時間切れ
ヴィンフリーデ・ドラゴニアは魔法を使えない。それは不変の事実だ。だからオリオンは言ったのだった。
『魔力を扱えるようになれ』、と。
よく考えれば、どうしてあんなに時間がかかったのかわからない。オリオンは初めからヒントをくれていたのだ。
根本的に、魔法を発動することと魔力を扱うこととは明確な差異がある。
魔法において魔力は単なる道具だ。身体中に張り巡らせ、精神を整え、古代の賢者が言霊を込めた言葉を発する。それで、世界に改変が起こるのだ。この辺りの説明は何度も何度も言い含められていたから間違えてはいないだろう。
つまり魔法とは結果であって、魔力を流すことは過程なのである。
俺は本当の意味でそのことを理解していなかった。
魔力にはエネルギーが含まれている。運動エネルギーやポテンシャルエネルギーと同じ類だ。それを全身に張り巡らせ、身体を動かすと同時にそのエネルギーを放出する。すると、普通ではあり得ない膂力を手に入れることができるのだ。
「初めからそう言ってくれれば、俺だってさっさとできた」
「甘やかすとろくなことになりません。子供とはそういうものです」
「俺はもう子供じゃない」
「はいはい」
ベッドに寝かしつけられ口を尖らせる俺と、果物の皮をナイフで剥いているオリオン。たしかにこの姿だけ見られれば子供だろうが、それは否だ。俺は精神年齢だけで言えば、とっくの昔に成人しているのだから。
「というか、オリオン」
「はい?」
「最後、反撃しようとしたよな?」
「……」
黙り込むオリオンに、俺は確信する。
「魔力を扱えるようにってだけなら、あの時点で……っていうか、壁を走ってる時点で達成してたよな?」
「……」
「それなのにお前は、最後の最後まで攻撃し続けてきた」
「お嬢様、ほら、お嬢様の好きなリンゴが――」
「楽しくなっちゃったんだ?」
俺は、差し出されたリンゴを無視してジト目でオリオンに言う。
「ええと……ああ、ええ、そうですそうです。不肖オリオン、いつだってお嬢様のお世話をするのが楽しく存じます」
白々しくそういうオリオンの目は、泳ぎに泳いでいた。オリンピック選手ばりに。
「俺をいたぶるのが、楽しくなっちゃったんだ?」
「それは違いますお嬢様。私はただ、どれだけ打てばこの鉄はもっとしなやかになるかを試したかっただけで――」
「本音がポロッと出ちゃったねぇ?」
「……」
俺は被っている布団を跳ねのけ、叫ぶ。
「ふざけんなよ!! 俺は、まじでお前に見限られたのかと思ってたんだぞ!!」
わざとらしく、「ははーっ」とひれ伏していたオリオンは俺の言葉を聞いて、チラリとこちらに視線を向ける。
「え?」
「何だよ!」
「殺されると思ったんじゃなくて、見限られると思って頑張ったんですか?」
オリオンが何を言ってるのかわからなくなって、俺は一瞬硬直……そののち、いそいそと布団を戻してその中に潜り込んだ。
「え、え、えぇ? お嬢様ぁ、普段はチンピラみたいに口が悪いのに、私のことをそんなに憎からず思ってらっしゃったんですかぁ?」
ねぇ、ねぇねぇと布団を揺さぶられ、俺は耳を両手で塞ぐ。
「うるせぇ!! もういいからさっさとどっか行け!!」
「でも、私もっとお嬢様の可愛いお口で褒めてもらいたいです。あぁ、これが主従の禁断の恋というやつでしょうか? まったく、そんなにいかがわしい女の子になったお嬢様にはお仕置きをしなければなりません、私直々に!」
珍しく声を荒げるオリオンが布団を引っぺがそうとして、俺は必死に抵抗する。
「キモいキモいキモい!! お前なんか嫌いだ、俺の方から見限ってやる!!」
「私知ってます! それ、人間界ではツンデレって言うらしいですよ!」
何でツンデレなんていう言葉を知ってんだこの駄メイドは!!
しばらく、すったもんだの戦争を行っていると、ふと扉が開いた。
その瞬間、流れ込んでくる殺気と威圧。
俺は背筋に冷や汗を……流すことなく、興奮するオリオンを押さえつけながら言った。
「父上」
するとオリオンは光の速度で乱れた布団も衣服も髪型もすべて直し、扉に向かって完璧な一礼をした。
「ドラゴニア公、何かございましたか?」
この野郎……。
俺は額に青筋を立てるが、オリオンはどこ吹く風だ。
「……オリオン、貴様に少し話がある」
いつも思うが、アダルバートは俺と話すときとそれ以外と話すときと、少し雰囲気が違う。俺が子供だからだろうか、極力殺気や威圧を消して接しているみたいだ。しかし使用人や龍王軍と話しているのを覗き見たときは、何も気にしていないように殺気をばら撒いている。
実際に殺している現場を見たことはないので、あれが彼の普通なのだろうが……。
今は、俺が部屋にいるのに殺気が駄々洩れだった。オリオンも心なしか顔を引き攣らせている。こいつでも怖いものはあるらしい。
「かしこまりました」
けれどそんな態度はすぐに消し、平静のまま俺に布団を掛け直した。
「さっき自分で引っぺがした布団を掛け直すのか?」
「今だけ黙ってくださいお嬢様……! 私まだ死にたくないので……!」
小声で叫ぶという何とも器用なマネをして見せた彼女は、しずしずと部屋を出て行った。それと同時に部屋を去って行ったアダルバートは俺をチラ見して、少しだけ……本当に少しだけ笑った気がした。
扉の閉まる音を確認し、俺は天井を見上げながら思った。
「いや、やっぱり気のせいか」
虐殺龍が笑うはずもない。
☆★☆★☆
「……ずいぶんと、リーデと仲が良いな」
「お嬢様の懐の深さにて」
「……そうか」
いつもの薄暗い執務室。ゴレオバの椅子に座るアダルバートは興味がなさそうに言ったが、龍特有の有鱗眼がわずかに揺れている。言外に、「羨ましい」と言っているみたいだ。
「お話とは、やはりあの件でしょうか?」
このままお嬢様の話をされ続けられてはたまらないと、オリオンは本題に舵を切る。
アダルバートは視線をあげ、ゆっくりと頷く。
「ああ、そうだ。進捗は?」
「本日、お嬢様は闘神剣において最も重要で、唯一とも言える技術を身に着けました。あと数年、あの才を磨き続ければ計画には間に合うと思われます」
「闘神剣、か」
アダルバートは少しだけ、顔をしかめた。
「あれは、剣術とは呼べん」
「たしかにそうですね。型もなければ移動法も使い手によってまちまち。確立された技術とは呼べないでしょう」
剣術であろうが武術であろうが魔術であろうが、それぞれには目的が、いや、究極形がある。それぞれの流派によってそれは異なり、究極形に至るまでの道筋も異なる。いわば、「こうあるべき」というゴールが示されているのだ。速さに重きを置いた流派、破壊力に重きを置いた流派、効率に重きを置いた流派……それらは千差万別で、しかし明確な意志を持っている。
だが、闘神剣にはそれがない。破壊のためだけの剣。理念だけが突き進み、あらゆるすべてを置き去りにした殺人法。それが闘神剣だ。
「ですがお嬢様には、闘神剣が最も適しています。魔法を行使できないお嬢様にとって、他の流派は複雑すぎるのです。ならばいっそ、何にも縛られずに戦える方がいい」
「……我は、お前の才覚を認めている」
「ありがたき幸せ」
「だが、リーデは我の子だ」
「……」
「もしもあれに何かあれば、我は仇為した者の一族を郎党皆殺しにするだろう」
「ええ」
「そうならぬように、励め。話はそれだけだ。まだ時間はある」
オリオンはただ一礼し、踵を返した。
そのとき。
「ドラゴニア公!」
勢いよく開いた扉と同時に、レオスが飛び込んできた。龍王軍団長の彼は、常に浮かれているような雰囲気を出しているが今だけは違った。城内の女性を虜にする甘いマスクには冷や汗が流れ落ち、いつもはビッシリとセットしている金髪も乱れていた。
「領内に敵影確認!!」
「何だと?」
ピクリとアダルバートの眉が跳ねる。
「数は?」
「それが、その……」
レオスは一瞬逡巡してから、ハッキリと言った。
「その数、一名」
「一名?」
「勇者ルクセリア・フォン・ティオール……です」
オリオンは思わず、息を呑んだ。
勇者ルクセリア……通称、龍殺し。
虐殺龍、アダルバート・ドラゴニアを単騎で殺しうる……人間の名だった。
「残念ながら、たった今、時間は無くなったようだな」
アダルバートの呟きが漏れ、葉巻の煙と共に立ち昇った。
これにて第一章は完結です、今までお付き合いくださりありがとうございました。
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