第4話 対話って対価が必要なもの!?
「それで、どうして教会がそんな大層な魔術陣を使ってるの?」
短い沈黙ののち、青年は低く言う。
「知るか。正当な用途ではない。
偶然見つけて、偶然その運用になったんだろう。
俺の知ったことじゃない。――それより、お前はさっさと帰る準備をしろ」
「帰らないってば!」
「魔法陣を壊したい。この石で可能だろうか?」
今度はイシュカとエリセの声が重なった。
互いにしまった、と顔を顰める。
「答える筋合いはない」
青年は微動だにせず言い放ち、イシュカへ視線を向けた。
瞬間、空気が鋭く軋む。見えない圧が部屋を押し潰すように満ちる。
——魔力だ。冷たく。重い。
イシュカの足が震え、膝がわずかに折れた。
「っ……く、そ……」
喉が締め付けられ、言葉が掠れて消える。
掴んでいたエリセの腕に、無意識に力が入る。
息を吸うことすら難しかった。
一拍。
青年は興味を失ったように視線を外し、エリセへ向き直る。
先ほどまでの殺気は嘘のように、静かに。
「――お前には、帰りを待つ者がいるはずだ」
胸がちくりと疼く。
ふっと脳裏に、“先生”の顔が浮かんだ。
いつも冷たくて、突き放すような目。
それでも――時折……ときおり……いや、ごく稀にこぼれる微かな優しさも、知っている。
(……あの人は、どう思うだろう)
ほんの一瞬、声が喉に張りついて出てこなかった。
息を吸う胸が、痛いほど強く軋む。
迷いを振り払うように、エリセは叫ぶ。
「いない!!」 食い気味に。
「友達はいるけど、親も恋人もいないし!
ほら、友達なら——こっちでもできたんだから!!」
勢いのまま、エリセはイシュカを指差した。
「ちょ、ま、まっ……!?」
イシュカは顔どころか耳の先まで真っ赤に染まり、
息が詰まったように喉がひくりと震える。
その瞬間、ツィグナトの視線がゆっくりと、氷のように冷たくイシュカへと向いた。
「っ——!?」
膝が勝手に折れる。床に手をつく格好になり、肩がびくりと震えた。
「た、頼む。お、俺に振ってくるな……っ!! げふっ——」
耐えきれず、変な声が漏れた。
沈黙。
青年は、ほんのわずかに目を伏せ、
低く、吐き捨てるように言った。
「……これほどの庇護に包んでおいて、野に放つなど——あり得ん」
「っていうかイシュカさんの質問ちゃんと答えて!
いい大人なんだから!」
青年は深く息を吐き、灰色の鉱石をちらりと見た。
地下室には薬品と血の匂い、湿った空気が絡みつく。
そして小さく眉を寄せ、少し面倒くさそうに、そして仕方なさそうに口を開く。
「……灰臓石か。珍しいものだ。よく見つけた――と言いたいところだが、短剣に加工しなければ素材の特異性が発揮されん」
「短剣に……?
だが、君も知ってるだろう、これはひどく割れやすいんだ」
青年は唇をわずかに噛み、指先で鉱石の表面をなぞるように触れながら答える。
「灰臓石は熱で割れる。
逆に“冷やす”ほど整う。
凍らせ、割れんように“たわめる”……
お前には無理だ。技術が噛み合わん」
静かに顎をあげ、もう一度息を吐きつつ、微かに目を細める。
「オルディアという北国の南区で“凍結炉”を持つ工房《白界譚の工房》を探せ。
原初素材の扱いに長けた職人がいる」
そして鋭く黒い瞳がエリセを射抜く。
先ほどまでの説明が「対価」であったかのように。
「――ほら、答えたぞ。お前は帰れ」
「帰らない!!!
いいかげんにしてよ、くどいったら……っ!」
湿った空気が震えた。
灯りが揺れ、地下室が軋んだように思えた。
イシュカはびくりと肩を跳ねさせる。
青年は眇めた目でエリセを見下ろし、つまらなそうに息を吐いた。
「魔術師にとって住みにくい時代だ。
残る理由が割に合わんだろう」
不快感を隠すことなく眉根を寄せ、エリセは顔を上げた。
目が赤い。
「助けてくれた人が困ってるのに“割に合う”とか言う!?
あなたこそなんでそんなに帰したがるの、初対面のくせに!」
地下室に、一瞬、沈黙が落ちる。
灯りがわずかに揺れた。
青年は表情を動かさないまま、低く告げる。
「……そもそも、あんなところに何の用だ。
もう誰もいない――女が一人、生きているかもしれんがな」
その言葉に、イシュカの瞳が大きく揺れた。
「――――え?」
次の瞬間、彼は椅子を蹴り倒し、階段へ向かって半狂乱の勢いで駆け出した。
「イシュカさん!!」
エリセも慌てて追いすがる。
袖を掴みそうになりながらも追いつけず、
石を蹴る足音だけが地下の廊下に響く。
ぽつんと残された青年は、短く息を吐いた。
「……余計なことを言ったな」
吐息のように落とされた声。
無造作に踏み出した足は――明らかに、急いでいた。
◆
地下室を出て少し後、静かに、しかし軽やかに青年が追いつく。
背中に向け、低く言葉をかける。
「用が済んだら帰れ。まっすぐだ。寄り道をするな」
「もう!
しつこいんだから!!」
返した声に、ふっと力が抜けた。
――寄り道をするな。
その言葉がエリセの胸を鋭く突く。
『とにかく用がないなら帰れ。
……間違っても天空の図書館に立ち寄るな、エリセ』
何度聞いたかわからない、先生の呆れ声が脳裏で響く。
(似てる……言い方まで。なんでそんなに)
エリセの声音の変化に、すぐ後ろで青年はわかに眉を動かしていた。
しかし前を走るエリセはそのことに気づく由もない。
小さな動きは、互いの心の変化を気づかせぬまま静かに積もっていく。
しばらくの沈黙と足音の後、細い路地を抜け、教会の白壁が見え始めた頃――
「いたぞ! あの黒い外套の男だ!」
「異端者だ、確保しろ!」
突然、前方の角から複数の教会兵が雪崩のように現れた。
銀の胸当てに刻まれた紋章が、月光を乱反射する。
「っ……!?」
恐怖に全身が凍りつく。
足が止まったその刹那、腕を掴まれ、背中が荒く石壁に叩きつけられた。
「抵抗するな。魔術師の仲間だな、お前も同行してもらう」
甲冑越しの冷たい声。
「……む、」
――痛みで声にならない悲鳴が喉につかえる。
(無関係だからっ!!!)
喉が震え、息が乱れる。
「離せっ!!」
エリセは足を蹴り出すが、重い腕に押さえつけられ動けない。
指が食い込み、石壁の冷たさが背骨に突き刺さった時だった――
――ヒュン。
――音もなく、銀色の環がいくつも空を裂いた。
空気が逆流し、砂埃が巻き上がる。
飛翔する輪は弧を描きながら教会兵へと吸い寄せられ、
蛇のように手足へ絡みついた。
次の瞬間、甲冑の継ぎ目へ食い込むように強烈に締まる。
「な――っ!? ぐっ!!」
金属が軋む音と、短い悲鳴。
兵士たちはひと息で地へ叩き伏せられた。
石畳を削りながら重い音を立て、数人が転がる。
動ける者はひとりもいない。
ただひとり――
エリセの腕を掴んでいた兵だけが、輪から外れて残った。
その頭上へ、影が落ちる。
どん、と鈍い衝撃。
何が起きたのかわからないほど速く、男の身体は地へねじ伏せられていた。
青年は無造作に片足を乗せた。
甲冑の胸部が沈み、石畳が低く軋む。
「っ……ぐ、あ……!」
鈍い悲鳴が漏れる。
骨が擦れる音が、近すぎる距離で聞こえた気がした。
青年の表情は、微動だにしない。
怒りではない。憐れみではない。
ただ、埃を払う動作と同じ温度で、踏みつけていた。
処理。
それ以外の意図は、どこにもなかった。
(……地面、めり込んでない?)
短く呼吸をのみ込み、エリセは言う。
「あ、……ありがとう」
青年は視線すら寄越さない。
無言のまま、冷えた空気ごと「寄り道するなと言っただろう 」と突き放す圧力だけがあった。
エリセは走り出す。
背後で、踏みつける足の重さがまだ続いている気配がする。
(似てるけど、違う。
先生は、こんな顔……しない)
胸の奥がざらりと逆立つ。
(……しない?
……する、かも)
足が一瞬だけ止まりかけたそのとき――
「前を見ろ。転ぶぞ」
刃のように鋭い声が背を撃つ。
迷いは一瞬で断ち切られた。
「わかってる!
……もう、放っておいてよ!!」
振り返らずに叫ぶ。
青年は小さく鼻を鳴らし、音もなくその背を追った。
感情の影ひとつ浮かばせず――
ただ役目を遂行する機械のように。
その後、言葉は一度も交わされなかった。
靴音だけが石畳を叩き、夜風にかすかに混じる落ち葉の音が追いかける。




