いきなり全知全能
それから夜が明けると、船はいつの間にか草原を抜け、険しい岩肌が覗く山岳地帯に入っていた。一体どんな魔法を使っているのやら、不思議な木造船・デンオンデ号は苦もなく山脈を登っていく。向こうの山から顔を覗かせた朝日が、甲板に立つ私とツミレを真正面から照らした。早朝の山の張り詰めた冷気と太陽の熱が混じって、何とも言い難い温度が私を包んだ。
「ここに、憎っくき『チート能力者』が根城を作っている」
山の中腹にあるバンガローのような建物を睨みながら、ツミレが苦々しく呟いた。
「ここら一帯は『能力者』の巣窟だ。我々はそいつらを一掃しながら、この世界の浄化をしているというわけだ」
「では……あそこの家も?」
「もちろん。今日の標的はあいつだ」
「一体どんな能力者なんですか?」
「ふむ。あいつは自分の能力のことを『全知全能』と呼んでいるようだが……」
「全知全能!?」
私は不覚にもあんぐりと口を開けた。そんなもの、最早能力を通り越して神の域だ。一体どうやってそんなものを倒すというのだろう?
「フン。知識や能力だけに頼っている若造など、私の敵ではない。それより今日は、貴公にも見せ場を作ってやろうと思ってな」
「そんな、私は別に……」
ニヤリと唇を釣り上げるツミレに、私は慌てて作り笑いを返した。初めてツミレと面談した時、「船に乗る以上、自分にも何かしら仕事が欲しい」とお願いはしていた。だが、雑用全般ならまだしも、いきなり転生者狩りに参加させられることになるとは思いもよらなかった。
「そう謙遜するな。ウィーケンドといえば、かの大魔法使いウドーンを生んだ詠唱魔法の最先端ではないか。イトコンニ、私もまだまだほんの200歳。勉強の身だ。貴公を育んだウィーケンドの叡智を、是非私に見せてもらえないだろうか?」
「え、ええ……ですが私は魔法の方は勉強してなくて」
「なんと!」
冷や汗を流す私を見つめて、ツミレがわざとらしく大きな声を上げ驚いてみせた。相変わらず下手な芝居を打つ奴だ。
「そうかそうか、それは失礼した。しかし、困ったことになったぞ。今日はあいにく、貴公に転生者討伐をお願いするつもりだったから、他の者が出払っているのだ」
「申し訳ありません」
「仕方がない……だったら、そうだな。エリィに討伐に行かせるしかないな」
「なんですって?」
今度は私が大声を上げる番だった。ツミレは肩をすくめた。
「だってそうだろう?部下の後始末は、上司がやらなくては」
「あの子は戦えないでしょう?」
「大丈夫、死にゃしない。たとえ死んだところで、だから何だ? 鉄砲玉になるのも雑用の仕事のうちだろ」
ツミレの目の奥に、意地の悪い光が見えた。私は唇を噛んだ。嘘に決まってる。そもそも200人以上の船員がいるのに、代わりが誰もいないわけがない。エリィを引き合いに出したのも、私を無理やり戦場に送り込むため。私を試すためにわざと言っているのだろう。
「わかりました。私がもついて行きます」
「なんと! 行ってくれるのか? 流石だ、ウィーケンドの者よ。心から感謝するよ。だが、あー、奴らを甘く見るなよ? これまで何人もの偉大な魔法使いがその命を落としてきたのだからな」
「お心遣い感謝します」
「ふむ。大層な心構えだが、魔法もなしにどうやって未知の力と戦うつもりだ?」
「剣を習っていたので……」
私の腰に刺さった剣を見て、魔女は目を細めた。そんな鉄の棒が何の役に立つ、とでも言いたげな表情を隠そうともしない。この男……いやこの女は、最初からそういう算段だったのだろう。
「なるほど……それはそれは。何とも心強い。客人よ、では正式に嘆願しよう。あの山脈にいる能力者を討伐してきてくれ」
「分かりました」
「……帰りはどんなに遅くなっても構わんからな?」
「…………」
私は黙って踵を返した。甲板の扉の向こうに辿り着くまで、私はツミレの視線をずっと背中に感じていた。
「えーっ!?」
それからベッドに戻り、目を覚ました私の上司に事情を説明すると、エリィはベッドの上から落ちそうになりながら甲高い声をあげた。
「『転生者狩り』なんて、僕やったことないよ!?」
「安心しろ。私がついてる」
「でも……勝算はあるの?」
「もちろんあるさ」
私は胸を張った。実際には勝算どころか、何の算段すらない。何せ相手は、いきなり全知全能だ。だがここで私が動揺してしまっては、エリィはもっと縮こまってしまうだろう。靴紐をしっかりと結びなおしながら、私は狼狽えるエリィに部下として堂々と振る舞ってみせた。すると、足元に巨大な黒猫がどこからともなくすり寄ってきた。
「気をつけるんじゃぞ。ツミレは感づいておるぞ」
「わあ!? 猫が喋った!?」
もう一度、エリィがベッドの上でバランスを崩し素っ頓狂な声をあげた。どうやら猫が喋るというのは、この世界の住人にとっても驚くべきことらしい。私は首を傾げた。
「2人は会ったことなかったのか?」
「そりゃ船内で見かけたことはあったけど! まさか喋るとは思わなかったよ……!」
エリィが胸の前を抑えながら額の汗を拭った。
「紹介するよ。私の友達の……えー……」
「イトコンニャ=ヴュルフゲルド=ミケクリフじゃ。初めまして、お嬢さん」
「は……初めまして」
あーびっくりした、といった感じで胸を撫で下ろしながら、エリィが黒猫と握手を交わした。私は『名前長猫』に尋ねた。
「それで? ツミレが何に感づいているって?」
「お前さんが国王の父親だってことじゃよ」
「えええええー!?」
今度こそ、エリィが2段ベッドの上から落っこちてきた。何とか両手でそれを受け止めながら、私は眉をひそめた。
「おかしいな、誰にも言ってないはずだぞ……あなた以外には」
「相手は魔女じゃ。素性を探ることくらい、朝飯前じゃろう」
黒猫が澄まし顔で唸った。確かに今朝会った時、彼にはどことなく意地の悪い芝居がかったものを感じていた。あの時すでに、ツミレは私の正体に気がついていたのだろうか。
「でも……だったら何故彼は私を野放しにするのです?」
「1つは人質じゃろうな。国王を討伐する際に、使えるコマだと判断したのじゃろう。もう1つは餌じゃ。『狩り』などで派手にお前さんが動いて、父親がこの船にいるとわかれば、敵の方から接触してくるという考えじゃろう」
「どうだろうな……」
私は首をひねった。向こうの世界にいた頃は、息子からは思春期真っ盛りだったこともあり、何かと遠ざけられていた気がするが。そんな息子も、今じゃ私より2個下だ。
「そして何より、油断じゃ。ツミレはお前さんがどこにいようと何をしようと、いつでも殺せるという自信を持っておるんじゃ」
ミケが髭を揺らした。それはきっと嘘ではなく、本当にそれだけの力があの魔女にはあるのだろう。
「これはチャンスじゃ。『転生者狩り』を通じて、お前さんに目覚めたチート能力を、国王と戦えるまで鍛え上げることができる。能力者との戦いも知ることができるしな」
「『チート能力』? じゃ、おじさんのあの黒い光は……」
エリィが目を丸くして私を覗き込んだ。狭い空間の中で、2人分の視線がじっと私に注がれるのを感じた。やがてミケが口を開いた。
「いいか? 今はこの機会を利用するんじゃ。そしていずれ奴を……『無知無能』の力を持つ国王を倒す、その時まで爪を研いでおくがいい」