4 昶Ⅱ
月曜日の夜、自室にいる綾子にメールが届いた。
内容は
『窓開けろ』
という短いものだったが、その意味は言われなくても理解できた。
カーテンと窓を一気に開けると、向かいの窓から拓也が顔を出していた。
「何のご用ですかあー」
「これ渡すの忘れてたから」
そう言って、拓也はバレーボール大の包みを投げた。
綾子は危なげながらも、それをキャッチする。
「ちょ、落としたらどーすんのさ!」
「お前が拾いに行く」
「意味わかんない!」
「落とさなかったからいいじゃねーか」
「で?何これ」
ビニール袋を覗くと、更にビニール袋が入っており、中身がわからない。
「誕生日プレゼントだよ」
「えっ!嘘っ!だってくれないって昨日」
「いらねえなら返せよ」
「いりますいります!ありがとーございます!」
「じゃあな」
そう言って、拓也はさっさと窓とカーテンを閉めてしまった。
綾子はさっそく袋を開けてみる。中から、熊のぬいぐるみが出てきた。
「可愛い!」
さっそく、ベッドサイドの棚のぬいぐるみの山に混ぜる。少し考えてから、山の中から出し、1番前に置いた。
ぬいぐるみを眺めながら、これを買う時の拓也の姿を想像する。そして頬を緩ませた。
綾子は
『ありがとう!!』
という短いメールを拓也に送信する。
拓也からの返信はなかったが、気に留めなかった。
あっという間に時間は過ぎて、水曜日の放課後。
特に待ち合わせはしていなかったが、綾子が教室から出ると、既に教室の前で昶が待っていた。
「お待たせ~!」
「ううん、大丈夫!じゃあ行こっか!」
目的のお店は、学校前からバスに乗って行く。
学校に最も近い電車の駅まで、バスで10分だ。
綾子は普段から電車とバスを利用して登校しているが、昶は自転車らしい。今日は朝雨が降っていたため、昶も電車とバスでの登校だった。
昶と同じ理由で、普段自転車の生徒も今日はバスを利用している。
その分、いつもより混雑していた。
「綾子ちゃん大丈夫?掴むとこある?」
「うん、大丈夫~。でも眼鏡曇る!」
一度眼鏡を外し、ブラウスの袖でごしごしとレンズを擦る。
ぎゅうぎゅうの車内でも、昶は綾子のことを気遣ってくれていた。
綾子は「これこれ!こういうのさ!」と、その気遣いに対してテンションを上げている。
混雑していたため、普段より長い間バスに揺られた。
「やっと着いたー!暑かったねー!」
バスから降りた時の解放感は、いつもより大きかった。
今は雨も降っていない。
2人はまっすぐ、目的地を目指した。
たどり着いたお店は、イベントスペースで開かれている簡易的な物である。
さほど広くないお店には、女性客が15人程いた。
昶はその光景に踏みとどまるが
「昶くん?行こー!」
と綾子が歩き出した為、後ろをついていく形で入店した。
入店してからは、綾子も昶も夢中になっていた。
「可愛いー!ねえねえ昶くん、見て!」
「おー!こんな物もあるんだ!」
様々なポーズをしたキーホルダーやぬいぐるみ、キャラクターがプリントされた鏡やマグカップ、ハンカチなどが所狭しと並んでいる。
「何か買おうかなあ。ハンカチとか」
綾子が悩んでいると、隣で昶も
「僕も欲しいなあ。でもなあ……」
そう言って周囲を見回す。
やはり女性客ばかりである。
綾子としては、可愛らしい外見の昶がこのキャラクターグッズを購入しても違和感がないと思うのだが、本人はどうやらそうは思っていないらしい。
「なんなら、私が一緒に買ってくるよ?」
綾子が提案したが、それは昶によって却下されてしまった。
「なんかそれはそれで格好悪いじゃん!」
昶は10秒ほど考え込んで
「やっぱり自分で買うよ!」
と、意気込んだ。
とは言うものの、購入するものはまだ決まっていなかったので、もう一度店内を回る。
結局、綾子はハンカチとシャープペンシル、昶はストラップを手にレジに向かった。
昶は少し緊張しているようだったが、店員の接客は平等で、特に何事もなく買い物は終了した。
「わーい!いいもの買えてよかったー!」
そう、素直に喜びを表現する綾子の隣で、昶も嬉しそうにしている。
「綾子ちゃん、誘ってくれてありがとう」
「私も来たかっただけだし、気にしないでー!」
そこで綾子は気がついた。今日こうして外で会っているのに、特に何も起きていないことに。
これでは何のために買い物に来たのかわからない。もちろんグッズを買うためでもあるのだが、目的はそれだけではない。
このまま解散しては、昶との距離は変わらないままである。
「昶くんまだ時間ある?よかったら、何か食べて行かない?」
綾子の誘いに対し、昶は一度腕時計に目をやってから
「いいね。どこか行こ」
と、返事をした。
「昶くんは甘いもの平気?」
「うん、好きだよ」
その返答を聞きながら、見た目や雰囲気のまんまだなあ、と綾子は思った。
2人は地下の飲食店街に行くことにした。
そこにはいくつものお店が並んでいて目移りしたが、イチゴパフェを売りにしているお店を綾子が希望し、入店することにした。
店内は空いていて、すぐに案内された。
「私はこのイチゴパフェかな」
「じゃあ僕はこっちのチョコレートパフェで」
さっそく注文をする。
昶が、綾子の分もまとめて店員に伝えた。
「そういえばさ、昶くん今日なんか雰囲気違うよね!」
「……わかる?」
綾子の指摘は嬉しいものではなかったようで、昶の声のトーンが下がった。
「どこがってわけではないけど、なんとなく?」
昶は大きなため息を吐いた。
「僕さあ、天パなの。だから、雨降ると髪がね……朝直すんだけど、夕方まで保たなくてさ……」
言われてみれば、今まで会った時よりも更に髪がふわふわとしている。
綾子から見ると、それはそれで可愛らしいのだが、昶は気に入らないらしい。
「ていうか、昶くんの髪は地毛なんだね!もしかして色も?」
昶の髪は、ほんのりと焦げ茶である。
「そうだよ。もう少し明るい色だったら良かったのに」
「そう?私は好きだけどなあ!」
綾子は素直にそう言った。
綾子の純粋な言葉は純粋な気持ちごと昶に伝わったようで
「ありがとう!」
屈託なく笑うその笑顔は、やはり可愛いものだった。
そんな会話をしていると、注文していたものが運ばれてきた。
綾子は食べる前に、パフェを写真に収める。
2人で「いただきます」の挨拶をし、食べ始めた。
「わー!美味しい!イチゴ甘ーい!昶くんも食べる?」
綾子は何の気なしに、スプーンに乗せたパフェを昶に向かって差し出した。
「えっ、いや、その……」
昶は戸惑いを見せる。
彼のその反応を見て、綾子は自分の行動に気がついた。
「あ、ごめん!今のナシ……!」
慌てて否定し、スプーンの上の物を自分の口に運ぶ。
「あ!ごめんね!嫌とかってわけではなくて……」
昶も訂正を入れるが、語尾が消えていき、何を言っているのかわからない。
気まずい空気が流れてしまう。
それを何とかしようと、綾子は
「昶くんのそれ生クリーム?アイス?」
と質問をした。
「あ、ああこれ?アイスだよ」
綾子から話しかけられたことで、昶もホッとした様子だった。
それからはまた和やかな空気に戻り、会話を楽しみながら食事をした。
「あー!美味しかったー!ごちそうさまでしたー!」
「ごちそうさまでした」
綾子が食べ終わるまで待っていた昶も一緒に手を合わせて挨拶をする。
時計を見ると、5時過ぎだった。
昶の方から
「そろそろ帰る?」
と提案があり
「そうだねー!」
と綾子も返した。
しかし、立ち上がろうとする昶を、綾子は慌てるように引き留めた。
「もしよかったら、アドレス交換しない?」
「そういえば、まだしてなかったね。いいよ!」
そうして2人はアドレスを交換し終えてから、席を立った。
店を出てからは、まっすぐに駅へ向かった。
同じ方面の電車だったため、一緒に乗り込む。
ちょうど多くの人の帰宅時間で、車内は混雑していた。綾子と昶は並んでつり革を持って、立つ。
「綾子ちゃん、誘ってくれてありがとね」
昶はもう一度お礼を言う。
「ぜんぜーん!楽しかったし!」
そして出発して2駅目で、昶は
「じゃあ僕ここだから」
と、先に降りていった。
「うん!またねー!」
見送る綾子に手を振った昶は、すぐに人波の陰に隠れてしまった。