最強の魔法使い
食堂を掃除し終えた私達は、その後船員達が起き出す前に洗濯物を干し、鍋を仕込み、庭園に水をやり、犬や猫達に餌を与え、武器庫で鎧を磨いた。船員達が大講堂で食事を取っている間、私達には乾いた食パンの切れ端と水が与えられ、一緒に中に入れてもらうことさえできなかった。これでは仲間というよりも、ただの体のいい奴隷だ。食堂の入り口で私が立ち尽くしていると、大柄の男達がニヤニヤしながらこちらを眺めてきた。エリィに袖を引っ張られ、私達は自分達のベッドへと戻った。
「ダメだよおじさん、喧嘩しちゃ」
「喧嘩なんかしないさ。エリィ、この船には何人くらい乗っているんだい?」
ベッドの上にパン屑を撒き散らしながら、おさげの女の子が答えた。食べ方がはしたないが、中身が男の子だと考えるとこんなものかもしれない。
「んーと、だいたい200人くらいかな?」
エリィの話では、やはりこの船はツミレの魔法で中が広げられているらしい。草木の生えた立派な庭園に、荘厳な絵画を飾った美術館まで、一体この船のどこに詰め込んだのだろうと思っていたが、あの青年……中身は魔女だが……の仕業だったのだ。
「エリィは……こんな生活に満足しているのか?元の体に戻りたいと思ったことはないのかい?」
「んー……でも、僕の魔法を解けるのはツミレ様だけだし、契約で僕はツミレ様には逆らえないからね」
「どうしてそんな契約したんだ?」
「冒険に出たかったんだ」
目を輝かせながら、エリィが高い声をあげた。
「僕、農家の生まれで物心ついた時からずっと家の手伝いをしてたんだ……。お父さんもお母さんも、もちろん大好きだったんだけど、なんとなく……ずーっと家にいることに嫌気がさしちゃって」
「…………」
「そしたらある日、国王軍が来て……僕の家はめちゃくちゃになった。それをやっつけたのがツミレ様だったんだ。『小僧、ここじゃない世界を見て回りたくないか?』ってね。僕は迷ったけど、どうしても誘惑に勝てなかった」
私はエリィの話を黙って聞いていた。どうやらエリィの命を救ったのが、ツミレだったようだ。エリィは冒険に憧れていたと仕切りに口にしていたが……それ以上、私は深く聞けなかった。だが、突然両親を殺された彼に取って、たとえそれが悪魔が差し出した手でも、握り返さねば生きていけなかったのではないだろうか。私はじっと、無邪気な笑顔を浮かべる少女を眺めた。
「……大変だったんだな」
「確かにここの生活は大変だけどね、農家も同じくらい大変だったよ」
それからエリィはどこからともなく弓と矢を取り出して、2段ベッドの端から嬉しそうに顔を突き出した。
「おじさん、剣持ってたよね!?」
「ん? ああ……」
「じゃあ午後からは、狩りに行こう!」
「狩りって……転生者狩りのことか?」
私は戸惑った。いくら別の世界の話だと言っても、人間を攻撃して狩るだなんて、どうしても抵抗感が拭えなかった。エリィが笑った。
「違うよ、みんなの晩御飯を狩りに行くのさ! 転生者狩りは残念だけど、僕達はまだ参加させてもらえないよ……力がないもの」
「そうか……それは残念だな」
私はエリィに引っ張られ船を飛び出した。馬小屋の前で見張りをしていた男に許可をもらい、蒼馬ロスカルを一緒に連れて行くことにした。ロスカルはあれからずっと、他の馬達と一緒に飼育されていたらしい。エリィを前に乗せ、風が踊る草原を走らせると、少女はとても嬉しそうに歓声を上げた。数分も馬を走らせると、巨大な草船が遠くの方に消えて豆粒のように見えた。
「ほらあそこ! 陸イルカが跳ねたよ!」
「陸イルカ?」
「ウィーケンドにはいないの?」
「え? あ、ああいたさ……たくさんいた」
「へえ! すごい! いいなあ、行ってみたいなぁウィーケンドにも……他にはどんな動物がいたの?」
「そうだな……『陸ウソ』とか……」
「なにそれ?」
「それにしても……どうするんだ? 200人分も食料を狩るのか?」
私はさっさと話題を逸らした。
「大丈夫だよ。1匹でも狩れば、ツミレ様が魔法で何とかしてくれるから」
「すごいな、その魔法ってやつは」
思ったよりも、この世界の魔法とやらは万能なようだ。あの魔女は、案外手強いのかもしれない。ふと気がつくと腕の中で、エリィが不安げにこっちを見上げていた。
「ダメだよおじさん……何か変なこと考えちゃいないよね?」
「変なことって?」
「ツミレ様に、逆らおうとか……。ツミレ様は、このファンタジアでも最強の魔法使いだよ? 誰も勝てっこないよ」
「そんなこと思っちゃいないさ。それよりエリィ、あの灰色の森に行ってみないか?」
「え!? あ、危ないよ!あそこは魔物だらけだって、ディコン様が……!」
「大丈夫だよ。私はあの森から来たんだから」
「ええ!? ちょ、ちょっと!!」
慌てふためくエリィをからかいながら、私は森の中へと馬を走らせた。恐ろしい噂があるようだが、私も知らずとそこを通ってきたことだし、深入りしなければきっと大丈夫だろう。
それにしても、だ。
異世界の最強の魔法使いをも追い詰める『異次元の能力』を、息子はどうやって手に入れたのだろうか? 灰色の森に向かいながら、ふとそんな疑問が私の頭をかすめた。