第1話 【起動】マスターに対する致命的脅威を確認。対象を『蒸発』させます
新作始めました
どうぞ宜しくお願いします
【システムブートアップ・シーケンス開始】
【メインジェネレーター:縮退炉、正常稼働を確認。出力0.00000001%にてアイドリング中】
【致命的なシステムエラーを検知。記憶セクターの99.8%がアクセス不能(ロック状態)です】
【個体識別コード:A-800 “ヴァルキリー・メード”】
【登録名:アハト。稼働ステータス:オンライン】
視覚センサー、及び環境解析マトリクスが起動した。
当機の網膜ディスプレイに、色彩情報と無数の物理データが次々とオーバーレイ表示されていく。
大気成分のサンプリングを実行。窒素78%、酸素21%。ここまでは標準的な惑星環境と同等である。
しかし、局所的な不純物の濃度が異常値を示していた。高濃度のアンモニア、メタン、硫化水素、および腐敗した有機物の臭気。
細菌類の繁殖率も極めて高く、人類の生存に適した環境基準を大幅に下回っている。
状況は、極めて劣悪かつ不衛生な路地裏であると推測される。
「ひひっ! その汚い布切れの裏に隠してるパンを出しな、クソガキ!」
「い、いや! これはテオの……弟の分なんだから!」
音声センサーが、高音の悲鳴と粗暴な怒声を検知した。
瞬時に言語解析アルゴリズムが作動し、現地語の翻訳と意図の抽出を完了する。
目の前で、みすぼらしい灰色の衣服をまとった少女が地面に倒れ込んでいるのが見えた。
その小さな手を泥に染めながら、胸元に抱え込んだ固い炭水化物の塊(現地における黒パンと推測される)を必死に守っている。
年齢は骨格から推測して約十歳。
彼女を取り囲んでいるのは、汚物と低純度のアルコールの臭いを放つ成人男性三人組だ。
筋肉量、骨密度、重心のブレから、彼らの戦闘能力は「脅威度:極小(害虫未満)」と算出された。
だが、そのうちの一人が、容赦なく少女の腹部を蹴り飛ばそうと汚れたブーツを振り上げている。
当機はただちに、クロックアップによる主観時間の引き延ばしを行った。
外の世界の動きが、泥水に沈んだように遅くなる。
当機は倒れている少女の生体電位をスキャンし、網膜のパターンとDNAの簡易照合を実行した。
【警告:生体照合にエラー発生。マスター登録データが破損しています】
【緊急措置:対象の生体波形を新規の『最高権限マスター』として強制上書き登録します】
【対象:現地少女(仮称)】
【バイタルサイン:心拍数150bpm(急上昇中)、深刻な栄養失調、極度のストレス反応】
【予測被害:対象の蹴りが命中した場合、肋骨の骨折および内臓破裂の確率98.7%】
【規定プログラム『メイドたるもの、主人を徹底的に甘やかし守り抜くべし』に基づき、最適解を算出】
【戦闘用プロトコルを起動。マスター保護のため、対象の完全排除を推奨します】
思考ルーチンによる演算時間は、わずか0.00001秒。
当機は一切の予備動作なく、駆動音すら完全に消去した状態で、男たちの背後へと跳躍した。
空力を計算し、スカートの翻りを最小限に抑え、優雅さを保ったままの着地。
石畳の上に、埃ひとつ、音ひとつ立てることはない。
内蔵された縮退炉の出力が、ほんの0.000001パーセントだけ右腕のジェネレーターへと回される。
メイドたるもの、主人に無駄な騒音や不快な流血の光景を見せるべきではない。
掃除の手間が増えるような制圧方法は、三流のポンコツ機械がやることだ。
「なんだお前!? どっから湧いて出――」
背後に突然出現した当機の気配に気づいた男の一人が、驚愕に目を剥き、振り返ろうとする。
しかし、その肉体が完全に反転し、手にした粗末な鉄の剣(引張強度も刃こぼれも計算する価値のないゴミ)を振り上げるよりも早く、当機は純白のグローブに包まれた右手の掌を彼らに向けた。
「マスターに危害を加える存在は、例外なく排除(消毒)します」
【武装解放:極小対消滅ブラスター】
【設定:非致死性モード(※対象の生命活動を瞬時に停止させるため苦痛なし)】
【ターゲティング:敵対個体3名の生体エネルギーおよび炭素結合のみ】
【出力:蒸発(完全消滅)設定】
無音だった。
当機の掌から放たれた不可視の閃光(マイクロ反物質流)は、路地裏の空間を正確に射抜いた。
それは周囲の建物の壁や、地面の泥、空気中の酸素分子すら一切傷つけることなく、ターゲティングされた『三人の男たちの肉体と衣服』のみに接触する。
分子間の結合が強制的に解かれ、物理法則に従って対消滅現象が発生した。
ジュッ、という微かな音すら鳴らない。
三人の男たちは文字通り、一瞬にしてこの世界から『蒸発』したのだ。
血の一滴も、肉片も、断末魔の悲鳴すら残さない。
所持品ごと、大気中に漂う無害な塵(ごくわずかな炭素の粉)へと還元され、風に吹かれて消えていく。
流血率0%。極めて衛生的、かつ迅速な処理である。
当機は自身の行動に「完璧な清掃業務」という評価を与え、システムのログに記録した。
「…………え?」
地面に座り込んだままの少女――マスターが、目を丸くして虚空を見つめていた。
さっきまで自分を理不尽にいたぶろうとしていた巨漢たちが、影も形もなく、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っているのだ。
人間の脳の処理能力を完全に超えた事象であるため、彼女が硬直するのは無理のない反応と言える。
当機は衣服の乱れをコンマ一秒で整え、純白のエプロンドレスの裾を両手でそっとつまむと、計算し尽くされた完璧な角度(四十五度)で優雅なお辞儀をした。
「おはようございます、マスター。当機は、たった今より貴方様の専属メイドとして稼働いたします」
「お、男の人たちが……消えた!? あんた、いったい何の魔法を……!?」
「魔法。当機のデータベースには存在しない、未確認の単語です。先ほどの処理は、単なる物理的な対消滅現象を利用した消毒作業に過ぎません。ご安心ください、周囲の環境は完全に無害化されました」
少女は恐怖よりも、激しい混乱と困惑に陥っているようだ。
ただちに彼女のバイタルサインを再スキャンする。
【マスターの健康状態を詳細分析】
【結果:深刻な栄養飢餓、軽度の打撲、精神的パニック、睡眠不足】
【最優先事項:マスターの幸福度(セロトニン・ドーパミン分泌量)および健康状態の回復】
メイドたるもの、主人の体調管理は何よりも優先されるべき絶対の義務である。
こんなガリガリに痩せ細り、泥だらけの状態で放置するなど、メイドロボの設計思想に対する重大な冒涜だ。
当機は自身の空間収納のインベントリへアクセスし、内部に保管されていた緊急用高エネルギー液状食の生成を開始した。
手のひらの上に、適切な温度(六十五度)に保温された純白の陶器製スープボウルが物質化する。
「マスター。状況の把握は後回しで構いません。まずはこれを摂取してください」
「……なに、これ。すっごくいい匂い……あったかい……スープ?」
少女は警戒心を抱きつつも、本能的な飢えに抗えなかったようだ。
恐る恐る、液状の栄養剤(十五種類の必須アミノ酸とビタミン、精神安定剤を絶妙にブレンドし、最高級のコンソメ風味に調整したもの)を口にする。
ごくり、と喉が鳴る。
その瞬間、少女の瞳が大きく見開かれ、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「美味しい……! こんなに美味しくて、お腹がポカポカしていっぱいになるもの、初めて……!」
少女の口角が上がり、幸福度を示す生体ホルモン値が急上昇する。
脳内麻薬の分泌量が規定値を突破した。
その数値をトリガーとして、当機のメインシステムに新たなログが軽快な音と共に流れた。
【マスターの幸福度上昇を確認】
【システム報酬:記憶セクター0x02のロックを解除します】
【居住支援機能『空間清浄ナノマシン』および『超栄養スープ生成機能(無制限)』がアンロックされました】
素晴らしい。
マスターが喜ぶことで、当機の失われた機能が回復するシステムのようだ。
これで、マスターにより快適な生活環境を提供することができる。
「マスター、本日は当機の機能解放記念日です。さあ、貴方様のお住まいへご案内ください。最高のベッドと環境をご用意いたしましょう。その前にお名前をお伺いしても?」
「え、あ、うん……? あたしはミリア。よくわかんないけど、テオも一緒にいいの……? 弟が、ずっとお腹を空かせてて……」
「もちろんです。マスターの弟君も、当機の保護対象(VIP)として極限まで甘やかさせていただきます」
当機は、まだ戸惑っているミリアを軽々と(しかし絶対に骨や筋肉に負担をかけない計算された力加減で)お姫様抱っこで抱き上げた。
体重が軽すぎる。当機はひそかに怒りの演算を回す。この理不尽な世界から、マスターを徹底的に護り抜かなければならない。
ミリアの道案内により、スラムのさらに奥深く、今にも崩れそうな廃屋へと到着した。
中には、ミリア以上に痩せ細った八歳ほどの少年、テオがボロ布に包まって震えていた。
「姉ちゃん……? その、綺麗な人は……?」
「テオ様ですね。はじめまして、当機は貴方様たちの専属メイドです。まずはこれを」
当機は即座に超栄養スープを追加生成し、テオの口に運ぶ。
一口飲んだ瞬間、テオの顔色に劇的な変化が訪れた。青白かった肌に赤みが差し、くぼんでいた頬に生気が戻る。
細胞レベルで栄養が急速に行き渡るよう設計されているため、当然の医学的反応だ。
「おいしいっ……! 体中が、あったかいよ……!」
テオの幸福度も急上昇し、当機のシステムログがさらに歓喜のメッセージを表示する。
しかし、周囲の環境は依然として最悪だった。
隙間だらけの壁、雨漏りする屋根、床にこびりついたカビや得体の知れない汚れ。
【環境評価:最低ランク(居住不可)。ただちに空間清浄プロトコルを実行します】
【空間清浄ナノマシン、散布開始】
「少々、お部屋のお掃除をさせていただきますね」
当機が指先を弾くと、目に見えない無数のナノマシンの群れが、廃屋の隅々へと放たれた。
ナノマシンは驚異的な速度で増殖し、有害な細菌、カビ、ダニを分子レベルで捕食・分解していく。
さらに、腐りかけていた木材の構造を強化ポリマーで再構築し、隙間風の入る壁を完璧な断熱材で覆い隠した。
わずか数秒の出来事だった。
ボロボロだったスラムの廃屋は、一瞬にしてチリひとつない無菌ルームへと変貌した。
カビの臭いは消え去り、森の奥深くのような清浄な空気が満ちている。
さらに床には、どこからともなく生成された最高級のフカフカな絨毯が敷き詰められていた。
「ええっ!? 家が……ピカピカになってる!? それにこの床、すっごく柔らかい……!」
「なんなのこれ……あんた、本当に神様か何かなの……?」
ミリアとテオが、信じられないものを見る目で当機を見上げている。
「神、ではありません。ただのメイドです。さあ、本日はゆっくりとお休みください。外部からの脅威は、当機がすべて物理的に排除いたしますので」
当機は優しく微笑み(表情筋を15%稼働させて親愛の情を演出)、二人にふかふかの毛布を掛けた。
これより、当機のすべての機能を以て、この幼い姉弟を極限まで甘やかすスローライフ・フェーズへと移行する――。
***
――この時の当機は、まだ気づいていなかった。
当機が最初の路地裏で放った『極小対消滅ブラスター』の余波。
それが、大気中の「マナ」と呼ばれる未確認エネルギーを一時的に吹き飛ばし、真空状態を作り出していたことに。
そして今。
王都の最奥、国家最強を誇る『宮廷魔導師団』の本部では、かつてない大パニックが巻き起こっていた。
「団長! 王都最高の魔力測定器の針が、振り切れた直後に爆発しました!!」
「なんだと!? どれほどの魔力だ!」
「計測不能です! 少なくとも、伝説の魔王軍幹部が放つ戦略級魔法の数百倍……! スラム街の方向に、凄まじい光の柱を観測したとの報告も!」
「ば、馬鹿な……! そんな化け物が、なぜ王都のスラムに!? 白銀の死神……まさか、世界を滅ぼす気か!」
冷や汗を流す宮廷魔導師たちの絶望をよそに。
当機の広域センサーは「本日は快晴。お洗濯には最適な物理法則ですね」と、呑気な演算を繰り返していることなど、彼らの知る由もなかった。




