帆船
ウィーケンドから東に馬を走らせること3日間、私はとにかく飢えと戦っていた。
全く、元の世界で、いかに食べ物に恵まれていたかを思い知らされる。
当たり前のように家の中には冷蔵庫があり、新鮮な肉や野菜類が保存されている。当然飲み物だってそこら中に自販機で売ってあるし、別にお金がなくても蛇口を捻れば冷たい水が出てきたりと、至れり尽くせりだ。
ここファンタジアにはそれがない。というか、何が食べれるものなのか全く見当がつかない。ここで発見したものと言ったら、紫色の小さなスイカみたいな模様の果物に、地面から湧き出てくる乳褐色の温水だ。下手に手を出して猛毒でした、では洒落にならない。いくら財布に札束とクレジットカードが入っていようとも、ここでは何の役にも立たなかった。
涼子さんと別れてから3日経ち、砂漠地帯を抜け、私は深い森の中へと足を踏み入れていた。私の身長の5倍はあろうかという巨大な樹木の横を、馬がこけないようにゆっくりと進んで行く。3日3晩馬を走らせたせいか、かなり乗馬にもコツをつかんでいた。時折遠くの方で鳥や小動物らしき鳴き声が聞こえたが、視界を灰色の木々に遮られ未だにその姿を見たことはなかった。
正直、私は焦っていた。この森を抜けるのに、後何日かかるのだろうか。そもそも、涼子さんに大まかな方向は教えてもらったものの、道があってるのかどうかさえ分からない。下手をしたら、息子のいる城にたどり着く前に人知れず息を引き取る可能性だってある。鞄に入っていたなけなしの清涼飲料水と菓子もとっくの昔に、底を尽きてしまった。とにかく明日になったら、狩りでもなんでもして食べ物を調達しないといけない。
「どう、どう」
やがて森が夜の闇に染まっていくに連れ、辺りは不気味な静けさに覆われていった。星空も見えない深い夜の中、私は蒼馬を止め、小さな窪みの所で一晩過ごすことにした。適当に枯れ木を集め……何しろ枯れ木だけなら辺り一面に落ちている……コンビニで貰ったサービスライターで火をつける。
思った以上に冷えていた体を暖めながら、小さな物音ですら聞き逃さないように耳を澄ませた。こんな暗さの中じゃ、いつ猛獣や怪物に襲われたっておかしくない。どっちにしろこの空腹じゃ、満足に眠れそうにもなかった。
……はずだったが、気がつくと既に森は明るく、穏やかな木漏れ日が射していた。どうやらあまりの疲労感に、眠り込んでしまったらしい。ゴツゴツした地面から体を起こすと、変な寝相をしてしまったのだろう、妙に背中が痛かった。
「何だ……?」
私の体から何かが滑り落ちて、私は眉を細めた。拾い上げてみると、それは枯れ葉の集まりだった。枯れ葉を細い糸のようなものでつなぎ合わせて、まるでカーテンのように布が出来上がっている。私が寝ているうちに、誰かがかけてくれたのだろうか? でも一体誰が?
「水が……」
私は目を丸くした。昨夜付けっぱなしだった焚き火に、水がかけられている。何より、どんな魔法を使ったのか、なくなっていたはずの水と菓子が、元通りになっていた。
「誰だか分からないけれど、ありがとう。恩にきるよ」
私は森を見上げながら、誰に言うでもなしにそう呟いた。もちろん返事はなかった。蒼馬に跨り、エネルギー補給しながら森を駆け抜ける。久しぶりに飲んだ水は、今まで飲んだどんな飲み物よりも美味しかった。
私からは見えないが、きっとこの森で誰かが私を見ているということだろう。おとぎ話にあるような妖精か、あるいは森に住む魔女の気まぐれかは分からないが……。
森を抜けると、広い草原だった。草と言っても緑だけじゃない、赤や青、オレンジなど色あざやかな草丘が水平線の彼方まで広がっている。その先に、私は奇妙なものを見つけた。
数キロ先のところで、何やら巨大な船のようなものがゆっくり動いている。湖でもあるのだろうか? 草原のイメージからはかけ離れた巨大な人口物に、私は思わず釘づけになった。
「あそこまで行ってみよう。さあ、ロスカル!」
私は丘を駆け下り、船へと近づいていった。近くにいくにつれ、だんだんと船は形を成してきた。
それは、巨大な木造の帆船だった。5階建のマンションくらいある大きさの帆船が、どういう理屈なのか知らないが草むらの上を走っている。スピードは速くないので簡単に馬で追いつけた。私が馬を船の横につけると、船上から突然男の怒鳴り声が響き渡った。
「お頭! 獲物ですぜ!」
「捕らえろ!」
「何だ……?」
私は声の聞こえる方、晴れ渡る空を見上げた。それが間違いだった。突然、船の横っ腹がパックリと扉のように開いたかと思うと……。
「うわっ!!」
大きな鉄の手が伸びてきて、UFOキャッチャーさながらに私は馬ごと捕らえられ、草の上を走る船の中へと引きづりこまれてしまった。