招かれざる客
「ようこそファンタジアへ。ここはファンタジア大陸の最西端、ウィーケンドです」
見た目は馬のような、三本の角を持つ蒼い毛並みの生物に揺られながら、涼子さんが私の横で微笑んだ。先ほど彼女達のいた場所から北へ3kmほど進むと、大勢の人がいる集落があるという。私はそこに案内されていた。
「村の中心は私達が住んでいたところほど寂れてないですよ! 宿屋もあるし、居酒屋みたいなものも立ち並んでます。大丈夫です、日本語も通じますよ。新しい国王になってから、母国語が日本語になりましたから」
「それは、新しい国王とやらに是非感謝しないといけないですね。それよりわざわざすいません、送っていただいて……」
私が恐縮すると、小麦色に焼けた涼子さんがますます微笑んだ。
「わっ! その仕草、日本人っぽい! あぁっ、すいません……! 元の世界の人に会うのが久しぶりだったもので……。全然いいんです! 私もちょうど、暇してたし」
蒼い馬に乗った彼女がクスクスと笑った。それにしても、まさか異世界で最初に待ち受けていたのが、同じ国の人間だったとは。もしかしたら、何かしらのトラブルに巻き込まれるのでは……と危惧していた私は、内心胸を撫で下ろしていた。
気がつくと先ほどの草原はいつの間にか途絶え、砂漠地帯に似た景色がぐるっと広がっていた。ところどころ地面から岩が突き出て、その周りに見たこともない奇妙な形の雑草が生えている。照りつける日差しに耐えかね、私はネクタイを緩めスーツの上を脱いだ。
「わあ……藤堂さんって体大きいんですね。スポーツか何かやってらしたんですか?」
「え? ええ、柔道をね……最近は週末しか行けてなかったですけど」
「すごぉい!」
ワイシャツ一枚になった私を見て、涼子さんが驚いたように声をあげた。本当はこの頃全く運動できてないし、月に一度でも行ければいい方だった。だが若い女性にそんなことを言われて、もちろん悪い気なんてしない。私は無駄にシャツの腕を捲り上げながら笑った。
「ありがとうございます。是非あちらに着いたら一杯奢らせてください。ここまで案内してくれたお礼ですよ。日本円しか持ってませんけどね、ハッハッハ!」
「え!? い、いや良いですよ私は……」
「何、構うことはありませんよ」
確か息子が、正規ルートじゃなければ両替もできると言っていたはずだ。こちらの貨幣価値がどれくらいかは分からないが、何せ初めて来る世界だ。何が起こるか分かったもんじゃない。出発前に財布にはある程度まとまった金額を入れてきてある。幸いなことに夏のボーナスも何とか無事に出してもらったし、多少の散財は覚悟の上の旅立ちだった。何なら息子をとっ捕まえた後、アイツに払わせても良い。
「ありがとうございます……お気持ちは嬉しいんですが、でも」
「良いんですよ、私だってこんな別世界に、まさか日本人がいるなんて思いもしなかったんですから。おかげで不安が吹き飛びました。お礼をさせてください」
「そういうことなら……」
涼子さんは伏し目がちに頷いた。もしかして、何か疑われてるのだろうか? 彼女の様子が少し気がかりだったが、モヤモヤした感情を言葉にする前に、私達は砂漠を抜け目的地に辿り着いた。
「なんだここは……」
私は思わず声を上げた。目の前に現れたのは、巨大な壁だった。土壁の向こうから聞こえて来る住人達の声は、想像していたよりはるかに賑わっていて、建物はみな縦に長い。まるで高層ビルのように、四角い建物が何重にも積み重ねられていて、壁から顔を出している。その姿に、私は積み木のおもちゃを思い出した。数メートルはあろうかという高さの箱からは、また積み重ねられた別の箱に向けてロープが張り巡らされており、時々中の人々がそのロープを伝って器用に隣の建物に渡っていくのが見て取れた。
「ここがウィーケンドで一番の繁華街、ロトリッジです」
「危険じゃないですか、あれ。落ちたら死にますよ」
「ええ。ですがここの人達は、あれが便利みたいで……私は一度もやったことありません」
涼子さんがぶるっと肩を震わせた。私達は蒼い馬のような生物……「ロスカル、ここで待っててね」と涼子さんは呼んでいた……を門の近くの柱に結びつけ、巨大な異世界の集落に足を踏み入れた。
門の中は、東京の大都会にも引けを取らないくらい人でごった返していた。地面だけでなく、上空に張り巡らされたロープにも、たくさんの人がぶら下がっている。皆涼子さんと同じように、布でできたシンプルな服を着ており、一人ワイシャツ姿の私はたくさんの目に晒されることになった。
「ふむ……正に招かれざる客と言った歓迎っぷりですね」
「珍しいんですよ、藤堂さんが。こんな辺境の地に異世界の人なんて滅多にこないし」
人混みの中で私は肩をすくめた。涼子さんの壁になりながら道行く人々をかき分け、比較的人の少ない、積み木の角にある飲み屋のようなところへと向かった。
そこは立ち飲み屋のような、カウンター付きのバーだった。店の前にはゴミが散乱し、壁は訳の分からない落書きで埋め尽くされている。何だか少し危険な香りのするところだ。よくよく観察すると、人々はその店の周辺を避けて歩いているようだった。確かにこれだけ汚ならしかったら、誰も寄りつきたくはないだろう。まっ昼間だというのに、中では数名の男達が酒を呑み交わしているのが見える。強いアルコールの匂いが扉の向こうから漂ってきた。私は涼子さんに目で合図し、店に近づいていった。
中に入ると、むせ返るようなお酒の匂いが鼻を襲った。カウンターにいた男達が、瓶を片手に入り口に立つ私をジロリと睨みつけてきた。180センチある私よりも、さらに巨大な男達だ。カウンターは彼ら2、3人の体だけでもうギュウギュウになっていた。さらに男達は、私の後ろにいた涼子さんを見つけると嬉しそうに彼女を指差した。
「よう、見ろよ! あれリョーコじゃねえか!」
「あ? 本当だ……おいリョーコ、もう新しい男が見つかったのか?」
「おいおい、早過ぎだろ!」
男達が下品な笑い声を上げた。決して歓迎されている訳じゃなさそうだ。私は小声で、後ろに立つ涼子さんに尋ねた。
「知り合いですか?」
「いえ、あの、そういう訳じゃ……」
「出ましょう。店が悪かったようだ……」
私は問答無用で彼女の背中を押した。店を出るとき、酒に酔った男達の声が後ろから飛んできた。
「よお、そこのデカイの! その女にゃ関わらない方がいいぞ!」
「そいつに関わった男は、みんな行方不明だ! 最初の夫もな、最初の! ギャハハ!」
「国王様に追放されたのがそんなに気に障ったのかねぇ……異国の売女め」
「行きましょう」
後ろ手で扉を閉め、私は彼女の手を引いて店を離れた。外ではまた、たくさんの好奇の目が私達を待っていた。先ほどまでは気づかなかったが、その視線は私だけでなく、涼子さんにも注がれている。今思えば、同じ服でも彼らの着ているものは涼子さんのより不自然なほど小綺麗だ。ふと、先ほどの「追放」と言う言葉が耳の中で蘇った。
急いで集落の出口に向かいながら、私は自らの失態に唇を噛んだ。どうやら涼子さん自身も、ここでは招かれざる客だったのだ。