【アポリアの彼方1:第三章 ザラムの誓約】
──魂に刻まれた“名”は、神の審判を呼び寄せる。
ノアフリガ自由連邦の南、乾いた砂と塩の大地に広がる宗教国家、ザラム教国。そこでは「一なる神の名」が絶対であり、名を持つことこそが人としての証であり、呪いでもあった。
秋月ユウトは、音のない村を旅立ったあと、記録を喰らう者に関する手がかりを求めてザラムにたどり着く。だが、そこに待っていたのは想像を絶する“名前”に関する厳格な体系だった。
「名は、神と契約するための器にすぎぬ」
ザラム教国の法王庁に仕える預言司はそう言った。その言葉の奥には、「命名」そのものに宿る神学的な圧力と、“記号”と“現実”の断絶を防ごうとする一神教の本質があった。
この国では、名を授かることは魂に“割礼”を受けることと同義だった。 それは、個の自由や偶像、想像の産物に逃げ込むことを禁じ、唯一神の象徴秩序に従属するという“誓い”だった。
だがユウトは、アポリアの書によって自ら名を呼び起こされた存在。 名とは“授かる”ものではなく“発生する”もの。 ザラムの思想体系からすれば、それは最も忌むべき「自己言及の異端」だった。
法王庁に監視されるなか、ユウトはある異端審問官と出会う。 彼の名はセオドア。かつては聖典を守る執行者だったが、名の真実に触れたことで教義の揺らぎに気づき、内心ではザラムの秩序に疑問を抱いていた。
「名とは、命を縛る枷か。それとも、魂を照らす光か」
ユウトとセオドアの会話は、言葉という“記号”をめぐる精神的な対話へと発展していく。
アポリアの書が語る“真名”の可能性。 一神教的記号論と、想像界に依存した偶像経済。 貨幣が神の名を写し取る象徴であるなら、「MP貨幣経済とは、神を模倣する最大の偶像崇拝なのかもしれない。」
「かつて神は天の秩序を与え、命を数え、罰と赦しを定めた。
いまこの世界で、それと同じ機能を果たしているのは、MPだ。
誰が生きるべきか、誰が価値を持つのか。
その判断を人間は「MP」に委ね、まるで神の言葉のように崇めている。
だが──そのMP貨幣に魂の重さが乗るとき、人間は何を見失うのか?
(※後書きに、ユウトと異端審問官セオドアの問答を収録しています。)
やがてユウトは、ザラムの神殿で“名のない少年”と出会う。
彼は一切の名前を与えられず育った子──「無名の信徒」。 だが、その瞳には世界の全てを映すような静けさが宿っていた。
「名前がないのは、怖くないよ。 だって、何にも縛られてないんだもん」
その言葉に、ユウトはかすかに微笑んだ。 アポリアの書が、一枚、ページをめくる音を立てた。
──神は本当に、唯一なのか。 ──名とは本当に、祝福なのか。
ザラムの思想はユウトの魂を試す。 次に開く頁には、世界の深層が記されている。
読んでくれてありがとう!何でもいいので感想を聞かせてください。
よろしければ★評価・ブクマお願いします。
【問答抜粋:経済と神の意志】
ユウト:「経済が活発になって、人々が幸せになること、それが……神さまが望まれることじゃないのか?」
セオドア:「我らザラムの民にとって、“幸せ”とは神のロゴスの中に静かに生きることだ。経済という流動性の中に身を投じれば、必ず格差が生まれる。MP(魔法力)は、ただの力ではない。それは神が与えた“記号”であり、変化しない意味であるべきなのだ。」
ユウト:「でも、魔法って感情や願いの“揺らぎ”から生まれる。MPはそれを支える力だろ?成長も、交流も、動きがあって初めて――」
セオドア:「それはメタモルフォーシス……形なきものの増殖。神が与えたMPとは、本来、物と魔法を一対一で結びつける“意味の器”だ。詠唱者と魔法の効果、その関係は対称でなければならない。
だが、現代のMPはどうだ?売り手と買い手のあいだを彷徨い、**魔法力が自立した“貨幣”**として動いている。
それは、神のロゴスが地に堕ちた証。祝福であるはずの魔法が、投機のためのシニフィアンとなってしまったのだ。」
ユウト:「……そんな、封じられた世界に、俺はいたくない。」
※この問答は、アポリア世界の経済思想と宗教思想の分岐点を描いています。続編『アポリアの彼方2』では、この対立構造がさらに鮮明に描かれます。
【アポリアの彼方1:目次】
◆プロローグ 名前を失った夜、世界が反転した
◆第一章 言葉なき地に降る名
◆第二章 名のない対話
◆第三章 ザラムの誓約
◆第四章 命の重さ、記憶の値段
◆第五章 魂の値段、風の記憶
◆第六章 夢より来たりし名
◆第七章 共鳴都市エンパシア
◆第八章 魂なき祝詞
◆第九章 虚ろなる鏡
◆第十章 名のない詩(完結)
──失われた記憶と、語られなかった名前の物語。