と知的好奇心を満たすための趣味だったが、本人は気付いていないようだが『活字中毒』『読書中毒』と言えるレベルに達していて、最近では宗教書と電話帳以外なら何でも読んでしまうくらいになっていた。一人キャンプに関しては一人で家に籠っているのもつまらないからと、最近読んだ漫画の影響で始めたものだった。
彼は俗にいう『コミュ症』という訳ではない、職場の同僚や関係者とは普通に人間関係を築いて円満に職務を遂行しているし、飲みに誘われて居酒屋をハシゴしたり社内旅行に参加することだってある。
単に孤独が苦痛でない、どちらかと言うと孤独が好きなタイプなだけだった。
人間が嫌いな訳ではない、むしろ人を助けたい、病気やケガで苦しむ人達を助けたい気持ちから、彼は医師を志し一浪して医大に入った。
そして必死に勉強して研修医になった、彼は研修医として大学病院の現場に立ち様々な医局で研修を受けた。
しかし、そこで彼は医療現場の現実と医療の限界を感じた。
どうしても治せない病、どうしても救えなかった命。
必死に生きようとしている患者を助けられない自分、必死に助けようとしているのに生きる望みを失ってしまった患者。
色々あって彼は生きた人間への医療行為が苦手になってしまった。
生きた人間が苦手だから監察医を選んだと言うのに、このままでは死者ですら苦手になってしまいそうだった。
この日、彼の元に送られてきたのは推定五歳と思われる女児の遺体だった。
『推定』というのは、彼女に相当する戸籍が無かったからだ。
無戸籍児と呼ばれる子供。
親には親の事情と都合があったのだろうが、それを加味してもこの女児の遺体を前にして、どのような理由や理屈が通るのだろうか?
現場に行った検死官の見立てでは女児の死因は『不明』とされていたが、極端に痩せ細った身体を見れば親が保護者としての責任を果たしていなかった事は一目瞭然だった。
女児は年齢はおろか名前すら判明していない。
警察では女児が発見されたワンルームマンションの部屋の名義人、つまりはこの女児の母親と思しき女性を探しているが、マンションの契約書に書かれていた勤務先は一年以上前に無断欠勤を繰り返しクビになっていた、周辺住民への聞き込みをしたが住民は女性の顔はおろかその部屋に女児がいた事すら知らなかったらしい。
女児の遺体は滞納された家賃の督促に来た不動産会社の社員が偶然発見したとの事だった。
鍵の開いたドアから中を覗き込んだ社員が、部屋の中でうつ伏せになって亡くなっていた女児を発見して通報したらしい。
検死解剖をするステンレスの解剖台に載せられた女児の姿が脳裏にこびりついて離れない。
やせ細って枯れ枝のようになってしまった手足、極度の栄養失調から浮き出た肋骨と反対に腹水で膨れ上がった腹部。
職業上、もっと酷い状態の遺体を検死したことだってある。
一か月以上、海を漂っていたと思われる遭難者。
32階建てハイタワーマンションからの転落者。
木造家屋の火災で亡くなった焼死者。
いつもは眉一つ動かさず黙々と記録を取る、将来は良い監察医になりそうな助手の二人が今日は何度も鼻を啜り上げていた。
帰り際に終日営業の居酒屋を検索していたのは夜通し飲んで朝を迎える気なのだろう。
二人を定時で返した後、21世紀のこの恵まれた日本という国、その都市部では考えられない『飢餓状態からの多臓器不全』という死因を死体検案書に記した時、彼は虚無感と言いようのない怒りを感じていた。
「やりきれんよなぁ・・・まったく」
運転しながらの何度目かの呟き。
「主任も一緒に飲みましょうよ~」
と、助手達が誘ってくれたのを車の運転があるからと断ったのを、彼は少し後悔していた。
最近、彼は特に『不条理な死』と言うものを感じていた。
『人を殺してみたかったから』
『死刑になりたくて』
『むしゃくしゃしたから』
『誰でもよかった』
最近、こういった理由にもならない理由で人生を終えた被害者の遺体と向き合う事が増えてきた。
そういった事件の裁判に出廷し、証言を求められる事も増えてきていた。裁判員裁判や被害者遺族の裁判参加制度もあって、少しはマシになったかと思ったが被告人は全く反省していないどころか寧ろどこか誇らしげにしていたり、逆に白々しいまでの演技で『反省しているフリ』をしている者ばかりだった。
その度に、彼はこんな思いに駆られていた。
『被害者が判決を下せたらな・・・』
それは危険な考えだった、近代法治国家の根幹を犯す危険な思考だった。
「帰って風呂入って・・・少し飲むか」
いくら滅入っていても明日はやってくる。
それが生者の特権であり、明日を生きるのが生者である彼の義務だった。