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語られ始めた物語

 「これは……」


 見慣れない景色を前に、私は思わず息を飲んだ。 


 何とも奇妙な空間だった。チャンネルを「異世界」に合わせ、自宅のTVの中に片足を突っ込むと、そこには見たこともないような世界が広がっていた。辺り一面白い霧が立ち込めているかのように景色がぼやけている。ここが、異世界へと通じる道ということだろうか。何故私の家のTVが入り口になっているかは分からないが……。壁も、床もおぼろげに霞む霧の通路を、私は慎重に進んでいった。


「……出口だ」


 やがて視界が開け、とうとう向こうの世界への出口と辿り着いた。歩いて大体5分程度といったところか。私は胸をなでおろした。一体どんな危険が待ち受けているかと身構えていたが、毎日の秒刻みの通勤ラッシュと比べれば大したことはない。一度深く息を吸い込み、意を決して私は霧の外へと一歩足を踏み出した。


「……!」


 そこで待っていたのは……地平線の彼方まで広がる、草原の海だった。外の世界の明るさに、私は思わず目を細めた。立っている小高い丘の上から、遠くに見える民家まで、ずっと緑が続いている。穏やかな風が自然豊かな緑の香りを運んできて、紺のネクタイを揺らした。遥か前方には巨大な壁のような山脈が連なり、その先には青々と光り輝く空が広がっている。


 まさに絶景だった。普段の生活では決して見ることのできない光景が、目の前にあった。これだけでも、異世界に足を運んだ甲斐があったというものだ。ここでゴルフをしたら、さぞ気持ち良いことだろう。息子が現実世界に帰りたがらなかった訳が、少しだけ分かった気がした。

 

 だが、いつまでもここで素晴らしい景色を眺め続ける訳にもいかない。早く息子を探し出し、シュチニクリンを止めなくては。私は気を引き締め、麓に見える民家を目指し歩を進めた。



 「変だな……」


 だんだんと民家が近づいていくにつれ、私は否応無しに異変に気づかされた。丘の上では感じることのできなかった異臭……何かを焼け焦がしたような、息もつまる匂いが辺りから漂ってきたのだ。下ろし立ての白いハンカチで鼻を押さえながら、慎重に民家へと近づいていく。


 集落……と呼べるのだろうか。開けた土地に、ポツポツと2、3軒の古びた家が立ち並んでいる。その壁にはヒビが入り、ところどころ土が崩れて穴が空いていた。異臭はこの辺りから酷く匂ってくる。

 立ち止まり辺りを見渡すと、民家の前で母親らしき女性と、数名の少女達が服を干しているのが見えた。チクワブのように猫耳が付いている訳でもなく、顔つきは日本人とさして変わらない。着ているものも奇抜ではなく、異国の地の民族衣装のような、布でできたシンプルな衣装だった。彼女達なら、話が通じるかもしれない。そう思った私は、ゆっくりと彼女達の方に近づいていった。


 するとそれに気づいた彼女達は、ピタリと動きを止めこちらをじっと見つめてきた。私は手のひらの汗を拭い、ゴクリと唾を飲み込んだ。警戒されている。そもそもここは日本ではない。この世界の住人がどんな人々なのか、私にはまだ分からない。怪しい敵と見なされ、いきなり攻撃されないとも限らないのだ。とはいえ相手は女性……ここは、一か八かだ。軽く咳払いをすると、私は素早く彼女達に近づき精一杯の笑顔を作った。 


「やあ、こんにちは奥さん。いいお天気ですね」

「…………」


 決まった。どんな世界だって、笑顔と挨拶が基本に違いない。途端に少女達は母親の後ろに身を隠し、褐色の母親は真顔で私をジロジロと眺めた。

 

「洗濯物ですか? 精が出ますね。ここに住んでるんですか?」

「…………」 

「いやあ、ここは風も気持ち良くて、良いところですね。あそうだ、申し遅れました。私(株)テイネックス経営企画課の、藤堂蔵之介と申します。こちらが名刺です」

「…………」

「ちょっとここで、人を探しておりまして……庄……あ、いや、この国の王が住む城をご存知ですか?」

「…………」 

「…………」


 ……ダメだ、全く反応がない。相変わらず無表情の女性は、私が差し出した名刺を無言のまま手に取りじっと眺めた。言葉が通じないのだろうか? 私はふと、子供の頃読んだ少年漫画を思い出した。漫画では、何かと騒がしいお調子者が一人はいて、大抵先住民やら、そこに住むモンスターの洗礼を受けて酷い目に遭うものだった。所謂引き立て役だ。私ももう齢を重ね、少年と呼べる年齢ではなくなった。もし異世界のことを語られる物語があったとしても、その主人公はきっと息子のような青少年で、どう考えても40過ぎたオッサンではないだろう。今の私は、誰がどう見ても主人公というよりは脇役中の脇役だ。鬼が出るか蛇が出るか……目の前で突然何が起きてもいいよう、私はジリジリと身構えた。内心ビクビクしていると、女性は少女達を連れて逃げるように家の中へと入って行ってしまった。


 拍子抜けして、私は肩を落とした。……さて、これからどうしようか。どうやら突然槍を持って追い回されるなんてことはないようだが、しかし言葉が通じないとなると、息子を探すのは大変だぞ……。


「ん?」

 名も知らぬ土地の真ん中で私が途方に暮れていると、いつの間にか先ほどの女性が後ろに立っていた。その手には、何やら羊皮紙のようなものが握られている。……もしかして、地図か何かだろうか?

 私が戸惑っていると、彼女は羊皮紙を差し出しながら、目の前で深々とお辞儀をして微笑んだ。


 「初めまして。元日本在住の藤原涼子と申します。こちらが私の名刺です」

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