ひとまず一安心
「うおおおおおおお……!!」
「うわあああああああ!!」
突然目の前に現れた巨大な木造船に、私は直様エリィを下ろし踵を返した。先ほどまで歩いてきた道を、全速力で引き返していく。船は不気味な音を立てながら、だが確実に地面にいるちっぽけな私達に向かって迫ってきていた。
「どうなってるんだ……エリィ!」
「ハァ……ハァ……!」
「ツミレが操縦してるんじゃ…なかったのか!?」
「僕……知らないよ……!!」
硬い地面を水のように溶かしながら、魔法の船が近づいてくる。エリィの手を引き、全力で逃げながら私は叫んだ。エリィはツミレにとって大切な「元の体」……影武者だったはずだ。だが船は、このままではエリィをも踏みつぶしかねない勢いだった。
「埒があかない……エリィ! 合図をしたら……別々の方向に分かれるんだ!」
「! ……わかった!!」
駆け抜けていく景色の中で、前方にむき出しになった岩肌が見えた。ちょうど身長が隠れるくらいの大きさの岩陰に、私はエリィの手を引いて飛び込んだ。死角になる形で、船から私達の姿が一瞬見えなくなる。そのタイミングを見計らって、私は叫んだ。
「今だ!」
「……!」
エリィが岩陰から右に向かって、私はその逆方向へと飛び出していった。次の瞬間、草原を駆ける巨大な船の先端が、あっけなく硬い岩石を押しつぶしてしまった。間一髪、転がるように衝突を避けた私は、尻餅をついたまま、雲まで届きそうなくらい高く張られたマストを見上げていた。
「ハァ……ハァ……!」
岩を踏みつぶした船は、一瞬だけその動きを止めたように見えたが、すぐにその進路を変え……
「そっちか!」……エリィの逃げた方向へと進み始めた。狙いはエリィだ。私は剣に手をかけた。
「助けてえええ! オジサァァアアン!」
「エリィ!」
船の向こうで、遠くからエリィの叫び声が聞こえてきた。急いで起きあがろうとするも、急に走るなんて無理をしたせいか、40代になった体があちこちで悲鳴を上げた。こんなことになるならもっと、精力的に運動しておくべきだった。私は唇を噛んだ。
船の速度は意外と速く、今にもエリィの体を押しつぶそうとしていた。先ほど抜けてきた森に、エリィが飛び込む。バキバキと大木が薙ぎ倒され、夜の静寂を打ち破る破壊音が空に響き渡った。倒れた木々に邪魔され、ほんの少しだけ船の速度が緩んだ。
「頼む……届いてくれ!」
剣を振りかざし、黒光を船に向けて飛ばした。
船の『速度』を無に還す。上手くいけば、船はその動きを止めるはず……だった。
「!?」
だが、刃の切っ先から放たれた黒光は、船に届く前に見えない『何か』に衝突したように遮られてしまう。行き場を失った黒光が、闇に溶けて拡散していった。ツミレの魔法に違いない。船を攻撃されないよう、バリアのような魔法で周りを防御しているようだ。
「それなら!」
剣を持ち替え、勢いよく地面に突き刺した。船に攻撃できないのであれば……それ以外で止めるしかない。本体がダメなら周りから攻める。社会人の嗜みだ。私もよく石頭の部長が首を縦に振らない時は……いや、今は回想してる場合じゃない。「うおおお!!」ありったけの力を腹に込めて、私は黒光を解き放った。黒光に包まれた緑生い茂る原っぱが、その姿を変貌させていく。草花は枯れ、やがて草原地帯に荒れ果てた砂漠が広がっていった。
草原を本来の姿……かつてこの星が生命で溢れる前に見せていた更地へと『戻す』。動力源を失った『草原船』は砂にその巨体を取られ、やがてその動きをゆっくりと止めた。
「エリィ!!」
出来上がった巨大な砂浜に足を取られつつも、私は必死になって前に進んだ。彼女は……いや彼は無事だろうか。押しつぶされていなければ良いが……。
「待て。『サンダーボルト』はまだだ。私が良いというまで攻撃するな」
すると、傾いた船から、聞き慣れた高い声が聞こえてきた。ツミレだ。甲板から、意地悪そうな目をした少年が、私を嘲笑うように見下ろしていた。その周りには、彼の手下達がずらりと立ち並び、魔法の『砲台』を私に向けて構えている。彼がゆっくり右手を掲げた。その右手に誘われ、暗闇から姿を現したのは……。
「ううぅ……おじさん……」
「エリィ!」
いつの間に捕らえられていたのだろうか。手下達に首に手を回され羽交い締めにされていたのは、エリィだった。船に潰された様子ではない。油断は出来ないが、ひとまず一安心だ。
「ごきげんよう、私の大切な客人、イトコンニ。いや……ここは敬意を込めて本名で呼ぶべきかな? 憎き国王の父親、藤堂蔵之介」
空に浮かんだ朧月を背景に、砂漠に浮かぶ船の上でツミレが不敵な笑みを浮かべた。