彗星
頭が痛くなるような大歓声が、夜の砂漠に木霊した。船員達の大合唱は鳴り止むことなく、耳を劈いて奥の奥まで響き渡った。彼らの誰もが……笑っている。狂気に満ちた目で、目の前で繰り広げられた惨劇を楽しんでいる。彼らが嬉々として囃し立てるその中心に、私は立っていた。右手に構えた剣で、この異世界で出会った大切な友人、エリィの体を貫きながら……。
「ど……どうして……!?」
目を見開き顔を歪め、剣に貫かれたままの少女が声を絞り出した。
「どうして、私の体が戻っているんだァアアア!?」
彼女が……自分の元の肉体に戻されたツミレが、驚きの表情を浮かべている。私はホッと肩をついた。成功だ。エリィとツミレの魂を、黒光で魔法で入れ替わる前に『戻した』。無に還すというより……概念や、考え方まで、断ち切りゼロに『戻す』能力。魔法に干渉できるかどうか不安だったが、どうやら上手くいったようだ。そう気がついた途端、背中からどっと汗が噴き出してくるのを感じた。全く自分でも、危ない橋を渡ったものだ。
「お……おじさん……?」
私達の横で、先程までのツミレが……元に戻ったエリィが……不思議そうな顔をしてこちらをキョトンと眺めていた。先程まで魔法で意識は私の目の前にいたはずなのに、急に男の体に戻り、視界も高くなり戸惑いを隠せない様子だった。
「僕……戻ったの? 本当に?」
「本当だ。エリィ、久しぶりの自分の体はどうだ?」
「き……貴様らああ!!」
浮かれっぱなしだった船員達が、やがて私達の異変に気付き波紋が広がるように徐々に静まり返っていった。目の前では歯を剥き出しにした少女が、口から血が泡になって溢れでるのも構わず叫び続けている。
「この転生魔法に一体私がどれだけの心血をォ、注いだと思っているんだァ!!」
「やれやれ。流石最強の魔法使いだな」
「貴様如きが、私の神聖な……グボァッ!?」
私は体を貫いていた剣を抜き取った。黒光で痛みやダメージを『戻して』いるとはいえ、元気な奴だ。そのまま幼い少女の首根っこを羽交い締めにして、私はツミレを宙に持ち上げた。それにしても、先ほどまで私に懐き、幼気な表情を見せてくれた少女が、今は敵対心を剥き出しにしている姿は何とも奇妙なものだった。
「離せ!! この……!」
「観念しろ、ツミレ。お前の負けだ。魔法の杖も水晶も、全部こっちの手にあるんだぞ」
私はエリィを顎で指した。さっきまでツミレが身につけていた衣装や道具は、今やエリィが体ごと奪っている。キラキラした宝石の散りばめられた衣装に、エリィは気恥ずかしそうに身を縮こまらせていた。
「返せ!! その杖は貴様らが気軽に触っていいものでは……!!」
「ほう。そんなに返して欲しいのか。長年棄て置いたその体では、道具なしに魔法を使うのは難しいのかな?」
「ぐっ……!」
ツミレが悔しそうに顔を歪めた。その瞳の奥は、だが決して諦めてはいなかった。
「……貴様ら、これで私に勝ったなどと思うなよ!? おいお前ら! 構わん、私ごと『サンダーボルト』でここら中を焼き払ってしまえ!!」
「何をする気だ……?」
「杖さえあれば……私だけでも復活できる! 最悪、また手頃な入れ物を見つけて魂を転生させればいいしな!」
「おじさん……まずいよ……!!」
私の腕の中で、ツミレがニヤリと笑った。エリィが慌てて私の袖を引っ張った。策を巡らせて取ったつもりの人質が、「自分ごと私達を殺してしまえ」と、そう言っているのだ。玉砕覚悟の船長の号令に、草船の男達は、しかし一言も声を発さず静まり返ったままだった。
「どうした?お前達、さっさと……!」
「………?」
「ツミレ様……?」
「おい……どうしてあの見習いが生きてるんだ?」
「なんであの餓鬼が俺達に命令してるんだよ?」
「ツミレ様ァ! とっととそいつを殺っちゃいましょう!!」
元の体に戻ったツミレの命令に船員達から返ってきたのは、戸惑いの声だった。
「どうやら誰も……元のお前の姿を知らないみたいだな」
「しまった……!」
今度はツミレが慌てふためく番だった。
「もういいだろ、ツミレ。大人しく降参するんだ」
「ふざけるな!」
「私だって、元々は息子を倒しにこの世界にやってきたんだ。エリィのために、お前の体を戻しただけさ」
「だけ!? だけだと!? そのだけのせいで、私は……!!」
「協力してくれ。息子を懲らしめるのに、お前の力が必要なんだ、ツミレ」
「勝手なことを言ってくれる! 私は『オーデン最後の魔女』だぞ!? 私の下ならともかく、誰がお前何かと……!」
なおも腕の中で暴れ回る少女に、私は肩をすくめた。仕方がない。元の体に戻った魔女の頭が冷えるまで、しばらく暗い船の奥底で過ごしてもらうしかなさそうだ。
「さあ船に帰ろう、エリィ」
「でも、どうするのおじさん? 僕、これから船に戻ってツミレ様の身代わりなんてできないよ? 魔法も使えないし……」
「ふむ。きっと使えるはずじゃぞ」
どこからともなく声が聞こえてきたかと思うと、足元に黒猫がすり寄ってきていた。先ほど裏切りが判明したばかりの、内通猫ミケだった。
「ミケさん!」
「…………」
「でも僕、魔法なんて一回も使ったことないよ!?」
「エリィ殿の肉体で、長年ツミレが魔法を使ってきたからのう。きっとその体にも、魔法に対する順応力みたいなものが出来ておるはずじゃ。でなければ、ツミレが転生したその体で魔法を使えていたはずがない」
「そ……そうなんだ……」
エリィが両手を目の前に掲げ、まじまじと見つめた。
「ほれ。その杖で、試しに船を動かしてみるといい」
「え……!? どうやって?」
「既に動力源には魔法陣が描いてある。後は杖を握って、そこに向かって念じるだけでいいんじゃ」
「やめろ! それは私が描いた……ムグぅッ!」
「へええ……!」
最初はおっかなびっくりだったエリィも、やがて目を輝かせ杖を振り回し始めた。
「えいっ! 動けっ! えいっ!」
「そうそう、上手いぞぉ!ほれ、段々船が浮き始めとる……」
「お頭ぁ! もっとゆっくりやってください!」
不安定に揺れる草船の上で、男達が慌てて近くの柱にしがみつくのが見えた。さっきまで私を潰さんと邪悪な目をしていた魔女が、少年のように無邪気にはしゃいでいる。私はエリィを羽交い締めにしたまま、ミケをじっと見つめた。
「ミケさん……あなたは、2重スパイだったんですね?」
「…………」
「あなたは、一体どっちの味方なんですか?」
「……最初から言っておるじゃろう。わしはチクワブ様の味方じゃよ。国王を倒してくれるのであれば、ツミレでも、お主でもどちらでも構わん」
黒猫が、澄まし顔で唸った。
「お主の力を見込んで、ツミレの船に呼んだのも本当じゃぞ。安心せい」
「話半分に聞いておきますよ……」
私はため息をついた。この老猫、どこまでが本当でどこまでが嘘か分からない。ただ、私の孫娘を大切にしていることだけは確かなようだった。
「おじさん! 早く早く!!」
ふと顔を上げると、地上から5メートルくらい浮き上がった船が、斜めにバランスを崩しふわふわ宙を漂っていた。その手前で、エリィが嬉しそうに杖を振り回しこちらに手を振っている。私はようやく緊張から解放され、笑みを取り戻した。魔法が使えるようになったことが、よっぽど嬉しいのだろう。彼の手の動きに合わせて、背後で船から船員達が振り落とされていくのが見えた。
「行こうよ!僕が船を動かすからさ!」
「ああ。待ってろ、今行く……」
その瞬間だった。
突然、空の彼方から彗星が降ってきたかと思うと、一直線にオンデンデ号に直撃した。
「ぎゃあああああ! お頭あああ!」
「うわあああああああ!!」
轟音とともに船は真っ二つに砕かれ、辺り一面に白煙と砂埃が舞う。そのまま地面にぶつかった彗星は、そのエネルギーを瞬く間に地表に伝え地面を揺らした。衝撃波でふっ飛ばされ、私達の体は砂浜から弾き出され、草原に転がった。
「えええええっ!?」
「な……っ!?」
空中でバラバラにされた草船が、その破片を雨のように降らした。一体何が起こったのか、誰にも分からない。誰もが混乱と驚きの中、落ちてきた彗星の方向を見つめた。すると、立ち込める白煙の中から、何と彗星がゆっくりと立ち上がり、何事もなかったかのようにこちらに歩いてくるではないか。私は目を見開いた。
「ヤア!オトウサン、久シぶり!」
手を降ってこちらに姿を現したのは、彗星……ではなく、他でもない私の孫娘、チクワブだった。