《バグ個体》
広間に静寂が戻った。
砕けた守護獣の残骸と、浅い水音だけが残る。
ゼノが端末を見る。
「守護反応、完全停止」
ミーニャが大きく息を吐いた。
「……決まったにゃ」
レアは軽く頷く。
「うん」
その直後だった。
床下を走っていた青い古代文字が、一斉に明滅した。
レアが顔を上げる。
「……なに?」
空気が変わる。
冷たく、ざらついた魔力が広間全体に滲み出した。
ゼノの端末が勝手に警告音を鳴らす。
「高密度カード反応」
「通常値、完全に逸脱してる」
セレスが一歩前に出た。
「因果が歪んでいます……自然な生成じゃありません」
床中央の浅い水が、逆流するように盛り上がる。
水面の下で、黒い影が蠢いた。
次の瞬間。
濁流と砕けた石床を押し上げて、“それ”が現れた。
形は、さきほど倒した守護獣に酷似している。
だが装甲の隙間からは青黒いノイズ状の光。
関節は不自然な角度で折れ曲がり、
核だった部位には、カードの断片が直接食い込んでいた。
アリエルが息を呑む。
「……壊れてる」
ゼノが即断する。
「バグ個体」
「ダンジョン構造とカード情報が強制融合してる」
ルークが剣を構えた。
「自然発生じゃないな」
ミーニャが歯を見せる。
「嫌な匂いにゃ」
レアは拳を握る。
雷炎の余熱が、まだ腕に残っている。
「オルタナティブ、解除しない」
「このまま叩く」
バグ個体の核が歪み、
次の瞬間、
あり得ない角度で四肢が跳ね上がった。
床が遅れて砕ける。
音より速い踏み込み。
ミーニャが跳んでかわす。
「速っ!」
ゼノが叫ぶ。
「物理補正、無視してる!」
レアは前へ出た。
「来い」
クロス零は、再び戦闘態勢に入った。
深海ダンジョンは――
まだ終わらせる気がない。
バグ個体が消えた。
いや、消えたように見えた。
次の瞬間、右側の壁から“生えて”いた。
石壁と一体化したまま、頭部だけが突き出す。
「後ろ!」
ルークが叫ぶ。
咄嗟に振り向いたアリエルの目前で、核が閃光を放つ。
衝撃波。
セレスの補助光が割れた。
「っ……!」
レアが踏み込む。
雷炎をまとった拳で横殴り。
だが手応えが薄い。
殴った感触が、途中で消える。
バグ個体の身体が、水面のように揺らいだ。
「実体が固定してない!」
ゼノが歯を食いしばる。
「構造が不安定すぎる!」
ミーニャが背後へ回り込み、《ツインヘリックス改》を振り抜く。
刃が胴を裂いた――はずだった。
裂けた部分が、そのまま逆再生のように戻る。
「再構築してるにゃ!?」
レアは即座に判断する。
「核だ」
「核を完全に破壊しないと終わらない」
だが核は三つ。
しかも位置が微妙にズレている。
さっきとは配置が違う。
ゼノが叫ぶ。
「情報が更新されてる!」
「さっきの守護獣の戦闘データを吸ってる!」
ルークの雷剣が振り下ろされる。
だがバグ個体は、斬撃の軌道を“知っている”動きでかわした。
「……学習してる」
レアの目が細くなる。
認知加速を一段上げる。
世界が引き延ばされる。
バグ個体の内部。
ノイズの奥に、規則性がある。
完全な無秩序じゃない。
歪んだ設計図。
「……見えた」
レアが低く言う。
「核は三つじゃない」
ミーニャが反応する。
「どういうことにゃ!?」
「一つはダミーだ」
次の瞬間、バグ個体が分裂した。
いや、分裂に見える残像。
三方向から同時に踏み込む。
ルークが一体を迎撃。
ミーニャが二体目を吹き飛ばす。
だが三体目がレアに迫る。
レアは動かない。
核の鼓動。
本物は、中央個体の“影”の中。
「そこだ」
雷炎を一点に集中。
踏み込む。
拳が、影の奥へ突き刺さる。
硬い感触。
ノイズが悲鳴を上げる。
内部から青黒い光が爆発した。
バグ個体が大きく歪む。
三体の残像が崩れ、一本に戻る。
「今にゃ!」
ミーニャが空中から叩き込む。
スフィンクスの重力制御を最大出力。
《ツインヘリックス改》が、核部を縦に貫いた。
空間が軋む。
ノイズが崩壊する。
バグ個体は、声もなく砕け散った。
残ったのは――
黒くひび割れたカード片。
ゼノがすぐに拾い上げる。
「……やっぱりだ」
表面の紋様が歪んでいる。
本来のモンスターカードではない。
セレスが静かに触れようとして、指を止めた。
「触れないほうがいいです」
「まだ、因果が安定していません」
ルークが低く言う。
「自然発生じゃない」
レアは黙ってカード片を見つめる。
拳に残る、雷炎の余熱。
さっきの守護獣とは違う。
あれはダンジョンの敵だった。
これは――
何かが、介入している。
その瞬間。
広間の奥、まだ開いていないはずの通路の先で、
低い振動が響いた。
ゴォ……と、重い音。
ミーニャが耳を立てる。
「……下から、来てるにゃ」
ゼノの端末が再び赤く染まる。
「反応、増加中」
「数値が読めない」
レアはカード片から視線を上げた。
「なるほど」
「歓迎してくれてるらしい」
深海ダンジョンは、まだ終わらせる気がない。
クロス零は、奥を見据えた。
――本命は、さらに下。




