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ドライヤーガン戦士シリーズ八チカラ 罵

「ぅうう゛ーん……」


資料がたくさんある部屋で、少女――紀眞チカラは一人、唸る。目の前にある大人でも解読が難しいであろう難解な書物を前に、彼女の手は止まってしまった。


(どうしたらいいのでしょう……)


参考資料だと思われる本が、あちこちに散乱しているが、チカラは気に留めることもなく画用紙の上でペンを揺らしている。しかし、ペン先は画用紙に届いておらず、空中でただただ円を描いているだけだった。そんなことをし始めて、早一時間と少し。それほどまでに、チカラは煮詰まっていた。


(私たち子供にも扱える武器で、人目には武器だとわからなくて、持ち運びができて……)


あれもこれもと欲張れば欲張るほど、何をどうしたらいいのかわからなくなってくる。とはいえ、削り落とせる要素は何一つない。


「……普通に銃なんて作ったら逮捕されてしまいますし」


最悪、子供の筋力では支え切れず、体が吹っ飛んでしまうことだってあるだろう。銃の反動は意外にも大きいのだと、先ほどの本で計算を導き出せたチカラは、余計に頭を悩ませてしまった。


子供の柔腕でも使える銃。そんなものがあれば、お目にかかりたいくらい。そんなことを言っていても仕方がないと、チカラは次々と“銃”になりえそうなモデルを手元の紙に書き出すことにした。


「銃と言えば、水鉄砲、輪ゴム鉄砲……」


エアガン……は見た目が拳銃そっくりだから、見つかってしまったら一発でアウトだ。誤魔化すにも子供が持っていては、取り上げられてしまうのがオチである気がする。


(他には……特に思い浮かばないですね……)


ぴたりと止まってしまった手に、チカラは視線を向けると大きくため息を吐いた。あまりにも早い手詰まりに、つい頭を抱えてしまう。


「……どうしましょう」


何か、何かアイディアがあれば……。いや、この際アイディアでなくてもいい。ヒントになるものがあれば、突破口が見出せるのに。


ぐるぐると頭の中を回る思考に、チカラはどんどん雁字搦めになっていく。温かかったお茶はすでに冷めてしまっており、冷たい湯呑はチカラの手によって倒れない場所に遠ざけられてしまった。今のチカラにとっては、お茶の生み出す波紋すらも集中を削いでしまう原因の一つだった。


(いっそのこと、銃じゃなくて違うもので考えた方が……)


そう根本を覆そうとした――その時だった。


「チカラちゃん!」


「!」


バァンと派手な音がチカラの自室兼研究室に響き渡る。騒音とも呼べる襲撃に、チカラは全身をビクリと震わせた。心底驚いた。一瞬、不審者が入り込んできたのではないかと身構えたほど。


チカラが跳ね上がったことで机が大きく揺れ、乗っていた湯呑がぐらりと傾いた。慌てて湯呑を抑え、何事もなかったことにほっとする。そしてチカラはゆっくりと振り返った。そこにいたのは、今日は用事で来られないと言っていたはずのヤワラだった。彼女の左手には新品の大きな箱が一つ。ピンク色の、いかにも女性ウケしそうなパッケージだ。


「ドライヤーでどうですか!?」


「何が!!?」


突然投げられた言葉に、チカラは全身全霊で叫んだ。驚くほど、何一つ伝わらないヤワラの言葉を頭の中で何度も反芻したチカラは、興奮しきったヤワラを見つめる。……まずは話を聞かないといけないかもしれない。


今までに見たことがないほど、自信満々に、しかもどこかわくわくとした表情で立つ彼女は、チカラの前に手にしていた箱をどさりと置くと、開封し始めた。一連の出来事にもう何が何だかわからないチカラは、茫然と彼女の行動を見つめることにした。


「武器のモデルを考えていたじゃないですか。そこでコレ!」


「……これは」


「ドライヤーです!」


まるで『どうだ!』と言わんばかりに、真っすぐこちらを見つめるヤワラに、チカラは瞬きを繰り返す。まじまじと彼女の手元にあるドライヤーを見て、やっと彼女の第一声の理由を悟った。


「ああ、なるほど。そういう事だったんですね」


「はい! ドライヤーは電化製品で改造も楽だし、小さいのとか大きいのとかいろいろあるみたいで。しかも見てください! この形! 明らかに銃ですよ!」


「は、はあ……そう、ですね?」


「それになんと言っても、可愛い! 女の子が持っていても何ら不思議ではありません!」


「う、うーん。学校に持っていくのはちょっと不思議だと思うんだけど……」


「女の子ですから!」


チカラの苦言に、ヤワラが上気した頬で答える。興奮しているのか、いつもよりも随分と饒舌にしゃべる彼女は、「ほら!」とドライヤーを取り出すと、チカラの方へと押し付けた。


慌てて受け取り、チカラはドライヤーを見つめる。ピンクの、可愛らしいドライヤー。……確かに、女の子なら持っていても不思議じゃないデザインだ。それに、一見これが武器だとはわかりにくい。銃の形をしているのもあって、攻撃としては簡単にできそうだ。


(問題はコードがないと動けないこと、ですよね……)


それと肝心の弾倉はどこに付けるのか。弾の仕組みは? 素材は何を使う?


ドライヤーを片手に一人思考の海へと入ってしまったチカラを前に、ヤワラは伺うように体を竦めた。


「やっぱり、難しそうですか……?」


「……いえ。弾はどうしたらいいかと思いまして」


「あっ」


あまりにも心配そうな声で問いかけてくるヤワラに、チカラは少し考えた後、今考えていることを口にした。すると、彼女はハッとしたように表情を染めると、自身の口元を抑えた。


(そこまで考えていなかったんですね……)


完全に忘れていた、と言わんばかりの表情に、チカラはなんだかおかしくなってくすりと笑ってしまう。別に、怒ってなどいないのに、まるで叱られるのがわかった犬のように肩を落としているヤワラは、チカラにとってはかわいらしく見えてしまう。少し抜けているところがあるのが、彼女のいいところである。


――それにしても、まさかドライヤーに注目するとは。やはり、一人ではアイディアの限界があるらしい。ヤワラの言葉で少しだけ進歩したように感じたチカラは、一緒に考えてくれる人がいるということに俄然やる気を見出していた。まあ、でも。


「残念ですけど、ドライヤーは使えそうにありませんね」


「うーん……未来だと使ってたんだけどなぁ……」


「えっ?」


不意に言われた言葉に、チカラは制止する。顎に手を当て、宙を見つめるヤワラを振り返る。


「未来って……ヤワラの使う“未来視”のこと、ですよね……?」


「うん」


「……使って、いたんですか?」


「使っていましたよ?」


キョトンと。まるで『何か問題でも?』と言わんばかりに首を傾げる彼女に、チカラはふつふつと込み上げてくるものを感じた。――大有りですよ、問題。


「……は、」


「えっ?」


「弾は!? どういった製品を使っていたのですか?!」


「えぇっ!?」


「わかる範囲でいいので教えてください!」


チカラはヤワラの肩をがっしりと掴むと、そのまま一気に問い詰めた。


ドライヤーの形状は。色は。コードの有無は。どうやって攻撃していたのか。どれくらいの威力だったのか。そもそもそれは人体と、ヤワラの見ている影のどちらに有効なのか。エトセトラ、エトセトラ。


行き詰っていたものが全て言葉になって、チカラの口を動かしていく。ガクガクと揺らされているヤワラは、焦点が合っていないのか、最早真っすぐ前を見る事すら難しい状況になっている。


「ま、待ってね、そこまでちゃんと覚えてなくて……っ」


「思い出してください~!!」


「わっ、うっ、! ちょ、ちょっと待って、チカラちゃ……っ!」


「ヤワラ~!」


ガクガクと更に強くヤワラの肩を揺する。ガクンガクンと揺れる彼女の頭を横目に、体の中は未知の事を知ることができるチャンスに打ち震えていた。


「早く思い出してください!」


「う、うん! 思い出す! 思い出すから!」


「ちょっと揺らすのやめて」と半泣きで懇願するヤワラに、チカラは仕方なく彼女を揺らすのをやめた。とはいえ、肩に添えられた手は未だに強く掴んだままだが。


ヤワラが思い出そうとしているのを横目に、チカラの頭の中ではああでもない、こうでもないといくつもの仮説が成り立っていく。そもそもそんな大切なことを覚えていない事が不思議で仕方がない。


「あ、えっと……さっきの子は使っているのを見てないけど、その前の子なら……たしか、使ってた……と、思います」


「本当ですか!?」


「私の見間違いじゃなければ、ですけど……」


自信なさげに、しかしちゃんとした答えを口にした彼女に、チカラは満面の笑みを浮かべた。「さすがヤワラです!」と立ち上がったチカラは、ヤワラの手を握るとブンブンと上下に振り回した。


伊達に未来予知なんて能力を持っているわけではない。そんなことを声高らかに彼女に告げれば「褒めてるんですか、それ」と苦く笑われてしまった。褒めてるに決まってる。


「それで! どうでしたか?!」


「え、う、うーん……私は大体逃げ回ってただけなので、あんまりしっかりとは見れていないんだけど……」


「それでも構わないです! 僕に聞かせてください!」


「そ、そうですか? それじゃあ、ええっと」


ヤワラはぐっと近づいてくるチカラの圧を軽く流すと、順を追って話し始めた。


――彼女曰く、ドライヤーにはスイッチがあり、そこは拳銃の引き金とデザインは変わらないらしい。武器全体の話を聞きながら、チカラは特徴をチラシ裏に書き殴っていく。そんなヤワラの話で一番驚いたのは、未来の少女たちは一々弾の補充はせず、何度も引き金を引いていたことだ。


「弾数に限度がないってこと……?」


「ううん。わからないけど、打つタイミングは気にしていましたよ」


「こう、バンバン打つんじゃなくて、一つ一つ丁寧に」と言ったヤワラは、ジェスチャーを交えて話す。


(武器を使う側にも、やり方をある程度求めても大丈夫ってことですね)


少なからず、誰かと戦うための武器なのだから全てを完璧にしなければ、と思っていたチカラの肩から力が抜ける。ヤワラは彼女のそんな雰囲気を読み取りつつ、話を続ける。


引き金を引いて飛び出したのは鉛玉などではなく、光の玉のようなものであること。それが一直線に伸びる場合もあり、敵に襲い掛かってはその体を四散させていたと。話を聞いたチカラは、『そんなファンタジーがあるか』と言いかけて、ヤワラの「嘘は言ってないですから」という声に言葉を飲み込んだ。


(光の玉……それを作り出す原動力を、この小さなドライヤーに詰め込んでいると言うんですか……?)


全く想像が付かないが、ヤワラの話では未来ではそれが使われているという。……嘘だと一蹴したくなる気持ちも、分かってくれないだろうかと思ってしまうのは、仕方がないと思う。


「そ、それで、他に気づいたことはないんですか?」


「えっ、そうですねぇ……」


ええっと、と宙を見るヤワラは、少しの間考えを巡らせると「そういえば」と声を上げた。


「彼女達が戦っている間、不思議なことがあったんですよ」


「不思議なこと?」


「はい」


ドライヤーを使っていた彼女たちは、毎度できる限り人のいない所で戦うことにしていた。しかし、一度だけ人が戦場の近くを横切った時があった。その時、放たれていた光の玉が通行人を襲ったのだが──それは、通行人に当たることなくすり抜けたのだ。


「夢だからかと思ったんですけど、それにしては少女も何も言わなくて……不思議だなって思ったんです」


「なるほど……」


つまり、その光自体が通行人──少女たち以外に見えないものなのか、それとも単に夢だから無傷だったのか。


(どちらにしろ気になってきますね……)


もし人に見えない攻撃なら、その正体は? 科学で証明出来るものなのだろうか? それとも何か特別な力を持っている子達なのだろうか? ──目の前にいる、ヤワラのように。


(……気になる)


すごく。


「って、チカラちゃん……? なんか凄い顔になってますけど……」


「ふふふふふ……大丈夫です! 僕が何とかしてみせましょう!」


「え? あ、うん」


「ところで、ヤワラにはその光の玉、何に見えましたか?」


「えっ、な、何って?」


「光の元ですよ!」


首を傾げるヤワラに、チカラは意気揚々と問いかけた。触れたままの両手がぎゅうぎゅうと握りこまれ、ヤワラはチカラの気分がかなり高揚していることに気がついた。キラキラと目を輝かせるチカラに、ヤワラは苦笑いを浮かべる。……とはいえ、彼女の力になりたいと思っているのは、嘘ではない。


「ええっと……そうですね。私の見た感じだと……ビーム、みたいな?」


「え」


「え?」


ヤワラの答えにチカラの顔が静止する。その反応に、ヤワラは首を傾げた。「ビーム……?」と小さく問いかけてくるチカラに、ヤワラが「ビーム、です」と頷く。再び落ちてくる数秒の沈黙。そして──チカラの好奇心が打ち砕かれる音がした。


(そう、ですよね……っ!)


チカラはその場に項垂れると、元々回りの早い思考をフルに回転させる。……普通、“誰にも見つからない攻撃”なんてできるわけが無い。それが可能なのは、人間の視覚に捉えられないもの――つまり、音速か光速であることは少し考えればわかることだ。


(すっかり抜けていました……!)


なんという不覚。なんという落ち度。まさかこんな単純なことが想像に至らないなんて。


(……まだまだ詰めが甘いですね、僕も)


そう呟きながら、チカラは俯く。机に乗せた手をぐっと握りしめ、大きく息を吐いた。


「……チカラちゃん?」


「……ちなみになんですけど、ヤワラの言っていることは、本当のことですか?」


「も、もちろん! 何回も同じ場面を見ているし、間違いないと思う」


「そう、ですか……」


ヤワラの言葉に、チカラは細く長い息を吐いた。その表情は、少しの望みすらもなくなったと言わんばかりに落ち込んでいる。そんなチカラの心境を悟ったのだろう。ヤワラはチカラの顔を覗き込むと「何か不味いことでも言っちゃった……?」と問いかけた。チカラは首を振り「いえ」と小さく答える。しかし、ヤワラの不安は近くなくも遠からずのものだった。


(ビーム、ですか……)


言うのは簡単だが、作る側としてはとんでもない技量と時間が必要になってくる代物。もちろん、作れない訳では無いが、すぐにとは言えない物でもあった。


(どうしていきましょうか)


完成までの流れを頭に思い浮かべていれば、ふとヤワラの手がチカラの手に触れる。手を握られつつ、心配そうに見上げてくる彼女に一瞬驚く。


「もしかして……作るの結構大変、とか……?」


「……すごく、大変です」


しかし、問いかけられた言葉に、つい同じ気持ちで答えてしまう。二人して顔を突き合わせ、声を抑えてひそひそと話す。


「チカラちゃんでも?」


「はい。僕は大体、植物の生態とか薬品の配合とか、簡単な物づくりしかしかことがないんです。だから、粒子とか電子とか、そっちの方はやったことがなくて……」


「りゅ……えっ?」


「ふふふっ、“りゅうし”ですよ」


ヤワラの反応にくすくすと笑みを浮かべる。まさかそこで躓くとは思ってもいなかったから、不意の可愛さについ頬が緩んでしまった。恥ずかしそうに笑うヤワラに、簡単に粒子の説明をする。


「粒子は物質を作るのに必要な、細かい粒の事です」


「細かい、粒?」


「はい」


首を傾げる彼女にコクリと頷く。チカラはほぼそちらの方面に触れていないとはいえ、それは設備が足りないから手が付けられていなかっただけで、彼女は何度も粒子についての本を読んだことがあった。


「電気や水なんかも、その粒子からできているんですよ。もちろん、こういう物質も粒子の塊だと言われていますしね」


「へぇ……そうなんだ。なんか、その粒子っていうのはすごいですね」


「そうなんです!」


バンッと机を叩くチカラに、今度はヤワラが驚く番だった。立ち上がったチカラがずんずんとヤワラの元へと向かうと、粒子について知っていることを上機嫌に話し始めた。


「粒子を研究するということは、物質、宇宙、生命を追究するには必要不可欠な要素なんです! 粒子には今発見されているだけでも、総数二百以上の種類があって今でも増え続けているんです! ビームはその集合体! つまり、粒子が一直線に並んで真っすぐ走り抜ける波長のようなもので――」


「ちょ、ちょっと待って! チカラちゃん!」


「大丈夫です! 僕も最初は全然わからなかったけど、少しずつ理解できて来てて! あっ、そういえば最近は粒子を研究する“粒子加速器”と呼ばれる装置についても、勉強中なんです!」


「何も大丈夫じゃないけど、わかった! わかったから、一旦落ち着きましょう?! ねっ!?」


ヤワラの必死な言葉と肩に置かれた手に、チカラはムッとする。これからが本番なのにと言わんばかりの表情に、ヤワラは苦笑いをし、「とにかく!」と声を上げた。


「えっと、研究をすることは可能、ってことですよね?」


「もちろん! 僕の科学に、不可能はありませんよ!」


「そ、そうですか」


だいぶ大きな口を叩くチカラに、ヤワラは軽く笑うと、考えるように首を傾げた。その様子を見ていたチカラは、自分の部屋の中を見渡す。


部屋の壁を覆いつくす、蔵書の数々。そのほとんどがチカラの頭に入っており、彼女の膨大な知識を想像させる。そんな棚の上には、地球儀や世界地図の外、望遠鏡や多種多様のフラスコが置かれている。大きくなると同時に増えたそれらは、全てチカラの糧になり、知識の元となっている。


戦友ともいえる彼等を一つ一つ見つめる。……少なくとも、この部屋にあるものじゃ作ることができないのは確実だった。


(これは、まず……大人の力が必要になりますね……)


大人の力――つまり、設備や道具の調達だ。しかし、両親はチカラの研究には常々反対をしていた。チカラが何かを買ってくる度、嫌そうな顔をし、年々上がるはずの小遣いはとある日をきっかけに上がらなくなってしまったくらい。


『お前は家事ができればいい。計算も勉強もできなくて構わん』


『そんなわけのわからないものを作っていないで、もっと御淑やかに料理や裁縫を覚えなさい』


『『女の子なんだから』』


そんな言葉ばかり連ねられて、チカラの声は届かない。次第に疎遠になってきているこの状況で、ヤワラの事とか未来の事とかを話しても、そう簡単に協力はしてくれないだろう。


「チカラちゃん?」


「……あ」


「どうかした?」


ヤワラの優しい声に意識が引き戻される。チカラは彼女の顔を見つめると「何でもありません」と首を振った。ヤワラは一瞬訝し気に首を傾げたものの、特に気にすることなく再び宙に視線を投げる。


「でも研究するとなったら、今後どこか施設とか借りられないと困りますね」


「はい。なので……仕方ないです。他のものを考えましょう」


「えっ、なんで?」


「えっ?」


声を上げたヤワラに、チカラが目を瞠る。心底わからない、と言いたげな顔をするヤワラに、今度はチカラが首を傾げてしまう。


(なんでって……)


ついさっき、彼女自身が難しいと言っていたのに、わざわざ答える必要があるのか。チカラは一瞬にしてヤワラの考えていることがわからなくなった。――否、彼女の考えていることは、年々わからなくなっていく方が多い。


ヤワラは繋いだままのチカラの手を握りしめると、今度はヤワラ自身が引き寄せた。


「ビーム、作れるんですよね?」


「つ、作れます、けど……問題はそこじゃ……」


「なら、大丈夫です!」


「えぇ……?」


満面の笑みでそう告げたヤワラに、チカラは心底困惑した。


そんな彼女に気が付いているのか、気が付いていないのか、ヤワラは「何を言っているんですか」と口にした。まるで、この世の理のように。


「みんなを助けるためにやる研究です。――協力しないなんて、あり得るはずがない」


「!」


「だから、まずはおじ様のところに話に行ってみましょう?」


「ね?」と笑うヤワラに、チカラは息を飲むと――静かに頷いた。


有無を言わせない声に、ゆっくりとこちらを見つめる双眸。桃色の瞳は、その甘い色とは裏腹にどこか有毒なものを孕んだ色をしており……チカラは初めてヤワラを“怖い”と感じた。


しかし、チカラは友人でもあり幼馴染でもある彼女を、自分自身が恐怖の対象として見たことを信じたくなくて――終ぞ自分の気持ちを飲み込むことは出来なかった。


「それじゃあ、また明日来ますね」


「はい」


ひらりと手を振って、部屋を出ていくヤワラを見送ったチカラは、彼女がいなくなった瞬間ホッと息を吐き出した。いつの間にか部屋に充満していた重い空気が、霧散していくのを感じる。――その日、チカラは本を読むことも研究をすることもなく、早々に眠りについた。早く寝て、忘れてしまいたかったのだ。ヤワラの言動も、自分の気持ちも。




──翌日。ヤワラとチカラは、紀眞家の本家の前に集合していた。善は急げ、思い立ったが吉日、という諺があるように、「さっさと行動してしまおう」とヤワラが提案したからだ。チカラは乗り気ではなかったものの、研究ができることへの好奇心とこれ以上のアイディアが何一つ出てこなかったことに背中を押され、ここまで来ていた。


「ようこそ、おいでになりました。ヤワラさま、チカラさま」


「こんにちは。伏さん」


「こんにちは」


門前で顔を合わせた侍女とは、ここ数年で軽い談笑をするほどには仲良くなった。とはいえ、今日は談笑しに来たわけではない。それを察したのか、恭しく頭を下げる伏は早々にヤワラとチカラを家の中へと上げさせた。話があるというのは昨日のうちにヤワラが話しておいてくれたらしく、おじ様はすでに談話室にいるとのこと。……こういうところ、ヤワラは本当に抜け目がない。


堂々とした姿で廊下を歩くヤワラの背中を見ながら、チカラは緊張で足が竦んでしまう。きっと前と同じように、自分は部屋に入ることすらしないだろう。それでも緊張してしまうのは、以前一度だけ談話室に乗り込んだことがあり、その時にこっぴどく怒られたことがあるからだ。あの時の大人たちは本当に恐かった。


昔のことを思い出していれば、前を歩いていたヤワラと伏が足を止めた。見慣れた談話室の扉を見て、チカラは二歩後ろに下がった。


「あ、それじゃあ僕はここで待ってますね」


「えっ、なんで?」


「えっ?」


きょとんとしたチカラの腕をヤワラが引っ張り、二人で戸を叩く。おじ様の声が聞こえ――二人はそのまま談話室へと足を踏み入れた。


(エエエッ!?)


驚くチカラを他所に、ヤワラは挨拶を終えると座布団の上に腰を下ろした。慌ててヤワラと同じように座ったチカラは、混乱と緊張に体を震わせている。


――なぜ。どうしてこんなことになっているのか。


その答えを持っているであろうヤワラは、残念ながらおじ様へ楽し気に近況報告をしている。……どうしてそんなに仲が良さそうなのか。チカラは問いかけたくても問えない状況に、ただただ俯いているしかなかった。


「施設が欲しい、ということだね」


「はい。この研究でできるのは武器だけじゃあありません。この先も──」


簡潔に研究に関してのプレゼンをしたヤワラは、悩むおじ様を押し切るように、みるみるうちに援助と必要な時の手助けをすることへの約束を取り付けてしまった。その手腕に、チカラの緊張は吹っ飛び、ヤワラへの信頼が更に重なっていく。


「すごいです……まさか本当に取れちゃうなんて」


「えへんっ」


胸を張るヤワラに、チカラは心から感謝の念を抱いた。


二人はいくつかの制限はあるものの、近くの研究所の使用許可とその契約書まで作ってもらう事ができた。それをお互いに覗き込み、顔を合わせて嬉しそうに笑う。


ヤワラは契約書を封筒に丁寧にしまうと、中から出した仮許可証の名札と、セキュリティコードの書かれた紙、そして注意事項の書かれた紙を取り出すと、チカラに手渡した。


「これはチカラちゃんの分です。なくしちゃうと大変ですから、渡しておきますね」


そう言ってはにかむヤワラは、いつもと変わらない顔で笑っていた。そんな彼女に、チカラはほっと胸を撫で下ろした。


(……よかった)


あの時感じた恐怖は、きっと自身の気のせいだったのだろう。もしかしたら自分が気づいていないうちに、そんな幻覚を見てしまうほど疲れが溜まっていたのかもしれない。チカラは書類を受け取ると「ありがとうございます」と微笑んだ。ヤワラも嬉しそうに笑う。


「どういたしまして!」




それから数日後の週末。使用許可の出ている研究所の一室で、チカラは初めて研究を行っていた。


初めて訪れた部屋の中は伽藍洞で、机のホコリの積り具合から察するに、使われなくなって久しいのだろうと分かる。所々四角くホコリのない場所ができているから、物置か何かになっていたのかもしれない。チカラはまず部屋を掃除することに一日を費やした。研究をするのに細菌まみれの場所では、研究はできない。こういった細かいホコリやよく分からない細菌が発火の要因になることだってあるのだ。念入りに注意するのに越したことはない。


次の日、チカラは朝から自分の使う道具を抱えて研究室に訪れた。付き人のやよいと一緒に車で運んできたそれらで部屋を覆いつくし、必要な資料なども新しく揃えていく。幸いここにある棚や家具は好きに使っていいとの事だったので、棚などは有難くそのまま使わせてもらっている。一角だけ娯楽で読む本を入れさせてもらったのは、やよいとの二人だけの秘密だ。




「まずは仕組みを理解してこそですね!」




ドライヤーの仕組みは何となく分かっているものの、詳しいことはチカラも知らない。チカラはヤワラが買ってきて「研究に使って」と置いていったドライヤーの箱から取り出した説明書を読み始めた。書かれている仕組みを一つ一つ調べて、ドライヤー本体を解体しながら見比べる。元々の知識が膨大にあったこともあり、チカラが仕組みを理解するのに一時間とかからなかったのだから、見ていたやよいは驚く他無かった。


「次はいよいよ改造ですね」


そう言ってチカラは道具を机に広げだした。


大元があるところから、少しずつ改造をしていく。既製品で作ることができれば量産ができるし、事故率も少ない。何より、小さいころから近くにあったものを改造することが多かったチカラとしては、イチから作るよりも断然こちらの方が楽だった。その日は風量の調節を少しいじっただけで終わってしまったものの、チカラとしては充実した時間を過ごせたと言っても過言ではない。


チカラは毎週末研究室に引き篭る日々を送っては、研究の過程を進めていた。時折やってくるヤワラや、食事を持ってきてくれるやよいと息抜きでおしゃべりをしたり、行き詰まった時に見た漫画の戦う少女たちから戦闘服のアイディアを受けて作ってみたりと、チカラはとにかく物作りに没頭していた。


秋が過ぎて冬が来て、春が過ぎ、夏が来て、再び秋が来て。気がつけば研究室を訪れるようになってから一年と半年が経過していた。


「博士、研究の進みはどうですか?」


くぁと欠伸をしたチカラに、ヤワラは少しからかうように問いかける。五年生になった二人は、以前よりも少し背が高くなり、髪も伸びて少しだけ大人っぽくなっている。ヤワラの問いかけにチカラは苦笑いをすると、少し宙を見つめ、小さく唸った。その前髪は、少しだけ焦げており、昨日も研究室に篭っていたことを物語っている。


「うーん……順調と言えば順調なんですけど」


「何か悩み事でもあるの?」


「悩みというか……僕一人だと、やっぱり進みが遅くって」


学生であるチカラは、研究に裂ける時間があまりにも少ない。遊ぶ時間もないチカラは学校では孤立しており、話しかけてくる友人は一定数のみ。しかし、チカラはそんなことを気にもかけていなかった。大好きな研究ができることが嬉しくて仕方なかったのだ。だが、学生の本分は学業である。彼女たちの通う学校はこの辺りでも有名なお嬢様学校であることもあり、学業には厳しい。つまり、成績を落とさないようにしながら研究もとなると、限られた時間では追いつかないことが多くあるのだ。


(この前の週末もテスト勉強で潰れてしまいましたし……)


好きなことをしている以上、勉強の手は抜けない。チカラの贅沢ともいえる悩みに、ヤワラはくすくすと笑う。楽しそうなチカラを見るのはヤワラも好きだったし、チカラは本人が思っているほど学業に苦戦していないのだ。苦手科目と言えば国語だけで、算数も理科も社会も、今の知識で十分にやっていける。そのことを知っているのは、チカラの一番近くにいるヤワラと先生くらいだが。




学校を終えた二人は、今日も研究所へと足を進めた。火曜日と水曜日、そして週末の二日間は研究所に行くのが二人のルーティンになっている。チカラは部屋に入るなり鞄を定位置に置くと、早々にドライヤーの状態確認に入った。


既にドライヤーを一から作り始めているチカラを、ヤワラは少し離れた席で見つめている。ヤワラのすることと言えば、チカラが迷った際に助言を出したり、休憩を促したりすること。放っておくと延々と研究に没頭してしまう彼女を支えるのが、専らヤワラの仕事になっていた。


「きゃっ!?」


「わっ! だ、大丈夫ですか、チカラちゃんっ!?」


「けほけほっ……だ、大丈夫」


ボフンッと派手な音を立てて、チカラの手元から煙が湧き上がる。目に見えてわかる失敗に、ヤワラは「珍しい」と小さく呟いた。チカラは失敗はするものの、あからさまな失敗はあまりしない。知識があることはそれだけで凄いことなのだ。煙を払ったチカラは「すみません、大丈夫です」と告げると、再び手元に目を向けた。


チカラの目に映るのは、煙を上げる高速モーター。勢いを上げようとしたら、思いの外勢いよく回ってしまったらしい。空気の吸い込みが追いつかず、火が付きそうになってしまったのだろう。挙句、勢いで銅線を一本巻き込んでしまったようで、主要部分を焼き切ってしまったらしい。


(これはもうだめですね)


新しい部品に変えなければとため息を吐けば、タイミングよく部屋の扉がノックされた。ヤワラが扉を開ければ、そこにいたのはやよいだった。彼女は一礼して中に入ると、手に持っていた包みを掲げる。


「チカラさま。中々お帰りにならないので、お夕飯を作ってお持ちいたしました。いかがいたしましょう?」


「えっ!? もうそんな時間!?」


「ふふふっ。もう、チカラちゃん、だから何回も声掛けたじゃないですか」


くすくすと笑うヤワラに、チカラはそうだったかと記憶を巡らせる。……確かに、何度か声を掛けられていたような気もする。


(全然気づきませんでした……)


落ち込むチカラに、ヤワラとやよいは顔を合わせると笑みを浮かべる。こういったことはもう一度や二度では無い。チカラは空っぽになった胃を撫でると、やよいに「ありがとうございます。いただきます」と告げ、やっと席を立った。やよいは来客用の机に包みを下ろすと、丁寧に包みを開けていく。出てきたのは二段分の重箱だった。一段目にはおにぎりとサンドイッチが入っており、二段目にはたくさんのおかずが入っていた。食べやすさを考慮してか、一口で食べられるものが多く、やよいの気遣いに嬉しくなってしまう。


ヤワラが来客用の椅子を二つ追加し、それぞれにチカラとやよいが腰を下ろす。次いでヤワラから渡される箸を受け取れば、やよいの手には魔法瓶が握られており、持ってきていたカップに中身が注がれている。中身を覗き込めば、湯気の経つ味噌汁が見えた。


「これ……!」


「差し出がましいとは思いましたが、お体が冷えているだろうと思い、持ってきました」


「ありがとうございます、やよい!」


「ふふっ。頑張ってくださいね」


「はい!」


やよいの応援に心が暖かくなる。渡された味噌汁を受け取り、チカラとヤワラはいつもとは少し変わった環境で夕食を摂った。出来たてのお弁当はとても美味しく、チカラとヤワラのお腹を満たしていく。久しぶりに人と食卓を囲むチカラにとって、その時間はとても幸せなものだった。その日を境に、やよいはよく研究室へ食事を持ってきてくれることが多くなった。チカラは応援されていることに素直に嬉しさを噛み締めながら、研究へと没頭する。自分が彼女達の気持ちに応えられるのは、これしかないのだと言わんばかりに。




研究を始めて三年──チカラとヤワラが中学生へと上がった頃。チカラはまたしても悩んでいた。


「どうしましょう……」


「どうしたんですか? チカラちゃん」


「ヤワラ……」


教室で一人座り込んでいる中、心配そうにのぞき込んでくるヤワラにチカラは目を伏せると、おずおずと話し出した。


──研究が行き詰ってしまったこと。これ以上は、自分の能力が足りないこと。何より、自分ではどうしようもない域に達している現状に、チカラは無力さと同時に情けなさを感じていること。


それらを聞いたヤワラは、何を言うわけでもなく、ただ静かにチカラの話を聞いていた。


武器にするにあたり、形も性能も決まっている。それでも、やはりビームの耐久性を考えて作るとなると、いち中学生にできるレベルを軽々と超えてしまうのだ。威力を落とすことも考えたが、それではきっとヤワラの言っていた通りにはならない。それに、使用者の安全面を考えると、技術面を落とすわけにはいかないのだ。……つまり、どれだけ知識があろうとも、単なる頭でっかちなド素人が作れるわけがない代物であることを実感してしまったのだ。


「僕に物作りとしてのプロ並みな腕前があればよかったのですが……」


「うーん、確かに知識だけじゃあどうにもならないことってありますからねえ……」


「はい……」


子供には扱えない――それこそ資格が必要なものは、ただの大人でも使うことは出来ない。使ってはいけない。その理由をしっかりと知ってしまっているからこそ、チカラは振り切ることが出来ないのだ。もちろん、研究に必要な資格を取得することも考えたが、資格が複数必要となる時点で断念してしまった。……もし、ヤワラの見た未来に間に合わなかったらと考えると、時間をかけている余裕はないのだ。


「そうですね……仕方ありません。おじさんに相談してみましょうか」


「えっ」


ヤワラの提案に、チカラが小さく声を上げる。いつしかと似たやり取りに、振り返ったヤワラと目が合う。強かに微笑む彼女に、チカラはつい視線を下げてしまった。その行動に、ヤワラが不思議そうに首を傾げる。


「もしかして、おじさんに話すの嫌ですか?」


「……そういうわけじゃない、んですが」


「ん?」


「……ちょっと、緊張すると、いいますか……」


おじさん――またの名を、紀眞家当主。自分が幼いころから少し強面だった彼は、年々その威圧感に磨きをかけていた。最近では孫のように優しくしてもらっているものの、話となると突然人が変わったように真面目な顔になるのが、チカラは苦手だった。


(嫌いじゃないんですけどね……)


本当に、“苦手”というだけで。


「そ、それにもう結構無理も言ってますし、これ以上を求めるのは難しいんじゃ……」


「でも言わないと伝わりませんし、このまま研究を辞めるなんてことはできないですよ」


「それは……そう、なんですけど……」


チカラはさらに視線を下げる。


──ヤワラの言っていることは最もだった。ただ、チカラにとってその“お願い”をすること自体がハードルが高いだけで、しかも交渉となれば口下手な自分ではどうしようもない。


(ヤワラは……こういうの、得意ですから)


チラリと彼女を見れば、何故迷っているのかわからないといった目でこちらを見ていた。……確かに相手は知り合いだし、いつも優しくしてくれている人だし、甘えても問題はないのだろうけれど。踏み切れないチカラに、ヤワラは何を思ったのかチカラの肩を掴むと、神妙な面持ちでチカラを見つめた。


「大丈夫ですよ、チカラちゃん。おじさん、最近私たちが頼らないことを気にしているってこの前伏さんが言ってたので」


「えっ。そうなんですか?」


「ええ。だから、私たちが頼ったらきっと喜んでくれますよ」


ふふっと笑うヤワラの言葉に、チカラは「そうなんだ」と小さく呟いた。……おじさんのそんな話、初めて聞いた。


そういうことなら、と相談に行くことを決めたチカラは後日、ヤワラと一緒に本家に行く約束をし、その日は研究所には行かずに真っ直ぐに帰宅した。


チカラは研究に必要な資格や人手を書き出すと、それを翌日ヤワラに手渡した。自分は交渉なんて出来ないから、ヤワラに頼るしかない。もちろんお願いしている以上、本家には一緒に行くけれど。


「うん、大丈夫じゃないかな」


「すみません。お願いします」


「任せて! 全力でもぎ取ってきます!」


紙を受け取ったヤワラが笑うのを見て、チカラはほっと胸を撫で下ろした。


「これってドライヤーのどこに必要なの?」などと問いかけてくるヤワラにチカラが懇切丁寧に答えながら、二人は本家へと向かう。今日車を出してくれたのは、やよいだ。チカラの研究を一番に応援してくれている彼女は、チカラ達が本家に向かう話を聞いて自ら立候補してくれたのだ。「私もお二人のお役に立ちたいのです」と笑うやよいに、チカラは込み上げる嬉しさに口元を引き結んでいた。


(役に立ちたい、なんて……)


もうたくさん手伝ってくれているのに、これ以上なんて自分の方がバチが当たってしまいそうだ。


(今度、何かお礼をしないといけませんね)


そう心に決めたチカラは、近づくやよいの誕生日を思い出し、運転席を見つめた。彼女以上に親身になってくれる人を、チカラは知らない。




チカラを乗せた車は本家に着くと、ゆっくりと速度を落としていく。門の前でヤワラとチカラを下ろし、車は車庫の方へ向かって行った。チカラ達が門を潜ると話を聞いていたのだろう。伏は二人の姿を見ると恭しく頭を下げた。


「お待ちしておりました。ヤワラさま、チカラさま」


「こんにちは、伏さん」


「こんにちは」


伏は二人の言葉に微笑むと「こんにちは。親方様がお待ちしておりますよ」と告げると、屋敷の中へと入っていく。その背中を追いかければ、見慣れた談話室へと通された。チカラは入り口前で足を止めると、ヤワラが振り返る。一緒に来ないの、と問いかけてくる視線に苦笑いを零し、チカラは小さく手を振った。


「お願いしますね、ヤワラ」


「……うん。わかりました」


談話室へと入っていくヤワラを見送り、チカラはほうっと息を吐く。……やっぱり、自分が交渉なんてできる気がしない。心配そうに見つめてくる伏にチカラは「僕は待ってますから」と告げて、縁側に腰かけた。少しして伏が持ってきてくれたお茶を口にしていれば、ふと背後から影が差す。人の気配に振り返れば、そこには見慣れた男性が二人、並んで立っていた。


「あっれぇ~? キミ、見ない顔じゃ~ん。何してんの、ここでぇ~?」


「ヤカラ、あんまり絡むなよ」


「……こんにちは、サワラさん。……ヤカラさんも」


顔だけ振り返ったまま、軽く頭を下げる。年上は敬うように、と両親から言われた言葉を思い出しながら……しかし、声をかけるには多大な躊躇いを胸にしながら、チカラは二人を見上げる。




匕背サワラ。匕背ヤカラ。この二人は紀眞本家から、僅か百メートルほど先にある屋敷――匕背家の長男と次男である。匕背家とは古い付き合いであることもあり、互いの家を行き来することはよくあることだったので、二人がここにいることに特に疑問はない。――だが、何故来ているのが今日なのか。


(運が悪かったみたいですね……)


チカラは面倒事に巻き込まれそうな予感に、そっと息を吐いた。


相反する性格を持って生まれてきてしまった二人は、よく一緒にいるのを見かけるものの、決して仲がいいわけではない。ただ、長男であるサワラの目が年々悪くなっており、次男のヤカラはそのお目付け役として一緒に過ごしているのだとか。匕背家は元々目に遺伝性の病を抱えており、それが運悪く長男であるサワラに強く発症してしまったのだと聞いている。


『見目もよく、礼儀正しい長男がなぜ。』という言葉は、分家に住むチカラでもよく聞いているほどだった。同時に次男であるヤカラの素行の悪さも、同じくらい聞き及んでいる。


「こんにちは。この声はチカラちゃん、かな?」


「はい」


「よかった」


「合ってたみたいだ」と笑うサワラに、チカラは特に何を思うわけでもなくじっとサワラを見上げていた。どことなく優しい雰囲気はいつもと変わらないが、以前話した時よりも少し幼い印象を受ける話し方だ。子供に向かって話しているのだから、必然的にそうなるのかもしれないが、それでもどこか“大人”と話している印象は持てない。


ヤカラに関しては関わるのも面倒そうで、チカラは出来るだけ二人と視線が合わないようにしていた。しかし、ここは紀眞の本家。下手に接して互いの家の関係にヒビでも入れてしまったら、今度こそ研究は打ち切りになってしまうかもしれない。それだけは避けなければ。


「チカラちゃんは、こんなところでどうしたの?」


「ヤワラが親父さんと話しているので、待っているんです」


「そうなんだ」


サワラの焦点の合わない瞳を見つめ、言葉を返す。


長男で行儀もよく、頭もいいサワラは、まさに好青年と言ってもいいほどの人物だった。昔は勉強も教えてくれたし、それなりに懐いていたこともあったが、残念なことに過去を見ることができるようになってからは、チカラは意図的に彼との距離を取っていた。理由は一つ。サワラの精神が壊れてしまったからだ。


過去をみるという行為は、かなりの負担がかかるらしい。サワラはその負担に耐えられなかった。だからこそ、精神を病んでしまいった彼は、会うたびに精神年齢が変わり、まるで別人と話しているような気分になることが多かった。それを面倒だとは思わないものの、理解できないものとして見ているチカラにとっては、匕背サワラという人間は“理解のできない生き物”として苦手意識を持っている。


チカラはサワラの目から少しだけ視線を外す。――途端、割り込んできた大きな手にぎょっとした。


「んだよ~俺をハブって話してんじゃねーよぉ!」


「ちょっと、ヤカラ……っ」


「うっせぇ! バァカ!」


手の主はヤカラだったようで、機嫌を損ねたヤカラはサワラを押しのけて前に出る。


その乱雑な行動にチカラはひゅっと息を飲み、身を竦ませた。子供みたいな言動も、大の大人――しかも力のある男がやると、それだけで迫力がある。チカラはいつでも逃げられるように構えながら、ヤカラを見上げる。彼はそれに気づいているのかいないのか、ニマニマと卑しい笑みを浮かべた。


視線が全身を往復し、その視線に全身が鳥肌を立てる。――なんか、凄く嫌な視線。気持ちが悪い、と目を細めれば、「あと五年だな」なんて言い始めた。嗚呼、もう。最悪だ。だからこの二人……特にヤカラとは会いたくなかったのだ。




ヤカラはその素行の悪さでかなり有名だった。幼いころからあちらこちらを破壊し、気に入らないことがあれば誰彼構わず暴力を振るい、女性をとっかえひっかえ。犯罪紛いの事をして警察に注意されていたのは、一度や二度じゃない。ヤワラ曰く、彼は元々頭はいいらしいが、その頭の良さを別の事に使うことに喜びを得ているのだとか。最近では匕背家の運営する芸能事務所の上役になったとかで、あちらこちらでその性格の悪さを発揮しているらしい。……彼についての話はチカラにとって全て又聞きではあるものの、彼の性格上、すべてが嘘だとは到底思えなかった。


「つーか知ってるかァ? 親父の弟の話」


ずい、と近づけられる顔に、チカラは悲鳴を上げかけて咄嗟にそれを飲み込んだ。


「親父さんの、弟さん……ですか」


「おい、ヤカラっ! それは――」


「うっせーな。黙ってろよこのボンクラ! そのほとんど見えねぇ目、今ここで潰してやろうかァ!? あ゛ァ!?」


「っ……!」


ヤカラの威圧的な声に凄まれ、止めに入ったサワラが息を飲む。顔を真っ青にしているところを見るに、彼の言った“ほとんど見えない目”というのは本当の事らしい。


(相変わらず、野蛮な方ですね)


――正直、怒鳴ればどうにかなると思っているのが透けていて、あまり好感はもてない。ヤカラの声に一瞬でも驚いた自分が何となく恥ずかしくて、小さく息を吐く。黙ったサワラに気をよくしたのか、ヤカラはニヤニヤと笑みを浮かべると、チカラの白い髪に触れる。下心の見えるその手にゾワリと背中へ悪寒が走るのを感じつつ、チカラは平静を務めた。チカラは知っていた。こういう手合いは、反応するだけ相手を乗せてしまうことを。


ヤカラの視線を真っすぐ返しつつ、チカラは出来る限り違うことを考えていた。そうしなければ、今にもこの手を振り払ってしまいそうだったから。


「……チッ。つまんねーの」


パッと手を離され、髪が解放される。はらりと戻ってくる自身の髪を見下げ、早く洗ってしまいたい気持ちになりつつ、チカラはヤカラの次の行動を警戒する。ヤカラは伏の置いて行ってくれた茶菓子を行儀悪く摘まむと、くちゃくちゃと音を立てて咀嚼する。


「あー、知ってっかァ? 親父の弟――てめぇの親の兄貴だっけか? 死神を肩代わりしたっつー話」


「え?」


「しかもペットの犬の為にだぜ!? バカみてぇだよなァ!」


「……」


「自分が死んじまったら意味ねぇっつーのによォ! 全く、宝の持ち腐れっつーのはこういうことを言うんだなァ!?」




ゲラゲラと笑うヤカラに、チカラは心底驚いた。


(どういうことなの……?)


次々に出てくる新しい情報に、頭の奥が困惑する。


(もしかして、犬と自分の寿命を入れ替えた、とか……?)


ああでもない、こうかもしれない、と予測が次から次へと流れていく。混乱しているチカラを他所に、ヤカラは声を上げ続ける。


「ったくよぉ、本当にバカだよなァ! ペットごときに自分の寿命を使うなんて……かァー! もったいねェ~! なぁ? あんたもそう思うよなァ!?」


「……そう、かもしれないですね」


げらげらと笑うヤカラに、チカラは反論することも同意することもできなかった。そもそも、現実としてあり得ない事をあっさり信じられる方がおかしい。


(……でも、ヤワラは未来を視れるし、サワラさんは過去を視れる……)


……もし。もし本当に自分の寿命を渡すことができる人がいるとしたら。その人は二人と同じように、何か特別な力を持っていたのかもしれない。


ヤカラの“ペットごとき”という言葉に納得は出来ないものの、もし、本当に寿命を明け渡せるとして。


(それって、本当にいいことなんでしょうか……)


もし本当に寿命を渡せたとして。ペットの犬が生きられたとして。果たしてそれは“正しい”ことなのだろうか。命を冒涜する行為になり得るのではないだろうか。自分が隣に立てないことに、寂しさはないのだろうか。


(……僕は、きっと渡せない)


自分だったら、と考えてチカラは俯く。自分だったら――きっと、命を差し出すなんてことはしない。……出来ない。それはチカラが弱いからではない。


――ただ、チカラにとってそれが“正しいこと”だとは思えなかったから。他人の為に自分が犠牲になるなど、おかしいと胸を張って言えるから。




黙り込んでしまったチカラに、ヤカラは退屈になったのか「これだから頭でっかちはつまんねーんだよ」と吐き捨てて、どこかへと行ってしまった。その背中を覚束ない足で追いかけるサワラの背中を見送り、チカラはぼうっと宙を見つめた。頭を過るのは、自分に期待してくれているヤワラや、やよいの顔。


(二人なら……どうするかな)


自分にはできないことも、彼女たちは出来てしまうかもしれない。チカラの思う“正しい”を簡単に覆してしまうかもしれない。それは……予想以上に、怖いことなのではないだろうか。


「お待たせしました、チカラちゃん」


「!」


「? どうかしましたか?」


ふと背後からかけられた声に、びくりと肩を震わせる。振り返れば不思議そうに首を傾げるヤワラと目が合った。


「……いえ、何でもないです」


「そう? それじゃあ、行こうっか」


ヤワラの言葉にゆっくりと立ち上がる。差し出される手を数秒見つめ、小さく握り返した。――一瞬、ヤワラの目に映っているのが自分じゃないように見えたのは、気のせいだと言い聞かせて。




その日以来、おじさんが手配してくれたであろう職人の人たちと関わることが増えたチカラは、時折学校を休むことがあるくらいには忙しい日々を送っていた。もちろん、最初から順調だったわけではない。紀眞家の人間だからと様子伺いをされていた時期も、確かにあった。しかし、チカラの真っすぐな思いに、職人の人たちも次第に本気になっていたのだ。


「今日もよろしくお願いします」


雇い主であるはずのチカラが、恭しく頭を下げる。その行為に最初は驚いたものの、今では職人の人たちも「よろしく、お嬢ちゃん」と返してくれるまでに、関係は良好になっていた。足りない技術のサポートや、アイディアの添削、専門家ならではの目線……それらに、研究大好き、物作り大好きなチカラが、目を輝かせないわけがない。




そして時は更に経ち、チカラとヤワラは中学三年生になった。周囲が受験だ、就職だと慌てている真っ只中だというのに、チカラだけは日々研究に没頭していた。――もちろん、将来を考えていないわけではなかったが、数々の賞も獲っているチカラの手を引く学校は数多存在していた。結果、チカラは推薦という形で国一の学校へ既に進学を決めていたのだ。


「できた……!」


そんな折、チカラの歓喜の声が小さく研究室に響くチカラの手元にあるのは、二着のワンピース。桃色と白色のそれは多少の形が違えど、ほとんど同じデザインのもの。人によっては“お揃い”と言えるものだった。チカラはフリルのある裾の縫目をチェックすると、満足げに頷く。おじさんに頼んだ人材の中に服飾に詳しい人がいてよかった。“師匠”と教えを仰いだ人にアドバイスを受けつつ、必死に型を作って縫い合わせた日々を思い出す。それを日々の学業と研究の合間にやるのは、思った以上に大変だった。


チカラの手にあるワンピースは、戦闘服の一案である。……武器を作るのなら防具も必要だと思いつくのに、そう時間はかからなかった。チカラはヤワラの言葉を元に、武器を作る合間を縫ってデザインを考えていた。取っつきやすく、そして動きやすい服装。脱ぎ着も簡単で、お直しもすぐにできるもの。――そうしてできたのが、今チカラの手元にある二着のワンピースだった。


戦いやすいようにとひざ丈にした裾は白いフリルに彩られ、ヒールのないブーツは動くのにも支障はないだろう。色は師匠に言われるがまま、とりあえず“女の子らしい色”を選んでみた結果である。研究ばかりの日々であまり見目に頓着しないチカラにとって、その点についてはあまり興味がなかった。素材はまだ検討中だから何とも言えないが、機能性に問題はないはずだ。


「どうしたの、チカラちゃん」


「ひゃっ!?」


ふっと耳元に吹きかけられた声に、チカラの身体がビクリと震える。勢いのまま振り返れば、そこには首を傾げたヤワラが立っていた。ふわりと香るのは、あんこの匂い。次いで香る焼きたての香ばしい匂いに彼女の手元へと視線を向ければ、近くで有名なパン屋さんの袋が握られていた。途端、ぐぅ、と鳴るお腹。羞恥に赤くなる頬を抑えていれば、くすくすとヤワラの笑い声が聞こえた。


「ふふふっ、もうお昼時だもんね。チカラちゃんの分もありますよ。食べます?」


「……イタダキマス」


ヤワラの少しからかうような笑顔に、むぅっと唇を突き出しつつもチカラは差し出されたパンを受け取った。女の子と言えども育ち盛りな二人は、ヤワラの持ってきたパンをぺろりと食べ上げると、次いでやよいの持ってきてくれたお菓子を摘まむ。世間にとってはまだ珍しい洋菓子は、二人にとっては糖分補給のためのものでしかない。チカラは一口サイズのバウムクーヘンを食べ終えると、そういえばと思い出す。


「ヤワラに見て欲しいものがあるんですが……」


「見て欲しいもの?」


「これです」


チカラはワンピースの肩部分を持つと、ばさりと広げる。目の前に洋服を広げられたヤワラはバウムクーヘンをこくりと飲み下すと、目を見開く。その顔にチカラは内心したり顔だった。


「これって……」


「はい。おじさんの紹介してくれた師匠とデザインを考えて、形にしてみたんです! 戦闘服!」


「戦闘、ふく……」


ヤワラは小さく言葉を繰り返す。心底驚いたのだろう。言葉もなくじっと服を見つめるヤワラに、流石にチカラも心配になったのか彼女の顔を覗き込んだ。


(もしかして、ヤワラの見たものとは全然違った、とか……?)


何も言わない彼女にだんだんと心配になってくるのを感じ、チカラはワンピースを持つ手に力を込めた。くしゃりと歪む肩口にはっとして、掲げていたワンピースをゆっくりと下ろす。


「や、ヤワラ……?」


「あ、ううん。ごめんなさい。まさかここまで瓜二つに作ってくれるとは思ってなかったから……」


「え」


「……“未来”で見たものと、そっくりってこと」


そう言って小さく笑うヤワラに、チカラは少し目を見開き、次いでホッと胸を撫で下ろした。


(よかった……)


――彼女の見たものと大きく外れていたわけではない。それがわかっただけで、安心する。チカラはヤワラの手に桃色のワンピースを手渡すと、もう一着を手に取った。二着あることにヤワラが僅かに驚き、チカラが笑う。


「研究の合間に作ってみたんです。ちょうど二着ありますし――――試着、してみませんか?」


チカラの言葉に、ヤワラは頷く。




研究室に鍵をかけ、カーテンを閉める。早速と脱ぎ始めたヤワラにチカラはぎょっとしつつ、出来るだけヤワラの方を見ないように服を脱いだ。


自分の身体で採寸を行ったからか、ワンピースのサイズは丁度良く、丈も問題ない。ジッと背面のチャックを締め、ひざ下の編み上げブーツに足を通せば、初めて見る自分が出来上がった。


(問題は……なさそうですね)


その場で飛び上がったり、しゃがみこんだりと動きを確認するチカラ。靴も編み上げにしたことで調節が利くし、ウエスト部分のリボンも苦しくない。


(もう少し簡単に着られるよう改良は必要ですが、それ以外は今のところ……)


そう考えかけて、ふとヤワラの事を思い出す。彼女の方はどうだろうと視線を向ければ――。


「え」


「ご、ごめんなさい、チカラちゃん。チャック、上がらないかも……」


ぐっと背面のチャックを上げようとするものの、突っかかって上がらないヤワラを見て、チカラは愕然とする。チカラの視線が向いているのは――たわわに育った、ヤワラの胸元だった。


(入って、いない……!?)


ウエストやヒップは問題ないのに、なぜかそこだけ入らない。……その理由は、一目瞭然だった。チカラは自身の胸元を見下ろし、再びヤワラを見る。採寸をしたのはチカラの身体で、それが入らないということは……。


(……やめましょう)


考えない方がいい。こういうのは競うようなものでもないし、何より自分はまだ育ち盛りだから。大丈夫。……キニシナイ。


「チカラちゃん?」


「あ、コホンッ。えっと……とりあえず背中は応急処置をするとして……その他、何か気になる点はありますか?」


「え、うーん……特にない、かなぁ」


「そうですか」


首を傾げるヤワラ。彼女が動くたび、揺れる胸元に何とも言えない敗北感を覚えながら、チカラは頷く。ブーツは問題なく履くことができたようで、彼女は「もう少しクッション性があるといいかも」とアドバイスをしてくれる。また、ヒールがないのはいい配慮ではあるが、多少の高さはあったほうがいいということも聞き、チカラは頷く。確かに、このままジャンプをすると少し足の裏が痛いかもしれない。アクロバットな動きをするために、ヤワラの言う通り素材に工夫が必要だろう。


「素材と言えば、ワンピースの素材を少し迷っているんです」


「へぇ、どんなの?」


「これなんですが」


ヤワラの問いかけに、チカラは机から三種類のサンプル生地を出した。全て色のついていないただの布。ケースに入れ、わかりやすいようA、B、Cとアルファベットが振られていた。


「Aは耐火性のある布なんですが、柔軟性に欠けているんです。今の靴がこの素材なのですが……僕はあまり好みではなくて……」


「なるほど。確かにこれを服にしようと思うと、ちょっと固めかも……」


「そうなんです。Bはその点、素材が滑らかなんですが、長期間の使用には向いていなくて」


「あ、ちょっと解れてる……」


「機械で一万回擦ったら解れてしまいました」


チカラは検品用の機械を思い出しながらそう告げると、ヤワラは「一万回……」と呟く。しかし、そういった耐久度の検品はかなり重要だ。だからこそ、よくネットショッピングでもそういう売り文句がよく使われている。


「Cは? 一番綺麗に見えるのだけれど」


「Cは……実は一番厄介でして……」


「“厄介”?」


問いかけてくるヤワラに、チカラは頷く。


「耐久性、耐火性、耐水性、全てにおいてA判定。肌触りも問題なく、目も粗くありません。素材としては間違いなく一級品です。――しかしその値段、一片約十五万円」


「……え」


「このサンプルは十センチメートル四方の正方形ですが、これだけでも十万しました」


「……」


ヤワラは絶句する。……きっと聡い彼女はチカラの言いたいことの意味に気が付いたことだろう。


――そう、厄介なのは素材の値段だった。他の素材とはその額、まさしく天と地の差。布地を手配した時のやよいの顔も真っ青だったのを、今でも覚えている。


(でも、防具に手を抜くことは出来ないですし……)


武器を作っていると嫌でも実感する。使い手を守るのは良い武器と、良い防具だ。片方が劣れば、人は恐怖による躊躇いが生じる。そうすれば隙が生まれ、気が付けば……なんてことも多い。チカラは研究前に読み漁った“戦争”の記述を思い出しながら、苦虫を噛み潰したような気持になる。良い武器、良い防具を作った国は、基本的に強く死者が少ない。自損すらも防げない国は、兵士を使い捨てにするしかなかったのだろう。――わかっては、いるのだが。


「良い防具を作るには、必要な素材です。……それは、わかっているんですが……」


「……流石に、高いね」


「……そうなんです」


チカラはヤワラの言葉に頷く。――そう。チカラはわからないわけではなかった。どこの家にも企業にも、それこそ国にも、“資産”というものがあり、同様に“資源”というものが存在する。つまり、出来る“良さ”にはそれぞれレベルがあるということで。


「どうしたらいいかと、思ってまして……」


「うーん……」


チカラとヤワラは唸る。どれが一番いいか、製作者としてはどれを選ぶべきか。そんなことはわかっているのだが……だからこそ、悩んでしまう。


――“持ちうる資産”と“守るべき人命”。


その関りの深さに、二人は若年ながらも頭を悩ませていた。


「……とりあえず、そっちの方は私に任せて。チカラちゃんは銃の研究を進めてくれますか?」


「……わかりました」


ヤワラの提案にチカラは頷く。二人はそれぞれの作業に戻ろうとし、ふと自分たちがワンピースを試着したままであることを思い出す。顔を合わせ、どちらともなく込み上げてくる笑みに口元を隠した。


「ふふふっ、あ、危うくこのまま外に出るところでした」


「僕も、このまま道具を取りに行きそうでした」


くすくす。どちらの笑い声かもわからない、柔らかな声が響く。二人は資料を残すためにと用意していた使い捨てカメラを取り出す。それを見ていたやよいがカメラ役を申し出て、チカラとヤワラは二人で並び立った。


「……絶対に完成させようね」


「もちろんです……!」


シャッターが切られる。レンズの向こうでは、笑い合う二人の姿が映し出されていた。






それから更に研究に力を入れる日々を送っていたチカラは、ついに一つのドライヤーガンを完成させた。


見た目はもちろん単なるドライヤーであるが、その中身は専門家も真っ青なほど繊細な仕組みが凝縮されている。通常の物よりもずっしりとしたドライヤーはまだ試作段階だが、形になったことがチカラは何よりも嬉しかった。


「お疲れさま、チカラちゃんっ!」


「ありがとうございます!」


後ろで見ていたヤワラの声に、嬉しそうに笑うチカラ。その表情は心底嬉しそうで、年相応に見える。「受験勉強を放って研究を続けていた甲斐がありました!」と笑うチカラにヤワラが「他の人の前で言っちゃだめだよ?」と苦く笑う。そんなことを同級生たちの前で言ってしまったら、溢れんばかりの反感を買ってしまうだろう。――いや、もしかしたら「彼女だから」と笑って許されてしまうかもしれない。そんなことを考えてヤワラはくすりと笑う。彼女は思った以上に周囲に愛されていることを知らないのだ。


ドライヤーと真正面から向かい合うチカラは、真剣な目で出来上がったばかりの“武器”を見つめている。かと思えば、顎に手を当て、唸り始めた。


「うーん……できれば性能を見たいですよね。そして調整を重ねて、実戦で使えるようにしないと……」


「性能を見るって、試し打ちをするってこと?」


「……そうですね。それができれば一番いいんですが」


そう言って言葉を詰まらせるチカラに、ヤワラは首を傾げ――はたと気づく。


『試し打ちをする』『実践で使えるようにする』ということは、武器を扱う“人間”と扱っても問題のない“場所”の確保が必要であるという事。しかし、普通の街中でそれができる場所などあるわけもない。扱う人間も、普通であれば自分たちが担えば問題はないのだろうが、ヤワラが見た未来では小学三年生の少女たちが扱っていた。


――つまり、小さな彼女たちでも扱えるものにしなければいけないわけで。


「客観的な情報を得るためにも、協力者が必要だと思っているんです」


「確かに……」


できれば安全な場所で、第三者が使っているのを見て、調整すべきところを調整する――――その流れが一番いいことは、ヤワラでも簡単に想像がつく。しかしそんな都合のいいことは、例えこの街一番の古家で権力のある家だからと言って、簡単に用意ができるわけでもない。チカラは考える。


(専用の施設が欲しいですが……もう既に多額の援助をもらっている以上、それは難しい……)


何よりも、人員の確保がネックだ。なんせ、小学三年生の少女に依頼しなければいけない。小学三年生なんてまだまだ子供だし、危ない目に合わせるのはどうしても気が引ける。


(でも、実験しないわけにはいかないですし……)


どうしたら……と頭を抱えていれば、チカラの肩を軽く叩く指先があった。振り返れば、にこりと笑ったヤワラと目が合う。――あれ。これってなんか……デジャヴュ?


「それじゃあ、行きましょうか」


「えっ。行くって、どこに?」


「もちろん――おじさんのところに」


パチリとウインクをしたヤワラに、チカラは唖然と見上げるだけだった。




「久しぶりだな、チカラ、ヤワラ」


「お、お久しぶりです。親父さん……」


「ははっ、そう硬くなるな。おじさんでいい。君の消息はヤワラから聞いていたが……うん、元気そうで何よりだ」


ふっと笑みを浮かべる紀眞家当主に、チカラは肩に入っていた力を抜く。思っていたよりも緊張していたらしく、ほっと吐いた息は驚くほどチカラの心を軽くした。


目の前で笑うおじさんを見詰める。数年前よりぐっと増えたシワ。どこか苦労のにじむ顔を見て、チカラは二年前にヤカラから聞いたことを思い出した。


(……そういえば、弟さんってどうなったのでしょうか)


気になると言えば気になるが、特に話題に上げることでもないような気もしてくる。チカラは悩んでいるのも馬鹿馬鹿しいような気がして、さっさと話を切り替えた。


「おじさんは……少し、痩せましたか?」


「そうか? まあ……いろいろあったからなぁ」


少し遠い目をして笑うおじさんに、チカラは何となく言葉の裏を察する。「歳かな」と笑うおじさんは、少しだけ悲しそうな顔をしており、子供心に心配の念が浮かんでくる。同時に、チカラは数日前に父と母が喪に出かけたことを思い出した。自分は研究に没頭していたし、そもそも両親と顔を合わせることが少ないため、声を掛けられることもなかったからきっと仕事関係なのだろうと思っていたのだが……もし、その葬儀の理由が彼の弟だとしたら。――否、恐らくその予想は当たっているのだろう。


「さて、早速だが本題に入ろう。すまないね、あまり時間が取れていないんだ」


「は、はい」


問いかける前に先手を打つおじさんに、チカラはハッとして自分の作ったドライヤーを取り出した。コツンと軽快な音を立てて置かれたそれを、おじさんがまじまじと見つめる。


「それが、僕たちの作った武器――ドライヤーガンです」


「“ドライヤーガン”……?」


「はい」


訝し気に見つめるおじさんに、チカラは一つずつ性能の説明を始めた。


これで一体どんな攻撃ができるのか。どんな効果があるのか。その効果を出すために何をどう工夫しているのか。元々職人の人たちから話を聞いていたのだろう。特に質問もなく進む説明に、乗りに乗ったチカラはヤワラに止められるまで説明を続けてしまった。慌てて口を噤むチカラに、おじさんは小さく笑うとドライヤーを指した。「触っても?」と聞かれる言葉に「もちろんです」と頷く。


ドライヤーを手に取り、全体を見回すおじさん。銃口を覗き込む視線は、まるで子供のようにワクワクしているのが隠せていなかったけれど、再びドライヤーを机に置いた時にはその色は既に見えなくなっていた。


「……なるほど。つまり、この性能を試すための時間と場所……延いては人員が欲しいと」


「は、はいっ」


「試験の条件はあるのかい?」


「え、っと。こ、この武器はヤワラの話を元に、対人戦を意識しています。……“妄執”と呼ばれる化け物に効くかは正直わかりませんが……」


「対人か……」


おじさんの言葉が、重く伸し掛かる。


――そう。試験を行えない最大の問題点は、人に効果的かどうかを試さなければいけないことだ。つまり、誰かしら怪我をする可能性があるという事。そして何よりもう一つ、大きな問題点があった。


「それと……この武器を唯一封じれる戦闘服の作成を考えていたのですが」


「……もしかして、あの話かな?」


「はい」


チカラの言葉に、おじさんは察したようにヤワラを見る。彼女は視線を受けてすぐさま頷いた。……きっとヤワラは事前におじさんへと話をしてくれていたのだろう。何とも有難い。


「貴重なものですので、大人用の服を作るのには時間とお金がかかってしまいます。……今すぐに作れるのは、子供服が限界かと」


「……なるほど。これも必然、か」


「……はい」


おじさんの言葉に、チカラはヤワラの視る“未来”の話を思い出す。ヤワラの話曰く、戦士として戦っていたのは小学三年生くらいの女の子たち。そして現状、作れる服は子供サイズが限界かもしれないということ。それらを統合すれば……おじさんの言葉通り、これは必然だったのかもしれない。


「これは……どうしようもないな」


「……力不足で、すみません」


「いや。君はよくやってくれたよ」


おじさんの声に、チカラは込み上げる気持ちを抑え、頭を下げる。どれだけ褒められても、自分の力不足には変わりなかった。


子供は守るべき存在だというのは、現当主である彼の大きな決まり事である。それを理解しているからこそ、チカラは自分が不甲斐なくてたまらなかった。


おじさんとの間に沈黙が落ちる。居心地の悪さに、チカラは自分のスカートの裾を強く握りしめた。


(せめて、お金と時間があれば……)


そう思っても、簡単に手に入るようなものではないことは、チカラが一番理解していた。


だが、自分たちの子孫を……世界を守るためとはいえ、やはり“今”を生きている子供を犠牲にするわけにはいかない。何か別の方法を考えなければいけないのは、避けられない問題でもあった。




「――すればいいじゃないですか。実験」


「えっ」


「実験、したらいいと思いますよ」


ポンと。静かな湖のような空気に投げられたのは、ヤワラの小さな一言。お茶を啜る彼女は、驚きに言葉を失っているチカラとおじさんを見ながらも、何もおかしいことは言っていないと言わんばかりにこちらを見つめる。その視線は今まで見たことがないほど強く――。


「おじさん、確か来年三年生になる子たちがいましたよね」


「え、あ、ああ。いるにはいるが……」


「してもらいましょうよ。実験」


乱雑にも思える提案に、チカラはたまらず息を飲む。――してもらいましょうなんて、そんな簡単に言っていいわけがないのに!


「な、何を言っているのですか!?」


「何って……提案? 二人とも悩んでいるみたいでしたし、ちょうどいいかなって」


「馬鹿なことを言わないでください! 僕の話を聞いていなかったんですか!?」


「聞いていましたよ。だからちゃんと確認もしたでしょう?」


首を傾げる彼女に、かける言葉が見つからない。


(確認って……それは彼女達の意志じゃないでしょう!?)


親の了承だけ得て、本人たちの意思は二の次。そう言わんばかりのヤワラに、怒りに震える手をぎゅっと握りしめる。未だ首を傾げるヤワラをキッと睨みつける。


「そういう問題じゃあ、ありませんっ! まだ小学生の二人を巻きこむなんて……っ!」


「でも、実験しないことには進まないんでしょう? それとも、高価で貴重な糸が大人の服の分見つかるまで、怯えて暮らせと、そういうんですか?」


「っ……それ、は」


ヤワラの言葉に、チカラは言いかけた言葉を飲み込んでしまう。……ヤワラの言う通り、確かに今のままでは進まない。しかし、だからといって自分たちの都合でまだ子供である彼女達を、危険な目に合わせる訳にはいかない。それは年上として当然のことだとチカラは思っていた。それなのに──ヤワラは何も言わない。チカラはそんな彼女に、どう声をかけたらいいのか分からなかった。


数分の沈黙の後、親父さんが静かに告げる。




「少し、時間が欲しい。どちらにするにしても、彼女たちに話を通さなければ話は出来んだろう」


「わかりました」


「……わかり、ました」


おじさんの言葉にヤワラはどこか満足気に笑い、チカラは戸惑いがちに頷いた。どちらからともなく頭を下げ、部屋を出る。前を歩くヤワラの背中を見て、チカラは泣きたい気持ちになった。


幾度となく同じ道を通ってきたのに、初めて目を合わさずに歩いている廊下は、いつもと違う場所のようにすら思う。


(……やっぱり、ヤワラは変わってしまったんですね)


薄々勘づいてはいたのだ。ヤワラが少しずつ自分とは違うものを見始めていることに。でもそれを認められることが出来ないまま、今日を迎えてしまった。そして衝突。人前で声を荒らげたのなんて初めてだった。


──だが、何度考えても自分が言ったことが間違いだとは、微塵も思えない。


チカラはちらりとヤワラを盗み見る。何となく気まずい雰囲気にチカラは迷いに迷い──屋敷の門の前で立ち止まった。ヤワラも足を止める。


「……」


「どうしたの、チカラちゃん」


振り返るヤワラは、ニコリと笑みを浮かべるとチカラを見つめる。いつもと変わらない声と笑顔に、チカラは得体の知れない恐怖を感じた。チカラは勢いよく視線を逸らすと、車を停めて待っているやよいに気がついた。彼女は見送った時と空気が違うことに気が付いたのか、少し驚いた様子でこちらを見つめていた。


「……すみません。部品のストックが無くなっていたことに気がついたので、ちょっと買いに行ってきますね」


「そうなんですね。着いて行きましょうか?」


「っ、一人で大丈夫です!」


チカラは高らかにそう叫ぶと、持ってきていたスーツとドライヤーをやよいに渡し、行き先を告げるとその場を走り去った。


「はあっ、はあっ……!」


いつも研究ばかりでほとんど運動をしないチカラは、数百メートル走ると体力の限界に足を止める。息も絶え絶えに吐き出すと、チカラは乾いた口を引き締めた。こくりと生唾を飲んで、乾いた喉を僅かに潤す。その間も思い出すのは、ヤワラとの話ばかり。


「……僕が、子供なだけ……なんでしょうか」


ヤワラの言っていた言葉は、研究者としては納得のできるものだし、多少強引でも研究が進むのならそうした方がいいことは分かっている。──自分たちには、時間がないのだ。


(でも、やっぱりあの子たちを使うなんて僕には……)


納得できない気持ちを持て余したチカラは、街を宛てもなく歩き出した。買う予定のない部品を探して、ひとりきり。






――それから数日、チカラはヤワラと極力会わないように、出来うる限りの研究を行っていた。


「ふぅ……」


武器の小さな調整を済ませ、チカラは息を吐いて汗を拭う。


(やっぱり、これ以上は実験をしないことにはどうしようもないですね……)


二つ目の試作品を作ってみたが、やはり使えるかどうかもわからない代物を量産するのは合理的とは言えない。


研究に行き詰っているのはわかっていたが、実験に踏み出す勇気はでないまま、チカラは一度息抜きでもしようと部屋を出た。


年にそぐわないブラックコーヒーを手にしたチカラは、研究室に戻ってくるとその大きな目を更に大きく見開いた。


「なんで……!」


――研究室の机の上。そこにあったはずの銃が、忽然と姿を消していたのだ。


(さっきまでここにあったはずなのに……!)


チカラは焦燥に駆られる頭で必死に考える。


――飲み物を取りに行ってから戻ってくるまで、十分程度しかなかったはず。そんな短時間で、一体どうやって銃が姿を消すというのか。


(銃がひとりでに……? いや、そんな非科学的なことが起きるわけがない!)


となれば、理由はひとつ。


――誰かが持って行ったとしか、考えられなかった。


(でも、一体誰が……!?)


あんな短時間で銃を盗んで行くなんて、そんなこと出来る人間が果たしているのだろうか。


ふと感じる危機感に、チカラは勢いよく振り返る。南京錠をかけていた箱をガチャガチャと勢いよく開けて、中を見る。――空だ。


(サンプルもない!)


やよいに渡した、銃とスーツのサンプル。昨日入っていることをしっかりと確認していたのに、それすらも忽然と姿を消してしまっている。


(無くなったのは銃が二つと、スーツが二着……)


チカラは考える。犯人の行動を。そして――気づいてしまった。


「もしかして……!」


銃の在処を知っていて、南京錠を開けることの出来る人間。加えて今の現状を知っている人間で、自身に対して何か一物を抱えている人間となれば――一人しかいない。


「っ、行かないと……っ!」


チカラは財布と上着を引っ掴んで、部屋を飛び出した。通りすがりのタクシーを拾って、人よりも多く貰っている小遣いから料金を支払う。


辿り着いた本家は、ひどく騒がしく、チカラにとって嫌な予感をひしひしと伝えていた。そしてそれは、呆気なく肯定されてしまう。


「Hey! ぶふぅ! ぶふぅ!」


「やっちまえ!」


微かに聞こえる、はしゃぐ声。その声援じみた声を辿って着いたのは、裏庭の倉庫だった。


「ここって……」


開かずの間と言われていたはずの倉庫。そこがしっかりと空いていることに疑問に思いつつ、チカラは中を覗き込んだ。地下へと繋がる階段を目にして一瞬躊躇うも、チカラはゆっくりと階段を降りていく。


――そこで見た景色は、最悪のものだった。


「何、ですか、これは……!」


ガラス張りの大きな部屋の向こうで、小さい子供が二人、向かい合っている。肩で息をする二人は、その愛らしい顔にいくつもの生々しい傷をつけており、細い四肢のあちらこちらには赤い血を浮かべている。その手には見慣れた――否、自分が手掛けた銃がひとつずつ握られており、その事実に心底驚く。


(どういう……ことです、か……)


晴天の霹靂。寝耳に水。まさにその言葉が似合う状況に、チカラは呆然と立ち尽くす。止めなくてはいけないと頭では分かっているのに、行動に移すことが出来ない。足が地面に張り付いたように動かないのだ。


「チカラちゃん」


「ヤ、ワラ……」


ふと、かけられた声に振り返る。そこにはゾッとするほど美しい笑みを浮かべたヤワラが、チカラを見つめていた。まるで──『私の方が正しかったでしょう?』と言わんばかりの目。


「見てくれた? チカラちゃん」


「ヤワラ……これは、どういうことなのですか……?」


「どういうって……実験ですよ。ただの」


「じっ、けん……」


ヤワラは笑う。ガラス張りの向こうで戦う二人を見て。それを取り囲む大人たちを見て。


「この施設、実は私がお願いしたんです。“みんなから見えるように”と」


「な、んで……」


「もちろん、支援者を増やすためですよ。こうして見せることで、私たちのやっていることを可視化し、どれだけ人類……ひいては皆様の為になっているのかを知ってもらうんです。いわばスポンサーですね」


──“スポンサー”。その言葉に、チカラはハッとする。今視線の先に広がる景色は、確かにスポーツ観戦などと似た状況であることに、今になって気が付いたのだ。


(だからって、こんな見世物みたいな……!)


「これで、チカラちゃんも好きな研究がいっぱい出来ますよ」


──良かったですね。なんて。


そう言って微笑むヤワラに、チカラは今までに感じたことの無いほどの恐怖を覚えた。そして同時に、彼女が自身と同じ人間であることに疑いを持つ。


彼女は本当に自分たちと同じ心を持つ人間なのか。──否、こんなことを平気でできるなんて、悪魔以外の何者でもない。


「っ、触らないでください!」


「!」


バシンっと激しい音が響き、ヤワラの手が振り払われる。驚いたヤワラの目が、大きく見開かれた。そんな彼女をチカラは強く睨みつける。


「今すぐ止めさせてください!」


「どうして? チカラちゃんも研究に行き詰まっていたじゃないですか」


「っ、僕をアナタと一緒にしないでください!僕はそんなこと頼んでませんっ!!」


チカラは激しい怒りに駆られていた。


勝手に進んでいた現実に。心を持たないヤワラの言葉に。──何故怒っているのか分からないと首を傾げるヤワラ自身に。


「二人はこれが“実験”だって知ってるんですか!? 自分たちが実験台であると理解しているのですか!?」


「さあ、どうでしょう。知らないんじゃないですか?」


「そんな無責任な……っ!」


「──無責任? それは違いますよ、チカラちゃん」


ヤワラの纏う雰囲気が変わる。静かに目を細め、ゆっくりとチカラを見つめる視線はどこか哀れみを含んでおり、それに対して諦観しているようにも見える。


チカラは悟った。ヤワラはきっと、彼女にしか見えない“未来“を見てしまったのだろう、と。


「そもそも、数年後にはあの二人は許嫁となる男に殺される予定です。酷く無惨に。……そんなことになるくらいなら、ここで有効活用してあげた方が、まだ彼女達の為……」


「っ――アナタは、自分が何を言っているのか、わかっているのですかッ!?」


ヤワラの言葉を遮り、チカラは吠えた。怒りに染った思考が、抑えきれない感情を抱え、チカラの小さな身体を駆け巡る。


チカラは許せなかった。たとえどんなに過酷な未来が待ち受けていたとしても、それが“今”の幸せを壊していい理由にはならない。“今”を不幸にしていいわけがない。


(それに、人をまるでモノみたいに……っ!)


「彼女たちは生きているんです! 消耗品じゃあない! 僕たちが好きにしていい未来なんか何一つないんですよ!」


「そうかしら。こうして戦うことで、二人の内一人は婚約者から逃げられる。それに、こうしてちゃんとデータもとれているし、双方にとっていい案だと思うのですが」


「そういう問題じゃありません!」


どうしてそんな非道なことを思いつけるのか、チカラにはわからなかった。そして同じくらい、伝わらない思いに泣きそうになる。


いつからこんなにも考えが変わってしまったのだろう。いつから彼女は、こんなにも酷いことを言える人間になってしまったのだろう。彼女を変えたのは、一体なんだったのか。──ずっと一緒にいたはずなのに、自分はそれに気がつけなかった。……いや、気付こうとさえしなかった。ヤワラなら大丈夫だと、思っていたから。


「未来が悲惨だからって、彼女たちの人生を勝手に変えていいはずがありません! 彼女たちには彼女達の道がある!人生がある! それを、“未来”を見れるヤワラが、否定するようなことしないでください……っ!」


チカラは迫り来る怒りに喉を焼く。叫んだ喉が痛み、それと同時に心が音を立てて軋む。込み上げる感情はもう怒りなのか悲しみなのか、分からなくなっていた。


「誰かのために誰かが犠牲になるなんて、馬鹿げています! 僕は……っ、そんなのは、望んでいない……っ!」


「……なら、彼女達が嬲り殺されるのを見ていた方がよかったと。チカラちゃんはそう思うんですか?」


「っ、そういう事ではなくて――っ! もっと違う方法があったはずです……! 二人でちゃんと話し合って、考えていればきっと……!」


チカラの訴えに、ヤワラは答えない。ただただ、静かに笑って肩を掴むチカラの手に自身の手を重ねるだけ。ヤワラは静かに続けた。


「……もし、チカラちゃんの言う通りに誰も、何も犠牲を出さずに終われたら、きっとそれは誰にとっても幸せな世界なんだと思います。でも、もうそんなことは言っていられない。どんな犠牲を出してでも、私たちは……私は、みんなを救わないといけないんです」


「ヤ、ワラ……」


「分かってくれますよね? チカラちゃん」


ヤワラ視線が、自信を射抜く。チカラはその笑顔から目が離せなかった。


(どうして……そんな顔をしているんですか……)


まるで要らない感情など、全て削ぎ落としてしまったかのような表情で笑うヤワラに、チカラは自然と手を離す。一歩、二歩とたじろいで……チカラは唇を噛み締めた。……その心に巣食うのは、圧倒的な絶望感。


「ヤ、ワラ……」


──どうして、どうして伝わらないの。


何故ヤワラは、頷いてくれないの。なんで、そんなに痛そうな顔をするの。ヤワラにそんな顔をさせている原因は、何?


「……ヤワラ。あなたはいったい――“未来”に、何を見たのですか……?」


静かに問い掛けたチカラに、ヤワラはやはり諦めたように笑う。その表情に、チカラは途端泣きそうになる。


(これは……不甲斐ない僕が招いたことだ……)


全てをヤワラに任せ切りにしてしまった、自分への罰だ。想いが伝わらないのも、ヤワラをこんな顔にしてしまったのも。そばに居て気がつけなかった自分のせいだ。


チカラは絶望に打ちひしがれた。喧騒が遠くに聞こえる。――チカラは気づけば実験室に背を向け、走り出していた。まるで、現実から逃げるかのように。一人、必死に。


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