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洞窟

「ここです……」


 案内されたのは、先ほどの湖畔からさらに南へと下ったところにある洞窟だった。砂漠の果てにそびえ立つ岩肌に、人が1人入れるか入れないかくらいの大きさの穴がぽっかりと空いている。


「ここに、あなたの旦那さんの命を奪った怪物が……」

「はい……今までたくさんの人に、怪物退治をお願いしてきました。ですが、この洞窟から生きて帰ってきた人はいません」

「一体怪物とは、どんな奴なんですか?」

「分かりません。私は見たことがないので……。ただ、ウィーケンドにはもともと人を襲うような魔物は住んでいませんでした。夫も普段、武器を持ち歩くようなことはせず……あの日も、きっと油断してたんだと思います」


 私は暗がりへとつながる洞窟を覗き込んだ。入り口から続く通路は、奇妙な形に曲がりくねって下の方へと続いている。時折吹き上げてくる風が、不気味なうねり声をあげて私の体をより一層震え上がらせた。


 さて、どうしたものか。私は内心頭を抱えた。悩める美人の願いを快く承諾したのはいいものの、怪物退治なんてもちろん今の今まで一度もやったことがない。まさか化け物相手に柔道技をかけるわけにもいかないだろう。入り口の前で息を飲む私の様子を察したのか、涼子さんは慌てて首を振った。


「あの、やっぱり不躾ですよね。ファンタジアに来たばっかりの人に、いきなり怪物を退治してくれなんて……。私ったら、一体何言ってるんだろう……本当にすいません……」

「そ、そうですよね……ハハ……」

 底知れない暗闇の奥を覗き込みながら、私は苦笑いを浮かべた。そもそもたかがサラリーマン風情にできることなど、野良犬を追い払うとかそんなレベルがいいとこだ。涼子さんは悲しげに目を伏せた。

「はあ……こんな時に、庄司さんがいてくれたらな……」

「庄司?」

 思わぬ所で耳にした息子の名に、私は思わず顔を上げた。


「ええ。庄司さんは怪物退治がすごく得意だったんですよ。昔から剣道を習ってたそうで、ここに来てからすぐ、剣を手にバッタバッタと魔物をなぎ倒していました。なんだかんだ言っても、彼は頼もしかったですよ」

「涼子さん。いますぐ剣を用意して、ご自宅でのんびりと怪物の首をお待ちください」

「え?」

「庄司に剣道を教えたのはね、何を隠そう……私なんですよ」

「ええ!? 柔道だけじゃなく剣道もやってらしたんですか!?」


目を丸くする彼女に、私は白い歯を浮かべてみせた。


……どうやら見栄っ張りな性格は、息子だけのものじゃなかったようだ。




 暗く先細った洞窟の中を、足を滑らせないように慎重に進んで行く。足元の岩場には苔がびっしりと生えており、松明の灯りが表面に滴る水をゆらゆらと照らしていった。やがて大人が1人通れるか通れないかぐらいの狭い裂け目を抜けると、開けた空間が私を待っていた。


「なんだ……?」


 洞窟は、そこで行き止まりだった。小さな公園くらいのスペースがあり、時折天井から滴り落ちる水がぴちゃん、ぴちゃんと音を響かせている。私は左手の松明をかざし、辺りを見渡した。例の怪物はどこだろうか……? 右手に握る剣の力が、自然と強くなる。手のひらに汗が滲んでいるのがわかった。


「……どこにもいないじゃないか」


 慎重に洞窟の中央まで歩みを進めて、私は拍子抜けした。松明の灯は岩肌の影を揺らすばかりで、人っ子一人見当たらない。もしかしたらもう既に、怪物はどこかに行ってしまったのかも知れない。考えてみれば、こんな洞窟では食糧も何もなさそうだ。

 緊張から一気に解き放たれ、私はホッと息を漏らした。正直言えば、勢いで依頼を受けたものの、勝てる見込みなどどこにもなかった。だがこれで涼子さんには、少しはまともな返事を出来そうだ。いやあ涼子さん、怪物退治に行ったんですがね、洞窟の中には既に、猫の子一匹いませんでしたよ。本当に運のいいやつだ。私と鉢合わせていれば、ギッタンギッタンの骨抜きにしてやったんですがね、ハッハッハ! ……などと妄想に耽りながら、私は出口を振り返った。


「うぉっ!?」

「グルル……!」


 先ほど私がいた裂け目から、いつの間にか巨大な狼の顔がそこに現れていた。


 あまりの出来事に、私は思わず剣を取り落としその場で尻餅をついた。狼は隙間から顔だけ覗かせると、私を品定めするように睨みつけた。その顔だけで、私の体半分くらいはある。ギラつく歯の隙間から、ダラダラと涎が零れ落ちている。次の瞬間、狼が大きく口を開け、咆哮した。嵐のような遠吠えが洞窟内に残響し、私の体の芯をビリビリと揺らした。敵意剥き出しの獣の眼光に、本能的に私は動けなくなった。



 心臓の鼓動が、体を突き破りそうになるくらい私の中で暴れ回った。逃げようにも、足に力が入らない。怪物と鉢合わせた私は、一瞬で腰砕け、骨抜きにされてしまったようだった。


 食べられる……!


 そう確信した私は、敵を目の前にして思わず目をぎゅっと閉じた。

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