第3話 世界で縁が暴走してますが、私のせいじゃないからね!?
エリセは椅子に深く座ったまま、膝が小刻みに震えるのを止められなかった。
握り締めた拳が白くなる。
「信じられない? ……羨ましいよ。俺は、もう祈ることすら忘れた」
イシュカは、エリセの顔色に気づき、そっと息を吐いた。
「……すまない。信じられなくて当然だ。俺だって信じたくない」
地下の暗闇が、いっそう深く沈んでいくように感じられた。
「……イシュカさんが……あそこにいたのは、どうしてですか?」
声は震えていたが、まっすぐな問いだった。
「父と妹が捕まっている。助けに向かったところで、父に君が召喚された。
だから、まずは君を逃がそうと思ったんだ。――悪いが俺は今から戻る。
まだ、妹を助けなきゃならないし、あの魔法陣も壊さないとな。
君はしばらくここに隠れていろ。食糧は一か月分ある」
「え? 手伝うよ。一人より二人のほうがいいでしょ」
「……あまり聞かせたくない話だが、女魔術士が捕まれば男より悲惨なんだ。
男は召喚陣の燃料(供犠核)にされるだけだが、女は……色々……された後で燃料にされる。
君は幼いし、その姿だが、腕が男より柔らかかった。――女性だろ?」
—―召喚陣に引きずり込まれる直前まで、エリセは徹夜でフィールドワーク中だった。
化粧もすっかり落ち、作業用の黒いズボンに、埃まみれの黒いローブ。
髪は首の下でひとつに束ねただけで、手も顔も土と灰に汚れている。
そのせいで、教会の連中からは――いや、イシュカでさえ――
ひょろりとした少年にしか見えていなかった。
「……バレなきゃ大丈夫。さっきもガキって言われてたし」
エリセは短剣を取り出すと、ざくりざくりと髪を雑に切り落とした。
「っ!? なんてことをするんだ! こんなガタガタに!!」
「は?」
「信じられない! 髪への冒涜だ!!!」
イシュカは激昂したかと思うと、ほとんど反射の速さで机に置いてあった櫛を手に取る。
乱れた髪に通す指は、魔術師というより熟練の職人のそれだった。
櫛の歯が滑るたび――そこから、じわりと赤が滲にはじめる。
最初は細い一筋。
続いて毛先から根元へ、静かに、染みるように広がっていく。
気づけば数分、赤は鮮烈な波となって全体を満たし、
エリセの髪は見事な赤毛に姿を変えていた。
「はわ……! どこから見ても赤毛の少年にフルモデルチェンジです!」
「君は顔を見られてるから、一応な」
仕上げに髪を軽く整えながら、イシュカは小さく息を吐く。
頻繁に「理容師の誇りが……」とか「女子力どこいった……」とか呟いているが、
エリセはきれいさっぱり無視を決め込むことにした。
(だって、すっごい素敵な髪型にしてくれたから)
ほんの少しだけ肩に触れる赤毛は、光を反射して鮮やかに揺れる。
「あのね、イシュカさんは目的があって教会に潜入してたのに、あたし……いや、ボクを助けてくれたでしょ?
それなら、助け返すのが女子力だ!」
この一言に、イシュカは軽く眉をひそめながらも、微笑みを漏らす。
責任感や、男としての矜持が、その笑みの端に静かに滲んでいた。
だが、その笑みは長く続かなかった。
表情を静かに曇らせ、視線を落とすと、服の内側から黒い石器をそっと取り出す。
「……あの魔法陣は狂ったほど頑丈だ。今まで何人も挑んだが壊せなかった。
壊すための素材――灰臓石を探しているうちに、親父と妹が捕まって……」
得体の知れない石は、光を吸う“空洞の灰色”に沈み、
手に持つと音もなく空気だけが震えた。
「それにしても、親父が召喚したのが君一人だったのには正直驚いた。
親父の魔力量なら二、三十人召喚すると思ってたのだが、……時間を超えたせいだったのかもな」
「そいつだったから一人だったんだ。」
突如、落ちる低い声。
次の瞬間、空間の“気配”が静かに反転した。
――寒気すら覚えるほどの静寂。
黒衣の青年が、そこにすでに存在していた。
「よくこれほど手厚い庇護をかけられた人間を召喚したものだ。
素手で巨木を根ごと引き抜くようなものだ」
「っ……!? 誰だ、――どうやって入った……!」
(扉も鍵も――いや、気配すら、まるで……!)
イシュカは恐怖に青ざめ、反射的にエリセの腕を引き寄せ、背にかばって後ずさる。
その動きは思考よりずっと速かった。
額に汗が滲み、喉がひくりと鳴る。
一方、エリセは声を裏返らせる。
「せ、先生!?」
青年は冷淡に眉をひそめる。
「……お前など知らんな」
(――え、いやいやいやいや!?
見た目、声、雰囲気、全部先生じゃん!)
青年は、触れれば砕けそうに白い肌と、深海の貝殻のような銀灰色の瞳をしていた。
長い睫毛に縁どられたその瞳は、光を拒む氷の色。
整った美貌さえ、冷たさの前では無力だ。
部屋の空気が、ひと息で冬になる。
イシュカは口をぱくぱくと動かし、声にならない音を漏らした。
(気持ちは、すっごくわかる)
青年は淡々と口を開いた。
「どうやら、お前に庇護を与えた存在との縁で、俺が召喚されたようだな。忌々しい」
”知らない”と言い切るその青年は、どこからどう見てもエリセの師そのものだった。
まるで生き別れの兄弟のように。
(ヒゴとかエンとか、さっぱりだけど――
この絶対零度な感じ、血縁者としか思えない!!)
(勝手に来といて忌々しいってどういうこと!?)
――そう。エリセの師も、口を開くと容赦なく毒を吐く人だった。
そのせいか普段は無駄口を一切きかない。
優しさや思いやりの方向が、いつも斜め四十五度ずれていた。
「納得はせんが理解した」
青年はひどく面倒くさそうに言い捨てた。
「――元の場所に帰してやる。準備しろ。
お前の庇護者が、お前を失った場合に何をしでかすか……俺は知らんが、
余計な災厄を呼ばれてはたまらん」
「……なにそれ、どういう意味?」
「知らんと言っている。余計な詮索もするな」
「あた……ボクはまだ帰らない!
助けてもらったお礼を返してないから!」
エリセは思わず叫んだ。
冷たい銀灰の瞳が、ピクリと動く。
「……帰れと言っている」
(あ、これ……、優しさの方向がおかしいいつものやつだ)
「まったく、原初の契印式が妙な使われ方をしたものだな」
こぼれた青年の言葉に、イシュカが息を呑んで食いつく。
「待て! 原初の契印式とはなんだ!?」
青年は深く深く、心底どうでもよさそうに息を吐く。
「……説明する義理はない」
空気がぴたりと止まった。
「……」
(うわー、めんどくさ……)
エリセは小声で溜息をつき、にこりと笑う。
「ねぇ、説明して?」
「断る」
「いやそこまで先生に似なくていいから!!」
「……燃え残った落星の中心核、“星の骨”と呼ばれる鉱石を使って、
血統に宿る力を正しく継承させるための儀式装置だ」
イシュカは息を呑み、目を大きく見開いた。
「落星……なんでそんなものが教会に?」
「……」
また黙る。
イシュカは困惑し、助けを求めるようにエリセへ縋った。
「ねぇ、説明する気あるの?」
「ない」
「うっわ、知ってたけど、ほんとそこまで似なくていいっ!」
イシュカは茫然と二人を見ていた。
「……なんだこの空気は」
「慣れれば大丈夫です。多分」




