言葉
「ええええええ!?」
「な……」
「なんじゃありゃあああ!?」
朝靄の残る飛行船の甲板に、ツミレの叫び声が響き渡った。耳の端でその甲高い声を捉えながらも、私は目の前の巨人に目を奪われたままだった。
でかい。あまりにもでかい。肩から上は雲を突き抜け、膝から下は海に浸かっている。荒ぶる海の真ん中で、波風の音が何処か遠くに感じてしまう。数ヶ月ぶりに再会した息子は、想像を超えた大きさになっていた。
「あれ、人間なの……?」
エリィが泣きそうな声を上げた。私達の周りを取り囲んでいた国王軍達も、息子の異形なその姿に腰が引き気味になっていた。
「あんな化け物、見たことねーぞ!」
隣でツミレが慌てているのが分かった。数百年を生きた魔女にとっても、この巨体は予想外だったらしい。恐らく彼女のことだ、隙を見て逃げ出す算段や、あわよくば反撃くらいのことは考えていたかもしれない。ツミレはこの世界最強の魔法使いだ。だがそんな彼女も怖気付いてしまうほど、目の前の息子の姿は衝撃のようだった。私の後ろで、ミケとチクワブがのんびりと喉を鳴らした。
「アラァ。ショージさん、少し見なイ間にまた大きくなったみたイだネ」
「なりすぎだろ!! アタマ雲突き抜けてんじゃねーか!」
「ふむ。さ、ファンタジア最強の魔法使いよ。我々も大きくなるばかりの国王に困っておったんじゃ。倒せるものなら倒してくれ」
「できるかァ!!」
ツミレがあらん限りの金切り声で叫んでいる。確かに……最早魔法やチート能力でどうこうできるようなものではない気がする。武装した蟻が野生のゾウに戦いを挑むようなものだ。あまりに圧倒的な大きさの違いに、「どうすれば上手く解決できるだろうか」なんて先ほどの私の悩みも、あっという間に吹っ飛んでしまった。
こんなもの、どうしようもない。
「静かに!国王のお言葉である!」
そう言うと、兵士達は急いで自分の耳を塞いだ。一瞬、何をやっているのかさっぱり分からなかったが、次の瞬間私は彼らの行動を理解した。
体の芯を揺さぶる爆音が、突然空から降り注いで来たのだ。それが息子の『お言葉』だと気づくまで、しばらくかかった。こちらからは見えないが、息子が雲の上から何かしゃべっている……と言うより、雄叫びを上げている。それは地獄の底から響き渡るような、人間というより獣に近い、恐ろしい叫び声だった。まるで地球全体が太鼓にでもなったかのように、音と振動が目の前の世界を埋め尽くす。この世の終わりかと思えるほどの苦痛をもろに浴びながら、私はひたすら『お言葉』が終わるのを待った。
……ォォォォォオオ……!!
やがて、水平線の果てまで不気味な余韻を響かせながら、国王の話が終わった。まるで災害が通り過ぎたかのようだった。誰もが呆然としながら、飛行船の上で立ち尽くしていた。兵士の一人が言った。
「……聞いただろう? 覚悟するんだな」
「聞いてねえよ! いやデカブツの叫び声は聞こえてたけど、何て言ってるかさっぱり分からねえよ!」
「国王は、やはり『お前達はファンタジアの平穏を脅かした。よって我が名の下に罰を処する』と仰った」
「嘘つけ! 叫んでただけじゃねえか!」
「まあそうとも言う。正直もう、私達も分かりはしないがな。とりあえず、これ以上近づいたら我々も危ないからな。おい、早くこいつらを海に突き落とせ」
「ええええええ!?」
「ちょ……待て、待って……おい!?」
兵士が私達の体を乱暴に掴み、甲板の端まで引っ張り始めた。我々は程の良い生贄として連れてこられたと言う訳だ。暴れる2人をどこかぼんやりとした目で眺めながら、私は最早抵抗する意志さえ失っていた。心が痺れたように、動かない。まさか息子が、こんなことになっていようとは思いもしなかった。すでに兵士達とも、意思疎通はできていないようだ。正直息子と会うと聞いて、何となく玉座に腰掛け不敵に笑う魔王みたいなものを想像していたのだが、これでは本物の化け物だ。何とか父親として説得し、たとえ戦うことになっても最後は「親の愛がこもった拳骨で何とかする」みたいな希望は、脆くも崩れ去ってしまった。正直言って、黒光の能力を手に入れた時から、最後はチート能力で何とかなるんじゃないかとタカをくくっていた。だがこれでは対等な対話とか、対決すら望めそうもない。あまつさえこんな姿になった息子を元の世界に連れ帰ったら、私は人類を滅亡させた張本人になり兼ねない。
私は諦めて、奈落の海に目を落とした。その時だった。
「!?」
突然、飛行船が夜になった。いや、正確には、巨大な化け物の手が、飛行船の頭上を覆い尽くして目の前が真っ暗になっていた。一瞬の出来事に、ぎゃあぎゃあと騒いでいた仲間達も、兵士達も皆動きを止め、規格外の手を見上げていた。
「……!!」
「おい……これって……」
「まずいんじゃないか……?」
「急げ!! 全員退」
避しろ……と、誰かがそう叫び終わる前に、飛行船は巨大な手のひらによって握り潰され、ものすごい勢いで雲の上まで引き上げられていった。
「うわあああああ!!」
「ぎゃああああああ!!」
「ああああああ!!」
私達は乗ってきた飛行船ごと、国王に食べられようとしていた。




