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黒い光

 「おじさぁ〜ん! 待ってよぉ〜!」

「おいおい泣くな。男の子だろ」

「体は女の子なんだってば……」


 草むらに足を取られないように、灰色の森の中へと進んでいく。後ろから一生懸命付いてくるエリィをからかいながら、私は昨日の寝床を目指した。もしかしたら、水や食糧を分け与えてくれたものの正体が分かるかもしれない、と思ったからだ。


 昨夜は気づかなかったが、灰色の森にはうっすらと霧がかっていた。なるほど白い樹木と霧のおかげで、視界はほとんど『灰色』だ。昨日はよく迷わず森を抜けだせたものだ、と私は改めて胸を撫で下ろした。


「おかしいな……ここらのはずなんだが」

 しばらく森を歩き、私は辺りを見回した。道を間違えたのだろうか? ある程度見当をつけて歩いては見たものの、寝床はどこにも見当たらなかった。これ以上時間をかけると、夜になってしまう。しょうがない、深入りする前に切り上げよう。私は諦めてため息をついた。

「すまない、エリィ。見つからなかったよ……」


 頭をかきながら後ろを振り返ると……そこにエリィはいなかった。


「エリィ……?」

 見失った。そう気付いた瞬間、頭からさあっと血の気が引いた。なんてことだ。危険は承知の上だったが、まさかこの距離で見失うなんて……!

「エリィ!? エリィ!!」

 誰もいない灰色の森に、私の声だけが空しく響き渡った。私は鞄を揺らしながら急いで森を引き返した。エリィは船員達から雑用のように扱われていたとはいえ、大切な仲間を見失ったと分かれば彼らだって怒るに違い無い。それに、この数時間で私はエリィのことが結構気に入っていた。無垢な少年のように目を輝かせるエリィに万が一のことがあっては、いくら私が部下とはいえ責任の取りようがない。


「これは……」

 

 道の途中で、私は何かが目に止まり立ち止まった。草むらの陰に、エリィが身につけていた髪飾りが落ちていた。ゼエゼエと息を切らしながら、私はそれを拾い上げた。まさか、獣に襲われたなんてことは……最悪の事態が頭をかすめる。


その時だった。


「おじさん!!」

「エリィ!? どこだ!?」

「ここだよ! ここだってば!」


 エリィの微かな声が、私の耳にかろうじて届いた。だが、どこを見渡しても彼の影も形も見当たらない。


「エリィ! どこにいるんだ?」

「ここ!」


 突然、持っていた鞄がブルブルと震えだした。注意深く、カバンをそっと開けてみる。すると……。


「おじさん!」

「エリィ!?」


 私は目を丸くした。中身のないペットボトルの中に、どういうわけか小さくなった少女がすっぽりと収まっていた。


「どうしたんだエリィ? 一体何でそんなところに……」

「知らないよ! もう最悪、服濡れちゃうし!」


 透明の容器を内側からどんどんと叩き、エリィが喚いた。私はボトルの中の小人をしげしげと眺めた。これも一種の魔法か何かだろうか? まるで精巧な人形のように、そっくりそのまま体が縮んでしまっている。そういえば、ボトルの中にプラモデルを組み立てて飾るインテリアが部長の家にあったが、これを持っていけば大喜びしてくれるに違いない。


「おじさん、見てないで助けてよ!」

「あ、ああ……すまない」


 エリィが唇を尖らせた。しかし、一体どうやって取り出したものか。しかも、取り出したところでエリィは元の大きさに戻れるのだろうか。


「くすくす……」

「ん?」

 森の真ん中で私が途方に暮れていると、後ろから押し殺した笑い声が聞こえてきた。振り返ると、見たことのない少年がいつの間にか後ろに立っていた。灰色の髪に、真っ白な肌。歳は10歳かそこらだろうか、まだあどけない笑顔がなんとも可愛らしかった。だが、こんな森の奥深くに、偶然通りかかったとも思えない。私は何気なく身構え慎重に少年に声をかけた。


「君は……?」

「くすくす……」

「も、森の精霊……!!」

 ペットボトルの中で、エリィが驚いたように声を張り上げた。

「……これは、君がやったのか?」


 私はエリィの入ったペットボトルを掲げた。ボトルの中で、エリィが震えだした。明らかに怯えている。少年は灰色の眼でそれを見つめながら、なおくすくす笑いが止まらなくなった。


「……出してくれないか? この子は私の上司なんだ」

「くすくす……やだよ。その子は僕が『飲む』んだから」


 ぞっ、と背筋が凍るような冷たい目を向けて、少年が何やら呪文を唱えた。ペットボトルは瞬く間に私の手の中から消え去り、いつの間にか彼の手のひらの中へと収まっていた。少年は目を細め、容器の中のエリィを見下ろした。


「くすくす……おいしそう……」

「ひっ……!」

「その子を離せ」


 私はそっと、腰に据えていた剣に手をかけた。涼子さんに借りた、狼を滅多打ちにした剣だ。少年はそれもお構いなしに、おかしくてたまらない、といった顔で私を眺めた。


「何で? 昨日お水あげたじゃない」

「水なら返す。頼む、代わりにその子じゃ割に合わない」

「そんなの知らないよ。おじさんは水が飲みたかった。僕はこの子が飲みたいんだ」


 笑いながら、少年がペットボトルに口をつけた。果たしてエリィを『飲む』とどうなってしまうのか、彼が一体何者かはわからないが、こちらの常識が通用するような相手ではなさそうだ。私は剣を抜いた。


「離せ!」

「無理だよ。ただの剣で、精霊が切れるわけ……」


 態度を変えない少年に、私は剣を彼の足元の地面に振り下ろした。脅しのつもりだった。だがその瞬間、剣が手のひらの中で暴れ回るように震え始め、刃から『黒い光』が放たれた。


「え?」


 私も少年も、エリィもみんな驚いて剣を見つめた。誰も予期していなかった『黒い光』は、剣先からうねりを上げて、瞬く間に少年の体を貫いた。私は思わず剣を取り落とした。


「ぎ……」

「なんだ、これは……」

「ぎゃああああああ!!」


 『黒い光』に貫かれた少年は森全体に響き渡るような大きな悲鳴をあげると、霧の中へと溶けるようにその姿を消してしまった。少年が消えると、エリィを閉じ込めていた魔力も消えてしまったようで、彼女も元の大きさへと戻ってその場にへたり込んでいた。ふと気がつくと、エリィが私を驚いたように見つめていた。


「す、すごいや……おじさん、精霊をやっつけちゃった……!」

「…………!」


 私は思わず自分の右手を掲げ、目を丸くしてそれを眺めた。疼かない。ちっとも疼かないけれど、先ほどの『光』は……まるで、漫画みたいに何かの力に突然目覚めてしまったような……。


「おじさん……?」


 黙ったままでいる私を、エリィが不思議そうに私の顔を覗き込んできた。自分のやってしまったことが受け入れられないまま、私はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。


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