【アポリアの彼方1:第七章 共鳴都市エンパシア】
──共鳴都市エンパシア
ユウトは、魂の共鳴を通貨とする都市――エンパシアに足を踏み入れた。
ここでは、魔法も経済も、感情と記憶のやりとりによって成り立っていた。 人々は互いの“揺らぎ”を測り、それを価値として交換していた。
都市の中心部、共鳴市場の中央には、奇妙な展示台があった。 そこに並んでいたのは、アストラルストーン。人々が“感情と記憶の断片”と呼ぶ、小さな石だった。 それぞれが異なる色と温度を持ち、触れる者の魂に何かを語りかけてくるようだった。
ユウトの目が、一つの石に吸い寄せられる。 それは淡い銀色の光を放っていた。無数の断片の中で、ただそれだけが、風のように静かで温かい気配を帯びていた。
【記憶断章:L.R.S(登録番号:リ-207)】 ──少女の声、笑顔。最後に交わした“約束”の断片。 価格:共鳴記憶1単位(※等価交換)
「……リリス……?」
声にならない声が漏れた。 記憶のどこかで、その光を知っている気がした。 懐かしい痛みが、胸を締めつける。
店主は何も問わず、ただ静かに頷いた。
「共鳴すれば、魂の価値が転移します。代償として、あなたの記憶の一部がここに残されるでしょう」
ユウトは迷わなかった。
「たとえ何かを失っても、あの光だけは……俺の中に残しておきたい」
掌に載せられた“L.R.S”は、ユウトの記憶に触れた瞬間、淡く脈動した。 その波動が彼の魂の内側に入り込み、何かを解きほぐしていく。
彼の視界に、少女の笑顔がちらついた。 笑っていた。風の中で。 名前を呼ぼうとした――その瞬間、何かが抜け落ちた。
名前。場所。色彩。 ……だが、その温度だけは消えなかった。
彼女の笑顔の背後には、家族の影が揺れていた。
父の優しい声、母の笑顔、そして――少女の小さな手を引いて走っていた、自分。
ユウトは目を見開いた。 なぜ、この記憶に“自分と両親”の姿が映っている? なぜ、他人の記憶の中に、自分がいる?
もしかすると――彼女は……。
その想像が、彼の胸を締めつけた。 疑念と確信のあわいで、魂がざわめく。
頬を伝わる一筋の涙。
記憶の等価交換。 それは記録ではなく、存在の形を変える儀式。
ユウトはその“かけら”を、しっかりと胸元に仕舞った。
それは、ただの記憶ではなかった。 魂に刻まれた“問い”だった。
「君は……本当に、いなかったのか?」
風が、都市の上を吹き抜けた。 アポリアの書が、静かにページをめくった。
それは夢というにはあまりに確かで、現実というにはあまりに静かだった。
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【アポリアの彼方1:目次】
◆プロローグ 名前を失った夜、世界が反転した
◆第一章 言葉なき地に降る名
◆第二章 名のない対話
◆第三章 ザラムの誓約
◆第四章 命の重さ、記憶の値段
◆第五章 魂の値段、風の記憶
◆第六章 夢より来たりし名
◆第七章 共鳴都市エンパシア
◆第八章 魂なき祝詞
◆第九章 虚ろなる鏡
◆第十章 名のない詩(完結)
──失われた記憶と、語られなかった名前の物語。