対面
見知らぬ世界の夜の空を、飛行船は進み続けている。エリィとツミレは疲れ果ててしまったのか、壁に背を預け眠りについていた。静まり返った鉄の部屋の中で、私は一人目が冴えて眠れずにいた。
正直、ここまで来て私は中々気持ちを吹っ切れずにいた。
異世界での息子の悪行を知り、こちらの世界に乗り込んで来たのはほんの数ヶ月前。それなのに、何故か遠い昔のことのように感じてしまう。それくらい、ここに来てからの出来事は密度の高いものだった。見たこともない街並みや人々。聞いたこともない食べ物や、魔法やチート能力の数々……マンネリ化していた会社の通常業務では味わえない刺激が、いつしか私を童心に帰らせてくれた。
おかしな話だ。怒り心頭で息子を懲らしめにきたはずなのに、いざその瞬間が近づくと、躊躇っている自分がいる。
もちろん妻の……佳恵のこともある。このまま庄司を倒してしまったら、息子が妻のために引き受けた呪いは消滅する。異世界の神秘の力で何とか一命を取り止めていた妻は、また病に伏すことになってしまう。それでは、私が息子を倒す意味がない。それに、妻が生きながらえているのは、息子のおかげでもある。
そして何より……私はこっちの世界のことを、思いの外気に入ってしまったのだ。初めはさっさと息子を引っ叩いて連れて帰るつもりでいたのだが、刺激的な毎日を過ごしているうちに、だんだんと「帰りたくない」と思っている自分もいた。この世界は、中々悪くない。日頃会社でサラリーマン生活を送っていた私にとって、ファンタジアはまるで憩いの場のように心に潤いを与えてくれた。
飛行船が風に流され、部屋の中がガタガタ揺れた。明かりのない檻の中で、思考はぐるぐると出口を求めて彷徨うばかりだ。私はため息をついた。
そうだ。いっそのこと、妻もこちらの世界に連れて来て、3人で暮らすと言うのはどうだろうか。そうすれば、呪いだ病だと難しいことは考えなくて済むし、何よりこちらの世界では、私も息子も考えられないくらい強力な力を持っている。生活に困ることはないだろう。現実に帰っても、待っているのはまた辛いサラリーマン生活だけだ。それならいっそ、こっちで幸せに暮らした方がいいんじゃないか? 他のチート能力者は私利私欲のためにこの世界を荒らしていたが、私は違う。決して自分のために力を使ったりしない。きっとツミレもエリィも分かってくれるに違いない。もし反対されても、私の黒光なら……。
「いや……馬鹿か私は……」
そこまで考えて、私は思わず唇を噛んだ。それじゃ、他の迷惑者とやってることは一緒じゃないか。やはり息子は連れ戻す。異世界に混乱を巻き起こした、チート能力は残さないのが最善手だ。しかし、それだとやはり妻は……。
「起きろ」
「!」
不意に部屋の扉が開かれ、中に光が飛び込んで来た。いつの間にか外は、朝を迎えていたらしい。武器を構えた兵に連れられ、両腕を縛られたまま私達は部屋の外に連れ出された。
「もしかして、もう王様のところに着いたのかな……?」
「…………」
私の前で、エリィが不安そうに囁いた。2人ともまだ眠り足りなさそうに、覚束ない足取りで船内を進んでいく。焦っているのは私も同じだった。息子を倒すべきか倒さないべきか、結局結論の出ないままその時を迎えてしまった。
「出ろ」
槍兵に急かされ、私達は外の甲板に出た。船は今、嵐のように荒れた海の上で停止している。前方には、大きな島の黒い影が見えた。あそこに、庄司がいるのだろうか? 外は厚い雲に覆われ、雫のような雨が降りしきっている。遠くの方で雷鳴が轟き、辺りを白く照らした。吹き荒れる突風で、甲板は立ってられないほど激しく揺れた。ツミレがバランスを崩し、デッキの先端で歯をしこたま打った。近衛兵がよろめく私達を見下ろして、低い声を上げた。
「国王の面前だ。頭を下げろ」
「歯ぁ?」
「国王……?」
エリィもツミレも、私も首を傾げた。デッキには兵隊と、私達以外誰もいない。雨に濡れる目を細めて、私は前方に目を凝らした。もしかして、息子は透明になれる能力でも手に入れて、あの何もない空間に立っているのだろうか? 微かな変化も見逃さないように、私は必死にデッキの先端を睨んだ。
と、その時だった。私の視界が奇妙に揺らいだ。不気味な轟音を立て、デッキの向こう側……巨大な『島』の黒い影が、ゆっくりと『立ち上がった』。『島』はやがて飛行船の遥か上空まで大きくなり、黒い影は雲を突き抜け、その『上半身』を私の前に露わにした。
気がつくと、私は腰を抜かしデッキにへたり込んでいた。空いた口が塞がらない。エリィもツミレも、他の兵士達もまた一言も声を上げず、黙って立ち上がった巨人を見上げていた。
「言ったじゃろう? 圧倒的じゃって」
「…………!!」
いつの間にかそばに現れたミケが、私の耳元でポツリと囁いて来た。兵士が高らかに叫んだ。
「国王の御成ぁりィィ!!」
圧巻だった。巨大な島だと思っていたものは、まさかの生きた人間……数ヶ月ぶりに会った、私の息子だったのだ。




