プロローグ
スーパーチャージ。略してスパチャ。今話題になっているライブ配信サイトの支援方法の名前である。やり方は簡単。デジタル化した福●諭吉をスパチャ箱に入れるだけ。後は金額に応じてライブ配信者が自分の名前を呼んでくれたり、反応してくれたりするのでそれを見て楽しむのである。
今の説明で分からない人は賽銭箱のシステムを思い浮かべて欲しい。賽銭=スパチャを投げて神=配信者に願いを聞いてもらう。神は全ての賽銭バコラーの願いを聞くわけにはいかないから金額の大きいものを優先して聞く。仕組みとしてはこんな感じだ。
そのスパチャを最初に始めたのが全世界五十億ユーザーを抱える動画サイトFTIFである。元々は1分ほどの動画を投稿するだけの小さなプラットフォームだったのだが、スパチャシステムを導入してからは瞬く間にユーザー数を増やしていき、遂に動画投稿サイトとライブ配信プラットフォームとしては世界最大のものとなった。今この時間もFTIFのアプリを開けば大量のスパチャの渦とたくさんのライブ配信者を見ることができる。今やライブ配信業は新時代の先端を走る激熱コンテンツとなった。
さて、そんな新時代の賽銭箱システムであるスパチャだが、そのシステムを未だに理解できない人が一定数いる。何を隠そう、僕もその内の一人である。
スパチャシステム。勿論その構造自体は単純なために理解できないなんてことはない。だが、僕が真に理解できないのは、スパチャシステムの根幹、つまり配信者にお金を投げるユーザーが存在するという点である。なぜなら——
——どう考えても金の無駄じゃないか!
こんな搾取を体現化したシステムがこの世に存在するだろうか。バコラー(賽銭バコラーの略)の意見はこうだ。『配信者に愛を伝えられる』『お金じゃない、愛だ』。何が愛だ。そんなものは愛とは言わない。献金だ。目を覚ませ。
勿論、心から応援という形でスパチャを投げる層がいることも僕は理解している。ただ、無料で見れるライブ配信にわざわざお金を使う必要があるのか、というのが僕の正直な感想だ。スパチャでは千円、五千円、一万円と小銭とは言い難い金額が常に飛び交っている。そのお金があれば生活水準をもうワングレード上げられるだろう、という金額までスパチャ箱には投げられている。僕はそこで気づいた。彼らは承認欲求を金で満たしているのだと。
配信者は金額が多ければ多いほど、そのバコラーを認知する。つまりバコラーは有象無象溢れる集団の中で、ただ一時だけ注目を集めることができるのである。才能無しに目立つことのできないこの社会で、一万や二万で視線を買うことができるのならそれは確かに病みつきにはなるだろう。しかし、だ。そんな一時的なものにお金を使うことがいかに無駄なことか、彼らは気づいていないのだろうか!
……というのが、僕のひと月前までの意見だった。そして現在、僕の手元には軍資金(五万円)が握られている。これには食費、家賃、そして少しばかりの学費が含まれている。何に使うか? 勿論スパチャだ。先ほどワングレード生活水準が上げられると言ったが、今の僕はその逆だ。3グレードほど生活水準を落としている。もし今の僕が一か月前の僕に出会って先ほどの言葉を聞いたのなら、僕はきっと自分を殴り殺しているだろう。そして冷え切った自分の胸倉を掴み上げてこう言うはずだ。『金じゃねぇ。愛だ』、と。
さて。僕がどうしてこうなったかを知りたくなった人はきっと大勢いるはずだ。しかし、それを話すには、まず僕の想い人である「成獣きりん」ちゃんについて話さなければならない。これは避けては通れない。今の僕の身体の99%を作っている「成獣きりん」ちゃん抜きに、今の僕は語れないからだ。
では聞いてもらおう。僕が深夜のコンビニで出会った、「成獣きりん」ちゃんの話を。