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MONSTER’S KING  作者: 犬吉
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世界は尚も残酷な選択を迫る

 トゥルナの森での一件から二週間程が経った。僕は学校の書庫で魔術書の書写を行っていた。

「………」

 カリカリと羽ペンを滑らせながら、考えるのはエルシィのことばかり。書写の内容なんて全く頭に入ってこない。

 あれ以来、エルシィは顔さえ合わせてくれない。今までは毎日のように一緒にいたのに。

 今、エルシィは同じクラスのメンバーをパーティーを組んでいる。前々から誘われていたらしい。

 パーティーメンバーには僕と同じクラスの魔法師もいる。実技も座学も相当に優秀な子だ。他のメンバーもやはり優秀な面子らしい。

 そんな中で、エルシィは頭角を現し始めていた。

 剣の才能はそれ程でもなかったけど、彼女の”風撃のギフト”との相性は抜群だったからだ。今まで眠っていた才能が、ようやく開花したのだ。

 それを邪魔していたのは他ならぬ僕の存在だった……という事だろう。

「……エルシィ」

 彼女は今、何処に居るのだろう? 東の平原か、西の森か、はたまた南の街道か。南には町や村が点在している。そこに配達をするクエストもあるから、それをやっているのかも知れないな。

 駄目だ。どうしてもエルシィの事から思考が切り替わらない。僕は深々とため息を吐くと、写本用の白紙書を閉じ、後片付けする。

 この後、東の平原に採取クエストを受ける予定だ。平原に現れたという危険な魔物は『アッシュウルフ』という。既に騎士団と、近くを通り掛かったウィードのパーティーによって討伐されているが、元々はトゥルナの森の奥にいた筈の群れが何故、平原に現れたのか……原因は掴めていないらしい。

 原因不明……か。エルシィは大丈夫だろうか? いや、大丈夫だ。だって、彼女には足手まとい()がいなんだから。


 ◇ ◇ ◇


 クエストの受注はギルドの支部で行われる。養成学校の生徒には専用の窓口があり、僕はそこで単独でも受けられるものをリストの中から見繕っていた。

 討伐系はギフトを使えば余裕だけど……それは出来ないし、やはり採取系だろうか。とはいえ、課題には討伐系も入っているし……どうしようか?

「どう? そろそろ決まった?」

「あ……いえ。討伐系で、魔法師単独で出来るものってありますかね?」

 東の草原での薬草採取の受付をしながら、話しかけてきたカウンターのお姉さんに尋ねる。もしかしたら今、仕分け中の物の中に適当なものがあるかも知れないからだ。

「うーん、そういうのは無いかなぁ。……て、そういえばいつも一緒にいた子に頼んだら? 最近は別のメンバーと組んでるみたいだけど、言えば手伝ってくれるんじゃない?」

「えっと……それは」

「あ、噂をすれば。いらっしゃい。冒険者ギルドクレッセン支部へようこそ!」

 僕の言葉を遮って入り口へと声を掛けるお姉さんに釣られて、僕も振り返る。そして――視線が交差した。

「あ……」

 エルシィと彼女のパーティーが依頼を終えて帰ってきたのだ。その体や鎧にはあちらこちらに傷があり、どれだけの戦いを繰り広げたのかが、ひと目で分かった。

「………」

 視線の交差は一瞬の事。エルシィはスイッと視線をカウンターの方へ向けた。

「すみません。依頼の『グランドアント討伐』、終わりました。討伐証拠と依頼者の署名の確認をお願いします」

「はーい。それじゃ、ちょっと待って下さいね~」

 職員のお姉さんは手早くリストを確認し、エルシィ達が出した牙やら足の爪やらを確認する作業に入った。

「あの……エルシィ?」

「――さぁて、確認終わるまで軽く食事でもしようか。ウッド、何処がいい?」

「え? あ、あぁ……そうだな」

 僕の存在を無視する様に――実際に無視しているのだが――エルシィはわざとらしく大きな声を出して、メンバーの一人に尋ねた。多分、僕らの事情を多少なり知っているんだろう。ウッドと呼ばれた戦士候補生はこちらの事を気まずそうにチラッと一瞥する。

「シャーリーはどう? この間言ってたお店、混んでなければ行ってみる?」

「え? あ~、そうねぁ……」

 今度はクレリックであるシャーリーという少女に尋ねる。が、やはり微妙な反応しか返せない。

「何よ二人共。えらく歯切れ悪いわね」

 その理由を分かっていて、さも気付かないように振る舞うエルシィ。

「エル――」

「それじゃ、東通りの新しく出来たところに行きましょう。すみませーん。私達ちょっと出て来るんで、後はお願いしまーす」

 再度の呼びかけを消し去るように、エルシイの声が響いた。あぁ、やっぱりダメだ。

 何処かでまだ、話が出来ればいつかきっと誤解は解けると……許してもらえると思っていた。

 だけど、もうそんな余地もないと彼女は言っているのだ。もう、僕の立つ場所は彼女の何処にも存在しないのだと。

「っ……!」

 僕は依頼書をひったくってギルドを飛び出した。胸が引き裂かれそうに痛くて、目が異様に熱くて、涙が止まらなかった。


 ◇ ◇ ◇


 リットの飛び出した後、ギルド内部は何ともいえない空気が流れていた。

「なぁ、良いのか……仲直りしなくてよ?」

「何が? 自分だけ助かりたくて、私を見捨てて逃げる卑怯者なんてこっちから願い下げよ」

「……いや、だけどさ」

 ウッドの言葉にも、辛辣に返すエルシイ。それでもなにか言いたげなウッドに、憤りに顔をしかめる彼女は「フン」と鼻を鳴らした。

「本当に、それが本心?」

 そんなエルシィに尋ねたのは、魔法師見習いの少女――ヒュリーであった。

「本心って……どういう意味よ?」

「そのままの意味。もし、つまらない意地を張っているだけなら、さっさと仲直りした方が良い」

「な、何よ。知った風に……!」

「学生の身分でも、私達はいつ死んでもおかしくない。もしもがあった時、後悔しても遅いもの」

 淡々とした口ぶりでそう言うと、ヒュリーは踵を返してギルドを後にした。

「な……なんなのよ、それ」

「あー、なんだ。あいつは色々遭ったらしくてな……喧嘩して、謝りたい相手がいたらしいんだが……もう、この世にいないそうなんだわ」

「え……?」

 思わぬ言葉に、エルシィは驚く。

「なんでも凶悪な魔物が襲ってきて、町はあいつを残して全滅。そんなんで自分がずっと後悔しているから、エルシィにはそうなってほしくないんだろうよ」

「………」

 後悔してからでは遅い。確かにそれは正しい。エルシィとて、また元のような関係に戻りたいと思っている。

 だが、どうしても許せないのだ。あの日、意識を取り戻して、全身を走った痛みとともに刻まれた恐怖。

 眼前に立ち、血に濡れたその姿を見せつける悪魔。その一挙一動さえ、自分を一瞬で殺してしまえると本能が悲鳴をあげるあの絶望を、エルシィに全て押し付けて逃げたリットの事が、どうしても。

 もしも、あの魔物が他の冒険者の不意打ちに驚き、逃げたりしなければ、自分は此処にこうして居なかったのだ。

 だから、どうしてもリットの事を許せない。


 その事を激しく後悔する時は、もうすぐそこまで来ているとは気が付きもせずに。


 ◇ ◇ ◇


「はぁ……」

 僕は何度目かも分からない溜め息を吐いた。依頼を受けたは良いけど、やる気が起きない。

「はぁ……」

 草原に転がって、流れる雲を見上げながら、ただただボーッとする。

 元々、僕は冒険者になりたい訳じゃなかった。エルシィの約束もあったし、何より一緒にいたくて……だから僕もその道を選んだんだ。

 だけど、もう……そんな必要はないんだ。約束も僕の想いも……全部、消えて失くなってしまった。

 失くなった……か。じゃあ、僕は……何なんだ? 今までの全てが消えて、抜け殻な今の僕は。

「いっそ、何処かに旅に出てしまうかなぁ……て、それじゃ、冒険者じゃないか。ハハハ……」

 でも、それも良いかも知れない。暗黒期が終わって、世界は緩やかな平和を謳歌している。どこか暖かな土地にでも行って、気に入れば住んでもいいし。

 ――エルシィと、このまま一緒にいるのは……とても辛いから。彼女のことを忘れられるまで、ずっと遠くに。

「ん……?」

 いきなり、顔に影が差した。それは一瞬の事で、すぐに消えた。僕は体を起こし、影が消えた空を見やった。

「っ……!?」

 自分の目を疑った。空を四足の魔物が飛んでいて、その方角がクレッセンだったからだ。

 普通、飛行する魔物は四本の足を持たない。四足で飛ぶのはグリフォンかドラゴン。もしくは――

「まさか、キマイラ?」

 キマイラ。それは複数の魔物の体を持つ、異形の怪物である。主に鳥と獅子蛇からなる魔物だが、別個体として蛇がドラゴン種だったり、獅子が巨像であったりすることもある。

 滅多に現れない大物であり、その危険度は当然Aランクだ。

 そんなとんでもないバケモノがクレッセンに向かっていった。その事実に、僕の脳が最悪の事態をイメージさせた。

「エルシィ……!」

 彼女が危ない! 僕はすぐさま、クレッセンへと向かって駈け出した。


 ◇ ◇ ◇


 私――エルシィ・シャーレットは地獄の中に居た。

 その始まりは本当に一瞬だった。突然、空から巨大な影が降ってきたのだ。その一撃でまず、商店が数棟潰れた。

人出に賑わうメインストリートは、何が起こったのかを理解できないといった沈黙の果て、次いで悲鳴が響き渡り、凶行に震えて逃げ惑う人達でパニックになった。

 今、通りには鮮血のマーキングと貪られた肉片が転がり、美味しい匂いで満ちていた空気は、死と鉄の臭いに変わり果てていた。

 ついさっきまで、いつもと同じ時間が流れていた筈なのに……どうしてこんな事に?

「エルシィ、皆……早く逃げろ……グアァッ!」

 どうして今、ウッドは地から足を離し、その体を中空に横たえているのだろう? ウッドの苦痛に濡れた声が溢れ、メキメキとその身を包んでいる鎧が軋む音が聞こえた。

 ウッドを咥えた獅子頭の巨大な影は低く唸りながら、ズシンズシンと歩みを進めている。

「ウッド! すぐに助けるから!」

 私はすぐに剣を抜いて、そのバケモノに飛び掛かろうとした。

「ダメ」

 が、その腕を誰かに押さえられた。振り向けばヒュリ―が小さく首を振っていた。

 どうして止めるの!? このままじゃウッドが……仲間を見捨てるっていうの!?

「あれは……”マンティコア”」

「っ……!」

 マンティコア。キマイラの亜種の中でも最も危険で凶暴な個体に付けられる名称だ。一見するとキマイラとの外見上の差異はないように見えるが、マンティコアは獅子、山羊、毒蛇からなる以外に存在しないのが特徴だ。

 だけど、それでも一見してコイツをマンティコアだと断定出来るものなの?

「こいつは昔……私の住んでいた町を襲ったヤツ。あの右目……見間違えるものか」

 ヒュリ―の言葉に、怒りが満ちている。確かに、アイツの右目には大きな傷が刻まれていた。その瞳に、相手がその凶悪な魔物であると改めて理解する。

「だったら尚更、ウッドを早く助けないと……!」

 例え相手が何であっても、私は絶対に仲間を見捨てない! 仲間を見捨てて自分だけ助かる……そんな卑怯者には絶対にならないんだから!

「ダメ。今の私達じゃ、どうあがいても殺されるだけ。それにもう……手遅れ」

「ッ――!!」

 私はハッとなってウッドを見た。ついさっきまで聞こえていた筈の声も、息遣いも……聞こえない。

 瞳は光を失って虚空を映し、手足もダラリと下がったままだ。鎧はバキバキに砕け、その牙がウッドの体を蹂躙し尽くしているだろうことは、容易に理解できた。

 死んだ? ウッドが……さっきまで生きていたのに?

「あ……あぁ……!」

 ベキベキと、耳障りな音を立ててウッドの体が呑み込まれていった。

 そんな……こんなにあっさりと、人は死ぬの? ううん。分かっている……違う。分かっているつもりだったんだ。

 一般市民だろうと、私の仲間だろうと……死は等しい。特別な存在などいないんだ。

「うぁ……ぁぁああああああああああああああ!」

 それは自分に突き付けられた死への恐怖からか。それとも仲間を殺した魔物への怒りからか。私はヒュリ―の手を振り払って、マンティコアに飛び掛っていた。

「グアァアア!」

 躊躇などもちろんしない。一撃で殺してやると決めた全力だった。だけど、マンティコアは毒蛇の尾をチェーンフレイルのように振るって、私をあっさりと叩き落とした。

「がはっ!」

 石畳に叩きつけられ、全身を痛烈な衝撃が走った。息が肺から吐き出され、激しく咽る。

「ゴホ……ゴホ……ッ!」

 痛い……息が……出来ない……!

「エルシィ! ヒュリー、援護して!」

「分かった。影の理よ、彼の者を縛り給え。『シャドウ・ホールド』!」

 ぼんやりとする視界の中で、ヒュリーの魔法がマンティコアを押さえたのを見た。同時に体がグイッと引き上げられる。

「シャア……リー」

「喋らないで! とにかくこの場を離れるわよ!」

 シャーリーは私を肩に抱いて、その場を離れるべく動いた。

 拘束魔法を外されまいと必死に押さえているヒュリーの姿が横目に見える。

「ヒュリー、どれぐらい持つ?」

「持って数分……いけば良い方。魔力の消耗が激しすぎる……!」

 ヒュリーの額には汗がジワリと浮かんでいる。消耗が早いんだ。何とか手助けしたいけど……魔法は不得手だ。せめてリットが居てくれたら………私は今更、何を言ってるの?

「……合図したら走る。二人共……準備は良い?」

「エルシィ、走れる?」

「何とか……行けると思う」

 息が整ってきたおかげで、体に力が戻ってきた。これなら何とか、逃げることは出来そうだ。

「行くわよ。5……4……3」

 ジリジリと下がりながら、カウントをするヒュリー。その時だった。

「グルルル……!」

 マンティコアが低く唸りだした。そして、グアンと胸のあたりが膨らんだかと思うと、獅子頭が大きく口を開けた。

 まずい! 何かが……来る!

「二人共、早く逃げ――」


「グォオオオオオオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 瞬間、私の視界が真っ白に染まった。そして、途方も無い何かが私の体を押し流し、空に大地が映っていた。

 叩きつけられ、転がる。ガラガラと何がが無数に崩壊する振動が響き、私は……意識を失った。


 ◇ ◇ ◇


「う……っく」

 身に伸し掛かる瓦礫を押し退けて、魔法師の少女――ヒュリーが体を起こす。グワングワンと揺れる頭を数度振り、意識を強引に覚醒させると、周囲の状況を見やった。

 通りの商店は完全に崩壊し、石畳も砕けたり、剥がれたりと壊滅的打撃を被っていた。

 マンティコアの咆哮。威嚇などという生半可なものではない。その叫びは大気を揺さぶり、破壊の嵐を巻き起こす。

「シャーリー、エルシィ……?」

 その粉塵が未だに視界を阻む中、ヒュリーは立ち上がって、二人を探す。

「うぅ……誰か……」

「っ……! シャーリー!」

 うめき声がした。倒壊した建物の下からだ。ヒュリーはすぐさま駆け寄って声をかける。

「大丈夫ですか、シャーリー?」

「な、何とか……だけど、結構ヤバイかも。あはは……足とか凄く痛い」

「待ってて下さい。すぐに助けを……っ!?」

 ――呼んでくる。そう言いかけて、ヒュリーは言葉を留めた。粉塵の向こうに、巨大な影が蠢いたのだ。

「……ヒュリー?」

 いる。マンティコアだ。恐怖と緊張で心臓が早鐘のように鳴る。杖を構え、術式を整える。

 家族を、自分の居場所を奪った仇敵。何時かその敵を取るためにと研鑽していた力。未だ敵わずとも、使わねばならない。

 成功率1割未満の、一撃必殺の禁術。自身の命と引き換えに、敵を死に至らしめる『絶命の鎌(デッドリーパー)』を。

 やがて粉塵が鎮まり、マンティコアが姿を現す。しかし魔獣はヒュリーたちの方を向いてはいなかった。無防備に後ろ姿を晒す魔物。何をしているのかと、ヒュリーは視線を下へと下ろし――息を呑んだ。

 マンティコアの足元に、よりにもよってエルシィが倒れていた。意識を完全に失っており、最早、マンティコアの牙からは逃れられない。

「エルシィ……! クッ……やはり使うしか」

 ヒュリーが仲間の命と、自身の命を掛け――発動の準備に入った時だった。


「『風の槌撃(エアロ・ハンマー)』!」


 ――ズドォオオオオオン!


 不可視の巨大な弾丸が、マンティコアの無防備な体を捉え、数メルト先の家屋へとふっ飛ばした。


「このバケモノ……エルシィに手を出すな!!」


 それの放たれた先には、彼女と同じクラスの少年――リット・エウシュリーが立っていた。


 ◇ ◇ ◇


 開け放たれたままの外門を潜って、僕は走った。しかし、悲鳴を上げてパニックを起こした人の波があって、なかなか進めない。

 都市防衛の任務で配備されている騎士団の人達が避難誘導をしているけど、芳しくないみたいだった。

「エルシィ……何処っ!?」

 人波をかき分けながら、エルシィを探す。もしかしたら、キマイラなんて大物を相手に戦おうとしているかも知れないが、今の彼女は一人ではない。きっと留めてくれている筈だ。となればここから一番近い避難所……広場に居るかも知れない?

 それでも、もしかしたら……もし、何か予期せぬ事態が起こって、戦わなければならない様な状況になっていたら?

「いや、大丈夫だ。とにかく今は、エルシィを探すんだ……!」

 そう思ってやって来た広場にエルシィ達の影はなかった。あとは……緊急避難所として指定されている西通りの集会場か?

「っ……!?」

 耳をつんざく突然の轟音。いや、咆哮……か? まるで魂を鷲掴みにして揺さぶられたような、そんな恐ろしい響きだ。広場にいる大勢の人達が、恐怖に身をすくませている。かくいう僕も……足が震えてる。

 それでも走る。一刻も早く、彼女を見つけるんだ!

「エルシィ……エルシィ……!」

 胸を不安が締め付ける。頭の中を最悪の事態ばかりが過る。そんな事はないと振り払おうにも、所詮は希望的観測に過ぎず、不安は増すばかりだ。

 西通りに向かうには、中央の大通りを横切るしか無い。しかし、恐らくそこはキマイラが降りた場所だ。下手をすればあれと遭遇する可能性があった。……だけど、それしか無いなら行くしか無い!

 意を決して、僕は大通りに飛び出した。

「なっ……なんて事だ」

 そこに広がっていたのは、悪夢のような光景だった。石畳は血で染まり、四肢を失くした、あるいは骨や臓物を晒したままの死体が転がっている。

 大きく、ガッシリとした建物は崩れ、見るも無残な姿を晒している。これが全て、あのキマイラの起こした惨状なのか……っ!?

「なんだ……何かが、居る?」 

 遠くで、未だにもうもうと上がる粉塵の向こう。そこに巨大な影が見えた。あのキマイラに気付かれないよう、慎重に抜けなければ。そう心に決め、通りを横断しようとした時だった。

「っ……!」

 キマイラの足元に人が倒れている……それはエルシイだった。まさか、よりにもよって何でそんな所に……!?

 このままじゃ、エルシィが危ない! 僕は自分の手札を即座に見直した。幾つかある魔法の中で一番強い魔法は――『風の槌撃(エアロ・ハンマー)』だ。

 風の中位魔法だが速度は遅いし、射程も短めと使い処が難しい代わりに、威力は上位クラスに匹敵する。僕の使える中で最高威力の手札だ。これを決められれば、いかにキマイラ相手でも時間は稼げるはずだ。

「風の理よ。我が言ノ葉に従いて集い、力を成せ。其は全てを砕く大槌なり」

 僕の呪文によって、風が両手の中に集まって渦を巻く。魔法が完成したのだ。

 即座に走りだした僕は、キマイラの体目掛けて魔法を解き放った。

「『風の槌撃(エアロ・ハンマー)』!」

 突き出した風の砲弾は螺旋を描きながら、無防備なキマイラに直撃し、派手に吹っ飛んだ。

「このバケモノ……エルシィに手を出すな!」

 建物にぶつかり、瓦礫の下敷きになったキマイラ。あれならすぐに出ては来れない。今の内だ。僕はすぐにエルシィのそばに駆け寄り、彼女を抱き起こした。

「エルシィ! エルシィ!!」

「っ……ぅぅ……」

 揺さぶると僅かに呻いた。良かった、まだ息がある!

「リット君! 手を貸して!」

「ヒュリーさん!? 一体どうしたの?」

 エルシィを抱いてヒュリーさんの方へ向かう。彼女は柱などの瓦礫を必死に退かしている。もしかして……。

「誰か生き埋めになっているの?」

「同じパーティーのクレリックよ。見捨てては置けない」

「……わかった。僕も手伝う」

 一瞬、エルシィの事が気になったけど……彼女たちはエルシィの”仲間”なんだ。やっぱり助けないと。

 僕はエルシィの体を降ろし、瓦礫に手を掛けた。キマイラは未だ出てこない。出て来るな……まだ、出て来るなよ。

「それにしても……マンティコアを吹っ飛ばすなんて、無茶をするわね」

「え? マンティコア?」

「そう。キマイラの亜種の中で、最も凶悪な個体……それがマンティコア」

「………うわぁ。よりにもよって、そんなのぶっ飛ばしたとか……恨まれるかな?」

「かもしれないわね。だから」

「さっさと……逃げよう!」

 瓦礫を退かしていくと、下に人が見えた。

「シャーリー、大丈夫? もうすぐだから、頑張って」

「うん……がんばる」

 そう言って、弱々しく笑うシャーリーさん。相当ダメージがあるみたいだ。急がないと!


 ――ドガシャァアアアアアアアン!


「「ッ――!?」」

 突然、キマイラ――いや、マンティコアを埋めていた瓦礫が崩れ落ちた。そしてその奥から、魔獣の巨躯が姿を現す。

 くそっ、あと少しなのに……!

「いたぞ、あそこだ!」

「総員抜剣! 包囲陣形を組め!!」

 その時、ガチャガチャという甲冑の音を響かせて、現れた20人程の集団――あれはクレッセンの守護騎士団だ! 良かった……これで何とかなる! 

「今の内に瓦礫をどかそう!」

「シャーリー、もう少し待ってて」

「ぅぅ……早くして……頭がボゥっとしてきた……」

 まずい。早くしないと。エルシィもそうだけど、シャーリーという子も危険だ。だけど、焦る気持ちとは裏腹に瓦礫は思うように退かせられない。

 焦るな……騎士団の人達がマンティコアを抑えてくれている内に――。


「グォァアアアアアアアアア―――!」


「ぐぁああああっ!」

「な、何だコイツは……ギャアッ!」

「まさかコイツ……マンティコアか!?」

 マンティコアの咆哮が響き、次いで金属が砕ける甲高い音がした。振り返った僕の目に飛び込んできたのは、甲冑を纏った騎士達が数人纏めて、空高く引き飛ばされている光景だった。

 騎士というのは戦闘のスペシャリストだ。苛烈を極める訓練で徹底的に鍛えられた、国の剣にして盾。国民を守る生きた城壁だ。

 それを、まるで路傍の石を弾くみたいに……! これがマンティコアなのか!?

「何をしているの! 早く手を動かして!」

「あっ、うん……ごめん」

 ヒュリーさんの言葉に、ハッとなった。今は騎士団がマンティコアを抑えてくれることを信じて、シャーリーさんを助けないといけないんだ。

 聞こえる悲鳴を不吉な音に心が焦り、恐怖がこびり付いてくる。急げ……急げ!

「これで……最後!」

「うぅ――りゃ!」

 ガラガラ! と、最後の瓦礫を退かして、シャーリーさんを引き出す。見た感じでは左足と両腕を骨折しているようだが、それ以外に目立った外傷はなさそうだ。とにかくここを離れて、二人を医者に見せないといけない。

「早くここを離れよう」 

 僕はエルシィを抱え上げ、ヒュリーさんはシャーリーさんに肩を貸す。少しでも早く逃げようと、僕達は歩き出した。

「グルゥゥゥアアアアアアアアアアアアア!」

 その時、一際大きい咆哮が背後で響いた。同時に地を打ち鳴らす足音が、不吉のリズムを刻みながら近づいてくる。まさか――!

「危ない――!」

 振り返る僕。ヒュリーさんの悲鳴に近い声が響いた。僕は咄嗟にエルシィの体をかばう!


 ――ばつんっ!


 最初に感じたのは強く引っ張られる感覚。それはあっさりと消えて、何か強い圧力が腕に掛かったと思えば、またすぐに消えた。

「ぐ……あ……ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 痛い! 痛い痛い痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い――!!

 全身の神経に火が点けられたように、熱が暴れ狂う。ダバダバと際限なく血が溢れ出し、目の前がグルグルと揺れる。足に力が入らず、体が支えられなくなって、膝から崩れ落ちる。その根源は僕の右腕――があった場所だった。

 マンティコアに――腕を食われた。そう認識出来たのは、自分の作った血だまりに体を横たえた時だった。

「はぁ……はぁ……え、えるしぃ……」

 赤く染まってぼんやりとする視界に、マンティコアの後ろ姿とヒュリーさん達が見えた。あの引っ張られた感覚は、マンティコアによって後ろに放られた感覚だったようだ。

 ダメだ……早く逃げて……! くそっ……意識が朦朧とする……。 このままじゃ、エルシィが……殺される……。どうしたら……どうすればいい?

 そう思った時――それは過った。ある……最後にして最悪の手段が。

 『変異因子(イモータル・ジーン)』。あの力を使えば、マンティコアから皆を――エルシィを守れる。

 だけど、使うのか? 使えるのか? ここは誰も居ない森じゃない。多くの目がある町中だぞ? もしもそんな事をすれば……僕はここには居られなくなるんだぞ?

「っ――がぁ!」

 地面に力いっぱい頭を叩きつける。違うだろ! 今……今やらなきゃダメなんだ!

「エルシィに……!」

 たとえ此処に居られなくなっても……エルシィの傍に居られなくても!

「エルシィに……!!」

 それでも、彼女を守れるなら……僕は何も要らない!!

「エルシィに手を出すなぁああああああああああああああ!」

 血だまりが漆黒に染まり、僕の体を包み込む。もう後戻りできない。だけど、後悔はしない。これがきっと……僕の運命なんだ。だったら、このまま突き進むだけだ!


「グォオオオオアアアアア――ッ!!」


 湧き上がる力。食い千切られた腕も元に戻っている。その巨躯はマンティコアさえ超える。

 僕の存在に気付いたマンティコアがゆっくりと振り返る。

 行くぞ……ここからは、化物同士の戦いだ!!

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